第三十一話 亡者の剣②
「封印は完璧であったはずだぁ! 何故だ、何故……!」
剣から吹き上がる様に現れたその炎の様な赤い霧は、まるで人の顔が浮かび上がるかのように揺らめきながら、それは一気に膨れ上がり、女性や男性や子供や、そんな様子のたくさんの炎達が、口を開いて噛みつくかのように一斉に青じじいへと襲い掛かった。
響くのはけたたましい絶叫の嵐。
青じじいの苦悶の叫びだけがそこに木霊し、そのまま地に伏したその身体を、ただひたすらに炎のような赤い霧が蹂躙しつくしていた。
それを俺達は呆然と眺め続けていた。
「な、なんなんだ、ありゃ?」
「さ、さあ? ですわ」
マジで何が何やらまったくわからん。
ヴィエッタを持ち上げたかと思ったらそのまま俺に向かって放ったじじい。そして、なんだか良く分からんが、クルクル宙で回っていたあの赤い剣……あれ、たぶん俺がフィアンナから預かった『なんたらの剣』ってやつだろう、二ムの奴が勝手に渡したっぽいが、それがちょこっとじじいに掠ったと思ったら、あの赤い霧事件だ。人の顔みたいなのがいっぱい出てきてマジで気持ち悪いのだけど、あれに襲われてじじい倒れて、はい終了。
いったいなんなんだよ、これは。一人ノリツッコミならぬ、一人ノリ断末魔とか、なにこの茶番劇?
まあ、何もしないでいいなら、本気で面倒が無くていいのだけれど……うーむ。
「それよりもお兄様! ヴィエッタさんを」
「お、おお……そうだった」
言われて慌てて抱きしめていたヴィエッタへと視線を戻すと俺が着せた皮のジャケットの襟越しに首を絞められていたようで、そこが真っ赤に変色していたが、それ以外はこれといった傷やケガもなさそうだ。
俺はヴィエッタの首を持ち上げながらその頬を軽く何度か叩いた。
「おい! おい! 大丈夫かよ、しっかりしやがれ」
「う……ん……」
何度か叩くとぴくぴくと眉が動いて微かに反応が返ってきた。それにホッとしながら、少し様子を見ていると彼女は薄くその眼を開いた。
「ん……、ん? え……も、紋次郎? あれ……、わ、わたし……」
俺と目が合って一気に顔を紅潮させたヴィエッタ。
どうもまだ状況が飲み込めてないようだが、まあ、意識がないところを無遠慮に抱いているのはやはりまずかったか。でもしかたねえんだよ、あのくそじじいが俺に向かって投げた上に、貧弱な俺じゃあいくら小柄だとはいえヴィエッタをひょいひょい担いだりは出来ねえからな、まあ、乗っかかってきたのはお前なんだからもうしばらく我慢しやがれ。
「まったく無茶しやがって」
「え? あ……ご、ごめんなさい」
いきなり俺にむかって謝るヴィエッタ。こいつはすぐに謝りやがる。謝り癖ついてんじゃねえか?
「あのなぁ、お前年中そうやって謝るけど、それ逆にムカつくからもうやめろよ」
「あ、ご、ごめんなさい……あ」
「ふぅー」
しおしおと項垂れるヴィエッタは何も話さないままで俺の服をぎゅっと握る。まあ、こいつもいろいろあったんだろうしな、とりあえず今は優しくしてやった方がいいか。
そう思った俺はヴィエッタの頭をくしゃっと撫でた。
それが嫌だったのか、ぎゅっと目を瞑った後でヴィエッタはそっと俺を見上げてきた。
だから俺は言ってやった。ここまで頑張ったヴィエッタに。
「怖かったろうによくやったなヴィエッタ。お前が抵抗してあのクソじじいを倒したんだ。マジでたいしたもんだよ」
「え? わ、私が」
きょとんとしたまま俺を見るヴィエッタに、顎をくいとしゃくって見せると彼女もその方向へと視線を向ける。そこには赤い炎の様な霧に包まれたままの、動かなくなったあのじじいの姿が。
ヴィエッタはその光景を震えながら見ていた。
「ああ、お前が倒したんだよ。まあ、どうやったのかは分からんけど、すげえと思うよ……マジで……その、これなら冒険者にもなれんだろうよ」
「ほ、本当……に?」
まだ震えているが、少しだけ大きく見開かれたその瞳はキラキラと輝いているようにも見える。
人に殺されそうになるのも、人を殺すのは初めてなんだろうし、確かに怖いのだろうけどな、でもこの弱肉強食っぽい世界で生き残るには、『殺られる前に殺る』くらいの気概は確かに必要なんだ。少なくとも冒険者には。
事実、俺だって自分を守るために色々な手段を使ってんだ。俺が冒険者として教えられることといやあ、まさにこのことくらいで、最後まで諦めなかったヴィエッタには冒険者として必要な最低限のそれが確かにあると感じたわけだ。
今なら俺はこいつに断言できる。
「ああ……お前は冒険者になれるよ。まだ弱っちいかもしれないが、そんなの誰だって最初は一緒だ。むしろ弱いのは俺の方だしな。だからもっと自信持てよ、な?」
「わ、私が……冒険者……私が冒険者になれる……うぅ……ひぐぅっ……うぇっく……っく……」
「お、おい……泣くんじゃねえよ、そんなことくらいで……」
首をぶんぶん横に振りながらでも、俺の腹の上でヴィエッタは止まらなくなった嗚咽と涙を必死に拭う。何かをしゃべろうとしているようだが、どうしようもないようでずっとただただ泣き続けていた。
そんな彼女に横からオーユゥーンがハンカチを差し出してその顔をそっと拭いてやっている。
そしてチラリと俺を見ながら、
「この女たらし」
「んなっ!? はぁ? 何を言ってんだお前は?」
何やら俺を刺すような視線でそう言ってくるオーユゥーンだが、それ以上何も言わずに再びヴィエッタへとその顔を向けた。
この野郎、言うに事欠いてなんてこと言いやがるんだ、名誉棄損甚だしい。そもそも俺はそんな軟弱な『女たらし』なんて称号だけは絶対欲しくないんだよ。そう思ってオーユゥーンへと食ってかかろうとした時だった。
「あぶねえっ!」
「え?」「ふぇ?」
俺は抱えていたヴィエッタごとオーユゥーンを思い切り突き飛ばした。
その先が少し坂になっていたのが幸いした。
非力な俺のその押した勢いのままに坂を転がり落ちる二人、それを見た瞬間、俺は猛烈な勢いで跳ね飛ばされた。
「ぐあっ!」
腹の内の全ての空気を押し出されるような感覚の次に味わったのは全身を打ち付ける強烈な痛み。
そう俺はすさまじい勢いで跳ね飛ばされて、そして転がっていた。
とりあえず必死に頭を守って受け身の姿勢を取ったが、ぐるんぐるん回転させられた挙句全身が痛すぎてもう耐えられない。とりあえず目を必死に開けてみたのだが、そこは真っ赤に滲んだ世界……どうやら頭の一部を切ったようで目に血でもはいったのだろう、その霞んだ先には俺の予想通りの光景があった。
一体の巨大なヘカトンケイルが俺に向かってそのたくさんの腕を伸ばそうとしていた。いや、すでにそのうちの一本によって俺は吹き飛ばされたわけだから、ただ伸ばそうってわけではないだろう。完全に俺を殺しにかかってやがる感じだ。
「く、くそがっ!」
俺はとりあえず四肢が動くか確認しようとしたのだが、呼吸は出来て首も回せるが、それ以外の殆ど全身の感覚がない。これは最悪手足の何処かが欠損しているのも覚悟する必要がありそうだが、となれば完全なミノムシ状態か……くそったれ……
その時、あのむかつく笑い声が聞こえてきた。
「くはははは……この神に弓引く背教者っ‼ 神の鉄槌をその身に受けて滅ぶが良い! ふははははははははああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ」
哄笑はそして悲鳴へと変わる。
ぼろぼろの青いローブのまま立ち上がっていた、あの青じじいは全身の肉がボロボロに砕けるように崩れ落ちながら絶叫を上げ続けた。
そして、いよいよ朽ちるかと思ったその刹那、俺へと迫っていたヘカトンケイルの足の一本が激しい勢いでじじいを一気に踏み潰した。
それは凄まじい衝撃となって辺りに爆風をまき散らし、そしてじじいの最後の叫びを消滅させる。
哀れというかなんというか……自分が生み出したであろうその存在に最後は踏みつぶされて御仕舞か。いつの時代も怪物を生み出した親は、フランケンシュタイン宜しく怪物によって朽ちるのが定番なんだな。
マジでくそったれすぎる。
転がったまま見上げた俺は、無数の巨大なヘカトンケイルの目と目が合った。その瞳は真っすぐに俺を射抜き、そして確実に殺そうと迫ってきている。
そして……
先ほど青じじいがそうされたように、また別の巨大な足が俺へと踏み下ろされようとしていた。
それを見ながら俺は……
ヴィエッタの悲鳴を聞いたような気がしていた。




