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第二十九話 冒険者(ヴィエッタside)

 ――何がおきてしまったのだろう……



「ヴィエッタちゃん!」



 ――私はいったい何をしているんだろう……



「シャロンとヴィエッタを放しやがれっ‼ 『(ごく)(えん)()(しょう)(げき)』‼」



 ――どうして私は……



「ふははははは……神の奇跡を見るがいい‼」



 ――まだ生きて……



「…………」



 ――紋次郎……



 ――私……



 ――私は……



 ――まだ……



   ×   ×   ×



 真っ暗だった。

 ずっと……ずっと真っ暗だった。

 ううん、目隠しをされてからじゃない。もっと前、そうずっと前から私は真っ暗闇の中にいたんだ。


 あの時……お父さんとお母さんが死んでしまってからずっと……

 私は真っ暗闇の悪夢の中に居続けた。

 私はいつも逃げていた。必死に走って逃げ続けた。でも……どれだけ逃げても、どれだけ頑張っても、ずっとずっとずっとずうっと悪魔は追い続けてきた。

 どれだけ懇願しても、どれだけ泣いても、悪魔は許してはくれなかった。

 私を襲い、私を食べ、私を踏みつぶしていく……そんな日々が永遠と続いたんだ。

 本当に……本当に悪夢だった。

 その夢の中には決して助けは現れなかったから。

 優しかったお父さんも、お母さんも決してその私の悪夢の中に助けには来てくれなかった。


 だから私は静かにお祈りした。

 誰にも聞こえないように、誰にも知られないように……

 いつか……いつか、きっとお父さんとお母さんと会わせて欲しいと、いつかきっと昔の様にお父さんとお母さんと暮らしたいと。

 だから祈った。祈り続けた。 

 どんなに怖くても悲しくても辛くても、あの温かかった頃を忘れたくなかったから……

 そう……私はずっと祈り続けたんだ……

 『神様』に……


 でも……

 そんな神様も私のことが嫌いだということを知ってしまった。


 あるとき夢うつつの中で、神官のような衣装の人にのしかかれながら、その人が言ったのだ。


『救いを求める哀れな仔羊よ……神は不浄なる貴女のような存在を決してお許しにはなられない。なればこそ、清廉に仕事に励む男性の性衝動を癒すべく、懸命に努めるのです』と……


 私は穢れた存在。醜くて卑しくて下賤な汚い娼婦。

 神様はそんな私を裁かなくてはならないのだという。


 だからだったんだ……と思った。


 私は毎日お祈りをしていた。でも私はとうの昔に神様に嫌われていたから、お願いを聞いてもらえなかったんだ……お祈りは無駄だったんだ……と。

 

 悲しかった。それを知った時すごく悲しくて、この世界でもう私は誰にも縋ることはできないんだと思ったとき、本当に絶望してしまったんだ。

 

 そんなある日のことだった。

 いつものように悪魔に跨られていた私は不思議な『子達』を見た。

 

 空に漂って無邪気に笑う可愛らしい存在。

 時には追いかけっこをして、時にはかくれんぼをして、時には踊りを踊っていた。

 そんな彼らは時折私に近づいてはくすくす笑った。

 私もそれに微笑み返すと、みんなはもっと笑った。

 それが精霊だと知るのはもっとずっと後のことだけど、私はそんな彼らに元気をもらって悲しくても辛くてもいつでも笑うことができるようになったんだ。

 その子たちはいろんなところにいた。天井裏から顔を覗かせていたり、ドアの隙間から出てきたり、床の上を歩いていたり。時には悪魔の上にも乗っていた。

 羨ましかった。

 自由に空を飛んで、自由に歌を歌って、自由に楽しんで……

 そんな彼らが本当に羨ましかった。

 決して私は彼らの様になれないと分かっていたから……


 私はずっと悪魔と精霊に囲まれて生きてきた。

 そこに人はいなかった。

 いつも私は一人ぼっちで……やっぱり寂しくて……

 でもマリアンヌさんの奴隷になってからは違った。人は私一人ではなかったし、悪魔だと思っていたそれらも実は普通の人だったんだって気が付けたから。

 ただ、その時はっきりわかってしまったのが、私が奴隷娼婦であるということ。

 生きるために男の人を悦ばせなくてはならなくて、そしてマリアンヌさんの為に尽くさなければならないということを。

 私はそれでいいと思った。私には何も選べないし、決めることもできない。ただ、言われるままに従ってそうやって生き続けていくだけでいい……と。

 でも、繰り返される日々は私に『夢』を見させようとした。

 絶対にそれは叶わないのだと自分で理解してしまっているにも関わらず、私はその叶わない夢を追おうと思ってしまった。それが奴隷娼婦としての自分の先行きにはない未来だと知っていたからこそ、夢を想って苦しんで泣いたんだ。

 そうやって月日が流れて……


 そして今日……


 彼に出会った。


 不思議な人……紋次郎……。


 私を一人の人間として見て、扱って、そして私を頼ってくれた人。

 紋次郎と一緒にいて、私はいろいろな気持ちを知った。嬉しい、楽しい、気持ちいい。そして、苦しい、切ない、寂しい。

 まだ、ほんの少しの時しか私は彼と共有していない。でも、このほんの少しの時間の中で彼は私にたくさんの物をくれた。

 それが私の今まで生きてきた中で感じたどんな物よりも、温かで安らかで……まるであのお父さんやお母さん達と一緒に居たときのような……そう思った時、私は素直に『失いたくない』と……そう思ったんだ。


 だから私は紋次郎に『嘘』をついた。


 彼に並んで座って、彼の体温を感じていた私は、ずっとそうしていたかったから。そう……それは『夢』……紛れもない、娼婦である私が求めてはならなかった具体的な夢の形そのもの。

 だから私は彼に言ったんだ。

 『冒険者になりたい』……と。

 ううん。それはまるっきりの嘘というわけでもない。実際に私はそうなったらどんなに素敵だろうと夢想したこともあったし、そうなりたいと他の人にも話したこともあったし。

 でも、それが私の『夢』の全部じゃなかった。

 私は私の好きな人の隣にいたかった。私の『本当の夢』は……それ。

 私が大好きだったお父さんとお母さんはもう死んでしまったから、だから、私は同じような温かさをくれる存在をずっと求めていたのかもしれない。

 彼はお父さんたちの身代わり……そんな風に私は身勝手に思っているだけなのかもしれない。でも……

 それでも私は彼と一緒に居たかった。


 お前が決めろ!


 そう言ってくれた彼が凄く怖かった。

 自分勝手でわがままで、神様にだって捨てられてしまった生きている価値なんて全然ない奴隷娼婦のこの私に彼が突き付けたその言葉。

 夢はあった。望みもあった。

 でもそれは決してかなわないもの……かなってはいけないもの……

 そうだったのに……


 紋次郎……


 紋次郎……


 私は……


 貴方と……


 その時、年配の男性の声が耳に届いた。


「何をあなたがたはこのような穢れた女にこだわるのですかな? この娘は確かに見目麗しいでしょうが、所詮は人を惑わすただの売女。そんな害でしかない者を救おうとしているその様は滑稽そのものですよ」


「くっ……このクソじじいがっ!」


 朱色の服で棒を持った背の高い男の人が近くで叫んでいた。

 ギリギリと締上げられる私の腕。

 唐突に耳元でそう聞こえたその声の主は、遠慮なく掴んでいる私の服の襟首をきつく握り込んだ。あまりに圧迫されて呼吸がほとんどできない。このままでは死んでしまうかも……

 その通りなんだろうと思う。首が締上げられてどんどん苦しくなっていく。この人は私の命を持っていこうとしている……


 このお爺さんの言う通りだ。

 私は穢れた娼婦。こんな私が夢を見たら……憧れを抱いたら……やっぱりだめだったんだ。

 そうなんだ。

 だめだったんだ。

 こんなどうしようもない私のせいで、この人たちや、紋次郎が酷い目に遭ってしまう。私の大切な人が傷ついてしまう。それだけは嫌だったのに、もう誰も失いたくなかったのに、私は……私のせいで大事な人を苦しませたくなんかなかったのに……


 本の少し前……


 あの『二ムさん』という綺麗な女の人が助けに来てくれたあの時、私は目の前で『地獄』を見た。


 今私を掴んでいるこのお爺さんが手を振り上げた時、近くにいた精霊さん達がみんな逃げ惑ったんだ。

 お願い! 逃げて!

 知らず知らずのうちにそう心の内で祈った私の目の前でその惨劇が起こった。


 凄い光と爆発が、次々に精霊さん達を飲み込んでいった。

 大きい子も小さい子も、みんなみんな一気にそれに巻き込まれて、そして、バラバラに砕けていく。

 やめて! もうやめて!

 そう何度も何度も叫んだけど、その光の嵐はたくさんの、本当に沢山の逃げ惑う精霊さん達を飲み込んで、そして飲み込めば飲み込むほどに大きく、強くそれは膨れ上がっていった。

 みんなあんなに必死に逃げようとしているのに、なんで、こんな酷いことを……

 精霊さん達がみんな私を見て、私に救いの手を伸ばしているように思えた。

 そう思えたから、一生懸命に私も手を伸ばした、でも……ただの一人の精霊さんでさえも、その破壊から救ってあげることはできなかったんだ。


 紋次郎……


 うう……


 お爺さんに締め上げられる痛みと苦しみのせいで頭の中は真っ赤に染まっていた。


 痛くて、怖くて、辛くて、泣いて叫びたいのにでも、私のせいで傷つく人達を見ていられなくて、私はその苦しさにぎゅっと目を閉じた。

 

 ああ、もうこのまま……

 

 死のう……


 死んでしまおう……


 私が死ねば、もうみんなは私を助けようなんて考えなくていいし、みんなだってきっとすぐに逃げてくれる。きっと……もうこれ以上酷い目に遭う人はいなくなる。うん、きっと、そう。

 

 紋次郎……


 ごめんね……


 涙が出た。

 涙が溢れる。

 死を受け入れて、心の内で彼に謝ったそのとき、知らず知らずのうちに涙が流れていた。


 これでやっと、楽になれるんだ……


 ああ……


 お父さん……


 お母さん……



―――


―――――――


―――――――――――――――――



   ×   ×   ×




「ヴィエッタてめえっ! 何だそれは! ふざけてんじゃねえよ! くそがっ!」


「!?」


 唐突に彼の声が響いた。

 その声が私の中を満たした。

 そう……感じた。

 でも、苦しいのはそのままだし、頭の中はもう真っ白になっていて……

 それなのに確かに聞こえた……だから、私は目を開ける……


 そして見た。


 そこには確かに彼が居た。


 両腕を開いて、まっすぐに私を見据えて叫んでいた。


 も、紋次郎……?


 苦しくて、もう殆ど目も見えていないはずなのに、そこにいる彼のことだけがはっきりと見えた。そして、その声も、はっきりと届いたんだ。


「ふざけんなヴィエッタ! てめえで冒険者になりてえって言ったのをもう忘れたのかよ! ああっ!? そんなクソじじいに掴まれただけであっさり諦めやがってよ! そんなんで良く冒険者とかぬかしやがったな! 抵抗の一つもしねえで何が冒険者だよ‼ くそがっ!」


 そう叫んでいた。

 どうしてそんなことを言うの? こんなに苦しいのに、こんなに辛いのに……どうして貴方は……どうしてそんなに厳しいことを言うの? どうして……私を怒るの……


「な……なん……で……」


「ん? 娼婦の娘よ……まだ意識があったのか?」


 お爺さんは私を更にきつく締めあげながら高く持ち上げた。

 確かに大柄な人だけど、ここまで力が強いなんて……

 今まで凄く強い……レベルの高い人を見たこともあったけど、そのどんな人よりもこの人は強い様に思えた。


 でも……


 でも……そうだ。


 そうだった……


 私は……まだ、夢の中にいるんだ……


 あの偽りの夢……


 彼に言ってしまった嘘の夢……


 でも、彼が一緒に見てくれている……夢……


 だから……


「だから、まだ私は……諦め……られない……諦めたくない……私はまだ……夢を……!」


「娘……おのれは何を……っ!! お、お前……貴様は……何をその手に握っている!」


「え?」


 お爺さんは私のぎゅっと握った手を見つめていた。

 さっきまでだってお爺さんに向き合うように私は掴まれていた。でも、今は高く抱え上げられたことで丁度私の組んだ手がお爺さんの視線の少し下辺りに来ていた。

 そしてお爺さんは私のそこを驚愕した顔で見つめている。


 そして思い出した。


 つい先程のことを。


 あの怪物の触手から救われたあの時、二ムさんから言われたことを。


『……ヴィエッタさんいいですかい? 自分の身は自分で守るんでやすよ。それができなきゃご主人とは一緒には行けやせんからね』


 え? そんな……


『なぁに大した理由じゃあありません。ただご主人が弱すぎますんで、頑張らないとなんないってだけのことなんでやすけどね』


 で、でも私……戦いなんか……


『大丈夫ですって! 良いですかい? 『最後まで諦めない』! これだけでやすよ。ご主人はあんなに間抜けですけど、あれでかなりストイックな人でしてね。絶対諦めないというか、諦められないというか、とにかく意地でも最後まで頑張っちゃう人なんすよ! だから当然異性も、その手の人がタイプなんす!』


 でも……でも私は本当に何もできなくて……


『そんなのご主人も同じでやんすよ。自覚ない分もっと酷いですしね。だからほら……これですよ……』


 え? こ、これは?


『あー、預かりものなんでやすけどね、まあ、お守りみたいなものです』


 お守り?


『何もないじゃ本当に何もできませんからねぃ。だからこれです。いいですかい? 『最後まで諦めない』! 頑張るんでやすよ』


 そう言って、彼女は私の手にそっとそれを握らせたんだ。

 そして、そのまま私は彼女に守られて……

 目の前でどんどんボロボロになっていくニムさんをただ見ていることしか無くて……

 ただ、ずっと震え続けていたんだ……


 その『お守り』を握り続けたままで……


 そうだ。


 そうなんだ。


 こんなところで終わりたくなんか……ない。死にたくなんかない。


 私……


 私はまだ、何も手に入れてなんかいない。


 まだ何もしていないんだ。


 だから、だから今、私は……


 変わるんだ! 変わらなくちゃいけないんだ!


 もっと強く、しつこく、絶対あきらめないんだ。諦めない……『冒険者』になるんだ!


 この人に殺されたくなんかない!


 私は……


 負けないっ!


 その時、手にした『それ』が熱くなった気がした。


「ば、ばかなっ! な、なぜそれが! 『亡者の剣』が、なぜここにぃ! ま、魔力が‼ 私の魔力がぁぁ――」


「――――――――――――――――っ‼」


 この目の前の、私を殺そうとしている存在へと、私はそれを無我夢中で振り下ろした。

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