第四十九話 結着①
いやまったくひでえ目に遭った。
頭はグラングランして目は回るし、体中打ち身だらけで痛い上に、あの強烈にくっさい胃酸と消化物の混合液に全身ヒタヒタになって、ねちょねちょしてめちゃくちゃ気持ち悪いところに、ヴィエッタの奴がずっとわんわん泣きわめいて煩いわ、身体を締上げきて苦しいわで、もう本当に勘弁して欲しかった。
「紋次郎……私死んじゃうと思ってたのに、なんで生きてるの?」
隣でべったべたのヴィエッタがそんな訳の分からないことを聞いてきた。
「はあ? そんなのお前がこれを倒したからに決まってんだろうが。バカ言ってんじゃねえよ」
「倒した……えーと、私が? なに、を? ……っひぃ!」
俺の言葉を受けて呆然としたまま徐に振り返ったヴィエッタの眼前には、動かなくなったあの超巨大なキングの頭。それを見て小さく悲鳴を上げてやがるが、まったく世話の焼けるやつだぜ。
「旦那!」
急に声がして、そっちを見ればシシンが駆け寄ってきているところ。そしてそれと時を同じくして、空の上の方からも声が聞こえてきた。
「ば、ばかな……こ、こんなことが……あ、ありえない。ありえるわけがない。人間ごときにこの『破壊を司る光の御子』が滅ぼされるなど……あり得るわけがないんだ」
わなわなと震える声でそう語るのは、空に浮いているべリトルさん。
俺はヴィエッタの腕を掴んだままで急いでシシンの元に向かい、そして奴へと声をかける。
「わりぃな迎えに来てくれて。この金獣はデカすぎでな、首が落ちる場所によっちゃあ、何百メートルも離れててもおかしくなかったからすぐに会えたのは良かったぜ」
「あ、あのなぁ。だ、大丈夫なのか……よ? 旦那もヴィエッタちゃんも」
「んあ? 大丈夫に決まってんだろうが」
「いや、決まっちゃいねえと思うがな。だって、旦那、こいつに食われたんだぞ? っとそうだ。こいつだ。こいつは今どうなってやがんだ? 眠っているのか? ヘカトンケイルみたいに」
「まあ、話せばいろいろあるわけだが、とりあえずこいつは完全に死んでる。ヴィエッタがきちんと殺してくれたからな」
「ええっ!? えっと……わ、私なにもしてないよ? 何も……、ねえ紋次郎? 私、なにしたの?」
「はあっ!? だってお前、俺の言った通りにやったじゃねえか、『えいやっ』って」
「やったよ? やったけど、あれでなんで倒せるの? 私、ただ長い『ハリ』みたいなのを突き刺しただけだよ」
「ハリ? だ、旦那、いったい何をやったんだよ」
「ええい、うるせいなてめえら。こっちは一仕事終えて休んでんだからデカい声をだすんじゃねえよ」
『いや、そういうわけにはいかぬ。きちんと聞かせてもらおうか』
そう言って、俺へと迫ったのはあのターバン男のべリトルだった。
奴は俺から微妙に距離をとった位置で静止し、こちらへと視線をむけてきていた。
この野郎、俺の魔法の有効範囲を把握しやがったな? 俺の魔法の効果範囲外のちょうど良いギリギリの位置でこちらを見下ろしてきてやがる。
その顔はまさに蒼白な感じなんだが、まあ無理はあるまい。この金獣が『殺される』なんて夢にも思わなかったんだろうしな。
俺は周りを見回して、少し離れたところにオーユゥーン達がいることも確認した。
どうやらこいつの落下に巻き込まれたみたいだが、逃げることは出来たようだ。本当にこの世界の連中は身体が頑丈だよ。とはいえ、被害ゼロってわけではないだろうが。
「あのなぁ、なら教えてやるけど、別にこれと言って難しいことをしたわけじゃあないぜ」
そう言ってから俺はさっき『作ったばかり』の鉱石を結着しただけの細長い30cmくらいの『はり』をズボンのポケットから取り出して見せた。
「こいつをこの金獣の血管に突き刺して、その中身を流し込んだだけだよ。こいつの皮膚はどんなにしたって破れやしなさそうだったからな。思い切ってヴィエッタごと『鎧化』の魔法の鎧というか殻に閉じこもってあいつに食われてみたんだが、思った以上に中が血の池地獄でタプタプで危うく溺死するところだったぜ」
昔読んだ『ピノキオ』の話のなかで、海でクジラに飲み込まれたときの、その腹の中のストーリーを思い出した。あのお話じゃあ、クジラの腹の中で船で浮かんで生活して、釣りしてたっけか?
実際はそんなメルヘンな風景とは真逆で、ヘカトンケイルどもの咀嚼後のバラバラの変死体が浮かぶ粘々した真っ赤な地獄の池だったわけだが……毒ガス塗れの空気だから息もできなかったし。まあ、それも土魔法で酸素を顔の周りに供給し続けたから多少はなんとかなったのだけれども。
『鎧化』のおかげで多少は保つことが分かったから、あとは俺の『記憶』を頼りに、金獣の胃袋付近の動脈に近づいて、渾身の『石化』&『砂化』を駆使してなんとか壁に穴を空けて、そこにあったぶっとい血管にこのハリを突き刺したというわけだ……ヴィエッタが。
うん、だって当たり前だ。
俺は片方の手でずっとヴィエッタ(の胸)からマナを吸い続けなくてはならないし、もう片方の手で魔法や呪法を操作し続けなくてならなかったし。
魔法に関しての豆知識になるが、魔法は身体全体で発動は可能ではあるが、微細に操作するためには身体の末梢部分の方がより高度なコントロールが可能となる。これは所謂集中力の問題だと思うのだが、身体を廻るマナをある一か所に集め放出するには意識を集中しやすい指先などが特に良いとされている……と、あの魔法の本に書いてあった。
杖や剣を媒介に魔法をつかうってのも、要は意識を集中しやすいからだろうしな。もっともそんな道具が内包しているマナも使おうって魂胆もあるのだろうけど。
いずれにしても、俺のもう片方の腕は同時展開の様々な魔法の行使のために塞がることは目に見えていたのだ。
だからこそのヴィエッタ。
マナの供給源にして、俺の手の代わり。ということで、『金獣スレイヤー』の称号もくれてやった感じだな。もともとそんな称号俺はいらないけども。
俺はその手にしたハリの先を剣で叩いて砕いた。
すると、そこからトローッと透明な液体が漏れ出す。。
「このハリにな、このワクチンを仕込んだんだよ」
「わ、わく……ちん……だと?」
理解できないと言った身体で俺を見つめるべリトルに俺は逆に質問した。
「無限に増殖し続け、細胞としても殆ど死ぬことのないγ変異種幹細胞の生物が、なんでヘカトンケイルとかこの金獣の姿を保っていられるのか、不思議に思わなかったか?」
「な、なんの……いったいなんのことだ?」
金獣はともかくとして、ヘカトンケイルみたいな『なりそこない』は急激な細胞分裂の過程で進化の遺伝情報が欠損したり、分裂に失敗したりした結果の姿なので一概には言えないのだが、少なくともこいつらにはある特殊な『ホルモン』が関係している。
「『細胞自壊ホルモン』が働いてるんだよ」
「…………」
もはや言葉もないべリトルへと俺はつづけた。
「こいつらは取り込んだ生命体と自分たちの細胞を『同化・吸収・変化』させつつ、その個体の生物としての情報を残したままに凶悪な怪獣へと進化する性質があるんだが、実は常に細胞分裂と細胞自壊を繰り返しているんだよ。
そうすることで、身体をある理想の大きさに保ち続かせようとしているわけだけど、その増殖能力の高さの所為で並みの攻撃じゃあ刃が立たなかったわけだな。でもな、人類だってばかじゃあない。
その『細胞自壊ホルモン』の働きを逆手にとって、ある『ワクチン』を作ったんだよ。それがこれ、『γセル・デストロイヤー』だ」




