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第三十二話 狭間の城の主①

「なんだここは?」


 思わずそんな声が出てしまった。

 いや、それは仕方がない事だろう。だって、俺は唐突にこの真っ白い世界に立ちいってしまったのだから。

 つい今の今、俺は身動き一つできないままで、巨大なヘカトンケイルの足によって踏みつぶされる寸前の状況だったはずだ。

 そうだというのに、ここにはそのヘカトンケイルはおろか、さっきまでの荒野もヴィエッタやオーユゥーン達の姿もない、何もないのだ。そして俺はきっちり立っていて、両手両足もあってしっかり動くし、痛みも全くなかった。

 

 周りを見渡せば一面の白い平原でしかなく、上の方に青い空が広がっていなければ本当に上下すら分からない真っ白なその空間に俺はいた。


 まあ、普通に考えれば、ヘカトンケイルに踏みつぶされて死んであの世に来たとかってとこなんだろうが、さて……


「こちらへお進みください」


 どこからともなく透き通るように穏やかな声音の女性の声が響く。確か以前誰かに、臨死体験中に呼ばれてその先に進むと、本当に死んでしまうから、呼ばれたら反対の方へ逃げろとかそんな益体もない話を聞いたことがあったけど、まさに今はそれなのかもな。


 ま、どうでもいいんだが。


 俺は構わずに声のする方へと身体を向けて真っすぐに歩んだ。ここに目当てになりそうなものは何一つないのだからこうする他はない。

 そうして暫く進むと景色に変化が生じた。先ほどまで周囲360度、全く何もなかったはずのその白い空間に、かなり大きな、それこそ街と言っても差し支えないような石壁に覆われたたくさんの家々と、その中心に高く聳える4本の塔を備えた大きな城の姿が目に飛び込んできた。

 これは差し詰め閻魔大王の城といったところか?

 そんなことを考えつつ、巨大な外壁の門をくぐってその街の中心へ中心へと歩を進める。

 周囲の家々からは煙があがり、香ばしい食べ物の匂いがたちこめ、通り沿いの店にはみずみずしい果実や、焼き立てのパンなどが並べられてまさに商店街と言った趣を醸している。

 だが、そこには誰一人存在していなかった。

 生活感はあるのに、誰もいないその街をただひたすらまっすぐに歩く。そのまま大きな城の前まで辿り着くと、そこの石畳の上には一人の背の高い女性が立っていた。

 彼女が纏うその紺色の着物のような何重にも重ねたような衣服は、艶やかだが落ち着きがあった。白く透き通るキメの細かい素肌と大きな瞳、伸ばせば長いのであろう銀に近い金髪を頭頂部で髪飾りで装飾しつつ結わえた髪型は非常に美しく、口許に薄く微笑みを浮かべたその様は、絶世の美女という表現がしっくりくる、まさに美の化身とででも評することが相応しい程の存在であった。

 いや、この世という表現は相応しくないかもしれない。少なくとも俺はここを現実とは認識していないのだから。


「お前は誰だよ」


 とにかく現状把握のひとつもできてはいないのだから、ここのホストなのであろう目の前の存在に聞いてみることにしたわけだが、担当直入にすぎたかもしれない。

 

「こんなところで立ち話もなんでしょう……どうぞこちらへ」


 美女は優美に手を動かして俺を建物内へと誘う。

 そして先導するようにゆっくりと先に歩いて行った。


 俺は素直にそれに追従した。

 どうせここがどこだか分かりはしないんだ。なら進んだ方が話は早い。


 城の中は黒っぽい石畳がまっすぐに続いていた。そしてその通路のところどころに、木製の大きな引戸がしつらえられてあって、その中は覗いしれないがどれも広そうな部屋に思えた。

 暫く進むと、片側の壁の全てが無くなり、青空を覗かせた、芝の敷き詰められた中庭が現れた。そこは結構な広さがあって、巨石と落葉樹、それとかなり大きめの池があり、遠目に見る限りでは、風景画の山麓と湖を眺めているかのような錯覚を覚え見入ってしまった。心癒される景色だ。

 それをついうっとりと眺めてしまっていたのだが、例の美女はさっさと先を歩いて、突き当りの廊下を左へと折れるところ。

 俺は慌ててそれを追いかけて角を曲がってみれば、そこには上がり框と、更に襖の先に何十畳あるのだろうか、一面畳を敷き詰められた大きな部屋が広がっていて、対面の壁には飾り棚や、壺や掛け軸なんかの調度品が見えた。

 はっきり言って、このだだっ広い空間はマジで落ち着かない。

 何もなさ過ぎてめっちゃ不安になるしな……というかこの広さ、掃除するだけでいったい何時間かかるんだって話だ。広くたってろくなことはねえよ、四畳半で十分だ四畳半で。


「立っておられないで、どうぞこちらへお座りください」


 そう声がして見渡して見れば、その部屋の丁度中央辺りに座布団を敷いて正座しているさっきの美女の姿が。


 彼女の前には彼女が座っているのと同じ、いかにも高級そうな座布団が一枚敷かれていた。

 俺はそこまでつかつかと歩み寄って、その座布団にどっかと胡坐を組んで座った。正座が出来ないわけじゃないんだが、まああれは足が痺れちゃうから。


「悪いけど、俺は正座しないぞ」


 美女はクスリと微笑んでから口を開いた。


「どうぞご自由になさってくださいませ。ここにあなたをお招きしたのは私なのですから」


 そういうと彼女は傍らに置いてあった茶器を取り出して、そして何やらミキシングを始めた。

 どうも抹茶を()てているようだが、本気で抹茶の作法なんか俺は知らない。

 そっと差し出されたその抹茶を、俺はなんとなくぺこりとお辞儀してからくいと飲んでみた。

 思ったより苦くなく、むしろ甘い感じがしたのだが、まあ気のせいだろうな。茶が甘いはずがないし。

 

「不思議なお方ですこと。ここに来られてこんなにも平常でおられたのはあなたが初めてですわ」


 まったく無遠慮に振る舞っていた俺を、彼女は可笑しそうに笑いながらそう言った。てめえがご自由にと言ったんだろうがと内心で憤った。

 そんなことを考えていた俺の顔を見てどう思ったのか知らないが、彼女はその優し気な眼差しを俺へと向けて口を開いた。


「『私が誰か?』でしたね。ではまずは自己紹介をさせていただきましょう、紋次郎様」


 俺の名前を何で知っているのかも後で教えてくれるのかね……

 彼女は三つ指をついてそっとお辞儀をしながら話した。


「私の名前は【ノルヴァニア】。『土の女神』にございます」


 おーい青じじい! ここに神様いたぞー!

 と、心の中であのトチ狂ったクソじじいに知らせてやってみたり。

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