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4仕事め:貯蔵庫探検は誘惑の香り

 くだんの貯蔵庫は、キッチンの中に入り口があった。

 簡素で堅牢な扉を開けると、ひんやりとした空気につつまれる。

 石造りの室内は天井も高く、広々とした空間が広がっていた。


 ここだけでも、うちの2DKがすっぽり入ってしまうのはあきらめようそうしよう……。

 両脇には様々な棚がもうけられていて、その一角に私たちが育てた野菜類がしまい込まれていたけれど、その大半が空いていた。


「こちらが幽玄屋敷の貯蔵庫となっております。区画ごとに湿度と気温を調整できますので、常にベストの状態を保っております」


 確かに葉物野菜のところはちょっと湿っぽいけど、ジャガイモや玉ねぎが置いてある場所は乾燥して涼しい。すごいなあと思いつつフォルテの説明に耳を傾けた。


「塩、砂糖は幽玄城当時の在庫が残っておりますので、イチハ様とハル様がこのまま食事をされても、10年ほどは持つ計算になっております」


 それは、スローライフ的サバイバル生活1日目に知らされていたことだった。

 砂糖も塩も超長期保存可能食品だから、約100年前のものというのに目をつぶれば十分に食べられる代物だ。


 本当にそれだけはあって良かった。

 そうじゃなければ保存食作りもままならなかったし、1年くらいで絶界の森攻略を試みなきゃならなかっただろう。

 こわいぶるぶる。


 でっかい紙袋らしきものに入れられた塩と砂糖をそっと拝んでいれば、フォルテはさらに奥へと進んでいく。


「隣の部屋は酒類の保管庫になっております。主にブランデーやウイスキーなどの酒類やお酢を保管しており、地下はワインセラーとなっております」


 フォルテがその扉に手を当てたとたん、全体に光の文様が走ったかと思うと、独りでに扉が開いた。

 中は貯蔵庫と同じようにほんのりと冷えていて、瓶詰めお酒のほかにも、でっかい樽がずらっと並んでいた。

 これ全部お酒とかびっくりだ。


 脇には地下へと下りる階段もあって、その中は低く設定された室温の中で、ワインらしき透明や赤、紫の液体をたたえたボトルが数え切れないほど鎮座していた。

 地球で見たことのある酒蔵並の量に絶句していれば、猫ハルがととっと現れて首をかしげていた。


「あれ? お部屋ちっちゃくなった?」

「現在の在庫に合わせて、保管庫を縮小いたしましたので。幽玄城の最盛期にはこの10倍ございました。当時はすぐに在庫が尽きてしまうので、常に供給を心がけておりました」

「そっかあ。みんなお酒大好きだったもんね」


 私が飲みきるのに一生かけても飲み切らなさそうなこの量の10倍って……。

 たとえ本物のお城で人が沢山いたとしても、みんなどんだけ飲んべえだったんだ。


「温度管理は徹底し、飲めるものだけを残しておりますので、よろしければどうぞ」


 フォルテにそう言われて、飲めないわけじゃない私は、楽しみができたとわくわくしたのだが、ふと考えてみて血の気が引く。


 ここにあるお酒って幽玄城が空に上がった頃からあるわけだから、全部最低100年ものだ。

 日本で100年もののお酒なんてものは一本うん百万円してもおかしくないわけで。

 そんなものに手をつけられるほど私のハートは強くなかった。


 ……あ、あれでも、このまえやたらおいしいドレッシングが出てきたような。

 そのとき、フォルテは「貯蔵しておりましたビネガーを使用しました」と言っていたような。

 考えるな私、おいしいは正義だ!


「じゃ、じゃあ、気が向いたときにでも」

「一葉ちゃん、『ごっほうびにワイン開けちゃうよー!』ってやらなくていいの?」


 欲望と遠慮の板挟みにあっていた私の曖昧な回答に、無邪気にハルは悪魔のささやきをもたらした。

 いや、確かにね、理不尽に企画書を上司にけなされたときとかめっちゃ頑張ったときとかは、好きなつまみ作って一人晩酌に明け暮れてたよ。

 ハルがいたからすごく楽しかったし。

 でもそれは今言わなくて良いこと!!


 ちょっぴり熱くなった頬を手で冷ましながらごまかして、フォルテに向き直る。

 すると彼はいつものトーンで問いかけてきた。


「今夜の夕食には、一本ご用意いたしますか?」

「気を遣わなくていいから!」


 そりゃあ最近飲んでないなーと思ってうずいたことは認めるけど!


「さあほかのところも案内してくれないかな!」

「かしこまりました。では現在ワタクシが保管しております調味料などをご覧に入れます」


 無理やり話題転換をした私を気にした風も無く、フォルテは階段の上へ促してくれたのだった。




 フォルテは知らないうちに、いろんなものを仕込んでくれていた。

 干し野菜や、水煮、トマトソースやトマトケチャップまであったときには驚いた。


「イチハ様のレシピ本に掲載されておりましたので。現在そろっている材料にて作成が可能なものを試作しておりました。良い味になりましたら、提供させていただきます」


 トマトケチャップを手作りするなんて、聞いただけでわくわくする。

 家にあった調味料は全部フォルテに渡して任せていたから、ケチャップがどういうものかわかったのもあったのだろうし、もしかしたらこのカウンにも似たようなものがあるのかも知れない。

 というわけで逃すべからず!


「何それ面白そうっ! 私もやりたい!」

「あたしもっ! ケチャップってあの甘酸っぱいやつでしょ、作れるのっ」


 私が声を上げれば同じようにハルも言い出せば、フォルテはすみれ色の瞳を大きく見開いていた。


「このような雑事、ワタクシにお任せいただければ」


 ……ん?ちょっと前から思っていたけど、もしかしてフォルテに伝わってない?


「いや、そうじゃなくて。私にとっては、料理を作るのも保存食を作るのも、娯楽や楽しみに入るの。だからご飯を作るのは好きなんだよ」

「一葉ちゃん、作って食べるの好きだったもんね」


 ハルにしみじみと言われてしまって、食いしん坊と言われているようで恥ずかしいけど、その通りだ。

 実家にいたときは必要に迫られてやっていたけど、一人になってからはそこに楽しみを見いだすようになっていた。


「だからさ、一緒にやらせてもらえると嬉しいな」


 フォルテの表情はそんなに変わらなかったけど、なんだかほっとしたような雰囲気になった気がした。


「かしこまりました。ではなにか新たなものを作る際はお声がけいたします」


 この間のトウモロコシ粉の時とは違い、素直に受け入れてくれたことに戸惑ったけれど、嬉しいのも本当だ。

 やったね。次は参加させてもらえそうだぞ。


 とうきうきしつつも、少し残念なことも確かだ。

 大きな貯蔵庫のなかにある数少ない調味料の中には、にがりに代わるものは無かったから。

 やっぱそうだよなあ、私だって豆腐以外ににがりを使う料理なんて知らないもん。


「こちらは、食品室となっております」


 わかっていたとはいえちょっと肩を落としつつキッチンに戻ってきたのだが、最後にフォルテはキッチンにあるもう一つの扉を開いた。


 入った瞬間、ほんのりと海の気配を感じた。

 あれ、なんでだろうと首をかしげた先に広がっていたのは、小さなキッチンだった。

 とはいうものの、それでも私の部屋にあるキッチンよりも広い。


 大きく取られたガラスの窓の向こうでは、未だに雨がしとしとと降っているけれど、どことなく明るい気がする。天井が高いせいかもしれない。


 さらに目を引くのは、壁に陣取っている見慣れない機器だ。

 細い管と筒のような入れ物がいくつか組み合わさったそれは、まるで錬金術師が使う不思議な道具のようだった。

 でも、まてよこれって高校の理科室で見たことが、というか調剤室でもっと大型のものを見たことが……。あそうだ。


「蒸留器?」

「はい、その通りでございます。こちらはコーディアルやエッセンシャルオイル、ジャムやお茶などを作成するための一室となっております。主な利用は菓子類の作成でしたが、簡単な薬品の調合でしたらこちらでもやっておりました」

「へえ……。大きい屋敷になると、こういう部屋もべつで作られるものなんだ」

「はい。現在は砂糖と塩の精製をするために利用しております。よろしければイチハ様もお使いくださいませ」

「ありがとう、で、砂糖と塩の精製?」


 聞き慣れない作業だと戸惑っていれば、中央の作業台に白くてでっかい物体だった。

 円錐型をしたそれは真っ白くて、みようによってはろうそくにも思えた。

 しかも台所には少々不釣り合いな、でっかいはさみや木槌が置いてある。

 何でこんなところに……? といぶかしく思っていれば、ハルが猫から人に変わった。


 好奇心いっぱいな様子でその砂の塊を口に含んだとたん、ぱっと目を輝かせた。


「甘ーい! やっぱり砂糖だー!」

「え、その塊が!?」


 私も塊をほんのちょっぴり爪で削ってなめてみれば、確かに甘い。

 すっきりとした感じは、グラニュー糖と上白糖の中間みたいな甘さだった。


「こちらでは砂糖は塊で流通しておりますので、必要に応じて粉砕してから利用いたします」


 試しに指で突っついてみたけど、石のように固い。

 これを使いやすいように砕くのって大変じゃないか?


「ある程度崩しましたらしましたら、粉砕機を利用します。イチハ様は甘味をそれほど好まれませんので、少量ですんでおります」

「あ、うんそうかな?」


 最近はパンケーキもどきにイチゴジャムとかたっぷり乗っけてるけど、それでも少ない?


 首をかしげつつもずっとさらさらの砂糖しか知らなかったから、物珍しく粉砕機をしげしげと眺める。


 すると、また不思議なものを見つけた。

 それは窓辺においてある、小さな温室のようなガラス容器だ。

 その中に、ボウルが入っている。

 容器の中が曇っていることからして、中は少し温度が高いのかも知れない。


「フォルテ、あれなに?」

「以前こちらにいた料理人が、塩のにがみをまろやかにするためにしていた作業で『枯らし』というそうです。本日のような湿度の高い日ですと外に放置しても苦みが抜けますが、今回は少量でしたので、こちらの器機を利用しておりました」


 なんでも湿度の高い場所に放置していると、苦みが取れて使いやすくなるのだという。

 いやまて苦みを取る?


「ごらんになられますか?」


 私が何か既視感を覚えていれば、フォルテが温室からボウルを取り出してくれた。

 ボウルの中には布袋があり、少し湿った風になっているけれども大量の塩がある。

 なめてみれば、普通においしいお塩だった。

 舌に当たる塩気もまろやかで、どこか甘みのある。


「もしかして、海塩?」

「はい。貯蔵庫は湿度を控えめに保っておりましたので、苦みがそのまま残っておりました」


 確かに塩がしまってあった貯蔵庫の中は、じっとりはしていなかった。

 なるほどなあ、と思っていれば藍色の瞳をきらきらと輝かせるハルがボウルの中身に興味を持っていた。

 ボウルにはザルが重ねられていて、底には透明な液体がたまっていた。


「これがお塩から流れたやつ? こっちはどんな味?」

「そちらは──」


 フォルテが止める間もなく、ハルはその透明な液体に指をつけてなめていた。

 瞬間、猫耳と尻尾が飛び出て、白い毛並みがぶわっと広がる。


 若干フォルテがあきらめの表情で差し出したグラスの水を、涙目のハルは受け取って必死に飲み干した。


「にっがぁいー!!」

「はい、したたり落ちたものは塩に含まれる不純物ですので、廃棄処分にしております。適度に残しておくと塩のうまみにつながると申しておりましたので、抽出器は使用いたしませんが」


 フォルテが液体の入ったボウルを取って、流しに持って行こうとしたのを、私は全力で止めた。


 いきなりがしっと両手を拘束されたフォルテは目を丸くしていたけど、そんなこと気にならないくらい私は驚愕と興奮にその苦い液体を見下ろす。


 そうだよ、あれは海水から抽出して取り出される液体!

 塩を精製するときの副産物だった! 


「に、」

「に?」

「に??」

「にがりあったああああああ!!!!!」


 まごう事なき塩から分離されたにがりを前にそう叫べば、フォルテとハルはそろってきょとんとしていたのだった。







作中に登場している「枯らし」作業は、江戸時代のにがりの抽出法です。

欧米諸国で同じ作業をしていた事実はなく、この世界での独自のものであることをご了解ください。

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