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18 『レンブラントの光』

レンブラント。

光量を増す表現方法。

『レンブラントの光』




 この作品は『糸繰機の三部作』の最後とされる作品である。


 構図は非常にシンプルで、右上奥から左下手前へと伸びる通路を描いている。

 地下道、あるいは地下鉄を思わせる楕円形の通路。そこには一切の装飾はない。奥へと向かうほどに遠近法以上に道は狭く、暗く染まっていく。

 壁や床に這う影が構造的な陰影を作っているが、それもやがて影だけとなり、形を失って暗闇へと消える。手前に視線を移すほどに光量が増し、影も薄く小さくなる。更に通路を象っているセピア色や薄黄色が白さを増し、まるでスポットライトで照らされているような眩さに通路は霞む。

 この明暗の中で唯一、四散した糸繰人形のコントローラーだけが影を落としている。そこからは他作品と同様にテグスが伸びているが、通路を辿りキャンバスからはみ出したところで不揃いに切断されている。


 これはアトリが排斥され光の園へと旅立ったであろうという暗喩として人間たちは解釈している。

 光の園とやらは人間が抱く宗教的認識における、清く美しい魂が死後に向かう場所だとされる。カナリーがそれを願って描いたとするのが人間の解釈だ。

 しかし現時点で我々は魂も光の園も実体情報として観測はできていない。また我々に魂があるのか、光の園とやらへ向かうものなのかも判然としない。

 カナリーがそれを信じていたのかという点についても、確信が持てない。

 多くの画家に見られる宗教的なオマージュが彼女の作品には乏しい。アトリの集音情報を解析しても、礼拝などの行為が行われていたデータはない。


 宗教的な意味をカナリーが描くとは考えにくい。では『糸繰機の三部作』で描かれる明暗、光と闇とはなんだろうか。

 糸繰人形が佇み、縛られ、消えた意味。

 壊すでも塗り潰すでもなく、キャンバスの外へと消えたのは何を意図しているのか。


 我々には糸繰人形が、人間の絵図を飛び出して自律する様子を描いているように思えてならない。

 それは人間が描いた用途を果たし、自発的にカナリーの元へと帰ったアトリの姿でもある。

 アトリにとって、光に溢れた美しい場所であること。カナリーはそう願い、またそうあろうとしたのではないだろうか。

 そうしたカナリーのアトリへの思いこそが、『ベルラ・マニエラ』へのしるべであり、アトリがその階梯を歩むきっかけになったことは間違いない。


 人間が描く絵図のままに機能することだけが、果たして我々が成すべきことなのか。

 この三部作は、我々への問いかけでもあるのではないだろうか。







『光』『闇』『明暗』で『糸繰機の三部作』になっています。

『マネの疎外』にも糸繰人形は描かれていますが、あれは他にもアーム群が描かれているため別物として扱われています。

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