その34
(その34)
装具の先が大地にめり込む。
若者にはそれが力を込めたものだと分かった。
小さな軋む音が耳の奥に届く。それは日々の修練を怠らぬ筋肉の軋む音。
――余程の手練れのようだ。
四肢に入れた力を腹の内に集める。何かあれば瞬時に横にでも飛ぶためだ。
(しかし…)
それで目の前に立つ男の次の一撃を躱せることができるというのか?
若者は唇に薄い微笑を浮かべた。
――無理である。
一撃目は躱せたとしても恐らく次は肩にかけた銃が素早く自分を狙撃するだろう。
男が肩にかけている銃は狩猟用のものではあるが、それでもこの男にとっては怪我を負った自分なぞ、それで十分だろう。
どうあがいても、もしここが自分にとっての死地であるのであれば逃れることができるのは相手次第ということだった。
――相手次第
心が動いて男の顔を見る。張り出した顎の輪郭の中で陽に焼けた肌、太く真横に伸びた眉毛が最後の方は跳ねている。眉間に寄せられた皺深く彫り込まれた眼差しは、自分を見つめている。
敵か味方か、それを瞬時に探ろうとしているのだろう。
しかし、
――自分の生殺与奪はこの男にあらず、
そう思うと心が動いた。
自分の考える「相手次第」とは、その男の側に立つ女次第だと思った。
「父さん」
栗色の髪が風に靡く。
ちらりと横目で男が見る。
「リーズ、武器は取ったか?」
「ええ、あちらの木陰に」
それに呼応するように視線を向ける。そこに男は何かを見つけたのか、軽く頷く。
「長剣と短剣のみか…」
女が頷いた。
「それ以外は何も持っちゃいなかったわ」
ふむ、男が息を吐く。
どうやら緊張がとけたのか頬の筋肉が僅かに緩んだのが若者には見えた。
しかし次の瞬間、銃を素早く構えると若者の心臓にピタリと合わせた。
「若者、名を聞こう」
空気が急激に張り詰め、風の侵入を塞ぐ。
若者の返答を邪魔するものは居ない。
向けられた銃身の銃口に陽が煌めき、それを何か優しいものが塞いだ。
「父さん、止めて。手傷を負ったものを脅すのは畜生以下、いつも私に言ってたじゃない」
女の手が銃口を覆う。
男はふんと鼻を鳴らした。
「馬鹿を言えリーズ、確かに普段から俺はお前にそう言っているかもしれん、だからと言って山岳民の俺達が見知らぬ土地の者に簡単に心を許すことなどあってはならぬ」
「でもね、父さん。彼の事は私が既に尋ねているのよ」
それに横目を動かして男が女を見る。
「じゃ、このままもう一度聞くんだ」
女が頷き、若者の前に屈みこむ。
その屈みこんだ位置が自然と男の構えた銃の位置と若者を結ぶ直線上であるのを若者は瞬時に悟った。
――助かるかどうかは、相手次第…
まずは交渉に応じなければならない。
若者は自分を覗き込む栗色の棲んだ瞳の奥に自分の姿を見つけると軽く頷いた。
「もう一度聞くわ、あんた何者なの…?」
若者は僅かに顎を引いた。
それから息を吐く。
「私の名はベルドルン、ここより遥か北にある王国の護衛兵をしている」
「北にある王国?」
女が見つめる。
「すまないが、国の名を明かすことは出来ぬ」
「命を落としてもか?」
間を開けず、男の鋭い声が飛ぶ。
その言葉を伏せた瞼で受けると、見開き言った。
「そうだ。言えぬものは言えぬ」
銃の撃鉄の音がする。
「やめて!!父さん。国の名なんてどうでもいいじゃない。それで何かあるわけでもない」
「馬鹿を言え、俺達はシルファの南の護衛国でもあるんだ。もしそいつがシルファを脅かす国の輩だったら…」
「殺すって言うの?ふん、いつもいつも大人はシルファ、シルファって言ってご機嫌取りばかり、挙句には夏至になると荷駄を積んでシルファへ貢物を届けに行く始末、少しは骨のあるやつがいるのものかと思ったけど、アイマールの男は誰も腰向けばかり」
「リーズ!!あれは塩のとれぬ国故のこと。余計な戯言を言うんじゃない」
「戯言じゃないわよ」
言ってから女が男を振り返る。
「この男が人間ならね」
突然放たれたその言葉の意味を図りかねたのか、男の銃身が僅かに下がる。何か考えを思い巡らす様にしていたが、首を横に振るようにして女に言った。
「……リーズ、意味が分からぬ。どういう事だ、この男が人間ならばというお前の言葉の意味が…」
「その意味の通りのよ。人間ならばシルファの豊かさにも関心があるのでしょうけど、もし違えばシルファ等に興味はない筈、そう空を飛ぶような奴にはね」
「空だと…??」
そこで男は突然はっとするように顔を上げた。
女はそんな男の表情を気にすることなく若者を振り返り、再び顔を見つめる。
「あんたの国の名などどうでもいい。私は知りたいの、あなたが何者か?そう何故空を飛んでいたあんたが今ここで人間の姿をしてここに横たわっているのか…」
女の声が終わらぬうちに背後から勢いよく男が出て来ると、勢いよく女を身体ごと払った。
突然の激しい力に遭って、女がよろめきながら男に言う。
「ちょっと!!何よ、父さん」
しかし男の背にそう言った声が届く前に女は身震いをした。
男の全身から総毛立つような鬼気が浮かんでいたからだ。それは今まで自分が見たことも感じたこともない男の姿だった。何か異質なものが浮かんできている、そう感じる何かが女の全身を這いずる。
鬼気が浮かび上がるその横顔、まるで戦場に立つ鬼のような化身。
気軽に「父さん」なんて呼んじゃいけない。
――しかし、言わなければ若者は必ず死ぬ。
直感が囁く。
だから、無意識に声が出た。
「父さん!!」




