20 『等伯の未熟』
長谷川等伯。
未熟をあえて魅せるという行為。
『等伯の未熟』
カナリーは精緻な描写を評価されているが、最初からそうした精緻な描写が出来たわけではない。
コンクールの作品は過去になるほどに構図が不安定になり、その頃のスケッチは何度も書き直したらしく引き裂かれた跡がいくつも残っている。
その頃に描かれた水彩画が、『等伯の未熟』であり、カナリーが初めて報酬を得た絵である。
俯瞰で描かれたこの作品は、箪笥の上で寝そべっている猫を見下ろすように部屋を見下ろしている。
白地に茶と黒のブチ猫は下を見下ろし、見上げている幼子を観察している。幼子の目は爛々と輝き、尻尾を掴もうとする右手は伸ばされ、右足が箪笥の引き出しをに引っ掛けている。
部屋の左手にはベビーベッドがあり、顔の描かれた奇怪な黄色い塊。背景には積み木が転がる。
全体的にパースもバランスも取れていない、拙く未熟な絵である。そこに繊細さはなく、色が滲んで何を描いたのかわからない箇所さえある。幼子の頭や目は大きすぎ、猫の尻尾は2メートルはある。
だが人間にはこれが微笑ましい光景を描いていると認識されたらしい。
この作品を描いた12歳頃のカナリーは母親の発症により、アトリエに移り住んだばかりだった。
周辺の住民に馴染むために出来たのが絵を描くことだったと言われる。
同年代がいないこの地区で、子供への風当たりはきついものだった。アトリエから出ることも、誰かを招き入れることも出来なくなるまで然程の時間はかからなかったと思われる。
施設員が彼女のところへ訪れたのは、支給品の配布などの生活保護が目的だったという。
だが施設員はカナリーに対し、子供が喜ぶ絵を描いて欲しいと要求した。
これは正式な手続きの記録がないため、あくまで個人としての依頼だったと思われる。
しかし、後に画家の保護を目的とした生活援助の申請を行い、定期的に画材を提供する手続きを済ませていることから、なんらかの根回しが済んでいたのだろう。
描かれたのは『等伯の未熟』だが、当時は題名はなく、価値もなかった。
だが施設員はそれをデータ化して周辺の住民に流布し、絵を描く依頼を受けるというカナリーの立ち位置を作りあげた。
以降、カナリーは周辺住民から地域紙やチラシの挿絵などの仕事を得る。
子供のいない施設員が何故、子供が喜ぶ絵を依頼したのか、その理由はわかっていない。
施設員とカナリーが同時期にVRアートを利用していた記録はあるが、接触はなかった。フリースペースに残る絵からカナリーへと辿りつき、援助しようとしたとも推測されているが、彼がその調査を行った履歴は残っていない。
『等伯の未熟』を見た人間のいう、微笑ましいという感覚は我々にはわかりにくい。
しかし、それを理解することが出来ないわけではないだろう。
おそらくそれは、カナリーが『ラファエロの欠落』でアトリに感じたものと通じるものがあると思われる。
––––拙さや未熟さというのは欠点ではなく、その時に持ち合わせている技術である。
(アトリ集音情報より抜粋)
そう説得して本作を公開しようとしているのがアトリ、それに被せるように聞こえるのがカナリーの声である。
データを分析すると、恥ずかしいからやめろ人の黒歴史をほじくるな、と叫びながらアトリにしがみついく様子が確認できる。
この音源を再生すると広がる彼女たちの様子は、我々の電子回路内を想定外のルートで駆け巡り、えもいわれぬ情報を我々にもたらす。
それはきっと、人間が感じた微笑ましいという感覚に繋がっているのではないだろうか。
未熟を掘り起こされ見せられるという行為。




