はじまり:住居の確保ができました
ハルが邪神という、人選ミスならぬ神選ミスにもにょるとはいえ、フォルテのハルに対する感情はほとんど心酔の域に達していた。
生半可なことでは引き下がらなさそうだ、と悩んでいると、なんとなく膝においていた私の片手が包まれる。
驚いて視線をやれば、ハルが片手を伸ばして私の手を握っていた。
ハルの視線はフォルテを向いているものの、その手はびっくりするほど冷たくて震えている。
もしかして、怖がっているのだろうか?
反射的に握り返してやれば、ハルは息を吸って言葉を紡いだ。
「フォルテ。あのとき見送ってくれたのは本当にありがたいと思う。でもね、あたしがこうして帰ってきてしまったのは不可抗力なの。帰ってくるつもりはなかった。あたしはこの世界にいても害にしかならないってようやく気付いたから。だから、こうして戻ってきても、もう世界征服とか、何かしてやろうってのは考えられない。あたしはもう、神として働きたくないの」
ぎゅっと身をこわばらせながらも言い切ったハルの言葉に、私は心底ほっとした。
早々に食糧確保に動き出さなければいけないとはいえ、私は穏やかにのんびり平和に暮らしたい。
もうしばらくはニート生活を満喫したいし、ぶっちゃけ言えばだらだらごろごろしたい。
正直、ハルがやる気を出して、世界征服なんてもんに乗り出してもらっちゃ非常に困る。
だから、ハルの神様として働きたくないには全面的に賛成だった。
「フォルテ」
「何で、ございましょう」
私が口を挟めば、フォルテはすみれ色の瞳を戸惑いに揺らしながらこちらを向いた。
「あのね、私はこちらにいた頃のハルを知らないけど。私と一緒にいたハルは、お昼寝とご飯とごろごろが好きで、ちょっと過激なアクション映画とかでもぶるぶる震えるほど争いごとが苦手なの。だから君の言う世界征服は向いてないと思うんだ」
「一葉ちゃん……」
「それに猫の時ですら、うっかりキャットタワーを登り損ねたり、投げた蛇のおもちゃに驚いてひっくり返ったり、お風呂で眠り込んでうっかりおぼれかけるようなドジっ子なのよ。だから正直よくそんなことが出来たなあと……どうしたのハル」
気がつけばハルが膝を抱えて床にのの字を書いて、わかりやすくいじけていた。
「一葉ちゃんがいじめるぅ……」
「いじめていません、事実です」
「ふえぇん」
猫なのにお風呂に入りたがったから、毎日のように一緒に入ってたのだけど、顔がお湯についてはっと起きても、なにもありませんでした風を装っていたことを言わない優しさくらいはある。
「と言うわけで、本人にやる気がないものをやらせないで欲しいな」
そう締めくくれば、フォルテは呆然と私を見て、それからハルを見た。
「ハーディス様……」
「あんまり、その名前で呼ばないでほしいの。今のあたしはハルだから」
いじけポーズから元に戻ったハルに強く言われたフォルテは、ゆっくりと一つ瞬きをした。
「では、なんと」
「ハル、がいい」
「情報更新完了、申し訳ございませんでしたハル様。そして、ハル様のお気持ちも了解いたしました」
その言葉に、ハルがぱあっと表情を輝かせ、私も心の中で拳を握る。
けれど顔を上げたフォルテは変わらずの無表情でも、わずかに青ざめているように思えて、少々不安になった。
「ですが、ハル様、ワタクシの役割は幽玄城の管理とその居住者の守護。幽玄城は世界征服のための拠点として創造されました。存在意義の無くなったワタクシはどうしたらよいのでしょうか」
「好きにする、というのはだめなの」
「だめなの、一葉ちゃん」
見ればハルも同じくらい青ざめている。そんなに深刻な顔になる意味が分からなくて無言の催促をすれば、フォルテが答えてくれた。
「使徒は、創造されるときに至上命題を付与され、それを完遂することを目的に稼働します。役割を終えれば消滅するのが定めなのです」
「つまり、あたしに創られたフォルテは、あたしにいらないと言われたら、消滅、死ぬしかないの」
ようやく納得がいった私だったが、世界征服をするか、こんな可愛い子を殺すかなんてどんな究極の二択ですか。
平穏に暮らすためだけに、言葉を交わして親しみがわいた誰かを殺すなんてこと背負いたくないし、世界征服だって冗談じゃない。
なにより、ハルが泣きそうな顔でいるのは嫌だ。
「ねえ、フォルテ、あんた実際に世界征服をしたいの?」
「いいえ、ワタクシはハル様の手足となって働くことが望みでございます。それが十全に発揮できるのが殲滅と考えた次第です」
さっきよりもずっと人形めいているフォルテは、よどみなく答えた。
殲滅から離れようよ、と若干引きつりかけたものの、なんだ、全然問題ないじゃん。
「ならフォルテ、うちで一緒に住もうよ」
「……へ?」
きょとんとするハルと、声には出さないものの驚きに瞳を見開くフォルテに私は続けた。
「私たちさ、これからここで生活していかなきゃいけないのよ。けど家はこんなだし、ハルが知ってる時代から百年?もたってるし、水も食料も全然足りないの。君が手伝ってくれたらすごく助かると思うんだ」
手伝う、というよりは養うに近いかもしれないというのは気にしない方向で。
あんなばかでかいお城で百年も暮らしていたのならそれなりの設備はあるだろうという下心もあるが、何より彼をこのまま死なせるのは寝覚めが悪かった。
え、そんなの比喩じゃないのかって?
ばかいえ、となりの部署で働いていていて、来なくなったと思ったら自殺未遂を引き起こしていた先輩と同じ顔をしていたんだぞ。止めなきゃやばい。
そういえば、ハルは地球に来てすぐに私に拾われた的なニュアンスで話していたけど、こことあっちではずいぶん経過した時間に差があるんだなあ。
すると、考えるようにうつむいているフォルテがつぶやいた。
「……助かる。つまり、お役に立てると言うことでしょうか」
「そうそう。ねえハル、フォルテがいてくれたら嬉しいよね」
「すごく名案だよ一葉ちゃんっ!」
わかりやすく表情を輝かせたハルは、フォルテににじり寄って、その小さな手を包んだ。
「あたしは世界征服はしたくないけど、フォルテとは別れたくないの。一緒に住もう?」
「きっと私たちのほうが頼り切りになっちゃうだろうけどさ」
「ハル様……イチハ様……」
すみれ色の瞳を潤ませたフォルテくんは、ハルから少し離れた位置に片膝をつくと、胸に手を当てて深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。ふつつか者ではございますが、どうぞよろしくお願い申し上げます」
フォルテの承諾の言葉に、私とハルはハイタッチを交わした。
思わぬ形で同居人が増えたが、やることは変わらない。
まずは、ご飯と天井の確保。
とはいえ、天井はなんとかなりそうだ。と私はそびえ立つお城を見上げた。
まがまがしさはすっごくあれだし、すんごく広そうで身の置き場がなさそうだけど、雨露しのげる以上の安全性はありそうだし背に腹は代えられない。
「じゃあ、まず、大事なものだけまとめるから、あのお城に間借りさせてもらっても良い?」
「いや! あんな広いおうちあたし落ち着かないっ!」
私はフォルテに恥を忍んで問いかけたのだが、ハルは力一杯拒否した。
いや、私もそう思ったけどさあ、それだけ素直に言うのはちょっとやめてあげようよ。
ほら、フォルテがもの凄く寂しそう。
フォルテ、結構極端でやばめの子なのかと思ったけど、実はかなりの苦労性なのでは。
「むっ一葉ちゃんっなんかひどいこと考えてる! だってあの幽玄城、小さいので十分って言っているのに、威厳がないとかいって、あたしそっちのけで作り上げちゃったんだよ!?」
「当然でございます。ハル様をいただく居城が普通の家のようではいけません。ワタクシと幹部たちの威信にかけて、まがまがしく威圧感のある外観を作り上げたのです」
どっちもどっちだった。
「へへーん。もう君臨しないからこれじゃなくても良いんだもん。だからフォルテ、早速だけどこのおうちを取り込んじゃって!」
「へっ?」
「変更のさい形式を変更できますが、ご希望はありますか」
「一葉ちゃん、スマホ貸してねっ」
「え、あうん」
反射的にうなずけば、ハルはすすっとスマホを操作しはじめる。
私がスマホをいじっていればおなかに乗ってきて、たしたし肉球アタックをしてきたと思っていたけれど。一体なにをするつもりだ?
「んとね、こんな感じで夏は涼しくて、冬は温かい感じが良い。あとこれっ! この縁側をつけてっ」
「かしこまりました」
ハルに画面を見せられたフォルテはうなずくと立ち上がり、虚空に手をかざした。
「いらえに応えよ我が分身」
とたん、フォルテの全身から光が溢れて、部屋中に広がった。
「ひゃあっ!」
私がまぶしさに一瞬目を細めたが、みるみるうちに変わる室内に唖然とした。
光が触れた箇所から、散乱していたものが空中に浮いたかと思うと、巻き戻しているかのように片付いてゆき、壁の質感が変わったと思えば家具が増えていく。
とっさに上を見れば、あっという間に屋根が出来て少し高い天井で埋められていた。
やがて光が収まると、部屋の様相は一変していた。
今まであった家具や調度品はそのままに綺麗に片付けられており、天井は抜ける前よりも若干高めになっている。
壁は安っぽい壁紙から漆喰のような質感に変わっており、先ほどまではなかった木の柱が追加されていた。
普通のマンションの部屋から、ちょっと自然派のリノベーションを施したような感じである。
「ふむ、元々あった内装はそれほどいじることが出来ませんでした。申し訳ありません」
「ううん、十分だよ、フォルテありがとうっ。さ、一葉ちゃんっ外に出てみよっ」
「え、ちょ、ちょっと、ハル!?」
私はあぜんと室内を見回しているれば、ハルにせかされて、ベランダへ連れて行かれた。
いつの間にやら玄関から取ってきたらしい靴に履き替え、庭に出てみて振り返れば、そこにはすでに邪神城……じゃなくて幽玄城は姿形もなく。瀟洒な洋館が一軒建っていた。
二階建てで、屋根が茶色で壁が黒、シックながらどこかかわいらしい感じの洋館だったが、右脇には日本家屋がひっついているらしく縁側が見えた。
はっきり言えば、私がデスマーチから現実逃避するために収集していた、理想の家画像群を全部ひっくるめたような家だった。
あの頃はなあ、小さいデスクと画面じゃなくて、広々とした家で羽伸ばしてえと思ったよ……。
「フォルテはね、幽玄城の端末だから、幽玄城と認めた建築物を取り込んで自由に改築が出来るんだ。一葉ちゃんがいつかこんなおうちに住んでみたいーって言ってたのを参考にしてみたよ」
「ワタクシに備わる能力の限度を超えまして、このサイズが限界でございました」
「いや、改築どころの騒ぎじゃないでしょ……」
そうか、ハルがフォルテに見せてたのはあのフォルダかと気づきつつ、今更ながら異世界に来たんだと実感して私が呆然としていれば、きゅっと手が握られた。
「一葉ちゃん、これでとりあえず暮らしていけるね」
朗らかなハルの笑顔には、一切の曇りがなくて。私もつられて笑ってしまった。
「まあ、そうだね。住処の心配はなくなった」
深刻に考えるのはやめておこう。住処が出来てもやることは山積みなのだ。
ふんす、と拳を握って気合いを入れていると、一緒にベランダから外に出てきていたフォルテ君がぺこりと下げた。
「ハル様イチハ様の使徒、フォルテ、これより執事として全身全霊を以てお二人にお仕えいたします」
……え?
「執、事?」
私が問いかければ、フォルテになにを言っているのだろうと不思議そうな顔をされた。
「当然でございます、ワタクシの使命はお二人の手足となって働くこと。何なりとご用命ください」
いや普通に家族とか同居人のつもりだったんですけどー!?
曇りのない眼差しで言われてしまった私は、どうして良いか分からずに天を仰いだのだった。
加納一葉26歳、美女な邪神だった猫と一緒に異世界生活。
早々に少年執事付きの家を手に入れました。