3仕事め:調剤室は異世界の香りでした
一夜開けまして、私とハルはフォルテの案内で幽玄城……改め幽玄屋敷の中を歩いていた。
私が抱えているのは、朝採れたばかりのトウモロコシだ。
まるまると大きくなったトウモロコシは20本にもなるとそれなりの量になり、人型のハルとわけっこして持っている。
本当は、材料さえもらえればあとは加工できる、とフォルテには言われていたんだけど、無理を言って作業を手伝わせてもらうことにしたのだ。
や、だって作業工程が気になるし、ほんとに粉なんて作れるの?って思うし。
何かを作る、という行為は自分で見るのもやるのも好きなもので。
そういえば、幽玄屋敷内を見て回るのは初めてかも知れない。
なにせずっと忙しく食糧確保にいそしんでいたものだから、自分の部屋と食堂とお風呂の往復で終わっていたのだ。
この幽玄屋敷は、おおざっぱに説明すると中庭を囲むようにコの字型になっている。
私たちが生活区域にしているのは、玄関から見て右手の方だ。
そのあたりに私の2DKが入っているのもあるし、食堂やら台所も備わっているからだ。
ちなみに、私の部屋と和室以外は土足である。なんか変な気分。
縁側と畳敷きの部屋は、今はちょっと寒いけど、夏になったらすんごく素敵なんだろうな、と今から楽しみである。
広々とした石造りのお風呂はどこの旅館ですか?って大浴場だし、めっちゃ入りたいけどお湯がもったいない!っといったら、広々足が伸ばせるけど小さめの小浴場作ってもらえた。フォルテが半端なかった。
そのほかにも、図書室や、遊戯室やら美術室やら大ホールやら宝物庫やら牢屋まであるって聞いてちょっと気が遠くなったものだ。
さすが元城、恐ろしく充実している。
反対に広い中庭は、茶色い地面がむき出しのふきっさらしの寒々とした感じになっていた。けど石で舗装された小道や、まだ水が流れている小川や池からして、さぞや立派な庭だったんだろうと思う。
ちなみにはじめは中庭を畑にする案があったんだけど、そんな庭っぽいところに畑を広げるのは大変ためらわれたため却下していた。
体の栄養も必要だけど、心の栄養も大変に重要だと思うのでした、まる。
というか、あの中庭の広さや、こうして通り過ぎていく部屋数に対して、外見上の屋敷の大きさより明らかに部屋が多い気がするんだけど……気のせい?
「魔法にて少々空間をいじっておりますので。ほかにもイチハ様方には不要な施設は片付けております」
「あ、さいですか」
フォルテにさらりと言われてしまえば、私はうなずくしかない。
ハルはにこにこしているし。
「ところでフォルテ、これ、持って行くの台所じゃなくて良いの?」
台所とは正反対の、普段入り込まない方へと進むフォルテが気になって聞けば、彼は銀と黒の髪を揺らしてふたたびこちらを振り返った。
「はい、今回使用いたしますのは、調剤室でございますので」
「ちょうざい、しつ?」
ちょうざい、調剤って、薬とか作る?
「魔法触媒や、様々な薬品、薬剤を調合するための施設です。製粉室も別途ございますが、小規模に試作する程度でしたらひとまずこちらで十分かと思いました」
とっさに意味が結びつけられずにいる間に、どうやら目的地に着いたようだけど、そこはひどくおどろおどろしさが漂う区画だった。
だって、いつのまにか飴色の木の床から、実用的……というか堅牢な石の床に変わっていた。
なんとなく寒気を覚えていれば、フォルテはさらに説明を続けてくれる。
「こちらは魔法実験室や、彫金室などの生産系統の施設がそろっている区画です。扱いがたい薬品や、物品も多々ございますが、整備だけはしておりますので、未だに現役の機械もございます。お手を触れる際は十分お気をつけください」
扱いがたいって……つまり危険ってことなんじゃ。
そうしてフォルテは立ち並ぶ扉の一つで止まると、その扉を開けた。
扉を持ったまま促され、仕方がないのでおそるおそる入ってみれば、そこはまさに魔法使いの実験室だった。
廊下から感じる薄暗さは一切なく、なんだかわからないものが所狭しと並べられているけど、掃除の行き届いた清潔な空間だ。
しかも、ここもやっぱり廊下から見ているよりずっと広い。
生々しい動物の何かとか、ずらりと並ぶ妖しげな瓶のたぐいとかもなく、ただ使い方がよくわからない機械や道具が並んでいる光景は、なんとなく理科の実験室を思わせる。
ほんのりとした草の匂いが残るなか、物珍しげに眺めていれば、ハルが懐かしそうにくるくる見回していた。
「アリーヤの部屋だぁ。やっぱりすごく片付いてるねえ」
「アリーヤさんは必要最低限の機器しか持ち出されませんでしたので、すぐにでも調合が可能です。長期保存が可能な薬剤も保管庫に収納しております」
「そっか、使い方さえわかれば、薬も作れるのね」
それはありがたい。
今のところの不調は筋肉痛くらいですんでいるけど、風邪を引いたり、お腹下したりはいつしてもおかしくないんだから、自分で薬が作れたら生存率が上がるだろう。
ただ、そもそもこっちの薬に対して知識がないんだよな……。
「機器類の使い方から、汎用性の高い薬の調合方法まで、取り扱い指南書を用意されておりますので、材料さえそろえば生産できます。図書室の方にも材料についての資料がございますし、ワタクシも指南書に関しましては記憶しておりますので、お任せください」
アリーヤさんめっちゃ神だった。
見知らぬ人に感謝を捧げたのだけど、フォルテに差し出された辞書並みに分厚い機器マニュアルと、調合マニュアルを見せられて、若干どういう人かわかった気がする。
尺取り虫がディスコナンバーを踊っているような細かい文字の羅列にくわえ、検索性をよくするために付箋がつけられている様子からして、マニュアルとか分類とか整理が大好きな人だったんだな。
抽出器、蒸留器、練成器に、魔力混合器……よくわからないものが大半だったとはいえ、わからないからこそ興味深いし、図もつかって明確に説明してくれていた。
マニュアルはね、もの凄く大事だよ。
日本ではマニュアル人間と軽んじる風潮があったけれども、読んでその通りにすれば、一定の成果が得られるのは教える方も教えられる方も負担が軽くなるんだ。
後でゆっくり読ませてもらおう……と、ぱらぱらと眺めていれば、1ページ目にでかでかと注意書きが書いてあった。
「「ハーディスは絶対に触らず、フォルテに任せること」って」
「あたし、たいていの機械とか魔法具は、使おうとすると壊しちゃうから……」
どんだけドジっ子なんですか。
もしかしてスマホに触られて、無事だったのは運が良かったのだろうか。
かける言葉が見つからずに沈黙していれば、哀愁を漂わせるハルは、するすると人型から家猫になって、テーブルの隅にちょこんと座る。
「だから今回もここで応援してるね。頑張れ一葉ちゃん、フォルテ!」
ちょっと寂しそうだけど、向き不向きはあるからしょうがない。
せめて慰めるために、白い尻尾をゆらゆらと揺らめかせる猫ハルの頭を私なでてやれば、ハルはご機嫌にぐるぐるごろごろのどを鳴らした。
「よし、じゃあフォルテ、何をしたら良いかな?」
「イチハ様のお手を煩わせることはないのですが……」
困ったように眉尻を下げるフォルテは、手伝いたいと言ったときと同じ言葉を繰り返した。
ちょっと邪魔になってしまっているかな、と思わなくはないけれど、だって面白そうじゃない。
こんな実験室みたいなところを使ってやる製粉って。
「邪魔にならないんなら見学だけでも良いからさ」
「……ではお二方、こちらを身につけてください」
さらに言いつのれば、フォルテは切り替えたようで、きれいにたたまれた服のようなものを差し出してきた。
広げてみて、目が点になる。
だって白いキャップと割烹着は、食品工場でよく見るアレだったのだ。
仕事が細かいことに、ハルに渡されたのもちゃんと猫用に作られている。
え、と思っていれば、すでにフォルテは割烹着にきっちり髪まで詰め込んだ食品工場のおばちゃんスタイルになっていた。
「イチハ様がたの健康を預かる以上、衛生面には気を遣わせていただきます」
あ、うん。その気持ちはありがたいけど、これって入室してからじゃ意味ないのでは……?
と思いつつもいそいそとハルに身につけさせ、私も袖を通して、髪を全部入れ込む。
すると、床に円環と文字と図形が組み合わされた、幾何学の模様が広がって消えた。
「簡易の浄化の魔法を展開いたしました。ほこりや、雑菌なども除去できております」
うおう、魔法だ。がっつり魔法だ。
魔法で動く不思議な道具は見ていたけれど、初日の城から屋敷へ組み変わるやつ以来の魔法にびっくりする間もなく、フォルテはさくさくと作業を進めていく。
「ではイチハ様、トウモロコシの皮をむいていってください。ハル様、剥かれたトウモロコシをそちらの流しで洗浄していただけますか」
「あたしも手伝って良いの! やる!」
ハルはたちまち猫顔を輝かせて、流しに飛び乗ると、せっせと桶を取り出して蛇口を扱って水を出す。
そういえば、新鮮な水が飲みたくなったら、勝手に蛇口をひねってたなあ……。
うちの子めちゃくちゃ器用じゃない?とあのときは思っていたけど、そりゃあやり方がわかればできるよね。
しかも今は、皿に近くにおいてあった石けんらしいものに前足を乗っけて手を洗い始めた。
あの猫の手でやれるのはすごいわ。
感心しつつ、文字通り猫の手と化したハルが、尻尾をふりふり待ち構える桶へ、むき終えたトウモロコシを入れてあげる。
「にゃーにゃーにゃーふんふんふん♪」
じゃばじゃばと桶の中でトウモロコシを猫パンチで転がすハルは、スマホを構えたいほどかわいい。
トウモロコシの種に爪を立てない気づかいもできるなんて、超さすが!
ハルが人型になれることを頭からすっぱりと抜かしてにへにへしつつ、私もちゃんと手を動かす。
ハルが猫洗いをしている中、全部のトウモロコシをむき終えて桶の中に投入し、きれいになったものから用意されていたきれいな布で水分を取っていく。
すると、フォルテが声をかけてきた。
「恐れ入ります、こちらも準備ができました。あとはお任せください」
「じゃあ、食べられるところを分離……!?」
するんだよね? と問いかけようとしたのだが、フォルテが片手にトウモロコシとナイフを構えたとたん、用意されたボールにトウモロコシの粒がこんもりとなっていた。
しかも20本全部。残ったのは芯だけ。
確かに手伝い要らないわ……。
乾いた笑いを漏らしていれば、フォルテはこんもりと黄色い粒が山になったボウルを、端にある機械へともっていく。
「下準備は終了しましたので、こちらを調合釜に入れれば、完成です」
あっさりと言うフォルテに、私はふたたび目が点になる。
「え、いれるだけ?」
「はい、入れるだけです」
それは丸い入れ物に枠がついたような機械だった。
私が知っている中では、業務用のミキサーに近い。
けれども、材料を入れる部分は金属とも違う、光沢のあるなめらかな質感をしている。
知っている中では陶器が一番近いけど、もっと固そうだ。
中を覗いてみたけど、つるりとなめらかな内釜があるだけで、刃なんてものは何にもなかった。
「こちらは材料を乾燥、混合し、粉末薬や錠剤を作り出す機械でございます。メニューを選ぶことで乾燥や、粉砕で止めることも可能です。規模が大きくなりますと、それぞれ別の機械を利用いたしますが、ひとまずはこちらで十分でしょう」
試しにと傍らについていた水晶玉のようなものにフォルテが触れたとたん、ウインドウが虚空に浮かんだ。
ゲーム画面のようなそれには、こちらの言葉で混合、乾燥、粉砕などの文字が躍っている。
「す、すごく便利だね」
あっさりと地球の技術を突き抜けていった魔法具に驚いていれば、フォルテはなおも説明を続けてくれる。
「はい、睡眠剤や傷薬、麻痺毒などの毒物も安定して生産できましたので、当時も重宝されておりました」
「どくぶつ」
「使うごとに洗浄と魔法による浄化を徹底しておりますのでご安心を」
そう言われても、作られた毒物がどうやって使われたか気になりすぎるんですけど!?
便利の一言で済ませて良かったんだろうか……。
内心私が頭を抱えてることなんて知りもせず、フォルテはボウルをひっくり返しトウモロコシの粒を調合釜に入れた。
そうしてふたを閉めてスイッチを入れたとたん、きいんと空気を震わせるような音をさせつつ、機械が動き始める。
「トウモロコシの粒に含まれる水分を適切に飛ばし、粉砕いたします。仕上がるまでに1時間ほどかかりますので、お茶などはいかがでしょうか」
まさかほぼスイッチ一つですんじゃうとは。
というか思っていた粉の作り方と全然違うと心の中で引きつつも、私はフォルテの勧めにうなずいたのだった。




