2仕事め:落ち葉と再挑戦と醸し技
食味改善を決意して一日後、私とハルは森の端にまで来ていた。
変幻自在なハルは、ユキヒョウよりももうちょっと大きくなて、私を背中に乗っけてくれた。
風を切って走るハルの背中は、たいそう楽しかったことを付け加えよう。
……太ももがガクガクしてるけど。
ハルの土地と絶海の森との境界は、すごいものだった。
森のほうを見通せば、緑豊かに生い茂っているにもかかわらず、ハルの土地にさしかかったとたん、まるでそこから除草剤でも撒かれているみたいにくっきりと分断されているのだ。
一番外側の木々はいくらお日様が差していても、まるで意思でもあるみたいに枝葉を伸ばさず避ける徹底ぶりは一種異様だった。
私はドキドキしつつ、森の浅瀬に一歩踏み出すと、なんとなく空気の流れみたいなものが変わった気がした。
あったかい部屋から、冷えた場所へ出て行ったようなつんと澄んだものに。
けれど、その空気は他人行儀というわけでもなく、不思議に包まれる感じがあって心地良い。
木々で日陰になっているから、そう感じ取れるのかもしれない。
ちなみに私の装備は、農作業用にしているジャージに、足は長靴、トランク。以上。
……間違いでもなんでもなく、あめのような艶を帯びた皮製の普通の旅行カバンである。よく使いこまれてかっこいいとは思うものの、正直森へ行く装備としては違和感がある。
けど、これがめちゃくちゃすごいんだ。
ただ、わーやっぱり森は良いな!と思ってたけど、その感想は10秒で裏切られた。
入り込んだとたん羽虫が飛び交うし、妙な鳥の声が響いてくるし。
でも空気が気持ちがいいのでプラマイゼロかもしれない。
とはいえ、今日用があるのは森の奥じゃない。だからほんの10メートルほど入り込んだところで私は足を止めた。
足元は茂みで覆いつくされて歩きづらくなったのもあるし、長靴の底が柔らかく沈み込むことで、十分なことが分かったからでもある。
フォルテから、茂みを切り開く用ののこぎり鎌は借りてきたけど、そんなに使わずにすんで良かったよ。
「ええと、なるべく広葉樹の葉っぱで、かさかさに乾いているようなのが良いんだよね」
銀杏や針葉樹の葉っぱは時間がかかるから、今回のもくろみにはあんまり向かないらしい。
地面に降り積もる落ち葉を握ってみれば、幸いなことにかさかさに乾いていて握ってみればぱりぱりと崩れた。合格点。
ここに決めた私は、適当なところで持っていたトランクを降ろすと、蓋を開ける。
すると家で入れてきたスコップと、沢山の大きな布袋が地面に飛び出してきたのだ。
ちなみにトランクの大きさは私が抱えられるくらい、どう考えても私の腰くらいはある柄の長いスコップは物理的に入らないしはずだし、布袋だって入らない数だ。
「うわあ、やっぱり不思議技術……」
そう、このトランクは、どんなものを入れても本体のトランクの重さだけという、おっそろしく便利な異世界的魔法アイテムなのだった。
まあ、許容量はあるらしいんだけど。今のところ水を入れると転がすのがやっとの樽でも三つ四つ平気で入り、平然と持ち運べるのは確認してる。
もちろんフォルテからの貸し出し品である。
野菜の収穫時にも大変お世話になりましたとも!
こんなのが普通にあるなんて、このカウンの物流事情はどうなってるんだろうと、確かめようがないことが気になったものの、ともかく目の前の仕事である。
名前からして危険な絶海の森だから、はやく用を済ませなければ。
というわけでスコップを携えた私は、一応森の外だからと虎型のまま待機していたハルを振り返った。
「じゃあ、やろっか、ハル」
「うん」
そうして、口で布袋の端を咥えたハルとともに、ざっくざっくと足元の落ち葉を布袋に詰め始めた。
主に、入れ込むのは落ち葉だったけど、めんどくさいので巻き込んでしまった草も、そのしたに眠っていた腐葉土も入れ込んでいく。
ハルが器用に袋の口を開けてくれるところにむけて、私はひたすらスコップでがんがん突っ込んだ。
ゴミ袋並みにでっかい布袋がいっぱいになれば、ハルは口につけられていた巾着ひもを器用に引っ張って締めて、トランクに放り込み、また新しい布袋を構えてくれた。
そう、私が作ろうとしているのは、落ち葉で作る腐葉土である。
我が愛読書「都会人でもできる家庭菜園」にも作り方が載っていた、落ち葉を適切に重ねて放置するだけでできる初心者にもやさしい簡単土壌改良土だ。
歩いていけない距離ではない場所に、材料の落ち葉なら山ほどある。
しかも発酵促進剤として提示されている米ぬかなんかも、なければないでできちゃうらしいとかありがた過ぎだろう!
さらに言えば、全くなくなっているらしい土壌の微生物も連れてこられて一石二鳥。
と言うわけで、野菜の味を良くしよう作戦第一段階として、決行中なのだった。
持ってきた布袋を全部いっぱいにしてトランク詰め終えたところで、私たちは畑にとんぼ返りした。
そうして畑の近くに昨日のうちに準備して設置しておいた大きな木の枠へ、落ち葉の詰まった袋をひっくり返していく。
水分が抜けてからっからな落ち葉でも、これだけ大きければそれなりの重さがあるけど、フォルテと一緒に作った木枠は、しっかりと受け止めてくれてくれてほっとした。
にしてもとんかち使ったのなんて、いったい何年ぶりだろう。
「今度はしっかりお手伝いできるの」
ざばーと落ち葉を敷き詰めた私は、私と同じジャージと長靴姿に変わり、やる気をみなぎらせるハルにお願いした。
「じゃあハル、木枠の中の落ち葉をがんがん踏み固めて」
「了解なの!」
身軽に木枠の内側へ身を翻したハルは、せっせと足で落ち葉を踏み固めていった。
乾いた落ち葉だから、踏んでいくたびにどんどん容積が減っていく。
うわあ、やっぱり余分に落ち葉を袋詰めしてきてよかった。
園芸本に踏み固める理由は書いていなかったけど、多分かさばらないようにか、あとで水分を入れるときに保水力を持たせて発酵させやすくするためなのだろうな、と勝手に思っている。
ともあれ、まずは園芸本の通りにやってみるのがいいだろう。
ハルがちょっと楽しそうに銀髪を揺らしながら、落ち葉をざくざく踏み固めていく途中で、早くも花が出てとうが立ちすぎてしまった野菜たちや、食べきれなかった残念野菜も入れていく。
ごめんなー食べられなくて。だが無駄にはしないぞ。
最後の一袋を開け終えたら、ちょうど用意した木枠が八分目になったので、私は再びトランクを開けて、水の入った樽を出して中に投入した。
この水の運搬法は、ふだんの水やりでもやっているから慣れたものだ。
けど、案の定水が足りなかったので、屋敷まで取って帰して水を汲みなおすこと数回。
ようやく足で踏んで水がにじみ出るくらいの、いい感じの水分量になったところで準備完了だ。
ここまでの準備でだいぶへとへとだけれども、ここからが本番だと私が振り返れば、ハルはこわばった表情をしていた。
「あたしの、番だよね。ここの微生物さんが、元気に生活するように、お願いする……」
事前にハルにお願いしていて、やる気一杯に返事をしていたけれど、今のハルはがちがちに緊張していた。
その反応で、やっぱりあの失敗を引きずっていたんだなとわかった。
「怖い?」
そう、問いかけてみれば、ハルは申し訳なさそうにこくりと頷いた。
「また、失敗したら、一葉ちゃんに迷惑かけるかも知れないし」
猫耳に変わってはいないものの、浮かない表情のハルに、私はそれを言った。
「んとね、もし気が進まないようだったら、やらなくてもいいよ」
「えっ!」
気負っていたハルが、虚を突かれたようにぱちくりと藍色の瞳を瞬かせてこちらを見るのに、私は肯定の意味を込めてうなずいてみせた。
今の野菜でも多少おいしくないだけで十分に食べていけるのだし、腐葉土はうまくいけば、放っておいても半年くらいで使えるようになるはずでもある。
「ただね、はじめっからいろんなことがうまくできるとは思わないのよ。だから、できそうなところからちょっとずつ挑戦してみない?」
「できそうなところから?」
それでもこうして問いかけているのは、せっかくの能力なのに、失敗したら怖くなって、二度と挑戦できなくなってしまうのは今後のためにも良くないと思ったからだ。
便利だからではなく、今とてもいろんなことをするのが楽しそうだったのに、消極的になってしまうのが心配だったから。
おせっかいだろうけど、縮こまりやすいハルだから、ハードルを下げて挑戦できる機会を沢山用意してやりたいと思ったのだった。
もちろん、押しつけるのはだめだ。本人に頑張る意欲がないのにむりやり押しつけるのは余計萎縮させる。
けれど、ハルは、最後の一歩が踏み出せないって感じのような気がしたのだ。
だから私は、追い詰めないようにゆっくりと言葉を紡いだ。
「これだって、失敗してもまた落ち葉を持ってきてやり直せばいいし、ここならいくら権能を使っても発酵か腐敗か乾いたまんまってだけだから。腐葉土ってどんな感じか触って、どう言うのかはわかるよね。実物がわかるから、今回はちょっとハードルが低いかなーと思ったんだけど」
「うん、たしかにそうかもなの」
畑とはそこそこ距離を離しているのも万が一の被害を最小限にするためだ。
さらに言えばこの間の畑みたいにふんわりと使うのではなく、完成図があるものにしたり、木枠で、ハルが権能を使う範囲を限定しやすいようにしてみた。
無理はさせたくない。けれど手助けは欲しい。
だから私に思いつく限り、できるだけハードルを下げてみたのだが、やっぱり駄目だろうか。
せかさないように待っていれば、木枠の中と自分の手を交互に眺めていたハルは、私のほうを向いた。
その藍色の瞳は不安げに揺れていたけど、それでも進んでみようという意思を感じさせた。
「そのね、一葉ちゃん。一緒にやってくれないかな。そしたらうまくいく気がするの」
「え、いいけど?」
あんまりにも不安げだったから、間髪入れずに答えたものの、内容を考えてみて一気に青ざめる。
これから使うのは権能なわけで、つまりそれって……っ!
「……や、やっぱハルちょっ」
「ほんと!? ありがとうっ。じゃあ行くよ、せーのっ」
ぱっと表情を輝かせたハルは、一気にしゃがみ込み、ぐんと力強くジャンプする。
「イイ感じに微生物さんっ、発酵しよーっ!」
や っ ぱ り そ れ か !?
ふたたび、某森の妖精の成長儀式を繰りだすハルに、私は硬直してしまった。
26にもなった女に、それを一緒にやれと。
「おいしい野菜が実る、いい土に、なれー!」
けれどハルは不安げに私を見ている。そのすがるようなまなざしに、自意識と良心がぐらぐらと揺れて、傾いた。
ええいもうやけだと、ぐっとその場にしゃがみ込む。
「ああもうわかったわよ! い、良い土に、なれーっ!!」
そうして思いっきり、伸び上がり両手を上に伸ばした。
死ぬ、恥ずかしい。誰も見てないから、やってるハルは真剣だから!
羞恥心を忘れるんだ! 頑張れ、私!
私がやり始めれば、ハルはほっとした顔で、俄然真剣な表情で、しゃがみこむ。
私もハルと同じタイミングで、伸び上がった。
「微生物さん、元気にかもしましょー!」
「かもしましょー!」
すると、ぱっとハルの体から畑の時と同じように淡い燐光が溢れだし、木枠の中の落ち葉に降り注ぐ。
そして、落ち葉が見る間に黒々とし始め、ほかほかと湯気が出始めたのだ。
「ストップ、ハル!」
「はいっ!」
すかさず静止をすれば、ハルは某森の妖精儀式をやめる。
途端、ふりそそいでいた燐光も霧散して、ハルは藍色の瞳を丸くした。
「すごい……とまった、止まったよ一葉ちゃん!」
「うん、こっちもいい感じだよハル」
木枠の中の落ち葉を触ってみれば、手袋越しでもわかるほど温かくなっていた。
うまくいくと40度ぐらいになって、熱い時だと70度に達することもあるらしい。
何にも熱を加えずに、発酵の働きだけでこんなに温度が上がるなんて、なんだか不思議な気分だ。
ちょっと掘って握ってみると、落ち葉がぽろぽろと崩れてしまった。
たしか「都会人でもわかる家庭菜園」によれば、温度が下がったら切り返しという混ぜる作業をすることで、均一に発酵させるらしい。
これだけ発酵が進んでいるのならば、もしかしたら明日には切り返しができるかもしれない。
「よくやったねハル。ばっちりよ!」
だから私は、そわそわとするハルにグッと親指を立てて見せる。
すると不安げだった彼女は、ぽんっと白い猫耳と尻尾をあらわにして晴れやかな表情になったのだった。