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竜と老人  作者: 日南田 ウヲ
45/122

その45

(その45)



 震える手は誰の為にあるのか?

 それは握りしめる優しさの為にあるのではないか?

 ベルドルンは杖を突きながら風に吹かれて丘に立ち、見渡すほど広がる草原を見つめていた。

 身体は既に癒えている。少しばかり歩くときに傷が痛むが、それとて歩むべき道を止めるほどではないと思った。


 ――歩むべき道


 ベルドルンは睫毛を風に揺らす。

(私はどこに行こうというのか)

 首を回す。

 回すと遥か遠くに山並みが見える。その山並みの向こうは雲が掛かっているが、いくつもの連峰が聳え立っている。

(あの南…険しい山並みの向こうに並び立つもの無き頂》がある…)


 ――自分はそこに行こうとしていたのではないか?


 ――それが何故、歩みを止めているのだ?


 ――傷は癒え、自分が進みゆくものを阻むものはあるまい。


 ベルドルンの側を強い風が吹いた。その風は後ろへと流れてゆく。

 その風の流れて去る先に、自分は何かを感じている。

 それは傷とはまた違う、失えば痛みを伴う、その何か。


「ベルドルン」

 背後から声がした。

 ベルドルンは振り返る。

 視線の先に弓を肩に抱えて、風に流れてゆく栗色の髪を抑える人がいる。


 ――美しい人


 ベルドルンは何も言わず、唯見つめている。

「どう、素敵なところでしょう。ここは私のお気に入りの場所。風の草原とアイマールの人は言うのよ」

 言いながら歩み寄って来る。今日、起きると彼女が自分に言った。


 ――いい所があるの。行かない?


 何も反論はない。自分の身体も体調が戻りつつある。どこか歩けるのであれば歩きたい気分だった。

 二つ返事で簡単に身支度をすると、家を出た。出るとき、リーズが首から小さな笛を首から下げるのが見えた。

「こいつ?これね。鳥笛っていうのよ」

 言うとベルドルンの横で口に咥えて吹き始めた。

 小さな音がやがて段々と大きくなってゆく。吹きながらリーズが手を空に向かって差し出す。

 音が風に乗り、草原に響く。

 すると草原の向こうに見える森から幾つもの影がこちらに向かって飛んできた。

 それはやがてベルドルンとリーズの上を旋回すると、一つの影がゆっくりとリーズの差し出した手の上で止った。

 それは白い鳥だった。手に止まった鳥の首をリーズの細い手が撫でる。気持ちよさそうに目を細めると鳥は小さく鳴いた。

「鳥が懐いているようだ」

 ベルドルンがリーズに言う。

「私の国では野生の翼竜(ワイバーン)を飼いならす時に吹く笛があるが、この笛は野鳥を自然と懐かせることができるのだね」

「そうね。この笛は私達に必要な『呼び鳥』や『伝書鳥』を集めるときに使うのよ。ほら…、それで特にこうして懐く鳥が良い鳥なのよ」

 言ってからリーズは手を大きく空に放つ。するとそれに呼応するように空へと鳥が羽ばたいてゆく。

 その姿を追いながらリーズが見つめている。

「鳥は良いわね…、自由に空を飛んでどこの世界にも行ける」

 何気ない言葉がベルドルンの心の内を震わせた。

 空を見つめるリーズの瞳はどこまでも透き通っている。

「私はこの山岳の国で一生を終える。シルファのような強国に怯えながら生きてゆくの…」

 何かを求めているような、探しているような瞳の内に潜む思いがベルドルンの心を揺さぶる。


 ――あなたは良いわね。空を飛べるのだから。

 自由に。


 ベルドルンは思わず杖を離した。杖が音もなく草原の上を転がる。

 内に潜むリーズの声が聞こえたのではないか?

 ベルドルンはリーズを見た。

 そこに君は居る。

 居て尚、問いかける。

「リーズ…」

 ベルドルンの言葉が風に流れる。

 転がる杖がリーズの足もとに当たる。それを彼女が屈んで手に取るとベルドルンに渡した。

 手渡される杖をベルドルンが受け取る。

「…行かないか…」

 リーズが顔を上げた。

「私と共に…」

「どこへ?」

 リーズの眼差しがベルドルンの心を捉える。それは心の底に潜む自分の思いを見つめているのだ。

(どこへ…?)

 自分は彼女をどこへ連れ出そうと言うのか?


 ――行かねばならぬ場所は、自分が望む場所だろう。

 果たしてそこは彼女が望むべき場所なのか。


 リーズが薄く瞼を閉じて自分を見つめている。

 ここより遥か辺境の世界へ、自分は彼女を連れ出そうとしている。

 彼女を束縛からから放つために。

 それは彼女の隠された人生に対する希望だけを満足させるためだけか?


 ――(いな)、それは違う。


 ベルドルンは杖を強く握りしめた。 

 今、自分は強さの内に愛を握りしめているのだ。

 その手にリーズの手が重なって優しく触れる。

「リーズ…」

 見つめる栗色の瞳が微笑む。


 ――あなたは去るだろう。でもそんなあなたに、私は駄目だとは言わない。

 あなたは私と違い自由に生きれるのだから。

 自分は今彼女の思いに触れているのだ。


 ――この思いを誰が断ち切れようか。


 ベルドルンは決心した。

「行こう、リーズ」

 リーズが顔を上げた。

「私は誰に恨まれようとかまわない。この小さき背にあなたを乗せて、あの空を飛ぶ鳥のように共にこの世界を竜の翼で駆けよう」

「ベルドルン…」

 リーズの呼びかけにベルドルンが首を強く横に振る。

「それだけではない」

 言ってから腕を空高く伸ばす。

「この魂の宿る身体がこの世界から消え失せ、やがて私達を互いに分つその時まで。私はこの腕で、剣であなたを護りぬこう!!」

 吹く風がベルドルンの言葉をどこまでも運んで行く。その言葉が去った時、二人はどこに行くというのか。

 答えは風の中にあるのか。

 それとも二人が握る互いの手の中にあるのだろうか。

 リーズは思った。

(もしかしたら私は大切なものを分つ存在なのかもしれない)

 それは

 父と

 ベルドルン。

 

――そう、

 私はきっと我儘なのだ。

 悲しいくらい

 翼を求める飛べない鳥のくせに。


 流れてゆく栗色の髪の先にリーズはふと自分の運命を見た気がした。

 ベルドルンが握る手からそっと手を離すと、流れる髪を手で抑えながら草原を流れゆく風の行く先を見つめて思った。

(受け入れられる運命なら受け入れよう。この人と共に)


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