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第五十八話 優しい別れ

 俺は黙ってマリアンヌの話を聞いた。若い頃むちゃくちゃ美人だったとか、男が群がって大変だったとか、それちょっと盛りすぎじゃねえか? とツッコミたくなるのを毎回必死に堪えつつ、なんとか全部聞いた。

 聞いて、そして思ったこと、それは。


「まったくクソだな」


「ああ、その通りさ」


 俺は素直に憤慨した。

 ヴィエッタにはかなり辛い過去があるだろうことは俺も予測はしていた。

 だが、これはあんまりだ。

 マリアンヌの娘がヴィエッタの母親だというのなら、この話の通りであるなら、ヴィエッタ家族はただ普通に幸せに暮らしていただけのはずだ。

 だが、それを、その野盗だか盗賊だか山賊だかにぶち壊された。

 そして3年か……

 3年間、ヴィエッタは連中に捕まりながらも生き続けていた。その3年間に起きたこと……つまりそういうことなんだろうよ。くそったれが!

 マリアンヌはそんな俺の思考を見透かしてでもいるかのように告げた。


「人ってのはね、自分の命と心を守ろうとするものさ。殺されそうになれば命乞いをするし、犯されれば媚びててでも助かろうとする。でもね、あの子はもうそのどれも出来なくなっていたんだ。あの時のあの子はまるで『人形』……『男を慰めるだけの人形』だった……あの子は壊れちまってたのさ」

 

 そう寂しそうに話すマリアンヌに俺は言った。


「でも、じゃあなんであんたはヴィエッタを娼婦にしたんだよ? てめえの孫だろうが! 娘が死んじまったことを反省して、孫は失敗しないように娼婦にしたとか、そういうことか? 胸糞悪い」


 そんな俺をマリアンヌはギロリと睨んだ。

 うっ! めっちゃ怖い。


「何も知らない童貞のくせに適当なことを言ってんじゃないよ」


「ど、童貞は関係ないだろ! ほっとけ!」


 マリアンヌは自分の椅子へと戻り腰をかけて煙草を取り出した。そしてそれに火を点けるとゆっくりと味わうようにそれを吸った。白煙が辺りに漂う中、彼女はそっと煙と共に息を吐いた。


「心と体の傷ってやつはね、自分で克服していくしかないんだよ。大抵の娼婦はかかるもんなんだけどね、何人もの男に身体を(もてあそ)ばれると、自分のことがまるでゴミか汚物のように思えて来てね----そのうちに、死にたいとか思ったり、気が触れたようになったりね、そして心を閉ざして何の反応もみせなくなってしまったりすることがあるんだよ」


「つまりあんたは、ヴィエッタがその心を閉ざした状態になっちまったとか、そういうことを言いたいわけか。確かにストレス原因を再現して克服する方法がないわけじゃあないが、それにしたって、無理矢理娼婦にして克服させようとか、ちょっと乱暴すぎるだろうが!」


 『PTSD(心的外傷ストレス症害)』の場合の治療方法の一つに『持続エクスポージャー療法』というのがあるわけだが、原因となったストレス体験に敢えて触れさせることで、本人にその恐怖に打ち勝つ術を体感させるやり方だ。

 確かにこれによって回復した事例は数多あって、戦争で自分が犯してしまった殺人についての一応の納得を自分の内で見出したり、宇宙空間で遭難した際の孤独と死への恐怖に抗ったりさせるなど、その都度様々な角度からのアプローチがあるのだが、基本、本人にかかる負荷を軽減させながら行う必要があって、今回の様にレイプ被害者を奴隷娼婦にして治療するなんて方法は聞いたこともない。

 まあ、俺たちの世界の常識とこの世界の常識は違うわけだし、マリアンヌの話のようにあくまで自分で克服しなければならないというなら、これもありなのかもしれない。もっとも、自分で打ち勝てなかった時は自殺も十分あり得そうだが。

 マリアンヌはそんな俺の思考そっちのけで言い切る。


「ヴィエッタを救うにはもうこれしかなかったんだよ。あの子の心は完全に死んでしまっていたからね」


「本当にそうか? あんたはおばあちゃんなんだから、そう名乗って抱きしめてやったりしても良かったんじゃねえか?」


 俺がふとそう思って言ってみれば、マリアンヌは明らかに俺を小ばかにして感じで見返してきやがった。


「はんっ! 何も知らないくせに知ったかぶるんじゃないよ。あたしはこれでも娼婦だよ? それも今じゃあこの奴隷娼館の主だ。可愛そうな孫娘を抱きしめて、『怖かったね、もう大丈夫だよ』、と言いながら、ここで下種な男たちの相手をするんだ。それがどういう風にあの娘の目に映るか分からないのかい?」


「うっ」


 そう言われて、確かにそうだと完全に俺は納得してしまった。

 この目の前のマリアンヌは聖人君子でも女権運動家でもなんでもない。性を売買することを生業とした娼婦であり性風俗事業者だ。

 とてもじゃないが、レイプ被害者更生に適した人材とは言えない。


「それにだ。あの娘は無意識にではあっただろうが、男を悦ばせる術をもう会得しちまっていたんだよ。そのおかげで生き残れたということだろうね。流石はあたしの孫だよ」


 本人はいたって当然の様に語っているのだが、当然その個所に関してはノーコメントだ。

 いくらなんでもお前みたいな豚になるとか、ヴィエッタが可哀相すぎるだろう。隔世遺伝が起こらないことを祈っておこう。


「ただな、俺はそれだけじゃあないと思ってる。ヴィエッタには不思議な能力があって、一晩イタせばレベルがあがるとかなんとか。その能力のこともあって生かされたんじゃないか? マリアンヌ、あんた『精霊の巫女』って奴のことを知っているか? ヴィエッタはそれにあたるんじゃないかと聞いたんだがな」


 その俺の言葉にマリアンヌは目を細めた。

 そして即答した。


「精霊の巫女は、『勇者』に『祝福』を与える存在だと聞いたことがあるね。その祝福ってのがなんのことかは知らないが、ヴィエッタがそれだというのなら、なるほど、確かに盗賊の連中も手放したくはなかったのかもしれないねえ」


「はあ? あんたはヴィエッタのこの能力のことを知らなかったのか? 客連中の間でが結構評判になってたみたいなんだがな?」


「ああ、そのことかい」


 マリアンヌはふんと、鼻を鳴らしてから言った。


「『ヴィエッタを一晩買えばレベルが上がるかもしれない』。そう吹聴したのはこの『あたし』さ」


「はあ? てめえが言いふらしたって? はっ!? ったく、くそっ! そうか、そういうことかよ」


 俺は目の前の喰えない女主人を見ながら、全ての疑問のピースが当てはまった感覚を味わっていた。


「てめえ、ヴィエッタを守るために、ヴィエッタが男どもに気に入られる、もしくは特別視されるような環境をわざとつくりやがったな。それこそヴィエッタは特別だからみんなで守らなきゃいけないってマインドに誘導しやがったな。

 くそっ! これはいっぱい喰わされたぜ。

 ヴィエッタを買ってる連中のなかにはレベルアップ間近な奴もいて当たり前だし、たまたまヴィエッタと寝た翌日にでもレベルが上がろうものならこの話の信ぴょう性を引き上げる要素にもなる。

 それにファンの連中にとってもヴィエッタが特別だという意識づけがしっかりできていれば、フライングをかまそうと言う奴も出てきにくいし、一定の距離間で付き合い続け、更に有事には守ってもらえると、そういうわけか。

 孤狼団を操ってたのもお前だな? まったく、てめえはどんだけ食わせもんなんだよ」


 心底感心して思わずそう叫んでしまった俺に、マリアンヌは満足げに笑みを浮かべ、そして言った。


「まあ、そこまで見透かしてくる奴はそうはいないんだけどね。あんたの言う通りさ。あたしはここでヴィエッタを守るためだけにあらゆる手を尽くしてきたんだ。娼婦として働かせて何が悪い? 人目の届かないところで慰み者になる恐怖に比べれば、金を払って遊びに来てるだけの男を相手にするなんて、おままごとと大差はないほどに安心だ」


「てめえ……」


 俺は今心底この目の前でにやけている女に『負けた』と思った。

 こいつの愛情は本物だ。

 本当にヴィエッタを愛しているからこそ、こいつはヴィエッタに冷たく当たり続けていたんだ。

 そしてヴィエッタはそれを知らないままで、今や最上級の娼婦とまで言われる存在となった。まあ、あのぽわわんとした中身からしたら本当かどうか疑わしくもあるが、周囲の反応として見てみれば紛れもない事実である。

 それとあいつは確かにトラウマを克服しつつあるように俺には思えていた。

 あいつは俺に言った。


 『お父さんやお母さんのような冒険者になりたい』と。

 

 その言葉が意味すること。それはこいつが地獄に落ちた自分と向き合ってそれを乗り越えようとしているということに他ならない。

 自分の過去もしっかり思い出しつつ、かつ、自分の未来に思いを馳せることが出来る。

 ここまでヴィエッタを導いたのは、他の誰でもない、この目の前のマリアンヌなんだろう。

 まったく……

 どんだけ大事なんだよ、ヴィエッタのこと。


「さて……」


 マリアンヌが再び立ち上がった。そして口を開く。


「精霊の巫女……だったね。すまないがヴィエッタがそれとどう関係しているのかはあたしも知らないよ。ただ、あの子には何かしらの能力が確かにある。そう、レベルが上がるというのもあながち完全なデマというわけでもないようだしね」


 それは実際にレベルが上がったという事実をマリアンヌが知っているということだろう。だが、なぜそうなったのかまでは分からないと。まあ、そんなところだろう。


「それはおいおい調べるさ。なあ、あんたは自分のことをヴィエッタには話さないのかよ?」


「ああ、話す気はないね」


 即答だった。

 なんの迷いもない顔で俺のことを見据えてマリアンヌは言い切る。


「あたしが自分の正体を明かすことに何の意味がある? お前に明かしたのは単にお前が察し良すぎるからってだけだよ。あの子にとっちゃあたしはただのムカつくくそババア、無理矢理に働かされて金を巻き上げるろくでなし、それでいいのさ。後はヴィエッタが好きな様に生きればいい……そう、娘がそうしたようにね……」


 そう言ったマリアンヌの顔は少しだけ寂しげに見えた気がした。

 まあよ、何を思おうと人それぞれだろうよ。けどよ、頑張った奴が報われないってのはなんか違うと思うんだよ。少なくともこいつらは。


「なんでだよ。たった一言伝えればいいだけじゃねえかよ。今生の別れになるかもしれないんだぞ? 分かってんのかよ?」


「しつこいね! 本当のことを言うことはただの自己満足にしかならないんだよ。それこそ本当の肉親が自分を金儲けの道具にして、毎日毎晩男の相手をさせていたなんて知ったら、いったいどれだけあの子が傷つくと思ってんだい」


「それもこれも全部ヴィエッタを助けるためだったんじゃねえか! てめえが言ったことだろうが!」


「ああ、そうさ。その通りだよ! でもね、世の中全部杓子定規に本当のことだけを言って生きてなんか行けやしないさ。どんなことにだって表と裏があって、光と影があって、良い面と悪い面があるもんだ。あたしゃね、今までもこれからもずっと、陰の道を進むって決めてるんだよ。決めたからこそ、陰として日向を歩いて行けるヴィエッタを守りたいんじゃないかっ! 送り出したいんじゃないか! あの子を幸せにしてやりたいんじゃないかっ……」


 俺を睨むその怒りに満ちたその瞳から、マリアンヌは一条の涙を走らせた。

 それを見た俺は、本当にもう何も言うことが出来なくなった。

 だから……


 俺は目を逸らして歩き出すことにしたんだ。


「しつこく言って……悪かったな……、なら俺はそろそろ行く。この街にはもう用はねえからな。ヴィエッタも……連れて行くからな……」


「そうかい……」


 マリアンヌの何処か寂しそうな声を聴きながら俺は今回のことを振り返っていた。


 街一番、国一番の人気の娼婦とも言われていたヴィエッタの正体は、心に傷を負った少女でしかなかった。そんな彼女を、俺は俺の都合で攫ったわけだが、ヴィエッタは自分の夢を叶えたいとそう宣言したのだ。だからこれは俺の中では純然たる取引なんだ。

 俺の意趣返しに付き合わせたその対価は、ヴィエッタとともに冒険の旅に出るというもの。かつてあいつの母親にそうした様に、再びマリアンヌは命にも等しい大事なものを手放すことになってしまうわけだ。

 その辛さを思うと、俺も居た堪れなくなるばかりだ。

 だが、こいつの決心は覆りはすまい。

 願いはあっても、そうなりたいって夢があっても、それを自分で許すことができない……そんな生き様もあるということだろう。俺にだってそれくらいは分かる。

 本当に……

 締まらねえ話だよ。 


 そう思いつつドアの方を向いた時だった。

 唐突にその声が耳に届いた。


「ヴィエッタを……宜しくお願いします」


 綺麗な声だった。

 ドスの聴いたあのヤクザな奴隷娼館の女主人の声ではない、まるで品の良い夫人が発したようなその声に俺は、昔奴が美人で評判だったってのもあながち嘘と言うわけでもなさそうだなと、内心で思いながら返事をした。


「ああ、任されたよ」


 もう振り返りはしなかった。

 悲しい一人の女の優しさを確かに感じながら、そのまま俺は扉を開け廊下へと出た。


 と、その先にはまさに案の定の人物が立っていた。


「ヴィエッタ……おまえ、聞いていたのかよ」


 俺は部屋内の人物から見えないように隠しながら、そっと戸を閉める。

 すると、ヴィエッタは黙ったままで唐突に大粒の涙を溢れさせた。

 嗚咽を上げてもおかしくないほどに顔をくしゃくしゃにしたままで、彼女は涙だけをただ流し続けていた。そして、静かにマリアンヌの部屋の扉に手を当てた。


 この薄い木の扉を挟んで二人の年の離れた娼婦が向かい合う。

 陰に生きることを決めた女と、光の世界へと進むことを決めた女。

 ただこの一枚の扉が住む世界を完全に隔ててしまっていた。


 きっとこの扉を開け放ってしまえば、新しい関係が生まれることだろう。だが、それを望まない者がいて、それに縋れない者がいる。

 本当に不器用なんだと思うよ、俺は。


 俺はただ、ジッとヴィエッタを待ち続けた。

 彼女はそして、顔を上げた。

 その右手をそっと扉に触れさせたままで彼女は言った。


「今まで……お世話になりました。ありがとう……私の……」


 そうポソリと言った言葉を……

 俺は最後まで聞かずに歩き出した。

次回、本当にエピローグ!

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