1仕事め:ご飯の確保は駄女神と
ぱちっと目が覚めると、ドアップで猫の顔があった。
銀色みがかった白い毛並みのふにゃふにゃに緩んだ寝顔は、我が愛猫、ハルだ。
うむ、いつ見ても平和な寝顔だと思いつつ、頭をちょろっと撫でてやる。
「うみゃ」
寝ぼけ眼でぼんやりとするハルがおかしくて頬が緩んだ。
無意識にだろう、手に顔を押し付けてすり寄ってくるのがかわいい。
「おはよう、ハル」
「一葉ちゃんおはよー。もうちょっと寝たいにゃあ」
いつもの挨拶に、澄んだ女性の声が返ってきて、緩んだ頬がぴしりと固まった。
そして、昨日の出来事を一気に思い出す。
どうやら私も寝ぼけていたらしい。
身じろぎすれば、見慣れない高い天井が飛び込んでくる。
ああ、やっぱり夢じゃなかったのか。
朝から早々気が遠くなっていると、顔に影がかかった。
「おはようございます、ハル様、イチハ様」
間髪入れずに耳に飛び込んできた高く澄んだ声に、びくっとして起き上がった。
「うみゃっ」と慌てる声がしたけれども気にする余裕もない。
ベッドの脇で慎ましく立っていたのは、肩口で切りそろえられた黒と銀の髪の少女だった。
きちっとした黒いワンピースに、真っ白なエプロンを身に着けたいわゆるメイドさんスタイルの彼女は、普通の一人暮らしのOL……あ、もう無職だった。私の部屋にはもの凄く違和感がある。
ふっ、内装が変わっても通販やホームセンターで買った安っぽいベッドやカラーボックスやらが浮きあがっているぜ。
と言うかあれ、え、ちょっとまて。こんな美少女知らない、けどめちゃくちゃ見覚えがある。
確か名前は、
「ふ、フォルテ、なんでここに?」
昨日まではきっちり男の子だったのに! と愕然と言い募ればメイドフォルテは何でもないとでもいうようにすましていた。
「あるじ様の起床から就寝までをお世話するのも、お役目のひとつでございます」
「と、いうかどうして女の子!?」
「男性服がお気に召されないようでしたので、女性服に変更をいたしました。ワタクシの肉体は無性でございますので。確認されますか?」
「イエケッコウデス」
ああそっか、ここ異世界だもんねえ……と、私は朝から早々驚きが飽和して天井を仰いだ。
フォルテが無表情なのに、どこかどや顔に見えるのがなんともあれだけれども、私すっぴん!寝起き!さらにはだいぶ着古したパジャマ代わりのシャツとスエット!である。
さらにセミロングの髪はぼさぼさなはずで、人様にはあんまり見せたくない!
「それを整えるのが使用人の役目でありますれば」
私が慌てていればフォルテはまるで思考を読んだかのように返してきて、寝る前にも似たようなやりとりをして一人で着替えをもぎ取ったことを思い出す。
すると、背後から銀色の髪が流れてきて後ろを振り返った。
「一葉ちゃん、ひどいよぉ……」
緩やかに波うつ銀の髪を布団の上に惜しげも無く散らしている美女が、絶世の美貌を半べそで台無しにしていた。
頭に手をやっているところから、どうやら転がって打ち付けたらしい。
「そりゃあ悪かったわよ、ハル……けど、なんでそのTシャツ」
「んと、一葉ちゃんがよく着てるから、それをまねてみたの」
ああ、つまり服は自由に変えられるってわけですか。
それにしても、なんでそれを選んだと、白地に力強く「働きたくないでござる」と書かれたTシャツで、こてりと頭をかしげるハルに私は肩を落とし。
異世界に転移したあげく、築46年のマンションの名を借りた集合住宅な一室である2DKが洋館になって、愛猫のハルが猫じゃなくて美女で邪神だったことを思い出したのだった。
*
2DKの我が家が、瀟洒な洋館になった翌日である。
とりあえず、気を抜くとフォルテが手伝おうとするのを全力回避しつつ着替えた私は、いつも通り、コーヒーと買い置きの食パンをトーストした朝ご飯にした。
いつもの味だけれども、これが味わえるのもあと数日。
神妙にもそもそ腹に収めて、昨日よりかなり片付いた居間でハルとフォルテと向き合った。
「では、第一回加納家会議を始めます」
「はあい!」
「かしこまりました」
それぞれが返事をしたところで、私はちゃぶ台にノートを広げた。
まっさらなページには適当なタイトルと一緒にいくつか箇条書きにしてある。
昨日のうちにまとめておいた問題事項だ。
運命共同体である以上、状況把握と情報の共有はなにより優先すべきものだからね。
……会議の名前に面白みがないのは気にしない方向で。
「さて、まずは状況の再確認です。フォルテ。ライフラインの説明をお願します」
「はい。水に関しましては、幽玄城に設置してあります「水巡りの盃」によって半永久的に供給が可能です。下水道に関しましても幽玄城の浄化機能がございますので滞ることはございません。さらにイチハ様の居住スペースに使用されておりましたデンキ、ガスと呼ばれる機構を分析し再構築した結果、こちらの動力を代用して恒久的に使用可能となっております」
「つまりお風呂もお台所もこたつも使えるってことだよね。一葉ちゃんっ」
「うん、ほんっとそれは良かったよ……」
ハルがこたつ推しなのは冬の間は一日中潜り込んでいるからだろう。
とはいえ、幸せそうに微笑むハルの言葉に、私は心から安堵の息をついた。
パソコン、スマホはオフラインになったとはいえ、充電は問題なく出来るし、洗濯機も冷蔵庫もコンロも使えるのはありがたいし、なおかつ水の心配がないのが最高だ。
水巡りの盃って言うのは、この洋館の地下に設置してあるでっかい盃で、こんこんと絶え間なく水がわき出てきては戻ってゆく不思議な盃である。
異世界ファンタジーだよびっくりだよ、ついでにフォルテ超ハイスペックだよ。
「すんごく助かったよ、ありがとフォルテ」
「恐れ入ります」
「じゃあ次。ハル、この周辺の土地について教えて」
すまして応えるフォルテを横目に、今度はハルに話を振れば、嬉しそうに藍色の瞳を輝かせた。
「はいはーい! あのね、ここはあたしの領域で、この世界カウンで最もあたしの影響力が強い場所なの。だから、あたしがここにいる限りは気付かれることはありません。ついでに危険な動物もこの土地はなんか怖いぞ、と嫌がるのでとっても安全です。範囲はだいたい森との境目あたり!」
「ハルのおかげで、強烈な虫除け動物除けがあるって考えたら良いのね」
我ながら良い例えだと思ったんだが、ハルはなぜか不本意そうだった。
「ええと、合ってるんだけど、なんか蚊取り線香みたいだよう……」
ともかく、私はノートに書き付けつつ、フォルテに聞いた。
「この周囲に町はなかったんだよね」
「はい、フィステス王国の領地に面しておりますが、幽玄城の半径50クロメーテに町はございません」
ちなみに、50クロメーテを人の足で踏破しようとすると、丸1日はかかるという。
と言うことは、おおざっぱに1クロメーテが1キロメートルと考えて良いだろう。
森がどこまで続いているか分からないけど、道もないからそれ以上かかると思って良い。
ただのOLだった私に野営の心得なんてないし、しっかり準備してからでないと街に行くのは難しい。
何より、ハルはこの土地から出れば、私たちをこっちに連れてきた神様に見つかってしまうリスクが高まるのだ。
だから、現在の選択肢は一つだけ。
「と言うわけで、しばらくはここで自給自足をするのが当面の目標です」
「はあい! 了解ですっ」
ノートにくるくると丸をつければ、ぱちぱちとハルが手を叩いてくれた。
「んで、本当に二人ともご飯がいらないの?」
朝ご飯での会話を思い出しつつ念のために確認すれば、フォルテがあごを引いてうなずいた。
「はい。ワタクシの動力はマナでございます。通常稼働は空気中に含まれるマナで事足りますので、現在補給は必要ございません」
マナ、というのは空気中や物質に含まれるエネルギーらしい。
要は息を吸って吐くだけでとりあえず生きていけるとか、どこの仙人ですか。
「あたしもね、この世界だったらご飯が無くても大丈夫だよ。けど、時々かりかりは食べたいなあ……」
「人間の姿で言うのはやめよう」
「えーなんでー?」
絵面的にまずいからだよ!
不満そうなハルをいさめつつ、私はシャーペンで頭を掻いた。
「ともかく、私一人分で大丈夫なのはありがたいんだけど、当面の食料はうちの備蓄で食いつなぐ必要があるのか」
「申し訳ございません。なにぶん、居住者がいたのが百年前でございまして、保存食もほとんど傷んでおりました」
「フォルテを責めているわけじゃないからね。そりゃあ百年もたてば当然だよ。それに当てがないわけじゃないから」
消沈するフォルテをフォローしつつ私は立ち上がると、ベランダに置いてあった荷物いっぱいのレジ袋を持ってきた。
中身は葉物や、比較的強いと言われる根菜類をはじめとする野菜の種や苗だ。
せっかく庭があるんだから家庭菜園でもやってみようと思って、あれもこれもと買ってあったものである。
デスクトップの前に一日中座り込んでいたら、無性に植物とか土とか触りたくならない? 私はなった。
私が借りている一室は一階に位置していて、専用の庭がついている。
うちのマンションは割と古いから、庭の土はいじっちゃだめだけど、コンテナを並べてやる菜園ならいくらでもOKなところだったのだ。
会社を辞めた高いテンションのままでホームセンターへ行ったから、季節も無視して買いすぎたと思ったが、今回ばかりは私のうっかりも褒めようそうしよう。
タマネギって、球根と種があるし、ジャガイモはいもから育てるんだぜ、びっくりしたよ。
「あと、食べる用のニンニクとショウガとサツマイモと里芋と、ついでに大豆と小豆と黒豆があるからそっちも植えれば主食も大丈夫でしょう」
食用に売られている芋類はウィルスに感染している可能性があるから植えちゃだめって園芸本に書いてあったけど、非常事態なので目をつぶる方向で。
え、なんで一人暮らしなのに豆類が充実しているかって?
……仕事がつらいときには、ひたすら豆を煮たりあんこ練ったりするのが唯一の癒やしだったんだよ! それもここ一年全く出来てなかったけどね!
当時のことを思い出して、しょっぱい気持ちになったものの、これらがうまく栽培できれば、なんとかなるはずだ。
この世界にも季節があって、今は春に入り始めだというのが不幸中の幸いだった。いろんな野菜が植えやすい。
「ともかく、これが育つまでは手持ちのご飯で食いつなぐわ」
一番早い葉物野菜類が食べられるくらいに育つまで、約20日だろうか。
今備蓄しているお米やレトルトごはんが無くなればお米とはお別れなのが悲しいし、しばらくは空腹との格闘になるだろうけども。
生き延びるためだ、背に腹は代えられない。
おおう、本格的にサバイバルだ、と思っていると、ハルが身を乗り出してきた。
「あ、あたし、一葉ちゃんのためにお肉狩ってくるからねっ」
「いや、大丈夫よ無理しなくて。それにお肉を狩るって、あんたに出来るの。と言うか外に出ちゃダメなんじゃ」
気持ちは嬉しかったが、猫時代のどんくささを知っている身としてはネズミも狩れるのか疑わしい。
あーでも、肉を狩るのも一つの手段か。
栄養が偏らないようにするためにも考える必要があるかもしれない。
ともかく、思い詰めた様子のハルをなだめるためにそう言ったのだが、逆に火をつけてしまったようだ。
「猫に擬態すれば紛れるから大丈夫! 向こうではそんなに色々出来なかったけど、あたしだって神様だもん! ほらっ」
立ち上がったハルは、例の間抜けな音と共に煙に包まれる。
そして煙が晴れた後に現れたのは、優美な猫科の動物だった。
白い毛並みは変わらないが、家猫サイズだった猫ハルとは違い、大人が四つん這いになったくらいの大きさの獣は、ユキヒョウやチーターに近い引き締まった体つきが優雅だ。
そうして、藍色の瞳できっと私を見た。
「これならすっごく強そうでしょ! まかせてっ」
聞こえたのは、紛れもなくハルの声だ。
いや、強そうと言うよりはすんごく素早そうって感じだけれども。
なんだかもはや驚くことも出来ず、さりとてこれは言って聞かせてもあきらめないな、と思った私は一抹の不安を感じていたけれどもうなずいた。
「わかったわ。お肉はよろしく」
「おいしいの取ってくるんだから!」
「では、獲物の解体はワタクシにお任せくださいませ」
実際、狩ってきてくれたらそれだけ助かるわけだし、フォルテがそう申し出てくれたから解体についての憂いはなくなったからね。
ただ、フォルテがすごく不思議そうな様子のように思えたのが気になったけど。
ともかく、最優先事項である食料確保に向けて動き始めたのだった。




