第二十四話 闇の中(ヴィエッタside)
【注意】今回、残酷な表現が出てきます。
ピチョン……
ピチョン……
「ん……んん……?」
何かひんやりしたものが顔に掛かったような気がして私は眼をゆっくりと開いた。
でも、眼を開けたはずなのに景色が視界に入ってこない。おかしいな……と思いながら今度は少し体を動かそうとしてみたけど、何かで固定されているのか引っ掛かる感覚だけが腕や足にあり、動こうとしても体が動かない。
それよりも力を込める度に痛みの信号がそこかしこから送られてきていて、それが縛られている所為だと気がつくのに暫くの時間が必要だった。
そう私は縛られていた。
手も足も、それにお腹から突き上げてくるような感じもあることから、多分腰や胸も何かで締め上げられているのだろうと予想した。
それと口も。
鼻は押さえられていないようだけど、口が何かで覆われていることに気がついて、その為に無性に息苦しくなってしまった。
周囲を見ることは相変わらず叶わないし、必死に呼吸をしようと口を開けようとしても何かに邪魔されてそれもできない。そのせいなのか、声もうなり声のような物の他は発することができなかった。
助けて!
お願い誰か助けて!
呼吸の苦しさを感じたとたんに急に恐怖に襲われて、私は縛られたこの芋虫のような格好のままで叫べないまま絶叫していた。
「んーー! んんーーーーー!」
助けてと叫びたいのに本当に声も何も出ない。そして自分が上を向いているのか、下を向いているのかも分からなくて、気がついたら左肩を何かに打ち付けていた。
どうやら悶えている最中に転がって左肩から倒れこんだようだ。
私は目隠しをされていることにこの時漸く気がついた。
目と口を塞がれ全身を拘束されて本当に身動きができないことを悟り、そして私はすこしだけ冷静になれた。
どうせ何もできないし、今は落ち着こう……
そう思ったら呼吸も幾分か楽になった気がした。
そしてどうしてこうなってしまったのか、まだ恐怖に支配されたままだったけど、少しずつ記憶を辿ってみて私は今度は強い後悔に苛まれることになってしまった。
紋次郎……
紋次郎……ごめんなさい。
「ひぐっ……んぐっ……」
彼の顔を思い出して、唐突に両目から涙が溢れでた。嗚咽は止まらず、それのせいで呼吸も苦しかったけど、でも泣くのを止められなかった。
彼が私を助けてくれると思っていた、彼を信じていた。それなのに……
彼は仲間を救うために、私をその相手に『引き渡す』と言った。私は彼の仲間の人たちをたすけるためのただの『道具』。その時咄嗟に私はそう思ってしまった。
彼が私を捨てたのだと。
でも……
そうじゃないことくらい、そんなことを紋次郎が思っていないことくらい、本当はとっくに気づいていたんだ。
彼は私に聞いてくれた。
『一緒に逃げるか?』……と、『おまえがどうしたいか……決めろ』……と。
嬉しかった。本当に嬉しかった。
それに紋次郎は私だけに手を差し伸べようとした訳じゃなかった。
シオンさんやマコさんやオーユゥーンさん達にも私と同じように自分で考えるように諭していたし、病気だったミンミさん達みんなをなんの見返りも求めずに治してしまったし。
みんなは紋次郎のことを『賢者』様と呼んでいたけれど本当にそうなのかもしれない。
彼に見つめられて私は初めて自分で考えた。
今までこんな風に私を『一人の人間』として扱ってくれた人はいなかったから。
『お前はここであたしの言うことだけを聞いていればいいんだよ』
『君はとても可愛いよ。もっと僕に尽くしておくれ』
『下手くそが! こんなに高い金を払ったんだ。もっと上手くやらんか』
『へえ、噂通りの美人だけど、愛想が悪いね。良い身体してるから50点かな、あはは』
『僕のモノは最高だろう? どうだい? 感じすぎちゃうだろう?』
『いいよいいよいいよ!もっともっともっともっとぉーー! ぶひぃっ! ぶひぶひっ』
たくさんのお客さんが、たくさんの男の人たちが私を求めた。そして皆さんが私の身体を……私を使って愉しんだ。
私はだから、そんな皆さんを悦ばせないといけないと、頑張った。頑張って頑張って頑張って、頑張ることで生きて、そして今日までずっとそれを繰り返してきた、ずっとそうしてきた……
そうすることしかできなくて……そうするしかないと自分でも思っていたのだから……
× × ×
私は道具だった。
ただお客さん達を満足させるためだけの、性処理をするための……
あのお店ではずっとそうだった。
ううん、そうじゃないか……
マリアンヌさんに引き取られる前……お父さんを殺されて、あの薄暗い家の中に、お母さんと二人で閉じ込められたあの時から、私は男の人を悦ばせるだけの『ただの道具』になった。
怖くて辛くて悲しくて……
確かにいろいろな感情があの時までにはあった。でも……
そんな気持ちの全てをあの場所で私は失ってしまったんだ。
『廃人』になった……と、あのとき私を犯していた男の人の一人が言っていたように思う。
まるでずっと悪夢を見ていたようで、ただ下卑た男の人たちの笑う顔だけが目に焼き付いていた。そして、また誰かが言ったんだ。
『こんな反応もしねえつまらねえガキ、さっさと捨てちまえ』……と。
でも私はずっとそこに閉じ込められたままだった。
毎日何人かが私の身体を弄んだ。
食べ物も祿に貰えず、ただ縛られたままで犯され続けるだけの日々。
そんなある日、喧騒が轟いて眼を開けた先で、私を犯し続けていた男の人たちが、革の鎧を身に付けた、まるでいつか見たお父さんのような出で立ちの人たちに切られ、一人また一人と倒れていったんだ。
彼らはそして黙ったままで私に衣を着せて、そこから連れ出した。そしてその家を出るときに私は見てしまった。
まるでミイラの様に干からびてしまったあの綺麗だったお母さんの姿を……
もう何も感じなかった。
お母さんが死んでしまっていることは察していたし、きっと私と同じように、いえ、私よりももっと酷い目に遭っているだろうととっくに諦めてしまっていたから。
ただ……本当に何も感じなくて、自分が生きているのか死んでいるのかも分からないままでいて、なんとなくふと気が付いた時、私はあの奴隷商館で娼婦になって男の人の相手をしていたんだ。
どうして自分がそこにいるのか全然分からなくて、でも周りにも私と同じような奴隷の女の子たちがいて、それで私はそんな子達と娼婦として暮らし始めて……
これが生きているということなのかどうかなんて分からなかったけど、でも毎日仕事を頑張ればご飯が食べられたし、他の子たちを助けてあげればお礼を言ってくれる子もいたし……
そうして私はただ生き続けてきたんだ。
そしてある日ふっと思い出した。
お父さんの優しい笑顔を……
お母さんの綺麗な横顔を……
お父さんとお母さんと三人で暮らしていたあの森の家の幸せの時間を……
--ヴィエッタ、お父さんとお母さんはね、一緒にたくさんの冒険をしたの。
--お父さんはいつもお母さんを助けてくれたの。お父さんは世界で一番カッコイイ戦士なんだよ。お母さんの一番大事な人なの!。うふふ、だからヴィエッタにもあげないからね。
--あ、あ、ごめんねヴィエッタ、お願い許してね。あなたにもいつか、あなただけの素敵な人がきっと現れるわ。
--そうしたら……きっとね……
きっと……
きっと、私はその人を好きになる……
そしてきっと、お母さんみたいに、あの優しい笑顔になって好きな人と幸せになれるんだ……
そう……
あの小さかった私は信じていた。
私を優しく撫でてくれたあのお母さんはもういない。
私とお母さんをいつでも見守ってくれたお父さんはもういない。
そして……
あの無垢だった純朴な小さな夢見る私ももういない……
泣いた。
あの地獄が終わってから初めて泣いた。
犯され汚されて心を壊されて、そして奴隷娼婦になってしまってから、初めて自分が大事な全てを失ってしまったことに気が付いて泣いたんだ
泣いて喚いて暴れて……
気が狂ったようになった私を、奴隷商館の男の人たちが硬い棒で何度も殴った。
その痛みも苦しみも全部が一緒くたになって私を襲い、そのまま死んで行くと……やっと楽になれるとそう思えたんだ。
でも。
『簡単に死ぬんじゃないよ』
私の耳元にそんな声が聞こえ、そして私は強い治癒魔法によって蘇生した。体の痛みは消え、目を開ければ、そこに居たのは冷たい視線で私を見下ろすマリアンヌさんの顔。
私はそのとき悟ったのだ。
ああ、私はこの人の道具になったのだ……と。
もう……人ではないのだ……と。
そして私はずっと道具を演じてきたんだ。それしかない……と。それが私の生きている意味なんだ……と。
繰り返される毎日のなかで私はずっと娼婦だった。もうこうするしか生きていく道はないのだと思い続けていたし、実際にどんな夢も希望も叶わないということだけは理解してしまっていたから。
ここから出たい。出て幸せになりたい。
ここにいる誰もが見るそんな憧れや夢……そしてそれが叶わないということを理解し誰もが心を殺していく。
そして何も考えず、思い出しもしなくなる……
それが道具。
× × ×
うう……紋次郎……紋次郎っ! うう……ううっ……
声もなく彼のことを思い出しながら私は再び泣いた。
なぜあのとき彼に怒ってしまったのか。
なぜこんなにも心が苦しいのか。
私はもうただ死んだように生きるだけの『娼婦』だったはずなのに……
なぜこんなにも彼のことで苦しくなってしまうのか……
なぜこんなにも彼のことを考えてしまうのか……
ずっと男の人の相手をし続けてきた。それこそ数えきれないくらいの数の人たちを。
でも、こんな風な思いになったことは一度もなかった。
優しい人もいた。
たくましい人もいた。
お金持ちの人も、頭のいい人も、面白いひとだって
いた。
でも、紋次郎はそのどんな人とも違った。
口が悪くて、すぐ怒って、そして私を罵った。
なんて酷い人なんだろう。なんて怖い人なんだろうって思った。
でも……
彼は私に並んでくれたんだ。
私を正面に見て、私を一人の人間として扱って、一人の対等な人として話しかけてくれた。
それは情事の後の寝物語でも、私を落とそうとする口説き文句でも、私を連れ出そうという甘美な誘惑の囁きでも無かった。
私を一人の人間として、一人のヴィエッタとして私を見据えて『おまえが決めろ』と……そう、言ってくれたんだ。
それを聞いた時の内から沸き上がる熱に、痛いくらい胸が苦しくなった。
自分は道具のはずだった。それなのに、なぜこの人は私を人として扱ってくれるのか。
私は道具ではないの? 人でいていいの? わたしはまだ……
夢を見てもいいの?
刹那の時の中で私はその強い感情に全身を支配され、そして私は彼の手をとった。
熱い手だった。
お父さんのようなゴツゴツした逞しい手でも、お母さんの綺麗で優しい手とも違う、でも、その手の感触に心地よさに、私はあの幸せだったお父さんとお母さんと暮らした日々のことを思い出していた。
そして思ったんだ。
この人なら……この人となら私はもう一度……
『夢』を見てもいいのかもしれない……
と。
だから……
だからこれは『罰』なのだ。
彼を信じ切ることが出来ずに、自分の弱さに負けて逃げ出してしまった私への重い重い……『罰』……
あの時、思わず逃げ出して……そして少しだけ胸に痛みを覚えて戻ろうかと悩んだあの瞬間に、私は真っ黒な服を着たあの人たちに取り押さえられてそのまま意識を失った。
紋次郎があれだけ身体を張って私を連れて逃げ続けてくれていたのに、そうだというのに私は彼の手を自分から放してしまった。それで身動きできないように縛られて……
こんな馬鹿な話はない。
彼を信じて、彼を頼って、彼に縋っていることしかできないこの私が、彼を突き放してしまった。自分ではなにもできないくせに、助けてくれた彼を拒絶するなんてなんて……なんて私は愚かだったんだろう……
「うう……ううう……」
自分の嗚咽の声が耳を打つ。
まるで他人の泣き声のようにも聞こえるそれを聞きながら、私は自分をののしり続けた。
いつも見ることが出来る愛らしい幻のような小さな友人たちの姿も、今は見ることは叶わない。ただの暗闇……私の眼前にはただひたすらに『黒』の世界が広がるだけだった。
ギギィイ……
「捕まえた女はここですよ。神父様」
重たい金属が擦れるような音が空間全体に拡がって、それと同時に男性が声を出しながらこちらへと歩み寄ってきた。人数は二人……それとも三人? よくわからない。
複数の足音が次第と大きく聞こえてきた。
身体が強張り思わず呼吸を止める。恐怖に震えが止まらなくなって、でも震えているのを悟られてはいけないと必死に全身の筋肉を強張らせた。
怖い……怖い怖い……
私はあの狭く汚い部屋に閉じ込められた時以上の恐怖を味わっていた。
あのときは私の周りには獣のようなたくさんの男の人たちがいた。そしてきっと私はボロボロにされるだろうと、確かに怖かったけど覚悟をする猶予はあったのだ。
でも今は違う。
自分がどうなっているのか全然分からない。
何も見えず、何もわからない事がこんなにも恐ろしいものだったなんて、今まであんなにも酷い目に遭ってきたのに知らなかった。
でも……と思う。
もしこれが私の最期だというなら、それは仕方ないことなんだ。
私の前に現れた『希望の光』を私自ら手放してしまったのだから。
きっとあの人との出会いが私に残された最期の機会だったんだ。だからもう……
涙が流れた……と思う。
自分の境遇に悲嘆して泣くなんて、本当に私はどうしようもない。
でも、そんなどうしようもない自分のことを考えられた時、私は覚悟がついたような気がする。
確かに怖いけど、どうなるのかだけはわかる。
私は死ぬんだ、ここで。ただそれだけのこと。
それに気がついたとき、スッと体から力が抜け震えも収まった。
足音は私のすぐそばで止まった様に思う。
そしてしばらくそこに誰かがいる気配だけを感じたままで私はじっとしていた。
今この瞬間に鉈や剣が私へと振り下ろされる光景を何度も何度も幻視しつつ、ずっと心の中で紋次郎へ悔恨と別れの言葉を呟き続けていた。
しかし……
「この娘があの『背教者』の片割れなのですか? それとも『贄の娼婦』の一人ですかな?」
背教者? 贄の娼婦? どういうこと?
すぐに殺されるとばかり思っていた私の耳に、よくわからない言葉が飛び込んできたので、思わずその事を考えてしまった。
背教者のことは良くわからないけど、贄の娼婦とという文言には思い当たるものがあった。
紋次郎やオーユゥーンさん達が言っていた、『行方不明になった娼婦達』のこと。
ひょっとしたら、連れ去った娼婦の人たちはこの人達のところにいるのかもしれない。
そこまで考えた私の頭上の方から再び『贄の……』と言った男性の声が聞こえてきた。
「私はべリトル様より、彼の少女を丁重に扱うように申し使っておるのです。もしこの娘がその御方なのでしたらこのような扱いをした貴方方を罰しなければなりませんが……」
「そ、それは大丈夫……大丈夫だよ。この娘はあの俺達が追っていた娘じゃないですよ」
この部屋に入って最初に口を開いた男性が慌てた感じでそう返事をした。
「ふむ……ではこの娘は贄ということで宜しいですかな? 例え『汚らわしい娼婦』であっても、神聖な神の御業に触れることで贖罪は叶いますゆえ」
『汚らわしい娼婦』
ああ……私のことだ。
私の身体は汚れてしまっているんだ。
何にんもの男性と交わり、交わることで生き続けてきたんだ。
やはり私はここでその『罰』を受けるのだ……と。
そう思い至ったその時、もう一度先程の男性の声。
「ま、待ってくれ、それも違います。この娘は『娼婦ではありません』よ」
え?
一瞬何を言われたのか私には分からなかった。
私は本当にただの娼婦で、男の人に抱かれて金を稼いでいる汚れた存在のはず。
この人はそのことを知らないの?
ううん、そうじゃない。知らないなら私のことなんか庇う必要なんかない。むしろそのままこのもう一人の男性に判断を委ねてしまえばいいだけ。
今この人は明らかにもう一人の男性に対抗してしまっている。どう見ても目上な感じの相手にそうする理由がないように私には思えた。
そして、反論された方の男性が再び口を開く。
「神の前にあって宣誓された貴方の言、信じましょう。ではこの娘はなんなのですかな?」
「この娘はあなた方が『背教者』と呼んでいるあの紋次郎が懇意にしている娘でね……言ってしまえば人質ですよ」
「ほう……それはあまり褒められた良い手段とは思えませんな」
「…………」
「ふむ…………貴殿方のような高レベルの皆さんがおっしゃるなら、よほどの相手なのでしょうね。しかしそうですか……娘さん」
会話の途中で急にこちらに声が聞こえてきて思わずびくりと反応してしまった。そして次の瞬間には耳元で優しそうな年配の男性の声が響いた。
「どうかお許しください。我々は神に仇なす背教者を滅ぼし、世界を救わねばならないのです。そのためにもうしばらく、ここで我慢していてくださいね」
まるで赤子に言い含めるかのような優しさでそう囁いた後で、再び足音がコツコツと響いてそれがまた遠くへ離れていく。そして、ギギイッと再び重たい金属が擦れる音が響いたかと思うと、ガチャリという大きな音を最後に、そして再び静寂が訪れた。
私はただ茫然としていた。
今ここで起きたことの全てが良くわからず、なぜ自分がまだ生きているのか判然としなかった。
ただ、縛られ目を塞がれ動けないでいることが不思議で仕方なく、だからこそ何も考えることが出来なかった。
それからどれくらい経っただろうか、時間の感覚がないままにただ茫漠のままに時を過ごしていた私の耳に再びあの重たい扉の開く音が聞こえてきた。
そしてまた誰かが歩み寄ってくるのが分かったけど、今度の足音はひとつだけだった。
私はただその音が近づくのをじっと聞いていた。
その足音は私の直近で途絶え、そしてその人が屈みこむかのような音が響いた。
そして声が響いた。
「起きてるんだろ、ヴィエッタちゃん?」
優しい男の人の声だったが、私は反応しないままでただ聞いた。
彼はそのまま言葉をつづけた。
「こういうことはしたくなかったんだけどな、俺らにもいろいろ事情があるんだ。悪いがもうしばらくそのままでいてもらうぜ。おっと……この後君に危害を加えようとか、そういうことは思っていないんだ。事が済んだらきちんと解放してやるからよ」
「…………?」
どういうことだろう? この人の言っていることが良くわからない。
私を解放してくれるの? それも何もしないで? なんで?
ならどうして私はこうしていなければならないの?
あ……
唐突に思い出したのは先ほどの二人の男性の会話の内容。
あの時彼らは言ったんだ。私は人質だと。彼を……紋次郎をおびき寄せるための人質だと。
「んんっ! んんんんん~~~!」
「ん? おっとどうした急に?」
私は必死に首を振って彼へと訴えた。
お願いだから紋次郎に手を出さないでと。彼に関わらないでと。
果たしてそれが伝わったのかどうか……
彼は唐突に言った。
「なあに、何も心配はいらねえよ。ただ俺らは『悪い奴』をぶちのめすだけなんだからよ。ちゃんと助けてやるから大人しく待ってなよ。な」
男の人はただ明るくそれだけ言った。
彼の言う悪い奴がいったいだれのことなのか……まさか紋次郎のことではないのか?
あの神父と呼ばれていた人は言っていた。背教者を滅ぼして世界を救うと。
そしてその背教者とは紋次郎のことだと。
お願い! お願いだから紋次郎に近づかないで!
お願いだから……私の光を殺さないで!
「んんんんんんんっ! んんんんんんんんんっ!」
必死に訴えたけれど、彼はもう何も返事をしなかった。
ただゆっくりとまたあの重い鉄の扉のきしむ音だけが響いたのだった。
紋次郎……
紋次郎……
紋次郎……
……
漆黒の暗闇の中でただ……
私はひたすらに彼の名前を呼び続けた。




