その42
(その42)
陽が昇り、緑の世界を色濃く照らし出す。
朝が来た。
窓を開けると遠くの空に流れる雲が早い。
それを見てリーズは母屋の扉を開けると外に出た。
風が吹いている。北から南西に。
山に掛かる雲が早く風に靡き、それが南西の風ならば、早ければ午後にも天気は崩れ、夕立が降る。
祖母の残した言葉だ。
(夕立が来る…)
それでリーズは急ぎ薪を切る場所に行く。そこには外干しされている薪がある。それが雨に濡れるのを避けるため、納屋に仕舞うのだ。
ふと、その時、庭を見た。
そこに父が居て、鳥を空に放っている。一匹は小ぶりの鳥だが、もう一匹は首から何か筒を下げている。
(あれは呼び鳥と伝書鳥…)
リーズは奥に急ぎ行き、納屋へと薪を担いで外へ出た。
出るとそこに庭から戻る父が見えた。
装具の足を動かしながら、父は娘を見ると笑った。
「どうした?早いな」
「父さんこそ。見て、南西の風が吹いてる」
それだけで父は娘が言わんということが分かった。
「夕立が来るか…」
娘が頷く。
「それで薪を納屋に仕舞うのか」
父が笑う。
それからとても優しい眼差しになって、娘が脇に抱えた薪の束を自分の脇に抱えた。
「リーズ、儂は思うよ。お前ほど働き者で、器量の良い娘はこのアイマールにはおるまい。またそんなお前を生涯幸せに出来るような出来星の男もな」
せり出した顎を撫でるように父親が言う。
リーズはそれを笑いながら聞き流そうとする。
「だが…、あの若者はいかん」
リーズの髪が揺れる。
「あれは伝説上の幻だ。竜人族…そんなものが昨日の今日までいるとは誰も信じてはいない。それが突然現れたとしても、我々親子には関係ない」
リーズは振り返り父親を見る。
「必定、我々はこの山岳の厳しい土地で生きて行かねばならぬ、そういう定めなのだ」
リーズは風に流れるままの髪を手で押さえる。
「そうね、父さん。私たちはそうやってこの土地で生きてゆく。今日も、明日も、そしてこれからも、シルファの属国として」
「リーズ…」
娘が下を向く。
「シルファは巨大な王国だ。海上の豊かさに加えて無数の空飛ぶ飛行船、弓、銃、それらを束ねる軍隊を持ち、それらは我々にとって足りないものだ。それだけじゃない彼らは我々にとって生きるために必要な『塩』を豊富に有している」
「『塩』なら僅かでも岩塩が取れる場所がこの奥にいくつもあるでしょう」
「リーズ、その場所へ行くにはコカトリスなどの疫鳥達の巣を通り抜けねばならない厳しい道なのだ、例え儂であっても、そこを目指そうとすれば…、生きて帰れる保証はない」
リーズは視線を遠くに向けた。見える山並みに雲が風に流れてかかり始める。
「父さん、急ぎましょう。夕立じゃなく、昼にも雨が降るかもしれない」
言いながら娘が父に聞く。
「さっき空に放った呼び鳥、何をしたの?」
父親が娘の問いかけに顔を上げた。
「これだ」
言って装具を叩く。
「具師のトネリに装具の事をそろそろ見てもらわなければならぬ。夏至のシルファへの荷駄はまだ終わったばかりで来年を待たねばならないが、どうも調子が良くない」
「そう?」
父親が頷く。
それから間を置いて言った。
「あとトネリに聞かなければならないことがあってな。だから伝書鳥も合わせて送ったのだ」
(聞かなければならないこと…)
リーズの疑問が表情に出る。
それを見て父親が笑う。
「何も心配事ではない。学びだ、この世界の事のな…トネリなら装具の修理などでアイマールを出て方々の口伝などにも詳しい。それで聞きたいことがあったのさ」
言うと父親は薪を脇に抱えながら、装具の足を器用に動かして娘を追い抜いて行った。
「急がねば、お前の言う通り、昼にも雨が来るだろう」
そこで振り返る。
「それに客人の朝の食事の用意をせねばな」