6仕事め:少年執事の悔恨
フォルテは滑るように廊下を進み、屋敷の中央付近にある中庭へと出た。
ハルと一葉の要望で、屋敷はこじんまりと(フォルテはそう思っていた)させたが、その他は……特に屋敷の裏手に据えた中庭は、以前の幽玄城のまま移植させてもらっていた。
中庭は憩いの場である。居心地良く過ごせるよう完璧に整えるべき場所であるから、言われれば即座に変更するつもりだった。
しかし主人となった彼女たちはそのまま受け入れてくれて、中庭は当時の面影を残してそこにある。
だが中庭には、所々土がむき出しになっており、当時、咲き乱れていた花々はまばらにも残っていない。
憩いの木陰を作っていた花木や果樹も、この百年のうちに一本、また一本と枯れていった。
フォルテが株分けすることに成功した生命力の強い薬草のたぐいだけが、かろうじて一角に残っている。
今の生活に必要なものを残せたことは不幸中の幸いだったが、フォルテは屋敷の主人であっても、同時にハルと一葉の使徒だ。
今では彼女たちの何の利益もない己の行動を少々後悔している。
フォルテは主の帰還を待つことが、使徒である己の使命だと考えていた。
この幽玄城に人がいなくなり、空に上がってから100年と5ヶ月と27日間、フォルテは一人でこの城を維持し続けてきた。
フォルテは使用人として必要な能力はもちろん、かつて幽玄城に集った仲間達を通じて、ありとあらゆる技術をインストールされたため、城内の施設に関しては一人で整備が可能だ。
当時のドワーフスミスにによって堅牢に作られたため、幽玄城の各施設の耐用年数も1000年を超える。
待機状態であれば、空気中に漂うマナを取り込むだけで問題ない。
ゆえにフォルテはいつでも利用できるように、定期的な整備と稼働を繰り返して過ごした。
時たま、往年の仲間が何人かが訪ねてくるのを迎えたが、それも10年に一度程度だ。
幽玄城内であればそれなりに自由にできるフォルテだが、それでもどうにもしようがないのが、庭で管理する植物に関してだった。
主がいない中、維持はできても追加はできない。
フォルテの性能ではは建物の保護はできても、屋外の環境を一定に保つことは難しい。
高高度の中で、100年という歳月は、植物が死に絶えるに十分な要素を持っていたのだった。
最後に枯れたリンゴの木は、燻製用の薪に使った。
無駄にはならなかったとはいえ、この中庭の光景は、フォルテが仕事を完遂できなかった証でもあるからなくしてしまっても良かったのに、そうできなかった。
だが、それも終わりだ。
フォルテの成すべきは、主人の役に立つことである。十全に役に立ててるとは言いがたい現在、せめてこの土地を農場にできればフォルテも食料の生産に加われる。
主人である二人に余暇を提供できるだろう。
そう決意したフォルテが作業を始めようとしたのだが、そこに主の気配を感じた。
階段をおりて、そちらへ向かえば切り株の上で眠っていたのは、我が主ハーディスだった。
昨日の会議で決まった、絶界の森探索は三人で行く手はずだったのだが、直前になって彼女は残ることにしたのだという。
それを聞かされた時、意識に覚えた違和をフォルテは底に沈め、改めて主を観察する。
ライカに似た獣の姿で、日の当たる切り株の上に、銀色みがかった体を悠々と伸ばして眠る姿は気持ちよさげで、とてものどかだ。
そうやって眠り込んでくれることは、彼女がこの屋敷の中を安全と感じてくれている証でもあるので、フォルテとしても喜ばしいのだが、これでは中庭の改造は難しい。
とはいえ自分の都合で起こすことなど論外だ。
フォルテが解決策を模索しているうちに、目の前の銀猫は目を覚ました。
「おはようございます、ハル様」
「ふにゃ~ぁ。おはようフォルテ。やっぱりここは気持ちいいねえ」
主が帰ってきて、驚いたことはいくつもあった。
大きく腰を上げてのびをするハルの、その肩の力の抜けた屈託のない雰囲気は以前にはなかったものだ。柔らかい表情の彼女は大変に好もしい。
だがその言葉で、ハルが座っている切り株がリンゴの木だと思い至ったフォルテは、マナ回路を乱されて、切り株の前に膝をついて頭を垂れる。
「申し訳ありません、ハル様。ワタクシはこの城を当時のまま保管することができませんでした。あまつさえ、こうして戻ってくださったにもかかわらず、苦労をおかけするばかりです」
ずっと謝罪したかった事柄を口にすれば、ハルは猫のまま、困ったような表情になる。
「やっぱりフォルテ、気にしてたのね」
「ワタクシは不完全な使徒でございました。体を失った上、このようにたびたびマナ回路を乱して行動に支障をきたし、正常な判断を損ねております。ユタのように外へ出て作業を補助することもできず、スマ子さんのように必要な情報を提示することもできませんでした。残していただく価値があったとは思えません」
使徒は道具である。
主に似た姿を持とうと、何も考えず感じず、主の名に従い能力を発揮することだけを至上命題とするのが本来の姿だ。
フォルテは使徒として生まれながら、求められる機能を十全に発揮できない、不良品とも呼ぶべき存在だった。
本来では破棄されるべきにもかかわらず、ハルはフォルテを残し、ほかの完全な使徒達を差し置いて、本来の体を捨ててもなお、最後まで残ってしまった。
ここに存在したのが、フォルテではなく、完璧な使徒であったら違ったのだろうか。
すると、ぽんっと不可思議な音がしたかと思うと、視界にゆったりとした白い衣が目に入る。
そっと顔を上げれば、フォルテの記憶通りの姿をした、美しき主がいた。
銀の髪を春風に揺らし、けぶるようなまつげに彩られた、どこまでも透き通るような黄昏の藍色の瞳が、フォルテを見つめた。
「あのね、フォルテ。昔のあたしは、全然うまく伝えられなかった。今でも、あたしは一葉ちゃんみたいにうまく言うことはできないわ。でもね、よく聞いてね」
「ハー……ハル様」
本来の名で呼びかけて、慌てて言い直せば、ハルの表情が愁いを帯びる。
それが、困っているからではなく申し訳なさを感じてのことだとわかり、フォルテのマナ回路が不自然に脈動する。
「ごめんなさいフォルテ。カナーレもファーロもラーマもマルテもエルモもみんな大事な子で、いなくなってすっごく悲しかった。だからあたしはフォルテまでいなくなるのがどうしてもいやで、幽玄城に閉じ込めた。ともいえるから」
「そのようなことはございません! ハル様が幽玄城をくださらなければワタクシは消滅しておりました。ですが、兄様達でしたらワタクシよりも」
「フォルテだからいてくれて嬉しかったの。あたしの気持ちを一番にくみ取ってくれた君が」
ハルにたたみかけるように言われて、フォルテはひるんでいるむ。
フォルテの美しき主であり、尊き女神は藍色の瞳を柔らかく和ませた。
「あの頃は、自分のことでいっぱいいっぱいで、どうやって言葉にしたらいいかわからなかった。でもね、一葉ちゃんと暮らしてね、こう言えば良かったなってわかったんだ」
そうして、ハルはフォルテの両手を握って、ゆっくりと続けた。
「あたしは、あたしが命令しなくても心を痛めてくれたフォルテがとっても好き。あたしが好きだと言ったこのお庭を大事にして、でも守り切れなくて、悲しいと思う心を持つ君を素敵だと思うの」
心がいらないはずの使徒に、心を芽生えさせてしまった己を素敵だと称されて、フォルテのマナ回路……心に乱れが生じる。
そう、庭を守護することを引いては幽玄城を守ることを強制されたわけではなかった。
最後にハルから下された命令ともいえない願いは、「自由に生きて」だった。
ならば、ハルが去った後に機能を停止しても良かったにもかかわらず、フォルテは幽玄城を上空へと舞い上がらせ、彼女が慈しんでくれた庭をずっと守ってきのだ。
すべて使徒にあるまじき自分の意思で。
ハルは眉尻を下げ、痛みを伴う表情で、続けた。
「そこまでわかっていたはずなのに、百年前、連れて行ってあげられなくてごめんね。君に甘えて、沢山のものを押しつけてごめんね。それでもあたしは、君と、君たちと家族になりたかったの」
「はる、様」
「だからね、教えて。あたしはフォルテのことを大事に思ってるけど、今、君の感じていることや考えていることまではわからないから」
フォルテはぬくもりを通じて、自分のマナ回路にかつてない乱れを覚えた。
だが不快ではなく、ハルが心と称してくれた回路が満たされてゆくような心地に思考がうまく機能しない。
一つだけ確かなのは、この想いに報いたいという、一点だった。
「ハル様、ワタクシは、ここにいてもよろしいのでしょうか。お役に立てないこの身の上でも、かまわないのでしょうか」
「もちろんだよ! フォルテがいないと困ることばっかりだもん。それにもしフォルテがただの人間の子供だったとしても、一緒にいたいと思うよ。一葉ちゃんだってそう言うに決まってる!」
「そう、でしょか」
「うん、そうだよ! 今だって一葉ちゃん、フォルテがちょっとでも楽になるようにって薬草探しに行ってるんだもん。」
「ワタクシのため……?」
フォルテが戸惑っていれば、ハルは彼の手を握ったまま立ち上がった。
「何なら聞いてみたらいいよ! 一葉ちゃんならきっとあたしよりもずっとうまくはなしてくれるよ!」
「はい」
ハルに屈託なく笑いかけられた。
不確かなことは言わないのが使徒であるが、それでもフォルテは少しだけ、回路が軽くなったような気がした。
「ではワタクシは、食事の準備をして参ります」
「うん。あれ、でもおかしいねえ。お昼ご飯には帰って来るっていってたのに、一葉ちゃんたち帰ってこない?」
のびをするハルが小首をかしげるのに、フォルテは己の正確な時刻機能で確認する。
「そうでございますね」
「一葉ちゃんの場所なら、なんとなくわかると思うし、迎えに行った方がいいかなあ」
「ハル様の権能の影響でございますか」
フォルテが問いかければ、ハルは少し愁いを帯びた悔恨の表情になる。
「うん。あのね、一葉ちゃんは普通の人間なの。この世界では当たり前の魔法とか権能とか神の力も全然知らない人なの。だからね。なるべくなら前と変わらないような生活をさせてあげたいんだ。だからまだ言わないでいてほしい」
「了解いたしました」
そわそわと落ちつかなさそうにするハルに、フォルテは少し考える。
「ただ、ハル様がお迎えに行かれるのはお待ちください。その前に試したいことがございます」
「なあに?」
「イチハ様の情報端末であるスマ子さんは、通信機能も備えられておりました。スマ子さんとは何度か交流をしておりますので、そちらへと連絡が取れないか試行してみます」
本当は、そうやって連絡を取れば、より早くもう一人の主である彼女の声を聞けるのではと思ったからだった。
「ふええ! フォルテすごおいっ。やってみて! マナが必要ならあげるから!」
わくわくと藍の瞳を輝かせるハルの隣で、フォルテは沸き立つような心にそっと目を閉じて、スマ子に構築されていた通信の術式を再現し通信を試みる。
一度解析したこととも相まってすぐにつながり、フォルテはハルにも聞こえるように音声を流す。
だが、すさまじい破壊音とともに一葉とユタの悲鳴が響いてきて硬直する。
『うわあああなんで電話かけてこれたのと言うかごめんフォルテ助けてっ!! オリーブの木がオリーブの木じゃなかったんだー!!! うわああユター!!!???』
「一葉ちゃん!?」
今まで聞いたこともない一葉の取り乱しように、フォルテとハルは音声に耳を澄ませたのだった。




