第十六話 第四使徒
「あ、あー! フィアンナさんが、スポンサーがっ!」
「なんじゃ? どうしたんじゃ?」
目の前で起きた殺戮劇を暗視可能なニムはばっちりと目撃してしまった。
そこではターバンの男がフィアンナの胸へと腕を突き入れているところであったのだ。思わず叫んだ二ムではあったが、真っ暗闇の為当然ゴードンにはそれが分からない。だが……
「ぐぬぅ、間に合わんかったか……」
「へ?」
襲い来るアンデッドナイトの群れを粉砕しつつ、ぽつりとそう零したゴードンへと二ムは視線を送る。
ゴードンはこの状況で何が起きてしまったのかをはっきりと理解していた。
そう、最悪の事態を……
「嬢ちゃん、今すぐにここを離れるんじゃ!」
「なんでですかい? フィアンナさんを早く助けないと……」
その時だった。
深淵の暗闇に沈むこの礼拝堂にあって、唐突に正面で眩い光が煌めいた。
それは闇を吹き飛ばす勢いで四方八方に放たれ周囲を白く染め始める。
「い、いかん!」
その時二ムは見た。べリトルに胸を刺し貫かれたフィアンナの身体が宙に浮かびあがり、そしてその全身から純白の鳥の羽のようなものが生え始めるのを……
「ちょっと……何が起こってるんでやす?」
ぶるぶると身体を震えさせるフィアンナはその身を抱くようにしながら全身から生える羽によってその姿がまるで白い繭の様に変わっていく。そして、その溢れる羽毛についにその残されていた顔も没した。
「くははは……くははははははは……ついに……ついに蘇られる! ついに我が主が……」
溢れる光のすぐ脇で愉悦に打ち震えるべリトル。
その両の手を広げて哄笑していたそこへ、その一撃が放たれた。
ザンッ‼
「は……はれ……?」
「油断しすぎじゃ、このたわけ。貴様はここで潰えるがいい」
そう話すのはゴードン。
手を振りぬいた格好でべリトルへと視線を向けていた。
そして、次の瞬間、べリトルの視界が一気に反転する。
彼の首はぐらりと揺れながら真っ逆さまに床へと落下し転がったもだった。
「ふんっ‼ この化け物めが‼」
「ちょっとちょっとゴードンさん? 殺しちゃって良かったんです?」
アンデッドナイトを蹴散らしながら近づいてきた二ムは一部始終を見ていた。
光が輝き、べリトルの姿が目に入ったその時、ゴードンは手にしていた巨大な斧をまるで超電磁砲で撃ち出したかのようにとてつもない速さで投げつけたのだ。それは狙いを寸分たがわず命中し、べリトルの首を完全に切り落とした。
慌てて声を掛ける二ムにゴードンは素っ気なく答える。
「あの程度で死ぬものか。こやつら魔族がな!」
「魔族?」
言われて骨の怪物を片手間に倒しつつ床に転がるべリトルへと目を向ける二ム。良く良く注視してみれば、微かに目や口を動かしている。
「げっ、本当に生きてやすね! すごい!」
『くふふ……これで終わりだ……貴様ら人間もこれで……くふふふふふふ……』
掠れるような声でそう笑う声を、二ムの超感度マイクは拾っていた。
「うう……なんか執念深そうでやんすね。ワッチは結構苦手かも」
「ほれ嬢ちゃん。すぐに逃げるぞい。ここに居たらすぐに死んでしまうからな」
そう言いながらゴードンはアンデッドナイトの間をすり抜け、奇跡的に死なずに気絶していたセシリアとアルベルトの元へと駆け寄りその二人を肩に担いで再び疾走した。
自分の背丈の倍はあるだろう二人を抱えるゴードンの姿は、平時であれば滑稽そのものだろうが、このモンスターの中にあって走り抜けられるその身体能力の高さに二ムは素直に驚いていた。
「ほれ、急ぐんじゃ!」
「あ、いや、でも……なんか間に合わないっぽいです」
「なに?」
言われ一瞬立ち止まったゴードンが振り返る。
するとそこには、先ほど繭状になっていたフィアンナの身体に変化が起きていた。ペリペリとまるで皮を剥くかのように真っ白い鳥の羽のようなものが剥がれながら捲れていく。
それはまるで蛹が蝶へ羽化するかのように、翼を休めていた鳥が再び飛び立とうとしているかのように、その白翼は大きく大きく開かれ、そしてその3対計6枚の羽は神仏の光背のように彼女の背後を彩った。
いや、もはや『彼女』ではないのかもしれない。
そこに居たものは全身を白の光沢のある鱗のような装飾で彩られた大柄な存在。腕や足や胴体やその全てにその楕円の白い鱗を巡らせ、まるで白のボディースーツを纏っているかの様。
そして一番異様であったのはその顔。
体つきこそ男性そのものに見えるが、その頭部にあったモノはつるんとした体の鱗と同じような光沢を放つ表情のない女の頭。もっとも的確に言い表そうとするのならば、塗装される前の女性のマネキンの頭部であろうか。純白のその顔には目のくぼみはあれど、光彩は一切なくその口だけが高速で蠢いていた。
「はあ……なんていうか……めっちゃ『ハゲ』っすね」
「何を言っとるんじゃ、嬢ちゃんは」
「あ、やっと突っ込んでくれやしたね? マジでうれしいっす」
そんな会話の中でもゴードンは冷や汗を掻きながら後方へと脱出を図ろうとしていた。
しかし、周囲にはまだ大量のアンデッドナイトがいる上に、正面のこの怪物から逃れる術がないことも理解してしまっていた。
そう、この存在こそが世界を滅ぼす為に生み出されたものであるのだから。
ゴードンは確実に焦っていた。
焦って尚、この若者たちを生き残らせる道はないものかと思案していた。そこへ、隣の少女が唐突に声をかけてくる。
「『ドレイク・アストレイ』さんなんて言うから、ワッチは渋カッコいいおっさんを想像してたんでやんすけど、実際は細マッチョな女顔さんでやんしたね」
もはやそれになんの返答をする気も失せて、ゴードンはただ一言だけ添えた。
「あれは『天使』じゃ。遥か昔にこの世界に降臨し人類を滅ぼす為だけに存在した『怪物』の生き残りじゃ」
「天使? あれが? っていうかゴードンさん、なんで正体知ってるんでやんすか? さっきは知らないって言ってたのに」
「ふんっ! 儂だって詳しくはしらんわい。そんな大昔に生きてはおらんしな。じゃが、知識というだけなら分かっておっただけじゃわい」
「あ! 危ないっす!」
と、二ムはゴードン達を突き飛ばした。
そしてその次の瞬間、まさに今の今まで立っていたその場所に、強烈な光のエネルギー弾が着弾した。
それは第四使徒が掲げた左手から照射された。
光線と化したそのエネルギーは、間にあったアンデッドナイト達をも巻き込んでしまっている。
「ヴァ……ヴァ……ヴァ……」
首をカキコキと小刻みに動かしながら、その開いたり閉じたりを忙しなく続ける口から機械音のような声を漏らし続ける第四使徒は明らかに二ムやゴードンを標的と見定めていた。
そして動き出す。その大きな6枚羽を羽ばたかせ宙へと浮かび上がる第四使徒ドレイク。
腕を大きく広げたその時、巨大な魔法陣が上空に現れる。そして次の瞬間、それが起こった。
「ぐ……ぐぅ……」
「……」
「……」
「あれあれ? どうしたんでやんすか?」
突然膝を着いてしまったゴードンに不思議そうに顔を向ける二ム。
彼女の目の前で、ゴードンやアルベルト、セシリアの身体から何やら青い光の粒が漏れ始めた。それは彼らだけに留まらず、周囲に蠢くアンデッドナイト達も同様に光の粒子を放出し始める。
一様に動きが鈍くなったその場の全ての存在。そして、そこから溢れ続ける青い光は真っすぐに第四使徒の上空の魔法陣へと吸い込まれていく。
その様子をながめ、状況把握に努めていた二ムにゴードンが再び叫ぶ。
「動けるのか? なら嬢ちゃんだけでも逃げるんじゃ! 今すぐに!」
「へ? いや、そういうわけにも……うーん。倒したいっすけど、あれ中身フィアンナさんなんすよね? うーん」
「倒すじゃと? ば、ばかを言っていないでさっさと逃げんか‼」
腕を組んで首を捻って悩む二ムに全身の力が抜けてしまっているゴードンが焦って声を掛け続けていた。だが、次の瞬間そんな彼ら全員に絶望が訪れることになった。
中空に浮かぶ第四使徒は直上の魔法陣を展開したまま、その両手を前へと突き出し、そしてそこに深紅に煌めく光球を象った。
「ヴァ……ヴァ……ヴァヴァヴァヴァ……」
その輝きは次第と大きくなる。まるで太陽の様に眩しく煌めく赤い球は第四使徒の体躯をも超え、ホールの天井を飲み込む勢いで膨れ上がり続ける。
そして一際激しく輝いたその時、その光は彼らに向かって放たれた。
「これはちょっと大きすぎやすね……どっちに逃げても巻き込まれやすね……」
その言葉を漏らした直後彼らはその巨大な深紅の光球に飲み込まれた。
空間そのものを抉るかのように放たれたその光は、周囲の壁や床、配下であるはずのアンデッドナイトもろともそこに存在していたすべての物を飲み込んで掻き消していった。
壁や柱を失った建物そのものが消えていく。
その光の中にあって、ゴードンは不思議な光景を見た。
周囲全体が深紅に煌めく中、まるで火炎の中に取り残された様になったその状況で彼の前に立つ少女の声が確かに届いたのだ。
「避けきれないと思ったんで、リアクターを全開にしてエネルギーフィールドを展開しやした。でも、ちょいと、燃料使いすぎちまったみたいです……すいません」
「なにを言っとる?」
彼の前に立つ少女の肩から力が抜けたその直後、彼は溢れる光から子供たちを守ろうとアルベルトとセシリアを抱きしめた。
× × ×
『こ、これが主様の本当の力……』
床に転がる首だけになったべリトルはその凄まじい光景を目の当たりにしていた。
本来の姿を取り戻したであろう主、第四使徒ドレイク・アストレイ。
その存在はやはり尋常ならざるものであったのだ。
これを……
このお姿を見る為だけに、我は今日まで生きながらえ続けてきたのだ。
滅びの天使を再びこの地上へと顕現させること、それこそが、彼の使命。漸く今それが叶ったのだ。
万感がこみあげ、首だけとはいえ、その達成感に彼は打ち震えていた。
『くふふ……聖鎚ゴルディオンに、謎の女……妨害はあれど、我は為したのだ! 為し得たのだ‼ くははははははは』
湧き上がる愉悦に心の底から彼は笑う。
まさに今目の前で邪魔立てする人間は消し飛んだのだから。
『これで世界は終わる……全ては我ら魔族の思うがままだ……くはははははは……え?』
それは突然のことだった。
ふと見上げたその時、彼の視線は主である第四使徒と交わったのだ。そして次の瞬間……一条の光線が彼の存在から放たれた。
『なっ⁉』
驚愕するべリトルの前でその光線が着弾したそこにあったのは、彼の身体。
凄まじい爆音を伴ってその身体が木っ端みじんに吹き飛ばされる。
『な、何を……?』
べリトルは困惑していた。
自身が命をかけて蘇らせた主に今まさに彼はその身体を滅ぼされたのだ。困惑しないわけがない。
爆風にあおられ、瓦礫と化した壁面まで転がったべリトルの頭。その視線の先にはやはり彼の御方の無表情な顔が。
『ヴァ……ヴァヴァヴァ……』
確実に自分を殺しに掛かっているその存在に、彼は恐怖した。
だが、主はすぐにその視線を外し、再び先ほどゴルディオンたちが立っていた辺りへと戻した。
べリトルも恐る恐る視線をそちらへと向ける。
すると……
「お、おい、嬢ちゃん?」
そこには全裸のまま腕を大きく開いて立ち尽くす少女の姿。
『ば、ばかな……』
べリトルにはそれが信じられなかった。
射線上の全てのアンデッドナイトが消し飛んだあの激しい爆発と熱の中でなぜあの女は立っているのか。そもそも服は全て焼き尽くされているとはいえ、あの白い素肌の身体には傷らしい傷が全く見えない。
『あ、あり得ない……』
それが素直なべリトルの感想であった。
いくらなんでも、わが主の攻撃に耐えられるわけはないのだ。彼の御方達はかつてたったの七翼で世界中全ての人類を滅亡の一歩手前まで追い込んだのだ。
それがたかが小娘一人葬れぬはずがない。
動きを止めたままの少女にゴルディオンが起き上がりその肩をゆすっている。
「お、おい! 嬢ちゃん! しっかりせい! しっかりするんじゃ!」
そう声を掛けても、少女はピクリとも動かない。
その様はまるで神殿の女神像の様でもあり、神々しくさえあった。
だが、その様子を見て、再び込みあがってくる愉悦にべリトルは笑うのだった。
『流石に死んだか! それはそうだ! お前らに敵うわけがないんだ! ははははははは』
きっと少女が命をかけてゴルディオンを守ったのだろう、焼け石に水だったなと再び哄笑するべリトル。
立ち尽くす少女とそんな少女を庇おうとするゴルディオン。そしてそんな彼らにゆっくりと近づいていく彼の主第四使徒。
いよいよこの戦いが決しようとしているこの時……
彼らが現れたのだった。
「あ、なんだこりゃ? お前らなにやってんの?」
もともと礼拝堂の入り口があった辺りに立っていたのは……
小太りの騎士を背中に担いだ、いかにも気の弱そうな冒険者風の男だった。