第十四話 賢者
「なんにしてもあれだ。ここはずらかった方が良さそうだぞ」
急にもじもじ始まったヴィエッタを放置して、俺はオーユゥーン達へとそう言った。みんなも結構深刻そうな表情に変わってしまっている。
そりゃそうだよな。なにしろここには全部で26体の聖騎士の石像が完成してしまっているのだ。しかも、みなその恐怖を張り付かせた表情で、まるで生きてでもいるかのような、かなり出来の良い作品に仕上がっている。
まあ、元人間だから当然だけどな。
それと、足元を見れば、先ほどの気持ち悪い多眼、多腕、多触手? な檻に入ったモンスターの姿。
大きな老人のような顔で、檻の内から一つも声を漏らさないままに、周りをぎょろぎょろ見渡す様は本当に気持ち悪い。
「こいつはいったいなんなんだよ。オーユゥーン、お前は知らねえか?」
そう聞いてみるも、明らかにその表情は険しく嫌悪感を出しているものの、彼女もこの怪物の正体には思い至らないらしく『初めて見ましたわ』などと言っているし。
だが、こいつで何をしようとしていたのかだけは容易に理解できた。
こいつは人の体内に寄生した上で、その宿主を糧に急激に成長するタイプの生物とか、どうせそんなところだろう。病人だった娼婦たちを苗床にしようとしていたことから察するに、子宮や彼女達の卵巣なども必要としているのかもしれない。
いずれにしても悍ましい行為である。普通の神経の持ち主が考え付くようなことではない。
まあ、そもそもこの聖騎士どもも、女を性道具程度にしか考えていなかったがな。
俺はその檻の中の化け物に向かって、聖騎士連中と同様に石化の呪いをかけた。奴は一瞬で真っ白な石像に変わる。うん、こうなるとかなり前衛的ではあるけど芸術物っぽい雰囲気が出て、あの気持ち悪さが2割くらいは減るな。まだ相当に気色悪いのだが。
そしてそっとその石の怪物に触れてみたあとで女どもに言った。
「とりあえず、お前ら、とっとと逃げろよ……って、ん?」
ドアも破られているし、辺りに石像が乱立しているこの状態でもし大軍が押しかけてでも来ようものなら、何の言い逃れも出来ないし、全員を助けることは到底できないだろう。
だからこそさっさと逃げなくてはならないのだが……
振り返ってみても動き始めたのはヴィエッタただ一人。他の娼婦連中は困惑した顔でお互い覗きあっている。そんな中、オーユゥーンが歩み出て、言った。
「お兄様、私たちはここから離れられませんの。ここにいる娘の多くは借金の肩に売られた奴隷娼婦で、いまだ隷属契約が残り続けております。このまま逃げ出したとしてもすぐに見つけ出されて今度は死よりも苦しい責めを受けることになってしまいますわ」
オーユゥーンが言うには、この隷属契約は所有者に対して絶対服従を強いられる契約であり、彼女は自身で解放までこぎつけたが、通常は反目したが最後、全身の自由を奪われた挙句そのまま手を下されるまでもなく死に追いやられてしまうのだという。まったくとんでもない契約だよ。
明らかな不当契約の上に、本人に契約拒否の権限すらないようだし、これはさっさと消費者庁にでも訴えた方がいい案件だ。もしくは厚生労働省? まあ、そんなとこだ。
「ったく、仕方ねえな。おら、お前らここに全員集まれ、早くしろよ」
俺は自分の前の土の床に足で丸く大きめに円を描いた。そして娼婦たちを全員手招きしてその円の中に入るように促した。ついでにいい機会だからとその円の中へとヴィエッタも放り込む。
「これで全員か? ほかにはいねえか? もう一回とか絶対嫌だからな」
「あ、あの、お兄様?」
困惑しきりなオーユゥーン達。色々聞きたそうな感じだが、俺は説明するのも面倒なので何となく全員そろっているのを見てから、一気に『魔法』を完成させた。
「『壊呪』‼」
「痛っ……」「きゃっ」「え?」
目の前の連中が一様に悲鳴を上げる。そして背中に感じている痛みや違和感にその視線を向けようとしていた。当然だが、ニムのように首が真後ろに向くわけもなく、見ようとして諦めて、今度は近くにいる他の女の背中に視線を向けるのだが、それを見て全員が全員驚いた顔に変わってしまった。
そこには光りながら煙を上げて消滅していくあの『隷属契約紋』が。
まあ、説明は不要だろうが、俺が使用した魔法はその名の通り、『呪いを破壊する』土魔法である。
だが、この魔法はそれほど重宝されるようなものでは本来ない。なぜなら、空間操作によってその性質を変える土魔法によって、そこに存在している『呪い』の仕組みを無効化することはかなり複雑で難しいうえに、そもそも呪いを解くだけなら光魔法の『解呪』の方が、ただ魔法力を当てるだけで霧散させられるため非常に簡単であるため、一般的にはこっちを使用するのだと、あの魔法書には書いてあったし。
どちらにしても、今は土魔法しかないから、こっちを使ったというだけのロジックである。
みるみる破壊された隷属契約の黒い紋章が全員の背中から消えていく。
ついでに放り込んだヴィエッタの紋もあっという間に消えた。
全員また喜んでとびかかってくるかと思い身構えたのだが、流石に学習したのか誰もそれはしなかった。
というか、全員呆けた顔になって俺を眺めているし。
この顔はどっちかといえば……
「なんだよ」
「い、いえ……その……お兄様は本当に『賢者』様なのではないかと……」
オーユゥーンまでもがそんなことを言ってきやがった。
「はあ? だからそんなもんな訳ねえだろうって言ってんだろうが」
まったく、なんで俺がそんな面倒臭い称号で呼ばれなきゃなんないんだよ。ふざけんな。
『賢者』という職業というか、称号というか、名前は実はそんなに古いものではないらしい。
アルドバルディンの図書館で読んだ歴史書というか、勇者物語にそんな称号を冠した魔法使いが登場したのが最初だったはずだ。
今からおよそ300年の昔に実際にあったという戦争の物語。
国と国との戦ではない。この世界を滅ぼそうと来訪した僅かな数の『魔竜』と呼ばれた強大な力を有した『人外』との熾烈な戦争のことだ。
俺達のいるとされるこの『アトランディア大陸』の北端、かつて栄え、今は完全に滅びてしまった『商業都市アリアンノート』に突如現れた魔竜達。それらは多数の人間を死に至らしめつつ南へ南へとその侵攻を進めた。
魔竜達は強大であったがその数は決して多くはなかった。ほんの数百程度の数であったと物の本には記されている。しかし、何れの魔竜も精強であった。
まるで道に生えた雑草を踏みつけるかのような勢いで、村や町、都市や国を飲み込み、出会った者全てを殺し焼き払った。
このままではこの大陸に住まう全ての生命は失われてしまう。誰もが絶望し、誰もが諦めかけたその時、5人の勇者が立ち上がった。
人間の剣士『ローランド』
ドワーフの戦士『ゴルディオン』
竜人の巫女『コーネリア』
エルフの魔戦士『カサブランカ』
そして賢者『ワイズマン』
歳も生まれも種族さえも異なったこの5人の勇者は、自らの種族を率いて悪魔達を次々に打ち破って行った。
そして、大陸中央に程近い、この大陸を南北に分断しているとされる長大なピレー山脈が見下ろす先の広大な平原、『ダンダリオン大平原』において、魔竜達の首領たる『メフィスト』を討ち取り、この凄惨な魔竜との戦争は幕を閉じ、そして5人の勇者は人知れず何処かへその姿を消した—―――とされている。
これがこの世界の誰もが知る『魔竜戦争』の顛末なのだが、正直昔のことだし、英雄たちの活躍にスポットが当たり過ぎてるし、その魔竜自体もいったいどんな存在だったのか詳細が伝えられていない為、史実なんだか虚実なんだかかなり怪しいところなのである。
三国志とか水滸伝とか平家物語みたいな感じか? 脚色入り過ぎてて、水滸伝なんかは魔法使っちゃってる人もいたしな。口伝されればされるほどに話が大きくなるのはどこの世界でも一緒だろうし。遺骸の一部でも残ってれば信憑性が高まるのだけど、この世界考古学研究とかあるのかね?
まあね、この世界は長命な連中もいるから結構事実ではあるのかもしれない。
ゴードンじいさんなんか長生きだし、『戦士ゴルディオン』と名前も似てるから、ひょっとしたら知ってるかもしれねえけどな。
ともかく、そこで出て来るのが『賢者ワイズマン』の初出になるのだ。
5勇者の一人というところからしてもかなりのポジションだし、実際にありとあらゆる魔法を使用して悪魔を撃退したなんて話もあって、この世界の連中の賢者への信奉が半端ではないことはすでに承知している。
ただ、その正体は良くわかっていないらしい。
一応種族は『人間』らしいというのが一般的な見解だが、姿かたちを自由に変えることも出来たということで、他の種族であったかもしれないともされている。
それとその名前……そもそも『賢者』を『ワイズマン』と呼ぶことが一般的であり、他の5勇者のそれぞれが普通に職業+名前であるのに対し、賢者だけは、賢者賢者な感じな呼び名。本名がワイズマンなのか、功績でワイズマンと呼ばれるようになったのか、実際その正体とともに謎だらけな人物なのである。
まあ、全部の魔法を使ったってのはマジで凄い。
俺だって術式は理解しているけど、精霊のいるなしで発動は制限されるし、そのコントロールも怪しいのだ。
どんな存在だか良くわからないが、『悪魔』とさえ呼ばれた連中との戦争で活躍するなんて、よっぽど高レベルで魔力の高いぶっ壊れた魔法使いだったんだろう。
そんな奴と同じ扱いをされるとか、本気で嫌だ。
何が悲しくて人類の命運を背負ってるような奴の肩書をつけられなきゃいけねえんだよ。そんなのは目立ちたがりの政治家にでもくれてやりゃあいいんだよ。
私は賢者です! なんていやあ、本気で信じてもらえれば選挙も当選するんじゃねえか? もっとも銀河連邦議員選挙じゃあ、知名度低すぎて当選できないだろうけど。
「俺は戦士だっての。ただ、ちょっとばかし魔法を使えたりすることもあるってだけだよ」
「とても『ちょっと』ではないと思うのですけれど……ですが、お兄様がそうおっしゃるなら、私たちはそれに従わせて頂きますわ」
コクコクと頷く女達。なんとなく無理やり俺に同調を示しているような感じがるるんだが。
なんだ? こいつら実は全然俺のこと分かってねえんじゃねえか?
無理やり俺を『賢者』ってことにして何か良からぬことを企てたりしてんじゃなかろうな?
「あのなぁ、俺はマジでワイズマンなんかじゃなくてだな」
「はいはい、分かっておりますわ。お兄様はあくまで『戦士』。たとえそれが世を忍ぶ仮の姿であったとしても、私たちはお兄様のことをずっと戦士と思わせていただきますわ」
「やっぱり全然分かってねえじゃねえか! いいか、俺はな……」
「はいはい!」「大丈夫」「クソお兄ちゃんは絶対戦士!」
こいつら……
寄ってたかって俺のことを……
ステータスカードでも投げつけてやろうかしら。とそんなことやってもこいつら信じなさそうー。実際にステータスカードもさっき使った『壊呪』の魔法で一発で書き換えられちゃうし。
さっきの『隷属契約』も『ステータスカード』もどちらも魔法ではなく、より『呪い』に近い術式が使用されているのだ。まあ、当然か。道具として行使する以上、効果の永続性が求められるわけで、減衰しないという点で『呪い』を選択するのは至極もっともなことなのである。
ということで、当然『壊呪』や『解呪』の魔法も効くのだ。もっとも、普通の呪いともやはり少し違うので、術の行程をほんの150通りほど作り変える必要があるわけだけど、まあ、微々たる操作だろう。
おっと、逸れた。
この女どもと来たら、自分に都合のいいように俺を弄びやがって、俺を普通に買春に来た客かなんかだと思ってんじゃなかろうな。そんな碌でもないヨイショいらねえっての! くそがっ!
だが、別にいいか。ここで我慢すれば、こいつらは俺の言うことを聞くだろうしな。
俺は再び連中に向き直った。
「お前らの『隷属契約』はご覧の通りもうぶっ壊してやったからなんの心配もいらねえ。お前らのご主人とかって連中が来てももうなにもされやしねえよ。それと、このままここに残ったら、そこで石になってる連中の仲間が帰ってきてどうなるか分かったもんじゃねえ。悪いことは言わねえからさっさと逃げろよ」
それだけ言ってやった。
どうせ赤の他人なんだから放っておけばいいと言われればそれまでなんだが、せっかく助けてやれたんだ、みすみす死なせるのはなんかムカつく。
これでこいつらもある程度は逃げられるだろう。その後のことは流石に難しい。俺だって聖人君子じゃねえんだ、無償でどこまでも面倒を見てやるつもりなんかはないし、そもそもそんな面倒なかかわり合いを持ちたいなんて思っちゃいない。
とりあえず俺の目の前から逃げて消えてくれればもうそれでいい。
そう考えて、さあ行こうとヴィエッタの背中を押そうとした瞬間、またもやぐいっと俺の腕を誰かに引っ張られた。
「またかよ」
「あ、あの、お兄様? その……」
「いや、もうだめだ。もうなにもしない! いいか! お前らの梅毒をとりあえず抑えてやって、治療もした。それに今度はその契約紋も壊してやった。これ以上何を言われたって、ぜったいぜったいぜーーーーったい何もしねえからな。おれぁさっさとあのくそむかつく奴隷商人のところに行かなきゃなんねえんだから」
捲し立てるようにオーユゥーンへ言うも、困った顔の彼女は申し訳なさそうに口を開いた。
「あの……私としたことが油断しておりました。すでに取り囲まれてしまっていますわ」
「は?」




