第二十八話 ヘカトンケイルと神の供物
「こ、これはなんですの?」
ガタガタに崩れた地面の上に立って声を詰まらせているのはオーユゥーン。いや、オーユゥーンだけではない。シオンもマコもバネットも……ゴンゴウやヨザクでさえも驚愕に目を見開いてただそれらを見上げていた。
そこに蠢くのはまさに異形の巨人。
無数の腕と足と頭と触手。もはや原型が人であるのか獣であるのかも判然としないそれは一見すると無数の巨大な人をこねくり合わせただけの形状の様にも見える。
しかし、そんな物が動くことができるわけもなく、何よりその異様に長い沢山の手足がまるでムカデの様に交互に繰り出されながら進もうとしているのだ。
身の丈はどれくらいか、まるで小山くらいはありそうなその体躯は折り曲げられていて良く分からないが、少なくとも40~50mくらいはありそうだ。
「これは伝説に謂われる『ヒュドラ』か……?」
ゴンゴウがポソリとそう零すのを俺は正した。
「んなわけねえだろうが。あれは『出来損ない』だ。敢えて言うなら『ヘカトンケイル』だろう」
「へ、ヘカトンケイル? あの『創世神話』に出てくる最強の『醜き巨人の神』のことか? も、紋次郎殿はあれを『神』だとでもいうつもりなのか」
驚愕したままで俺に問いかけてくるゴンゴウに俺は即答した。
「俺も『創世神話』は読んだよ。まあ、同じかどうかは別にしても少なくともあそこのじじいは神様だと思ってるみたいだぞ」
「な、なんということ……」
巨大なその怪物達を見上げるようにしてその青い衣のじじいは高らかに笑い続けていた。
くそっ! まったく胸糞悪いぜ。
創世神話というのはこの世界に伝わっている、言わば『天地開闢』の物語のことである。所謂世界中どこにでもありそうな『国産み』、『神産み』の神話のことだが、大半は思想誘導にも近い英雄譚のようなものである。
まあ、地球のギリシャ神話とかに近いのだが、そこに出てくる強烈なインパクトを誇る怪物がまさにいま俺が口にした『醜き神』達だ。
この神の兄弟達は大神の血を受け継いで生れ落ちた巨人達であったが、あまりの醜さに天界を追放され、冥府へと捨てられてしまったのである。その身体は幾百幾千の手足と数多の顔を持ち、あまりに醜悪に過ぎたがために全ての生物から疎まれ蔑まされ、誰の愛を得ることも叶わなかった。悲嘆にくれ死を望み、兄弟で殺し合いなお不滅の神であるがために死ぬことも出来ず、ただ絶望を募らせ生き続けた。
だが、ある日、父である大神が敵の襲撃により窮地に立たされたその時、彼ら兄弟は一致団結してその仇敵を討ち滅ぼしたのである。醜いとはいえ彼らは大神の子、そして父をも上回る神秘をその身に宿していた。
何一つ傷も受けぬ間に忽ちの内に敵を殺戮したヘカトンケイル達に父神は恐怖し、そして祝いの席で毒を盛り全てのヘカトンケイルを殺そうとした。だが……無敵の巨神に死は訪れることはなく、ただ父の愛を最後まで得ることが適わなかった悲しみを胸に今度は自分達から天界を去る。
そして全ての絶望を胸に、全てを焼き尽くす『プロミネアスの終末の炎』にその身を投じ死んだとも、生きながら永遠の業火に焼かれ続けられているとも云い伝えられている。
これがこの世界における最も強く最も醜悪な神達の伝承である。
ちなみに、この世界で今流行っている『神教』という宗教の御神体の神は、どうもこの神話の大神の事らしく、諸説あるのだが、大神以外の他の神々はその多大な罪により大神に裁かれ、全て滅ぼされたということになっていて、『そんな堕落したかつての神々に変わり大いなる神がお遣わしになられたのが、『人』と名の付くそれぞれの種族であり、こうして人は神の子となった』(神教黙示録第2節人の誕生より)とされているのだ。
まあ、どこをどうしたら、神々の代わりに人が誕生するのか甚だ疑問ではあるのだけど、宗教とはそういうものなのだろうと納得するほかはない。
つまり、あのちょっと高いところでふんぞり返りながら哄笑しているじじいは、見た目の通り神教の、それもかなり重度の狂信者で、罪を犯した人をかつての神宜しく、その悉くを滅ぼそうとか思っているのだろう……確か神教の中では大神を守ろうとした醜き神達を、正式な神の子として崇める風潮もあると聞いたことがあるし、ひょっとしたらあの怪物は本当にその神話のヘカトンケイルそのものなのかもしれない。
いずれにせよだ。
迷惑極まりない話しなんだよ! ちくしょうめ!
見上げれば、クロンとヴィエッタが触手に締め上げられ苦しそうに悶えている。
一番手前のそのヘカトンケイル……一番デカい奴なんだが、そいつはたくさんの顔を四方八方に向けて、発音不可能な不快な声を漏らし続けていた。どこを見ているのかはよく分からないのだが、確実に捉えた二人のことは意識しているらしく、近くの腕や触手をさらに伸ばして彼女達に襲い掛かろうとしていた。
「ちぃっ! くそったれがこの化け物がっ! 食らいやがれっ!」
シシンが駆けだしながらそう叫ぶ。そして手にした深紅の長い棒を高速で回転させながら飛び上がった。
「『昇天紅蓮撃』ッ‼」
そう叫ぶと同時に奴の腕とその棒が真っ赤な火炎に包まれる。そして高速で回転していたその得物の炎がまるで竜巻の様に巨大になったかと思ったその瞬間、クロンたちを拘束していた触手が炭化、霧散した。
「ちぃっ、浅かったか……」
そう小さく呟くシシンだが、技が終わると同時に襲い掛かってくる触手を次々に棒で蹴散らして、そして焼け焦げた触手に掴まったままだったクロンの胴体へとその強烈な一線を繰り出す。そして零れ落ちるように落下した彼女を抱きとめてそのまま一気に離脱した。
「ゴンゴウ! ヨザク! 頼む!」
「任されよ!」「よし来た!」
チラリと後方にまだ取り残されたままのヴィエッタを見て小さく舌打ちを鳴らしたシシンはゴンゴウ達の背後へと周った。
「いくぞ! 『青龍乱撃斬』! どらららららららああああああっ!」
「行くっスよ! 『八角手裏剣・乱れ撃ちっ!』っせええええいっ!」
襲い来るたくさんの触手の攻撃を、その場に仁王立ちしたゴンゴウは手に巨大な青龍刀を構え、近づく全てのそれを瞬く間に切り落としていく。
そしてヨザクは、独特な形状のまるでのこぎりの刃のような手裏剣を器用に投げつけ、空中で複雑な軌道で襲い掛かってくる触手を叩き落としていた。
こいつら、戦い慣れてやがるな。流石はAランクパーティか。
地面にクロンを下ろしたシシンはすぐさま俺の傍へと駆け寄ってきた。クロンは……けほけほと咳き込んでいるようだが、特に外傷はない様子だ。
「すまねえ旦那。ヴィエッタちゃんまでは助けられなかった」
そんなことを言うシシン。
いや、かなり凄かったと思うよ。あんな高いとこまでジャンプした挙句、魔法だかスキルだか良く分からねえけど、とんでもねえ威力の必殺技かましてたし。あんなのマジで不可能なレベルだから。
ヴィエッタは更に増えた触手によって全身をぐるぐる巻きにされているし。
「いや、お前が謝るこたねえよ。こっちはこっちでなんとかしてみるさ」
そう言ってから俺は腕を突き出して魔法を唱えた。
「隆起せよ! 『土壁』‼」
その瞬間ヴィエッタが捉えられているであろう辺りの地面が急に盛り上がった。
だが、今回はただ盛り上げたわけじゃねえ。俺もこの魔法には大分なれてきたしな。ここで食らわせるのは、この一発だ!
もっと速く……そして、もっと『薄く』だっ!
サクサクサクッ‼
「え?」「なっ!」「わっ!」「……」
一堂が驚愕している目の前でそれが起きた。一瞬で、あの巨大なヘカトンケイルの無数の触手と何本かの腕が切断されたのだ。
よし! 上手くいった!
別段難しい事をやったわけじゃない。
土魔法は確かに硬い鉱物を抽出して魔法現象で刃を形つくることも可能だが、今回はそこまではしていない。俺は単に隆起させた地面を薄く薄く、まるで打ち出されたばかりの鉄板の如く、薄い刃とした。
もとよりただ勢いに任せて打ち出すだけの魔法なのだから、その速度によって魔法で硬くなった土の刃で切断してしまえばいいと、ただそれだけの理論だ。少しだけ刃面を斜めにしておいたのも良かった。サクッと切り裂けてこれはかなり低コストハイリターンな攻撃となったわけだ。もっともいつも使えるのかは不明だが。
「す、すげえ……すごすぎだぜ」
シシンがそう呟くのとほぼ同時に、形容しがたい不快な悲鳴を上げたヘカトンケイルの脇で、空中に投げ出されたヴィエッタが落下し始めていた。
「二ム!」
「ほいっ!」
俺は即座に二ムへと声をかけ、ヴィエッタの回収を命じた。だが……
「おのれ……おのれおのれおのれおのれぇえええええ! 許さんぞぉ! この背教者めらがぁっ!」
突然岩の上で吠えたあの青いくそじじい。
そこに奴がいることをすっかり失念していた俺だが、これが誤算だった。
凄まじい速さで駆け寄ろうとしていた二ムに向かって、そのじじいは手にした禍々しい意匠の長い杖を突き出しつつ、その魔法を完成させていた!
「消滅せよ! 『究極・魔素大爆発』‼」
「二ム! 逃げろっ‼」
俺はその瞬間思わずそう叫んでいた。
そうしなければならないと、俺の脳が叫んでいたから。
そう、俺はこの魔法を知っていた。あの魔法の本にもきちんと載っていたんだ、決して使用してはならない『禁断の魔法』として……
「そんなこと言われても、ヴィエッタさんを放っておけないっすよ」
「くそっ!」
二ムは落下していたヴィエッタを抱き止めそして着地した。だが、今回は先ほどのシシンの時のように触手が襲い掛かってくることはなかった。見れば触手たちはそれをひっこめて本体でもあるヘカトンケイルの身体へと絡みつき、そしてヘカトンケイル自身もその場から立ち去ろうとしているかの如く、動き始めていた。
俺は更に上空を見上げた。
そこには超巨大な七色の七つの魔法陣が高速で回転しながら浮かんでおり、更にその周囲に無数の小さな魔法陣が次々に浮かび上がり続けていた。
空に異変が起こっていた。遥か上空に浮かんでいるはずの雲が、その魔法陣達に呼応するかのように凄まじい速さで動き始め、空間それ自体にも光が走り続けていた。その様はまさに絵画を破くかのような感じで、そこに映る景色そのものを破りちぎっているかのよう。
「二ム! いそげっ!」
「ヴィエッタさん抱えてたらそこまでは無理ですよ」
二ムの答えにさもあろうと思いつつも何か手はないかと高速で思考する。今の二ムの燃料残ではリアクターを暴走させた『Eシールド』を展開することは不可能だ。
危険なのは二ム達だけでは当然ない。俺達もである。このままで『あれ』に巻き込まれて良くて一網打尽だ。すなわち『即死』。
その時、俺は閃くままに声を発した。
「『背中』だ二ム!」
その瞬間だった。
強烈な光を放ちながら上空の巨大な全ての魔法陣が急速に俺達の眼前に収束、凝縮、圧縮され、まるで小さなボールのようになったかと思ったその瞬間、それは『成った』!
「『土……』……」
手を突き出し声を発していた俺……だが、その全てを『それ』に飲み込まれた。
その時、そこから全ての色と音が消失した。
世界の破壊そのものがその時起きたのだ。
とてつもない振動と爆音、炎と熱、凶器と化した岩石の礫、鋭利な水の刃が襲い来る。
俺達はそれを『穴』の中で必死に耐えた。
そう、穴の中だ。
俺はあの瞬間、またしても『土壁』の魔法を使用した。今回のはなるべく厚く、なるべく高く、起こるであろうあの大爆発をとにかく防ぐために俺達の前面に分厚い土の壁を構築した。そしてそれとは真逆に俺達は足元を消失させて深い穴にわざと落ちた。
所謂落とし穴。さっきロックゴーレムにつかったばかりだというのに、今度は自分から飛び込む羽目になった。
とにかくこうでもしなければあの大爆発から逃れる術はなかった。
あの魔法……『究極・魔素大爆発』は簡単にいえば全属性ミックスの自爆魔法だ。自分の有している全マナを開放した上で、周囲……といっても、その術者がどこまでの範囲を指定したかにもよるけれど、その空間にある全ての魔素……つまりマナや精霊などの、エネルギー体の全てを取り込んだ上でそれらを魔法的に最大に効率を高めた上で大爆発を発生させるというとんでもない魔法なのだ。
この魔法の恐ろしいところは術者の魔力量依存ではないという点。
基本的な魔法は魔力の大きさで効果の大小が決まるのだが、この魔法はその空間全体のエネルギー総量でダメージが決まる。ここにどれだけの魔素と精霊がいるのかは不明だが、それら全てを飲み込んでこの魔法は完成したのだ。とんでもないにもほどがある。
こんな魔法を使いやがるなんて、あのじじいただの神父じゃねえな。
「お、お兄様……だいじょうぶですの?」
「ああ、大丈夫だ。今のところはだが。少し余裕があるなら、気絶している連中の手当てでもしてやれよ。シシン、お前もだ」
「ああ、もう、そうしてるぜ」
振り返ってみれば、シオンやクロンが気を失っている。この穴に落ちた衝撃でああなったみたいだが、まあすぐに目は覚ますだろう。
爆発はまだ続いている。時折穴の上部が崩落して岩石や土や砂が降ってくるも、それらはゴンゴウやマコが粉砕して俺達を守ってくれた。
暫くそうした後で、空間に鳴り響いていた炸裂音が小さくなる。
最初の大爆発の後も漏れ続けていたエネルギーの波は漸く収まりを見せたようだ。
「旦那いくぜ」
「って、お、おい?」
俺はシシンに腰の辺りを掴まえられて抱えられたまま一気に穴から脱した。
オーユゥーンやゴンゴウも、それぞれ人を抱えて飛び出してくる。
そして俺はそこで見た。
先ほどまで大門の岩があったであろうその付近に、直径100m以上はありそうな巨大なクレーターが出現していたことに。そこにはもう何もなかった。あるのはガラス化してしまった岩の数々と、更に粉砕された大量の砂があるだけ。
そんな状況だがヘカトンケイルは無傷ですぐ近くを悠々と歩いていた。
と、よく見て見れば、そのヘカトンケイルの背中に豆粒みたいな感じで二つの人影が。そこにいたのは当然二ムとヴィエッタで、二ムが俺達に向かって元気よく手を振っていた。
あの瞬間、『背中』と叫んだのを、二ムはきちんと理解できたようだ。
あのじじいはヘカトンケイルどもを崇拝しているようだったしな、いくら怒りに任せた究極魔法だったとしてもアレを傷つけるはずがないと俺は踏んだんだ。まさにそれは的中したわけで、本当に良かったよ。
そう考えてから、俺はまさかと思いつつ、さきほど青いじじいがいた岩の辺りを見て見れば、そこには全く移動した気配すらないあのじじいの姿が。だが、どうやら相当に勘に触ってしまったらしくその顔は鬼の形相でじっと俺達を睨んでいた。
「なんと……なんという愚かな者たち。神の御子を傷つけたばかりか、神の怒りからも逃れようとするとは……万死に値する! 許せぬ! 神の力、思い知るが良い!」
とかなんとか恐ろしい事を吠えていやがるし。
二ムが再び襲い掛かり始めた触手や腕や足や顔から逃げつつ、こちらへと駆け寄ってきたのだが、再び青じじいは杖を突き出してそこに魔法陣を描き始めていた。
「いけねえっ‼ またヤバい魔法を使う気だ!」
俺も再度腕を突き出して魔法の準備に入る……だが、嫌な予感を覚えつつ、試し打ちもかねてある魔法を発動させてみたのだが……
「で、でねえ……俺の魔法が、出ない」
「え、ええっ!?」
絶叫するオーユゥーン達の前で俺は自分の腕に視線を落とした。
出ない。いや、出せない。魔法を使えないのだ。
何度も何度も繰り返し頭の中に術式を組み上げる。だが、本当に何も反応しやしない。
いや、その予感はあったんだ。あの究極魔法を見た瞬間から。
あの魔法は、空間に存在する全てのマナや精霊を『喰う』のだ。つまり、この空間からそいつら全てを『消し去る』ということ。くそがっ! あのじじいただでなくても面倒そうなのに、こんな禁魔法ぶっぱなしやがって。
これじゃあ俺はもう何も魔法を使えねえじゃねえかよ!
そう思った時だった。
「死ぬがよいっ! 『光子百連槍』‼」
青じじいがそう宣言した直後、奴の目の前に大きな金色の魔法陣が出現し、そこから光の長槍がいくつもいくつも無数に生え出はじめ、そのまま二ム目がけて連続的に射出された。
「うわわっと、あ、あぶないっす」
二ムはヴィエッタを抱いたままでそれを回避し続けるも、その数が圧倒的に多くついに足に一撃を食らいそのまま前のめりに転倒、すぐさま地に倒れたヴィエッタへと覆いかぶさった。
「ふはははははは、死ね死ね死ね死ね死んでしまええええええ!」
なんの躊躇もなく光の槍を打ち出し続けるじじい。二ムはといえばそれを全身に浴びながらただジッとヴィエッタに覆いかぶさり続けていた。当然だがもう服は消滅している。くそっ! あれ結構高かったのに。
「くふふふ……くははははは……神に弓引く愚か者たちよ。見よこの女どもを! 抗ったがためになんの救済も得られずにただ滅びさったこの様を! さあ、こうなりたくなければ神の午前に跪くのだ。そうすれば……」
じじいはニタァッと卑しく微笑んで宣言した。
「神は貴様たちに永遠の安らぎとともに死をお与え下さるであろう。くはははははは」
「ふざけやがって、狂信者が」
シシンが俺の隣でそんなことを呟いた。
「ん? そうであった。背教者といえど、貴様らも『仲間』と別れての死は寂しかろう……これも神のご慈悲である。さあ、見せてやろう、貴様たちの仲間の尊き贖罪の姿を……」
「な……んだ……と?」
愉悦に顔を歪めた青じじい。奴は自分の岩の背後……そこにあった大きな洞穴に向けて何かの魔法を放った。
すると辺りにぱあっと光が輝き、そしてその穴の中に大きなそれの姿が現れた。
それはゆっくりとこちらへ向かって歩み出てくる。その不気味な姿はあのオーユゥーン達の娼館で見た怪物のそれと同じで間違いなかった。大きな眼窩の三つの瞳をくるくる回転させながら、その怪物は何かをひきずりながら現れたのだ。
そして青じじいのとなりまでくると俺達に見せつけるように、たくさんの腕でその存在を掴みあげた。
「う……うう……み、見ない……で……お、お願……い……し、シシン……い、いやぁ……」
怪物がその口でべろべろ舐めているそれは……女性……それもクロンにそっくりな長い青髪のボロボロの破れた衣服を纏った少女だった。
そんな彼女の腹は異様なほどに膨れ上がっている。そして遠目でも分かるくらいにそれは蠢いていた。
「しゃ、シャロンっ‼ ひ、酷いっ!」
「てめえっ! 俺らが言うことを聞いて居る限りは手を出さねえ約束だったはずだろうが!」
口を塞いで涙を溢れさせるクロンと、真っ赤になって激高するシシン。そんな二人の方をむいてじじいは言った。
「当然約束は守るつもりでしたよ? 偽りだったとはいえ、あなた方は神の為に働くと宣誓までなされたのですからね、くふふ。ですが、彼女は私に告白したのです。自分は姉を裏切ってしまったと。姉が好意を寄せているのを知っていてそれを裏切って、姉の思い人に身体を委ねてしまったと……これほど純粋に懺悔されては、聖職者の私としては贖罪のお手伝いをしないわけにはいかないではありませんか」
「貴様ぁあああああああっ!」
手に自分の得物でもある深紅の棒を握り吠えながらじじいへと切迫するシシン。そしてそれに追従したゴンゴウとヨザクの二人もその眼に激しい怒りの炎をたぎらせていた。
ただ一人呆然となって項垂れてしまったクロンに、オーユゥーン達が駆け寄ろうとしていた。
くそがっ! 次から次へと胸糞悪い事態ばかり展開しやがって。
マジでここは地獄か冥界か?
娼婦を攫ってあんな気持ち悪い怪物に犯させて、産ませたのがあのでかいヘカトンケイルってことなんだろう。あのサイズまで育てようってんだから、どんだけ大量の『タンパク質』が必要だったのか想像に難くないが、まさにそれに虫唾が走るし。
しかも神の名の元にだ? 贖罪だ?
なんで自分の過ちをわざわざ神様経由で反省しなくちゃいけねえんだよ。そんなのはまず自分と当事者で示談にする話だろうが! 百歩譲って相談するなら警察か裁判所だ。まちがっても神様じゃねえ。
それに、俺の虎の子の魔法も使えなくされちまうし、二ムとヴィエッタも狙われて、二ムの一張羅も消し炭にされて、しかも俺の目の前でモンスターによる婦女暴行とさらにこの先は間違いなく生スプラッタに突入だとか!
くそっ!
くそくそくそくそくそっ!
くそがっ!
あんのくそじじいがっ!
ふざけんじゃねえよっ!
「おい二ムっ! 寝てねえでとっとと起きろ! おらさっさとやることやるんだよ!」
そう叫ぶと同時に、二ムは焼け焦げ炭になった衣服を落としながらゆっくりと起き上がろうとした。
その下には蒼白になってはいるが、ヴィエッタがいる。どうやらケガはしていないようだが。
「ご主人は簡単に言ってくれやすけどね……節約稼働中のワッチには結構きついんすよ」
振り返りつつそう言った二ムは、でも結構平気そうだ。だが……
「ほう……私の信仰の証とも謂えるあの聖なる槍の魔法を受けて平気なのですか……これは……許せませんね! 『聖波動』‼」
「ぐああああっ!」
青じじいがそう呟きながら腕を一閃、すると、猛攻をしかけていた、シシン、ゴンゴウ、ヨザクの三人が見えない何かに殴られたかのように弾き飛ばされてしまった。
それを呆然と見ている間はなかった。
まるで瞬間移動でもしたかのような速度で一気に二ムの傍へと移動したじじいは、次の瞬間に二ムに向かってやはり同様に大振りに腕を振るった。
その一撃は二ムに直撃する。
見えないその何かの攻撃で、二ムが一瞬で消えた……と、次の瞬間俺達の背後の地面に土煙が上がり、そして遅れて炸裂音が響き渡った。
「二ムっ!」
凄まじい勢いで吹き飛ばされた二ムが、そのまま地中へとめり込んで消えた。あのじじい、ニムに魔法を耐えられて相当にムカついたみたいだな。
このじじい、女子供でも容赦なしなのかよ。いや、女だからこそ……なのか?
青じじいは、その場に取り残されてしまった震えるヴィエッタへと今度は視線を移した。そしてその襟首をつかんでそのまま掴みあげた。
そして冷え切った瞳で見下ろして口を開く。
「貴女もやはり娼婦でしたか……汚らわしい」
「え……?」
その一言でヴィエッタの顔から生気が消えた。
遠目に見た感じただ震えているだけだ。
じじいはそんなヴィエッタを見下ろしながら続けた。
「救いを求めるのでしたらお手伝いいたしますが……いや、私ももう疲れました。あなたのような薄汚い汚らわしい娼婦など、もう相手にするのも面倒です。まあそうですね……すでに神の御子も蘇られました。でしたら、貴女のその下賤な命、神の御子への供物とさせていただきましょうか。さあ御子の元に向かうのです。そして貴女の汚い魂を御子に浄化して頂きましょう。なんと幸せな! なんという誉れ! ふははははははははは」
目を見開いた青じじいが高らかに笑った。
ヴィエッタは……
ただ、ぎゅっと胸の前で手を組んでいた。




