5仕事め:ケモ耳少女と美女猫の十八番技
我が畑に現れたその毛玉は、毛玉と評したけれど、だいたい小学校低学年くらいの女の子のようだった。
上着にズボンという動きやすそうな服から覗く手と足は、赤みがかった毛皮に覆われていて、トウモロコシを持つ手は肉球のようになっているみたいだ。
背中の中ごろまで伸びる赤毛の髪は、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。
極めつきは丸い肌色の耳ではなく、犬や狐のような、毛皮に包まれ獣耳が生えていたことだ。
犬が二足歩行しているのとも違う、人間が動物の特徴を持ったような女の子に、私のキャパは越えていた。
だけど私の動揺などつゆしらず、畑泥棒な彼女はしゃがみ込んで、前足?手?でトウモロコシを持ってハムスターみたいにかじっている。
がじがじがじがじと擬音を付けたくなるような勢いだ。
その周りには芯だけになったトウモロコシが転がっているから、それなりの数を食べているのだろう。
いやたしかにうちのトウモロコシ、生でも甘くておいしかったけど、生でいく?
そんなどうでも良いことに思考が逃げていくくらいにはとっさに反応できないでいると、となりにいたハルが、声は殺していてもおろおろと呟いた。
「あ、ああれって畑泥棒、だよ、ね? そもそも村なんてないのになんで獣族の子供が……?」
「あにまのこども?」
そのニュアンスで言うと、やっぱり人種に分類される生き物なのだろうか。
詳しく聞こうとしたら、野菜ジャングルの茂みに触ってしまった。
予想以上に大きく葉がこすれて、伝わっていき、しまったと思ったときには、ばっと、顔を上げたその子の黒々とした瞳と視線が合う。
そう思った瞬間、女の子は赤毛を翻して、脱兎のごとく逃げていったのだ。
私はとっさにスコップを投げ捨てて、その後ろ姿を追いかけた。
「ちょっ、まって!」
畑泥棒だから、と言うよりも、このまま去らせてはいけない気がしてのとっさの行動だったのだが、すでに彼女の赤い後ろ姿は遠くの彼方だ。
異世界の子供はっや!?
けど、私の足じゃ追いつかない。
あきらめたその時、後ろからハルの声が響いた。
「汝、我が下から去るべからず!」
ほわほわしたハルから想像つかないほど、厳然たる声音に、私の背筋も震えた。
その刹那、彼女が透明な何かに絡め取られ、唐突に地に突っ伏す。
どべちゃっと、大変に素晴らしい顔面スライディングだった。
分かんないけれども、そのおかげでなんとか女の子に追いつけた。
「ふえ、な、なんで倒れちゃった!? 足止めだけのつもりだったのに!」
動揺の声に振りかえれば、いつも通りのハルがおろおろしていた。
さっきの冷然とした雰囲気が嘘のようなうろたえっぷりに、ちょっと気が抜ける。
私には、ハルが声をかけただけのように思えたけど、この子は唐突に地面に倒れ込んだ。
なにか効力があったのは明白だろう。
さっきのアニマ、と言う単語についても聞かなきゃと思うけど。
「とりあえず、おうちに連れて帰って介抱! それから事情を聞くでおーけー!?」
「おーけーですっ!」
振り返ったこの女の子のおびえた眼差しが、すごく気になったんだ。
ずびしっと敬礼のように手を額に当てるハルを横目で見つつ、私は気を失っている獣の女の子を抱き上げたのだった。
せっせかと女の子を抱えておうちに舞い戻れば、フォルテは軽く驚いたものの、てきぱきと準備を整えてくれた。
そうして、専門ではありませんがと前置きした上で軽く診察してくれた。
「軽い栄養失調とマナ酔いでございましょう。この屋敷内で安静にしておりますれば、じきに目覚めるかと思います」
「よかったあ……」
私は一気に安堵したのだけれども、そうするとフォルテが無性に気になる。
「というか、なんでナース服」
「イチハ様の端末内に、看護従事者の服装として記録されておりましたので」
あー医療物の漫画も入っていたかもしれない。
「フォルテ、可愛いねえ」
「恐れ入ります」
ハルの言うとおり、確かに可愛いんだけどさ……。
当然のごとく言い切ったナース服なフォルテの言葉に従って、獣の女の子は一番適当だという、私の部屋のベッドに寝かせた。
もちろん、目の届く場所にいてくれた方が気になりすぎないですむから、ありがたいんだけど。
彼女が起きたのは、私達がほっぽり出してきた芋の収穫を終えて、夕ご飯にありついたころだった。
ところで、私の寝室として今も使っている2DKは、庭に面した居間兼キッチンのとなりに、引き戸で部屋が仕切られている感じである。
家が大きくなろうとも、一切気にせず生活拠点はこの2DKを中心にしている。
ご飯とお風呂だけは屋敷の設備を使っているけど、だってほぼ寝に帰るだけだし、まったく不便を覚えないんだよね。
……ブラック企業に勤めていた頃とかわらない? ところがどっこい。日が落ちたら仕事にならないので、日の出と共に起きて働き、日の入りには作業を終わらせる。
つまり、夜は家に帰れる! まったく違う!
話がそれたけど。つまりは寝室と居間は引き戸を開ければ一部屋として使える訳で、眠っている女の子を伺いながら、ご飯も食べられる訳なのだ。
んで、今現在。
「……」
「……」
ただいま絶賛にらみ合いの真っ最中だった。
いや、私が一方的に彼女ににらまれてる感じなんだけど。
彼女はベッドから跳ね起きたとたん、声をかける間もなく、警戒心ばりばりの様子でベッドの隅で縮こまってしまっていた。
赤毛の尻尾は逆立っていながらも、丸まっていて、精一杯の虚勢を張っていることは見てわかるほどだ。
やっぱり、あの時の怯えは、捕まえられる、怒られると思ったからなんだろうなあ。
でもまずは混乱の局地にいる彼女の誤解を解かねば。フォルテによれば言葉は通じるだろうと言われたから、私は箸を置きつつそっと声をかけてみた。
「私は、君が食べていたトウモロコシ畑の持ち主なんだけど……」
しまったこの言い方はまずかった、と気づいたのは、彼女がびくっと肩を震わせてからだった。
顔にはありありと怯えがにじんでいる。
これはどんなに言葉を尽くしても警戒がほどける気がしないぞ……。
ううむ困ったと、悩み込んでいれば、視界を銀色の毛並みの小さな生き物が横切った。
それは、いつの間にか猫型になったハルだった。
一瞬、フォルテが動きかけたのを、私は反射的に制する。
猫ハルはしっぽをぴんと立ていっそ気楽なくらいにとっとっとっ、と暗い寝室に入っていくと、女の子の乗っているベッドへ飛び乗った。
いきなり現れた猫ハルに女の子はびくっとしたが、怯えではなく戸惑いだ。
不思議そうにのぞき込む彼女に、ハルはそっと近づいて見上げ、こてりと首をかしげる。
そうして女の子の膝に身体をこすりつけ、そのままごろりと転がって見せたのだ。
「うにゃぁあん」
そのままハルは、十八番である触ってくれアピールをしはじめた。
ごーろごーろにゃーごにゃーご。見事な甘えっぷりである。
いきなり懐かれた女の子は、何が起きたのかわからずかちこちに固まっていた。
けれど、超絶美猫なハルの魅力に抗うことなどできない。
だんだんと頬が緩んでくるのを見逃さなかったハルが、すかさず頭を彼女の手に潜り込ませた。
そうっと撫でる女の子はもうハルの術中だ。
しまいには膝に乗ってきたハルを嫌がりもせずに抱きしめる頃には、女の子はだいぶ落ち着いた雰囲気になっていた。
……私は、最近ハルをなで回していない気がしてちょっと寂しくなったけど。
まさか、ハルが自らなだめに行くとは思っていなかったけど、ファインプレーに心の中で拍手を送りつつ、私は座ったまま、もう一度彼女に呼びかけてみた。
「落ち着いた?」
彼女ははっとしたように再び警戒をにじませたけど、さっきよりは聞く耳を持ってくれそうだ。
「君が抱えている子がハル。私は一葉。で、こっちの子がフォルテ」
律儀に頭を下げるフォルテに彼女はびくついたけど、かまわず続けた。
「私達は不可抗力で気絶させちゃった君を、外に放っておけなかったから、連れてきたの。傷だらけだったし、疲れているようだったし。だから君に危害を加えるつもりは誓ってないわ」
女の子の顔から険は取れなかったけれど、困惑している雰囲気だけは手に取るようにわかった。
「というわけで! お腹空いてない? ちょうど夕ご飯だったから、こっち来て食べましょう? 生のトウモロコシだけじゃ消化に悪いわ」
私は努めて明るく言って、フォルテがよそってくれたポトフをスプーンと一緒にちゃぶ台においてあげた。
ほかほかと湯気がたつお皿は、まるまるとしたじゃがいも、にんじん、タマネギ、キャベツ、大根にトマトが、琥珀色のスープに浸っている。
フォルテはアニマの子供だっけ。そういう子が食べられそうなもの、と聞いて用意してくれたので、大丈夫なはず。
「スープはね、フォルテが野菜だけでおいしくだしを取ってくれたんだよ。びっくりしたもん、お肉のエキス入ってないのにコクがあって、五臓六腑に染み渡るんだよ……」
「恐れ入ります、イチハ様」
律儀に頭を下げるフォルテに微笑んでいれば、ごきゅりと大きくつばを飲み込む音が響いた。
案の定、女の子の目はスープに釘付けだ。
ぐうぐう、お腹が鳴っているのがここまで聞こえてきて、だいぶぐらぐらしているようだから、あとちょっと!
そしたら、女の子の腕に抱かれていたハルが、するりと抜けて、ベッドから降りた。
「あっ……」
寂しそうな顔で見送る女の子をハルは振り返ると、ゆらりと尻尾を揺らめかせた。
「おいでよ。おいしいよっ」
え、そこでしゃべっちゃうの!?
私が肝を冷やしたのもどこ吹く風で、ハルはやりきったとばかりに私のとなりの自分の席に戻ってくる。
ハルの見事な猫擬態を疑いもしてなかっただろうに自分でぶちこわしてどうすると、顔には出さずとも恐る恐るうかがってみれば。
女の子は、そろりと、ベッドから降りてきていたのだ。
警戒する猫そのものの動作で、そろりそろりと近づいて、ほんの数メートルの距離を縮めて私達のいるちゃぶ台の前に座った。
ならば、私はやることはない。
「じゃああらためて、いただきます」
ふたたび、箸を手にとってこれ見よがしにポトフのじゃがいもを切って口に運んだ。
あー。じゃがいもがほくほくほろほろ口の中でほどけて、最高なんじゃあ。
在庫の関係上サツマイモも入っているけど、それがまた甘い。
これならもう毎日でも食べられるよ……。実際主食として毎日食べてるけど。
「ね、ね、うちで取れたお野菜なんだよ。食べてみて」
ハルにせかされて、スプーンを手に取った女の子は、ぎこちないながらも、タマネギをすくった。
良いチョイスだ。
うかがっていれば、犬歯の目立つ口を大きく開けて、かぷっとタマネギをくちにはこぶ。
あとはもう、言葉はいらなかった。
口が動くたびに、彼女の瞳からは大粒の涙がぼろぼろと流れてきていたのだから。
「おかわり、あるからね」
私の言葉に無言のまま、こくんと頷いて。彼女はひたすらスプーンを使い出したのだった。




