第二十七話 浮かび上がる恐怖
「さぁて、『御話合い』といきましょうか!」
俺の正面の大岩の下でそう宣言したのは当然シシン。背後に緋竜の爪の面々を控えさせ、そして目隠しをされ縄で拘束されたヴィエッタを人質として傍らに立たせていた。
「何がお話し合いだよ、人質なんかとりやがって。端から自分の言い分通す気まんまんじゃねえかよ」
「へへ……まあそう言うなよ旦那。これは分の悪い俺らのささやかなハンデって奴だよ。どうせ普通にやったんじゃ旦那方には敵いそうにねえからな」
「良く言うぜ。てめえはレベル40越えのランクA冒険者様じゃねえか。俺らみてえな駆け出しの雑魚相手に何がハンデだ! そんなこと言って恥ずかしくねえのかよ」
「もうとっくに恥は掻きまくっちまったんだがなぁ……まあいい。とにかくこんなに離れていたんじゃ話にならねえよ。旦那とニムちゃんの二人でここまできてくれよな」
確かに今俺達がいる位置からシシンのところまではまだ20mほどある。
これはやつらの状況を観察したかったからということと、いきなり武器の有効圏内にはいることが躊躇われたことの双方があるわけだが、まあ確かに話し合うには遠いわな。
弓術師のクロンも今は弓を手にしていないし、これはそれほど危険も無さそうな感じだ。
ならこのまま近づいてやろうかと、ずいと足を踏み出そうとしたとき、誰かが俺達の前に出た。突然俺の前に進み出たのはオーユゥーンとシオンとマコの三人。三人は腕を開いてまるでとうせんぼでもするかのように立った。
「いけませんわお兄様。このまま近づくなどあまりにも危険ですわ」
「そうよお兄さん。行ったらすぐに殺されちゃうよ、きっと」
「ここはマコ達に任せてよくそお兄ちゃん!」
「お、おいおいお前らな、何を勝手に……ここは俺とニムだけで十分なんだよ」
「そういうわけにはいきませんのよ。何しろ今目の前に、『ワタクシ達の妹を拐ったかもしれない相手』が存在しているのですから」
「あ……」
彼女達はどこに隠していたのか、手に武器を構えてシシン達と相対した。
オーユゥーンの手に握られているのは細身の直剣、シオンの手には幅広のナイフが二振りと、マコは先端に苦無のような刃のついた革製の鞭を持ってすでに駆けだしていた。
オーユゥーンの言葉を聞いた瞬間に全身を電流が駆け巡った。
しまった! そうだった。俺としたことがこいつらの事情をすっかり忘れちまっていた。こいつらはもともと娼婦誘拐犯を探していたんだった。
目の前のシシンたちは俺達全員の目の前でヴィエッタを拉致し、そしてここに人質として連れてきてしまっている。あれを見てしまえば、オーユゥーン達からすれば自分の身内の娼婦たちも同じように連れ去っていると考えても何もおかしいことはないのだ。
「ちくしょうめ、待てよてめえらっ!」
俺は慌てて追いかけようと走り出すが、もうその時には先頭のオーユゥーンの剣はシシンへと届いてしまっていた。
「教えてくださいな! ワタクシたちの妹達をどこへ隠しましたの?」
「妹だぁ~?」
ガッキンと甲高い音が響いたかと思えば、オーユゥーンが高速の勢いで放った剣の突きを細い棒を使ってシシンが弾いたところだった。
オーユゥーンはすかさず第二、第三の斬撃を繰り出すも、今度はシシンが簡単にそれを余裕を持って回避、まったくかすりもしなかった。
だが、彼女はさらに斬撃を放ちつつシシンへ向けてそう問いかけたのである。
シシンはそれらを簡単にいなしつつ、少し表情を引き締めてオーユゥーンへと向き直った。
「たぁっ!」「いやぁっ!」
と、そこへ、右からシオンが両手で構えた大きなナイフを振りかぶって襲いかかり、左からはマコが駆けながら伸ばしていた鞭を、足のあたり目掛けて一気に振りぬいた。
シシンはそれを最小限の動きだけでなんなく回避、そして片手で回転させていた棒を高速で二人へと突き出し、それぞれを弾きとばした。
腹の辺りを突かれた二人は声もなくただ吹き飛ばされる。
「シオン! マコ!」
思わずそう声を掛けてしまった俺の前で、二人は震えながら立ち上がろうとしている。とりあえず無事ではあるようだ。
そんな中でシシンはと視線を向ければ、そこでは再び凄まじい勢いで剣を振るい続けるオーユゥーンとそれを朱色の棒で弾き続けるシシンの姿。
どう見ても銀に光るオーユゥーンの細身剣の方が鋭く見えるのに、シシンの得物には傷ひとつ付かない。
これがレベル差というやつか。
オーユゥーンは善戦しているように見える。なにしろ相手はレベル40オーバー。あれだけ肉薄している感じ、彼女もそれに近いレベルと実践経験があるのかもしれない。
いつだったかゴードンじいさんも言っていたが、レベルによる身体能力の差は例え歴戦の強者であったとしても侮ることはできず、実践経験が乏しくとも、より高レベルというだけの相手に惨殺されることもあったという話だし。
まったくこれだからレベル制ってやつはムカつくんだよ。なかなかレベルの上がらないレベリング難民のことをこれっぽちもかんがえてやしねえ。百戦錬磨の凄腕なだけじゃ生き残れないとか、マジでふざけすぎだよ。
「おい、オーユゥーン! いい加減にしろ!」
「し、しかしっ!」
剣を打ち込むオーユゥーンを止めようと声をかけたその時、辺りにまばゆい光が……って、これはシオンのやつか!
「『閃光』‼ 今よ! マコ!」
「わかったよ! シオンちゃん! いっくよー! 『精神衰弱』!」
シオンがいきなり閃光の魔法を放った直後に、マコも魔法を発動しやがった。行使されるのを見るのははじめてだが、これは相手の精神力(MP)を急激に減少させる水魔法だったはずだ。精神力はそいつの持っている魔力とも連動しているから、くらえば急速に気力を失い、魔法を使えないどころかひどければそのまま衰弱死させることが可能だったか。
この『精神衰弱』の魔法は術式が複雑な上に大量の水のマナを必要とするんだ。マコが自分で習得できたとは到底思えないし、これはあれだな、こいつに恩恵授けたのはウンディーネじゃねえな。これは精霊の中でもより獣に近い、ケルピーとかマーマンとかアーケロンとかその辺だろう。そういう精霊が人の魔力に干渉するとか聞いたことあるし。全くけったいな精霊の恩恵を持ってやがるなこいつは。
だがしかし、ここでこんなものを使いまくられた日にはもう纏まるものも纏まりゃしないってんだよ!
「やめろって言ってんだろうが! 『消失結界』!」
「きゃっ!?」「えぇっ!?」
俺は連中に向かって叫びながら魔法を発動した。
すると忽ちのうちに広がりを見せていた目映い輝きがちいさくなり、そしてシシンの身体を包みこもうとしていた青い光のような靄も、掠れるように消滅していった。
手を突きだしたままで驚いた顔に変わって呆然としているシオンとマコの声を聞きつつ、俺はその光景にやはり動けなくなっていたオーユゥーンの肩に手を置くとぐいと此方へと引っ張った。
「お、お兄様……」
小さくそう口を開いたオーユゥーンの額をぺちりと一回束ねた指で叩くと、そのまま後ろへと追いやった。
「まったくてめえら人の話を全然聞いてねえじゃねえかよ。一緒に来てもいいとは言ったが、ちゃんと言うこと聞けとも言ったろうが? てめえら舐めんじゃねえよ」
そう怒鳴るも誰も返事をしやがらねえし。
くそ、と一度心の内で吐いたあとに、今度はシシンを睨んだ。
「てめえもてめえだシシン。お前が話そうって言ったんじゃねえか、なのにこいつらに合わせて勝手に戦いおっ始めやがって」
「襲われたのは俺の方だし、この娘達は旦那の側だと思うんだがな……」
「うるせいよ! レベル高いんだからこまけえとこにこだわってんじゃねえよ。おら、さっさとその物騒な棒を引っ込めやがれ」
ぽりぽりと頭を掻くシシンは、俺達へと今すぐにでも突き入れられるような構えを解いて、静かに棒を床へと置いた。
そして再び口をひらく。
「ああ、もうやめだやめだ! 旦那相手じゃ何をやっても上手くいく気がしねえ。俺はもう降りるぜ」
「シシン!?」「シシン正気かっ!」「シシンさん!」
急にどっかと地面に座って胡座をかいてそう宣ったシシンにクロンとゴンゴウとヨザクの3人が慌てた感じで駆け寄る。
3人とも顔に不安というか焦りの表情を張り付かせているのが分かった。
「い、いいのかよ、これで。これじゃあ……」
「いいんだよヨザク。それとクロン……お前に一番謝らなくちゃならねえな。すまん。本当にすまん」
「シシン……」
あぐらのまま頭を下げるシシン。そしてそれを見下ろすように立っているクロンの瞳はなにやら滴が貯まっているようだが……
ふう、まあ、そういうことなんだな。
「どうしたんす? ご主人が勝っちゃったんすか?」
「んなわけあるか。見てなかったのかよ」
「見てやしたけど、ご主人っていつも突拍子もないこと始めますんで、また何かやらかしたのかと」
「いつもやらかしてんのはお前の方だと思うんだけどな」
てくてくとのんびり近づいてきたニムが呑気にそんな風に聞いてきたもんでちょっとムカつきつつもそう返した。
「オーユゥーンもシオンもマコも、めっ‼ お前ら娼婦なんだから無理しちゃだめだぜ」
「す、すいませんバネットお姉さま」「ごめんなさい」「すいませんです」
腕を組んで仁王立ちのバネットがオーユゥーン達3人に向かってそんな訓示を垂れてやがる。しょんぼり項垂れる三人とか、こいつら結構体育会系な関係なのね。先輩は神様なのね。
そんなバネットを見ながら、一番驚いているのはシシンのようだけどな。
まさかここに件の鼠人をつれてくるとは思っていなかったのだろう。別段俺が連れてきたわけでもないんだけど。
俺はせっかくなので、シシンに合わせて奴の正面に座ることにした。まあ胡座なんだけど、ここ石が多くてし、尻が……尻に刺さってちょっと痛い。
「あ、ご主人、ピクニックシート出しましょうか?」
「いらねえよ! っていうかお前そんなのも持ってやがったのか!」
見上げてみればニムがなにやら折りたたまれたカラフルな茣蓙の様な物をとりだそうとしているし。こいつマジでピクニックやろうとか思ってたな?
まあいいと考えを押しやってから俺はシシンを見た。
すると奴はそれを待っていたとばかりに口を開いたんだが……
「じゃあ話させてもらうぜ旦那。俺らの目的はな……」
「良いよ別に話さなくても。どうせお前らの仲間の一人……そうだな、クロンの……姉か、妹か、まあそんな奴を人質にとられでもしたんだろ? それもシシンが到底敵わない高レベルの奴にでも。んで、お前らはそいつの言いなりに為らざるを得なかった……とか、どうせそんなとこだろうが」
「え? な、なぜ」
俺の言葉を聞いて絶句するシシン達。連中は唖然としたまま俺を見つめているが、その顔には恐怖みたいなものまで浮かんできてしまっている。
「ってお前らな。これだけ状況が整ってれば俺みたいなバカにだって簡単に予想はできるんだよ。
まずお前ら『緋竜の爪』は『5人パーティ』として有名って話で、今は一人欠けてるよな。それで俺と二ムを捕まえようとしてたんだろ? そもそもなんで俺らなんかを捕まえようとしたのか、お前らの上の奴の思惑までは分からねえけど、わざわざ俺の依頼に便乗する形で近づいてきたんだ、必死だってのは分かる。
それとクロンだ。お前今回何気にお前らのパーティの中で一番焦った顔してやがったんだけど気が付いてるか? 俺と二ムが奴隷商人の所へ行くあたりからずっと緊張しっぱなしで、二ムと別れてからなんかもう絶望一色って感じの死にそうな顔してやがったんだぞ? その辺のデータは二ムのメモリーにも残ってるからな、見たければ過去ログ見せてやってもいいけど、それだけ気に成るってことは肉親……それもかなり身近な存在だってことになるわけだ。
それとシシンを好きらしいけどアプローチを控えてるだろう? 多分そのもう一人の仲間を気遣ってそうしてるわけで、お前そいつの為に身を引こうとかしてるようにしか見えなくてな。そうだとすりゃあ歳の近い姉妹……そんなとこだろうって予想はつくんだよ。
ま、要はな、お前らはその捕まってる誰かを助けるために、誰かのいいなりになって俺達を追いかけ続けた……こういう論理だ。
だから別に何も言わなくてもいいぜ。聞いたって時間の無駄だ。お前らのその目的達成のために俺らが必要だってのはわかってるから、とっととヴィエッタを開放して俺らを連れて行けよ」
「ご主人ってば他のカップルの恋愛感情には敏感なんすよね? あまり役に立ってませんけどね、そのスキル」
「うるせいよ、ほっとけ」
ちゃちゃを入れてきた二ムを一蹴して俺は頭を掻いた。
まあ、今回の話はたったこれだけのことだ。
緋竜の爪の連中はただのつかいっぱしりでしかない。こいつらの裏にはクソみたいな奴がいるわけで、ただ俺達は盤上でそいつの遊びに付き合わされていただけだ。
今この場にいる連中の中で一番割を食っているのは間違いなくヴィエッタだ。
そもそも標的だったのは俺と二ムで、話の流れで俺がヴィエッタを引っ張り出してしまったというだけの事だった。それなのに、そんなヴィエッタは今や完全な人質の上、命の危機にさらされてしまっている。
正直申し訳ない事この上ないのだ。
あいつが色々俺に言っていたこと……ヴィエッタだって一人の少女で、一人の人間だ。やりたいこと、したいことはたくさんあるんだ。それをこんなどうでもいい、全く自分とは関係ない事態に巻き込んでしまった挙句、取り返しのつかないことにでもなってしまたら、それこそ寝覚めが悪いじゃ済まない話しだ。
ヴィエッタだけは必ず助けなくては。
クロンに縄を抑えられ、目と口を塞がれて縛られたまま立っているヴィエッタを見上げつつ俺はそんなことを思っていた。
そんな時、シシンが口を開いた。
「参った。旦那には完敗だ」
奴は微妙に顔を歪めながら不格好に笑った。
「まさかそこまでお見通しだったとはな。ならもう俺らも言うことは一つだ、頼む!」
シシンは胡坐のままで頭をぐいっと下げた。そしてそのままの格好で大声を張り上げた。
「頼む旦那……仲間を……【シャロン】を助けてくれ」
「シシン!」
頭を下げるシシンの後ろでクロンさんが絶叫する。しかしシシンは腕を伸ばしてクロンの言葉を止めた。
「クロン……もうこれしかないだろう。元々俺らには奴らをどうにか出来る手段はなかったんだ。このままじゃシャロンはおろか、もっと多くの犠牲者でることになっちまう。お前だってそのことは分かってるだろう?」
犠牲者って言葉が何を物語っているのか、俺はちらりとオーユゥーン達を見てから顔を顰めた。
マジでこの背後じゃ胸糞悪い事態が進行していそうだと感じて吐き気を催したのだがそれをぐっと飲みこんで奴へと言った。
「別に俺はお前の仲間を救いたいわけじゃねえよ。とにかく今はヴィエッタを返して欲しいだけだ」
「意訳するとっすねー、”シャロンさんを絶対助けるからヴィエッタさんを返してね”」
「てめえらの親玉が何をしようとしてんのか知らねえが、俺らはそんなのに関わりたくはねえんだ。とっとと終わらせて帰るからな」
「”悪の親玉がもう二度と手を出してこないように、必ず俺達が倒して帰還するから心配するなよな”」
「って、二ム! 勝手に都合よく解釈いれてんじゃねえよ。ふざけんな」
「へへ……でも、どうせワッチが言った通りにするんでやしょ?」
「ぐぬうううう」
二ムめ! いつもながらへらへらと勝手な事ばかりぬかしやがって。俺は本気で面倒には巻き込まれたくないんだよ。
「悪い……恩にきる」
シシンが更に深く頭を垂れた。
「って、てめえもだよ! 元はと言えば全部てめえらの問題だろう? 自分じゃ敵わない相手に遭遇してこんな状況に追い込まれやがって! 多少レベル高いからって慢心しすぎなんだよてめえらは! レベル1に頼って恥ずかしいと少しは思いやがれ!」
「まったくその通り……何一つ言い返す言葉もねえよ」
頭を下げっぱなしのシシンが俺へとそう言うが、しおらし過ぎて起こる気も失せた。
しばらくそうしたシシンが今度はきちんと両拳を地面につけて、もう一度お辞儀。今度はなにやら儀式めいた感じのする下げ方だったが……奴は口調を毅然としたものに変えて声を張り上げた。
「改めてお頼み申す。我らの仲間の一人は今、邪教徒の手中にある。敵は強大で我らだけでは到底太刀打ちできず……どうか、どうか仲間の救出に貴殿と二ム殿の御助力を賜りたい。どうか……どうか我らにお力添えを」
そう発した背後で、ゴンゴウとヨザクの二人も畏まって膝をつき、そして頭を垂れた。
「ぐぬう」
これはなんだ? 時代劇かなんかか?
どう見ても正義の味方に助力を願う場面だよな?
誰が正義の味方? え? 俺達?
いやいやいやそれはないだろう。別に俺達はそんなんじゃないし、そんなつもりもない。もっと気軽でよかったのに。
「ご主人、なんか今めっちゃカッコいいっすよ? とりあえず『おのおのがた、討ち入りでござる!』って言ってくださいよ、はい『采配』」
「赤穂浪士か! ってかなんでそんな采配用意してんだよ。いらねえだろうが!」
「これワッチの手作りなんすよ。使ってくださいよー」
二ムが棒にひらひらした白い布切れをつけたはたきのようなそれを手渡してくるが、どうも武将が使う采配のつもりのようだ。マジでいらねえ。
くそう、本気でこの状況は想定外だ。
こいつら完全に俺達を上に見てやがるし、マジで仲間の救出をやる気になっちまったみたいだし。
俺はヴィエッタをとりかえしたら、あーだこーだ言って、とりあえず連中の親玉に一度くらいは面会してから、すたこら逃げる気まんまんだったのに。
これじゃあ戦闘不可避じゃねえか。
でも、あれだ、今は余計なお荷物でもあるオーユゥーン達も付いて来ちゃってるから、その辺を言い訳にして逃げちゃえばいいか?
とか、思って振り返ってみれば、そこには片膝を着いて俺をキラキラした目で見上げてきている4人の姿。
「緋竜の爪の方が傅かれるなんて、お兄様はやはり賢者様……」「やっぱりすごいんだ! きっとお姉さまたちも助けてくれるんだ!」「わたしもクソお兄ちゃんと一緒にたたかっちゃう!」
とか、そんな聞きたくもない声が次々と……やめろよ、もうどんどん逃げ場が無くなっていくじゃねえか。
「大門の岩の下に立つご主人と……そして膝を着いて頭を垂れている緋竜の爪のみなさんとオーユゥーンさん達、めっちゃ絵になりますね。というか、後でワッチが絵に描きますよ。後世の人が見たら救世主っぽい感じにみえるかも……」
「やめて! マジやめて! そんなの黒歴史どころの騒ぎじゃないレベルで痛すぎるから!」
本気でやめて欲しい。そんな絵でも残ろうものなら俺は死んでも死にきれないぞ。時間遡行してでも消滅させたいレベルの話だ。
でもあれだ、これはもう後には退けないよな。
シシンたちの希望は明らかだし、やることもまあ分かっている。
となれば面倒だけど先に進むしかないわけか……はあ、本当はやらないに越したことはなかったんだけどな、でもあれが存在するというならこの先の人生の平安の為にもせざるを得まい。
俺は圧し掛かってきた面倒に眩暈を覚えつつ、一度だけ嘆息してから口を開いた。
「わかったよ。やるよ。やってやるよ」
「おお! 旦那……!」
シシンたちが一斉に顔を上げた。その表情には安堵にも似たそれがあった。
さぁて仕方ねえ。一丁頑張るかね……
その時だった。
「ダメよ……そんなのダメ」
「?」
唐突にそんな声がしてそっちを見れば、そこには手にナイフを逆手で持って、縛り上げられたヴィエッタの首筋にそれを押し当てているクロンの姿。
彼女は両目から涙を流しながら俺達を見ていた。
「クロン! よせ!」
「なによシシン! 話が違うじゃない! あとはこいつらを連れて行くだけなのよ? そうするだけでシャロンは解放されるのよ! なのになんで今更あいつらと戦わなくちゃならないのよ! それならもっと早くそうしていればよかったでしょ」
クロンは叫んだ。それが彼女の本心に間違いはないのだろう。
だが、シシンは彼女へ吠えた。
「バカ野郎がっ! 相手のレベルは『70』なんだぞ! たとえあいつが戦闘に向いていない『聖職者』だとしても、たかだかレベル40の俺達が敵うわけないからこうしてしたがっていただけじゃねえか」
「だからじゃない! ここまで我慢して従ったのよ? あと少し、後少し我慢すればシャロンも解放されて助かるのよ。確かにこいつらは強いと思う。でもそれだけじゃない。シャロンを必ず救えるなんて思えない」
え? 相手レベル70もあるのか? そんなのもう人外の域だろうが! まじでふざけんなっ!
シシンはクロンへとゆっくり近づいていく。
「まだ分からないのかクロン! あいつらはシャロンをすんなり解放なんかするわけないんだよ。もう何十人も何百人も殺しているんだ。シャロンはおろかそのことを知った俺達だって無事に済むわけないじゃねえか。さあ、そのナイフを寄越せ。旦那にヴィエッタを返すんだ。その子は無関係なんだから」
「う、うううう……」
クロンは唸る様に泣きながらジッとシシンを見据えていた。
手にしていたナイフは少しヴィエッタを傷つけたようで首筋に血の筋が流れているが、でも彼女は静かにたたずんでいた。震えているのはクロンの方だけ。
そしてクロンが唐突に動いた。
「うわあああああああああっ!」
「クロンっ!」
大きく手を振り上げたクロンが持ったままのナイフを凄まじい速さで振るった。
その切っ先はヴィエッタの頭に向かっている。
刺さった!
確実にそう思った次の瞬間、
「も、紋次郎?」
「うううう……」
そこには全ての縄と目隠しと猿轡も切られ呆然となってこちらを見るヴィエッタと、ナイフを捨ててがっくりと膝をついて項垂れるクロンの姿はあった。
「クロン……」
そんなクロンにシシンが呼びかけつつ手を差し伸べようとしていた。
ヴィエッタも困惑した様子ながら、俺へと歩み寄ろうとしていた。
その時だった。
「ふふふ……やはり貴方方は神を欺いてしまわれましたか。これは残念なことです。導くことの出来なかった私の罪ということですな。おお……神よ……全能なる我が主よ……、どうかどうか道を誤ってしまった罪深き私とこの者達をお救いください……」
まるで脳に直接響いてくるかのようなその声は、年老いた男性のそれのようではあるが、どこから聞こえてくるのか分からない。
その場の全員がきょろきょろと見回しているなか、俺にそっと近づいてきた二ムがぽそりと言った。
「ご主人、きやすよ」
二ムががっしと俺の腕を掴んだ。そして次の瞬間それは起こった。
足元から唸るような地響きがなり始め、そして次第とそれが振動に、激震へと変わっていった。普通に立っていることも難しいその激しい揺れの中で、俺へと駆け寄ろうとしているヴィエッタと目が合った。
「紋次郎!」
「ヴィエッタ!」
手を伸ばそうとするヴィエッタに、俺も身を乗り出したのだが……
直後、俺と彼女の間にそれが現れた。
『びゃおぉおぉおぉおぉおぉおぉおぉぉぉぉぉっ!』
奇怪な悲鳴を上げつつ地中から現れ出たそれ、一つの胴体に何本もの腕と何本もの足、そして全身からうねうねと蠢く触手を無数に生やし、そして体中のいたるところに不気味な人面をを生やした巨大な存在が立ちはだかった。
「きゃああああああっ!」「ああああああっ」
突然女性の悲鳴が上がり、注視してみればヴィエッタとクロンの二人がその触手に捕らえられ、空中で拘束されていた。
「クロン!」「ヴィエッタ!」
シシンと俺の声がほぼ同時に出た。
「ふふふ……ついに……ついに現人神として蘇えられた。神の御子達よ! どうかこの世の救済を! 世界の浄化を! ふはははははははははは」
すぐそばの大岩の上に青い法衣を纏った年配の男が……気が触れてしまったかのようなその顔を醜悪に微笑ませて嬉しそうに現れ出た奇怪な巨人を見守っていた。
俺は見続けた。
何体ものその醜悪な巨人達が地から生え続けるのを……ただ、じっと。




