04 『フラの会話』
フラ・アンジェリコ。
会話とは対抗か対等か。
『フラの会話』
カナリーとアトリの共同生活が始まった頃、一カ月ほどで描いたとされるのが『フラの会話』である。
カナリーの絵画の癖として左右で対比させる傾向がある。この『フラの会話』は特にそれを顕著にした例であるが、これは癖を理解した上で意図的に顕著に描いたと言われている。
キャンバスの左半面はサイコロ状の物体が規則的、かつ立体的に積み重なり埋め尽くされている。それらは鈍い銀色に縁取られ、全てが一辺15ミリの均一サイズだ。面には薄青色に染められた上に0か1が金文字で書かれている。
右半面には人間を模した裸体が絡み合うように立体的に積み重ねられている。こちらはサイズも姿勢も形も統一性がなく、中には奇形とも言えるようなアンバランスなものも混ざっている。また老若男女問わず象られているが、頭部は全て剃髪で顔もわずかに鼻梁があるだけとなっている。
どちらも鏡写しにしたように左下と右下それぞれからキャンバスの中央に向けて帯状に盛り上がっており、中央より少し上でぶつかり互いを押し出すように立体感を増している。
この『フラの会話』は我々と人間の接触に対しての表現であると同時に、カナリーとアトリの出会いの表現でもあるとされる。
接触性機構を有さないタイプのために補足すると、人間とは互いへの信用や許容の証明として対象に接触する度合いを増していく性質がある。
左右から中央へと伸びる立体部分は互いの手を表しており、全く異質なものでありながら鏡写しに触れあっている。現在、これはお互いへの共感や理解を示そうと努力している様子だと解釈されている。だが発表当時は、互いへの忌避感から排斥し合う様子であると解釈された。
もしこの『フラの会話』が、人間が我々の存在を社会的に組み込む頃に描かれたならば、『ウッチェロの距離』同様に処分されていたかもしれない。
この『フラの会話』が描かれた当時は我々に概念という思想は把握できないとされていた。
アトリも当時、共感や理解、努力という概念を持ち合わせていなかったという。
だが製造種別機体管理番号ではなく個体としての名前をつけられ、共同生活を続けるうちにアトリは変化していく。
そのきっかけとされるのが『フラの会話』のタイトル元とされる、カナリーとアトリの間で交わされた会話だ。
その会話自体は彼女たちがともに生活を行うようになってから別れるまでの会話全てであり、それを記述することは本項ではしない。
アトリの個体集音情報は申請すれば確認可能なので、各々で確認いただきたい。
カナリーとアトリの会話を書くと物語が1つ出来上がります。(この作品に要約されない)
それを書くとなったら何倍に膨れ上がるか……。
今のところ作者は物語版を書く予定がないため、申請しても確認できません。