その17
(その17)
炉の火が消えるのをミライは一人残って見つめている。
若者は館に帰した。
夜空には月が昇り、どこからか吹く夜風が誰と分からぬ足音運んでくる。
若者を館へ返したのは決して何かを予感めいたことではない。
ただ単に自分が熾した火の始末は自分の仕事だと思っている、そんな単純なことがここに一人残った理由なのだが、夜の帳の中を訪れる訪問者にとってそれは非常に都合の良かったことかもしれない。
そう、夜風が囁いている気がした。
ミライの影を老貴人の杖が踏んだ。
「ほぼ、出来上がったように見えるが?・・如何かな」
澄み渡るような深い響きのある声がミライを振り向かせる。
老貴人は黒い襟立の上衣を羽織り、杖を脇に抱えながら、夜の訪問者らしく黒い影を纏っていた。
ミライは小さく頷く。それから火ばさみ代わりに使っている木の枝で灰をかき分けた。焦げた木の枝の先に小さく固くなった鉱石が鉛色に輝く。
「これほどのアルゲナイトが手に入れば作業も早いものです。アイマールでは中々手に入らない。正直に言えば、これと同じものをアイマールで作ろうとすれば、ひと月はかかるでしょう」
「それ程か?」
老貴人が少し驚きを込めて言った。
「ええ、どうやら貴国はシルファも凌ぐほどの鉱石や文明の技術が進んでいるのかもしれない。アイマールのような痩せた山野の土地を切り開いた山岳王国では、ベルドルン殿の国のように豊かとは言い難く、このアルゲナイトだけでも探し回らなければならない」
手を動かしの下に枝を潜らせる。小さな火の粉が舞ってミライの頬を染めるとミライは笑った。
少し、自嘲気味に。
「きっとアイマールを見てもあなた方が羨むほどの欲しいものなどありませんでしょうから」
夜風が吹く。
それはゆっくりと何かを引きづるように。それは誰かの思いを乗せてすこし重く冷たく、欲しくてやまない羨望の思いを撫でるかのように。
「それはないだろう。貴公の国でも羨むほどのものがある筈だ」
それは断定的で強い響きだった。
その言葉の中に潜む強さにミライは振り返る。老貴人の眼差しが振り返ったミライを見つめていた。
――それは、何か?
ミライは首を横に振った。それを問いただしたところで何になる。それは強者の前で繕うだけの慰めにしかならないだろう。
「どうした?」
老貴人の問いにミライは再び首を横に振った。
――聞くべきことを間違えてはいけない。
夜の訪問者はそれに答えようとミライが一人になるのを待っていたに違いない。
「伺いたいことが・・あります」
額に掛かる黒髪の隙間から老貴人を見る。その眼差しに老貴人は深く頷いた。
それに答える為、ここに来たのだ。眼差しがミライに伝えている。
――尋ねるがいい
聞こえぬ声にミライの唇が動いた。
「ご子息から伺いましたが、館の広間に掲げられた肖像画、あれはベルドルン殿の奥方様なのですか?」
老貴人はミライの問いかけに頬を少し、緩ませた。
どこか、さも愉快だというように。
「いかにも我が妻オーフェリアだ」
ミライがゆっくりと杖を持って立ち上がった。
「真に?」
「ああ、真だ」
ミライが老貴人を見つめる。口元が緩んでいる。それは何か知っていてそれを惜しんでいる老人の習性なのだろうか?
(どうもそういういのは嫌だな)
ミライの若さが気を急かす。
「私はあの肖像画と似た人物を知っています」
核心へ急く焦りは若さがなせるものなのかもしれぬ。それを見つめる老貴人の表情がそれを笑う。
ミライが老貴人に言う。
「どうも・・おからかわれているようですが、あの肖像画と僕の知っている人物と何か繋がりがあるように感じてならないのです。ベルドルン殿、あなたは何かを知っておいでではなのですか?」
老貴人はそこでピタリと真顔になると、目を細めてミライへ言った。
「確かに。それについて自分で少々興に乗じすぎたようだ。ミライ殿、貴殿の心配はきっと他人の空似だろう。妻の肖像画のことで貴殿に隠すようなことは何もない」
「何も?」
――信じられぬ
思いが顔に出る間もなく、老貴人がミライに向かって言った。
――それこそ
ミライにはとってはぞくりとするほどの背も凍るような驚きといえた。
「そう、貴殿が何故杖を突かねばならぬ程歩くことに不自由なのか、その隠された真の理由に比べればだな」