13 『エイクの鏡面』
ヤン・ファン・エイク。
鏡面に映る人物像。
『エイクの鏡面』
キャンバスが必須であり画材が貴重であった時代、画家は売れない絵に重ねて別の絵を描いた。
重ね絵ともいわれ、宗教画などの絵を隠すために用いられたこともあり、弾圧や排斥が顕著な時代や地域に多い。
現代ではそうした意図や背景などは見られず、構図と異なるラフが残る程度である。
このため、カナリーが下絵を隠した意図は全く別の理由である。
表面に描かれているのは、カナリーのアトリエである。『ショーヴェの吹き墨』とは異なり、窓越しに差し込む日差しが全体を明るく照らす。二つのイーゼルが向かいあい、それぞれにキャンバスが置かれている。キャンバスには風景画のラフが描かれており、これはカナリーの未発表作品であると言われている。床に散らばる絵の具は床の木目を染め、いくつかは足跡に歪む。キャンバスのとなりに各々置かれた椅子には、湯気が立つカップとクッキーがのっている。
カナリーは創作中に寝食を忘れることがあり、アトリが軽食を用意することがあったという。
アトリには食事の必要はないため、別の人物がいたという説もあるが、データ上には残っていない。アトリの分も用意させていた会話音声データが残っているため、アトリの分も描いたのだと考えられる。
この表絵は一部が加筆修正された後であり、元絵ではキャンバスは一つであり、カップなどはなかった。手前のキャンバスの前に座る人影と、その手をとってキャンバスに描きつけている人影が曖昧に描かれている。カナリーとアトリであろう人影だが手足のみが描かれており、判別はできない。
アトリの作風がカナリーに似ていることから、カナリーがゴーストであるという説が流れた後、この作品を描いていた。そのため、語弊を煽る描写を避けたと考えられる。
この絵をさらに深くスキャンすると、最初に描いた絵が大きく異なることがわかる。
キャンバスに向かい座るカナリーらしき背中と、傍らの丸椅子にクッキーとカップが置かれた部分だけが本来の構図で、全て鮮やかに透き通る青で描かれている。人物の頭部だけが一部削られているのは、横向きに修正しようとしたのだろう。わずかに笑みを浮かべた口元が描かれているが、顔は象られていない。
カナリーはこの絵を埋めるように白で塗り潰し、その上に表絵を重ねている。
人間には他者を晒すことを好む一方、自らを晒すことを避ける性質を持つ者がいる。
また多くの人間は自撮りなどで自画像を残しているが、カナリーは写真も含めて自画像が発見されておらず、露出を拒む性質を持っていたとされる。
このため自らの表情を描くことを躊躇い、描き直したと考えられる。
しかし我々は様々な視野、視覚を有する。分子組成や立体構造など、物体を多元的に分析できる機体は多く、アトリもそうである。
見られることを全く予測していなかったであろうカナリーは、何故描きあげないのか問われ、次のように答えている。
––––見せてないところまで見るな!
(音声データより抜粋)
音声データを再生すると若干のどもりと罵声があるが、それら全てが回答であるとして加工はしていない。言語化表記が難しいため、明瞭な箇所のみ抜粋してある。
このデータを分析すると、彼女が興奮状態になっていく様子がわかる。
描き手の意図から外れた、あるいはそれを無視している見方は、作品の意味することとは違うということがわかる資料である。
また、この下絵および音声データは人間が恥じらいから怒りへと感情を転嫁していく様子の資料としても有効である。
塗りつぶされたキャンバスは鏡面のようになりますが、絵具の成分で描かれたものが判別されます。
それをそのままデータ化してアウトプットできるアトリと、見られると思ってなかったカナリーの様子をご堪能下さい(各々脳内で)。