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第十三話 姐さんは相変わらずお美しいままで

「もういいから、さっさと逃げるぞ」


「え? あ……」


 俺は真っ赤になってローブを抑えていた眼鏡痴女の手を取って走り出した。ニムとバネットも当然のように俺に追従する。

 ぐずぐずしていたらさっきの破廉恥女がまず間違いなく戻ってくることが確定していたからな。だからこそ急いだ。

 先ほど道を通してくれた大男の脇をすり抜けざま、俺は更に5000ゴールドを奴へと握らせた。

 おっさんめっちゃほくほくした顔してたけど、それお前にやったわけじゃねえからな? 天井ぶち抜いた修理代だからな? 着服すんじゃねえぞ? と、まあ、別に説明も何もしていないからもうどうでもいいやと、そのまま退店、俺達は一路宿を目指した。



   ×   ×   ×



「いやあああああああああああっ!! し、死ぬ!! 死んじゃうからぁああああ!!」


 誰一人聞く者がいないその『場所』で、彼女はひたすら絶叫していた。

 ただ、残念ながらその薄い空気と猛烈な風圧の所為で呼吸もままならず、しかも全身をほぼ露出しているようなその恰好の所為で、強化されているとはいえ、身体機能のほとんどはもはや失われていた。

 『(かじか)む』という表現が生ぬるい彼女の現状は、凍てつく冷気の中で身体がすでに凍り付き始めてでもいたのだろう、全身から猛烈な痛みの信号が発せられ続け、それから逃れようと彼女はひたすら治癒魔法を行使し続けていた。

 このとき、彼女がもう少し冷静であったなら、彼女のいるこの惑星のほぼ外側という場所において、ほとんど何にも遮られることのないままの満点の宇宙の星々を眺め見ることができたかもしれない。そして、『せり上がった』広大なアトランディア大陸の全容と、そして湾曲した地の果てまでの大パノラマをその眼に焼き付けることができたのかもしれなかった。

 だがしかし、彼女の脳裏にあったのは、残念ながら『自らの死の予感』のみだった。

 あまりの痛みとあまりの恐怖、災いの魔女とまで呼ばれた彼女にあって、完全なる死を実感するこのような経験は人生初めてのものだったから。もはやこの『ひたすらの落下』とその後に待ち受けるであろう地面への衝突を考え、恐怖し、彼女は錯乱の境地にいたのだ。

 数々の魔法を会得し、多くの人間を打ち負かし、彼女の師さえも魔法で打ちのめした。

 弱い者達をいたぶり、殺し、慰み者にすることも飽き、そんな弱い存在に自分を蹂躙させることの快感に酔いしれた彼女は、今はさんざん嬲られたあとで、お返しとばかりに相手を凌辱することの楽しさに酔いしれていた。

 彼女はより強くなることで様々な快楽を得続け、その快感に溺れることを至上の喜びとしてきたのだから。それは今回も同じだと思っていた。

 それなのに……

 直面しているのは意味不明な落下!

 ひたすらの落下。理解のおいつかないこの現状にあって、だが一つだけ助かるとしたら落着の寸前に『あの魔法』を行使するしかない。そう、あの特殊なスキルを得たことで、世界で唯一彼女だけが行使可能となったあの魔法を!

 それを考え、少しだけ落ち着くことができた彼女は思い出す。

 標的だったオルガナと一緒にいた男を。鑑定の魔導具で視るまでもなく、あの男にはなんの魔力の片鱗もなかった。いわゆるただの『魔無し』、彼女はそう判断していたのだ。

 なのに、あの瞬間あの男は魔法を使った。しかも世界でみても数人使えるかどうかしかいない、あの『大魔法』をいとも簡単に。そして彼女はここに吹き飛ばされた。

 訳もわからず、遥か下方、微かにみえる大地を知覚したとき、彼女は錯乱し恐怖した。

 そして理解する。あの男はあの魔法を完全にコントロールしたのだと。でなければ、あの大破壊魔法を受けて彼女が死なずにこんなに高いところまで移動させられるわけがないのだ。

 それを思い、でも堕ちたら死ぬというその現実も理解して、彼女は……


 激しく興奮した。


「うふ……うふふふふふふふふ……!! きゃはっ!! きゃははっ!!」


 狂ったようにそう笑顔になりながら、彼女は思うのだった。


 あの男にもう一度会いたい……と。


 重力に引かれ、ぐんぐん速度を増していく彼女は、まっすぐに地上へと落ちて行った。


 

   ×   ×   ×



「って、おいバネット? なんで宿じゃねえんだよ?」


「え? ご主人様、宿に向かってたのか? いやいや止めときなよ。あんな魔法使いがいるんじゃ、普通に宿にいたままじゃあすぐに足が着いちゃうから。こういうときはね身を隠した方が良いんだよ。ま、あの魔法使いが生きてたらって話にはなるんだけどね? ほら、ここはバネットお姉さんにまかせておきなさいな」


「なんか釈然としねえ」


 どう見ても幼稚園児くらいのバネットが偉そうにそんなことを言って先導するのだけど、子供が秘密基地作ったから見て見てって言っているようにしか見えない。 

 実際はこいつ盗賊歴も長いようだから問題はないのだろうけど。


 入り組んだ迷路のようになっているスラムの路地に入った彼女は右へ左へどんどん道を折れて進んでいくのだけど、本当に合ってるのかね、このルート。しかも結構人も多く、殆どは今にも野垂れ死にそうな浮浪者たちだったが、そんな連中に混ざって眼光鋭いやくざ風のガラの悪い連中もちらほら……

 少し不安になりながらも、俺達は今はそれについていくしかないわけだし、追従の二ムは、まったくといっていいほど警戒していないから、まあ問題はないのだろうけども……

 少し不安を覚えつつ俺達が辿り着いたのは……


『棺桶屋』?


 ボロボロの建物が密集している薄暗い狭い路地の奥の奥。そこに蝋燭の小さな明かりだけを灯したおどろおどろしい様子の棺桶を売る店があった。

 といっても、その並んでいる棺桶はもう何年も売れていないのだろう、雨に濡れ、苔生し、腐って朽ちているものも多かった。そんな棺桶の合間の暗がりを、バネットはすいすい先に進んで歩いていく。

 その後を追いかけようとしたのだが、あまりにも闇が深くてもうバネットの姿も見えなくなっていた。


「お、おい、バネット。どこまで行く気だよ?」


 そう言ってみれば、暗闇の奥の方から声がする。


「ここだよ、ここ。ほらご主人様、もう少しだからこっちへおいで!」


 そう言われても、この状況ははっきりってお化け屋敷だぞ? 棺桶から死体が起き上がったりだとか、ここホントにそういうのいる世界だからな、本当に油断できねえよ。

 

「わ、わかったよ。行くよ‼ 行けばいいんだろ?」


 ええいままよ、と俺は覚悟を決めてその真っ暗やみへと足を踏み入れた……


 その時。


 スカッと踏み込んだはずの足が地面に着くことなく空振りした。地面がなかったのだ。踏み込んだ勢いのままで勢いよく前のめりに俺はその穴へと堕ちた。

 ええい、またこのパターンか! なんで毎回俺は穴に嵌らなきゃなんないんだよ!!

 そうイラッと思いつつも、俺に追従するように、眼鏡女とニムが一緒に落下してきた。


「ぐえっ!」


 当然潰される俺。だが、もうこれも慣れっこなので特に気にしないことにした。

 すると、耳元で声が。


「ごめんごめん、穴に飛び降りてっていうの忘れちゃったよ」


 そうバネットの声がしたかと思うと、何やら頭上からズリズリと何かをひきずるような音がして、そしてかちっと嵌った音を最後に、パッと明かりがついた。

 すると、そこに居たのはバネットと、それとたくさんのにやけた顔の屈強な体躯の男たち。

 なんだよ、こいつら……まさか、これ罠か?

 バネットの奴俺達を罠に嵌めやがったってのか? ま、マジか? マジなのか?

 眼光も鋭いし、こいつら完全に裏稼業の連中だ! これはいよいよヤバい!!

 そう思っていたトキだった。奥から金の長髪の痩せ型で、頬に大きな刀傷をつけた目つきの悪い、明らかにリーダー格な感じの男が、連中の垣根を掻き分けて俺達の前へと歩み出てきた。

 

 あ、こいつガチでヤバい奴だ。

 そう冷や汗を垂らしていた時のことだった。

 

 奴が口を開いた。


「ようこそ『盗賊組合(シーブズギルド)』へ! お久しぶりです、バネットの姐さん」


「また世話になるね、【ピート】坊! 随分大きくなっちゃったねー」


「姐さんは相変わらずお美しいままで」


 なんだこの会話は?

 理解はまったく追いつかなかったが、とりあえず、この目の前のとんでもなくガラの悪い男は、ピート君というらしい。

 うん、可愛いね、名前だけは。

ピート君も 大人になったら ピートさん

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