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第五十三話 奴隷と主

「もういいからさっさとついてこい。片づけることはまだあるんだから」


「へーい。あ、ヴィエッタさんこんにちは! なんかお元気になったみたいでやんすね! ひょっとしてご主人に完全に惚れちゃいやした?」


「お、おいっ!?」


 急に訳の分からないことを、俺のシャツの裾を掴んだままのヴィエッタに言い始めるニム。まったく何を言ってんだと、イラっとしていたら、


「えっと……よくわからないけど、私、紋次郎のこと大好きだよ!」


「ふあっ!?」


 急に背後でそんなことを言われて振り返れば、お日様の様に微笑んでいるヴィエッタの顔。なんの躊躇もせずに言い切ったヴィエッタはなんというか、完全に緩んでいるというか、安心しきっているというか……

 これはあれだな……

 好きは好きでも、家族として好きみたいな感じだな。こいつかなりひどい人生で両親も失っているみたいだし、ひょっとしたら俺をそんな肉親と重ねてみているのかもしれないな。

 ふう、あぶないあぶない。危うく『紋次郎大好き! 結婚して!』みたいな告白と勘違いしちゃうところだったぜ。そうだとしてもだ、エロいことしたいってだけで言い寄ろうとかなら、もうその時点でノーサンキュウなんだけどな……

ふう……


「ま、あ、あれだ。俺もお前のこと……嫌いじゃねえよ」


「うん!」


 『花咲く笑み』とか、本当にこういうことなんだろうな。俺はうれしそうな顔をしているヴィエッタの頭を撫でてやった。

 こいつの何の憂いもない嬉しそうな笑顔は見ていて本当に癒されるよ。今回は本当に振り回しちまったし、命も危険に晒しちまったしな、俺は俺でいろいろ応援してやらねえとな。 

 そう考えた時だった。

 なぜか、オーユゥーンやシオンたちがジトッとした目で俺を見ていた。


「なんだよ」


「いえ、お兄さまがなんだかヴィエッタさんに優しくされていて、ちょっとうらやましいな……と」


「はあ? 別にただ労ってただけなんだが! なんでそれでうらやましいとかそういうことになるんだよ」


「これはあれっすよ、ご主人。オーユゥーンさん達もなでなでして欲しいんすよ! というか、抱いて欲しいっす、ワッチもふくめて今すぐに全員!」

 

 ニムが言った途端にオーユゥーンとシオン、マコとバネット、それにヴィエッタまでもが自分の服をたくしあげようとしやがった。


「は、はあっ!? す、するわけねえだろうが! アホ言ってねえでさっさといくぞ!」

 

 そう言った俺の背後から、すいませんね皆さん。別にご主人EDでも男色でも極低年齢愛好家(ヘビーロリコン)でも、熟女専とかでもないんすけどね。ちょっと緊張してるみたいでやすね。寝てる間にみんなで襲っちゃえば、きっと狼に変身しますんでもうちょいお待ちくださいね。とかそんな物騒な話が聞こえてきたので、


「こらこら! 誰が狼だ! 俺は紳士だっつーの! ってかおまえ等全員、頬を染めて期待した目で見てくるんじゃねえよ、このくそビッチどもが!」


 言って放置して再び歩き出したら……

 ご主人ああいってやすけどね、実は一人で処理しまくって勝手に賢者化してるだけでやすからね、根は相当なスケベでやすよ。なにしろ多い時には、一日でじゅ……


「こらこらこらーーーー! お、おおおおお前はいったい何を言おうとしてんだてめー! おまえ等もそんなワクワクした目で見てくるんじゃねえええええ!」 


 そんなこんなでなかなか歩みが進まないままに、俺たちは例のアジトへと辿りついた。



   ×   ×   ×



「おら、約束通りヴィエッタを連れ帰ったぜ」


 そう目の前のまるまると太ったマリアンヌに告げた。すると奴は俺を一瞥しただけですぐにヴィエッタを向き直る。


「ふんっ! 世話をかけてくれたじゃあないか。まあいい。さあヴィエッタ、さっさと帰って仕事だよ」


 そう言ってヴィエッタの腕を掴んだマリアンヌ。だが、ヴィエッタは一歩もその場を動かなかった。

 マリアンヌは何度かその腕を引っ張るもやはりヴィエッタはうごかない。そして次の瞬間、


 ぱぁああんっ!


 辺りに甲高い音が鳴り響いたかと思うと、それはマリアンヌが勢いよくヴィエッタの頬を平手で叩いた音。

 そしてマリアンヌが冷たい視線を向けたままで言った。


「グズグズするんじゃないよ。お前はあたしの持ち物なんだ、あたしの為に必死になって働くんだよ」


 そのときだった。


「いや……です」


「なんだって?」


 再び激しい平手がヴィエッタを襲う。だが、今度はヴィエッタがまっすぐにマリアンヌを見据えていた。


「いやですと言ったんです。私はイヤです。もう毎日男の人の相手をするたけの生活なんて、本当にイヤなんです!」


 そう言った途端に、遠巻きに眺めていたおっさんたち……ヴィエッタファンクラブ、孤狼団のみなさんが一斉に胸を押さえて仰け反った。そりゃそうだよな、あの言い方なら、もう相手するのもイヤですって直接言われたようなものだしな、ヴィエッタが気がついてないだけでなにも間違っちゃいない。

 言葉って本当に暴力。ま、まあ頑張れよ、おっさんたち。

 それを聞いたマリアンヌは、ハンと一度鼻で笑ってから続けた。


「イヤだって? おまえみたいに何もできない小娘が何を言ってるんだい。またあれかい? 冒険者になりたいとか、そんなくだらない妄想しているってことなんだろう? お前みたいな奴が生き残れるわけない、さあ、さっさと働くんだよ! おまえを買った金だってやすくは無かったんだ。さっさと稼いであたしに貢ぐんだよ」


「お金は……お金はぜったいに払います。何年経っても必ず払います。だから、どうか、私を解放してください。冒険者にならせてください。おねがいします」


 ヴィエッタは決意の籠もった目でそういいながら深々と頭を下げた。

 マリアンヌは……  

 今度は手をあげなかった。ただジッとヴィエッタの姿をみおろし続けていた。

 俺はその横顔をずっと見ていたわけだが……一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、マリアンヌの頬が緩んだことに気がついた。

 ったく、このババア。面倒癖えやつだな。


 俺は一歩前に出てマリアンヌへと言った。


「あのなぁ、悪いがヴィエッタの奴隷紋は俺が消しちまってもうねえんだよ。だから本当なら逃げ出しちまっても問題は無かったんだが、まあ、ヴィエッタもあんたの許可だけはもらいたいってわざわざここまで来たんだよ」


 そもそも俺はここに来る気はなかった。ヴィエッタが冒険者になりたいって言ったことについては、俺だって唆した手前責任があるとは思っているから面倒はみてやるつもりだ。でも、わざわざ元の主人の元に来たって問題が増えるばかりで禄なことはないって俺は考えていたんだから。

 でも、ヴィエッタはマリアンヌに会いたいと言った。それならそうしてやるしかねえじゃねえか。


 俺はマリアンヌの様子を窺った。

 今度は眉一つ動かさずに俺を睨んでやがるからまったく心境は読みとれなかった。

 だが、しばらくして奴は口を開いた。


「なら……しかたないね……」


「え?」


 ぽつりとこぼれたその言葉に、理解が追いつかないヴィエッタが勢いよく顔をあげた。

 その顔は困惑一色に彩られているが、それを見ながらマリアンヌは何も言わず見下ろし続ける。

 また暫くの時間が流れ、そして大きなため息を吐いたマリアンヌが言った。


「奴隷紋はもうないんだろう? なら、もうあたしがお前に何も強要できやしないじゃないか。まったくとんだ大損だよ。おまえ……そうお前だよ。そこのひょろっこいお前」


 え、俺?

 そう言ってヴィエッタから俺へと視線を移すマリアンヌ。


「さぁて、約束通りこの落し前を着けてもらおうじゃないか。約束通りに」


 あ、こいつ忘れてたわけじゃねえんだな。


「ったくわかってるよ、そんなことは。でも妙な要求はすんじゃねえぞ。出来る限りの誠意って奴にも限界はあるんだからな」


 この『落し前』って奴は本当に厄介だ。

 詫びと言いつつ、なんでもかんでも要求できると勘違いしている奴があいてだと、それこそ尻の毛までむしり取られて御仕舞だ。それこそ完全な恐喝で、まさにやくざだ。

 この目の前のババアのその口なら厄介だが……まあこいつはな……

 

 マリアンヌが目を細めて言う。


「ふん。ヴィエッタはうちの看板だったんだ。身請けしたいってならそれ相応の金は必要だねえ。そうさね、今すぐに現金(キャッシュ)で『2億ゴールド』。びた一文まける気はないよ」


 と、言いはなった瞬間に周囲の連中はみんなひいっと小さく悲鳴を上げているのだが……

 2億ゴールド寄越せとか、それこそむちゃくちゃだよな、なにも事情を知らなければな。

 でもこのババア……


 本当に優し過ぎだぜ。


 俺は頭を掻きながら答えた。


「ならよ、これからその2億ゴールドを作りに行くからよ。あんたもついてきてくれや」


 その俺の言葉にマリアンヌはニヤリと微笑んだ。

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