第十五話 アンデッドナイト
「貴様……何者……だ」
呻くようにそう呟くのはべリトルである。自身が展開した強力な防御壁をいともたやすく破壊され困惑の極致に立っていた。
彼は腕に抱えたフィアンナに一度視線を落とし、そして手に握る『魂の宝珠』の感触を確かめる。
全ての準備は整った。
長き時の果て、今日この満月の夜に彼の御方をこの世へ再誕させる。これこそが彼に課せられた宿命であり運命であったのだ。
邪魔する者は何もないはずだった。
この地にはびこるのは所詮ひ弱な人間ども。彼にとっては取るにたらない存在でしかない。だが、人よりも多くの『源』を必要とする彼らにとって無駄は極力排除しなければならない。だからこそ、私利私欲に囚われていたスルカンやその手下達を影で操つり自身の主の再誕の儀式の為に力を温存していたというのに。
べリトルは目の前に立つ赤毛の小人とその隣に悠然と佇む一見町娘風の黒髪の少女を見た。
『聖鎚ゴルディオン』。300年前の『魔竜族の反乱』からこの世界を救った5英雄の一人にしてその唯一の生き残り。その消息は洋として知れていなかった筈なのだが、べリトルは合った瞬間それを一目で見抜き確信した。
強大な悪をその鎚で滅ぼしたその偉業は、今の世にも伝説となって語り継がれている存在でもある。そのような規格外の存在がまさかこんな辺境の街に居ようとは……いや、もしかしたら『彼のお方』の復活を妨げ続けていた張本人かも知れない。
そこまで考え、彼は今日と云う日を逃すわけにもいかず、逃げに転じたのだ。
『鍵』である魂の宝珠と、『扉』である自らの主の血を引きし娘。この二つさえ揃えば、『彼のお方』をお呼びすることができる。ここで無理をする必要はない。
そしてそれは正解だった。
彼自信が思う以上に、その存在は強大であった。
2000年の時を遡って存在していた古の『融合魔法』をもってしても、ゴルディオンは己の身体のみでそれに対抗して見せたのだ。
その光景に驚愕しつつも、焦りを表に出さなかったべリトルは急ぎ主の召喚を行おうとしていた。
だが……
ゴルディオン以上の強大なる者がそこに存在していた。
凄まじい破砕音とともに、魔法により具現化させていた絶対防壁、『超高硬度金属壁』を粉微塵に打ち砕かれてしまったのだ。
べリトルには何が起きたのか理解が追い付かないでいた。
あくまで魔法により精製されたとはいえ、この世に通常は存在しえない最硬の超硬度金属を象ったのだ。それが簡単に打ち破られるなどとは微塵も思っていなかった。
しかし、それは起きた。
粉塵と化したアダマンタイトが魔力による形状を保てなくなって光輝きながらマナへと還元されていく。そのキラキラとした輝きの向こう側に、その少女はいた。
どこをどう見てもただの町娘のようにしか見えない。そして彼の『魔眼』をもってしても、彼女の潜在能力を覗き見ることは叶わなかった。
しかし、それが纏う雰囲気、佇まいからは、それが人でないことだけは理解した。
こいつはいったいなんなのだ? いったい何で今このときに……
自らの大願にあと一歩というところにあってこのイレギュラー。いったい何が起きてしまったのか……
だが、無情にも時は彼に猶予を与えることはなかった。
目の前で少女が両の拳を握りしめたから。
× × ×
「なんじゃい、嬢ちゃん本当に強かったんじゃな」
「あ、れ? あれあれ? 誰かと思ったらゴードンさんじゃないっすか? あ、さっきはイチゴご馳走さまでした! 本当に美味しかったっす!」
ファイティングポーズをとったニムの脇で、ドワーフのゴルディオン……いやゴードンが呆れた声を漏らすも、ニムは普通にお礼をする。
それを聞いてますます呆れ顔になったゴードンがやれやれと首を振ってから再び巨大な両刃斧を担ぎ上げた。
「ま、良いじゃろう……今はまずはこいつをなんとかせんとな」
「そっすね! 大事な金蔓……じゃない、依頼人を返していただかないといけないっすから!」
「ならケガせんようにいくぞい!」
「へ? あれ? ご主人なら、素早くつっこみ入れてくれるのに!」
そんな会話をしつつ、先にゴードンが飛び出した。
高速でべリトルへと接近しつつまるで雷撃の如き勢いで斧を振りかざす。
「くっ……」
べリトルはそれを紙一重で躱すと同時に後方へと飛びし去った。だが……
「あまいっすよ!」
振り返る間もなく後方から女の声が掛かる。
どれだけの速度で移動したのか、ドワーフの背後に居たはずの少女がいつの間にか後ろに回り込んでいた。
べリトルは自身の足に急制動を掛ける。このまま飛び込んでも相手の方が速度も打撃力も勝っている。ならば、今ここですべきことは……
べリトルは停止しそのタイミングで懐に忍ばせていた先ほどスルカンが落とした黒水晶を取り出しそれを掲げた。
「主様のお力をお借りするのはいささか抵抗がありますが、今はそんなことは言っていられませんね。現れ出でよ! 眷属達!」
その発声の途端に黒水晶から真っ黒い靄が溢れだす。
そしてその靄が一瞬で周囲を暗黒に染めた。
「なんすか? 目くらましっすか? 赤外線センサーで丸見えですからワッチにはなんも意味ないっすけど……?」
「むう……気を付けるんじゃ、奴らがくるぞい」
闇の中で身体をこわばらせるドワーフと辺りをきょろきょろと見まわす少女を見つめながらべリトルはその足を踏ん張る。玉から滝のように流れ出れるこの強烈な主の瘴気が彼自身をも焼いていた。しかし不思議なことに腕の中のフィアンナにはなんの影響も出ていない。黒い靄は彼女を避けるかのように滑る様に除けて広がっていっていた。
真っ暗闇に変わり果てたその礼拝堂内にあって、暫くするとその闇の中に何か赤く光るものが浮かびあがる。無数のそれはユラユラと揺らめきながらどんどんその数を増していった。
その様子を見ながら二ムが口を開く。
「あの、ゴードンさん? これどうやってんすかね? 剣と盾を持った赤い目のスケルトンが何にもないとこから山盛りに出てきましたよ」
「嬢ちゃん気をつけろ! これが奴らの『軍隊』じゃ!」
そう言うや否や、ゴードンは再びその身を翻す。そして暗闇で何も見えないままに、近くに現れた骨の一体の頭部を破壊して吹き飛ばした。それを見止めた二ムが拍手をする。
「おお! すごいっすゴードンさん! ゴードンさんも見えてるんでやんすか?」
「見えとらんわい! じゃが、こいつらが放つ『妖気』は分かるわい! 気いつけろ嬢ちゃん。こいつらは普通のスケルトンではない。『アンデッドナイト』じゃ!」
「へえ、『アンデッドナイト』って言うんすか! なんかカッコいいっすね!」
二ムが気軽に答えながらもゴードンはその斧を振るい近場のアンデッドナイトを叩き切る。
全く視界が効かないはずの彼ではあるが、的確にアンデッドナイトの頭部を破壊した。しかし、それでもひるまずに襲い掛かってくるアンデッドナイト……ゴードンは暗闇の中で身を捻りその一撃を躱した。それを見ておおーと歓声を上げるニムに、ゴードンは再び注意を促した。
「このアンデッドナイトは普通のスケルトンとはわけが違うんじゃ。嬲り殺された人間の怨嗟の籠った魂を凝縮して『闇の精霊神』の力で現界させた『人工悪鬼じゃ! 一筋縄じゃ行けんぞ!」
闇のうちでそれを聴き、べリトルはほくそ笑む。
たとえどれだけ強靭であろうともこの死ぬことのない『闇の軍団』に恐れるものなどない。
そうこのアンデッドナイトこそが主、『ドレイク・アストレイ』奪還のための兵士であり、幾百年の長き間に渡り、毎年の七の月の満月の夜に封印の結界の破壊を試み続けてきていたのだ。
姿かたちこそスケルトンに酷似してはいるが、その実この闇の兵士は存在そのものが別物なのである。
スケルトンやゾンビーが、放置された死者の躯に『闇の源』が注がれ誕生するのに対し、アンデッドナイトは人を恐怖と絶望に追い込んだ上で殺害し、その数百数千人の淀んだ魂を魔法によって凝結させ、最強種である竜の牙より作られた強靭な骨格に植え込んで誕生させた言わば人造人間。
通常であれば、たとえレベル50相当の高レベルパーティと戦ったところで敗れるはずもない強力無比な存在である。
しかし、このアンデッドナイトには弱点があった。
自らの主の血族に対しては攻撃することが出来ず、さらに、思考力が皆無であり主『ドレイク・アストレイ』の命による『魂の宝珠』の奪還という目的以外の行動を取ることが出来ない。
さらに、現界するためには『闇の精霊神』の力のもっとも発揮される満月の夜のみに限定されてしまっていた。
その為、長い時の間、街を守る使命を受け継ぎ続けたドレイクの子孫、アストレイの直系の血筋の者の孤軍奮闘によって『死者の宝珠』の奪還は行えないままでいたのだ。
長い眠りの中でべリトルはその事実を苦々しく思っていた。
彼の主であり崇高なる存在であった『第四使徒ドレイク・アストレイ』の血脈が、こともあろうに人間に味方し更に主の復活を阻止し続けようとは。
ひと月前の満月の夜、本来であればあの時すでに事は為されているはずであった。
スルカンを操り『魂の宝珠』も手に入れた。血族のライアンを死なせたことは失敗であったが、彼に娘がいることは分かっていた。そしてアルドバルディンの街に戻って来ているということも。だからこそアンデッドナイトを使い街を襲わせ、事を為そうとしていたというのに、こともあろうにその前にアンデッドナイトは全滅してしまった。
そしてその理由も判明した。
まさかここに聖鎚が現れようとは……予想外であったとはいえ、察知出来ていなかった自身の怠慢に嫌悪した。
だが、今は違う。
『死者の宝珠』も『主様の血脈』もこの手の内にある。
たとえドワーフとそしてあの異様な存在の少女が居たとしても全てはアンデッドナイトの足止めの間に遂行できる。
今なのだ。
今こそ主様を復活させ、この薄汚れた偽りの世界を終わらせる。
そうそれが自分の使命なのだと、彼は再びその思いを確信をもって固めていた。
しかし、その思いは次のこの一言で泡沫に帰す。
「あ、大丈夫っすよ! このアンデッド簡単に倒せやすから。ほら」
「「え?」」
ドワーフとターバンの男の声が同時に発せられたその直後、少女は暗闇の中にその身を躍らせた。
そして振るったのは自身の『拳』。
けたたましい奇声を発して襲い来るアンデッドナイトの群れの只中にあって、彼女は全ての斬撃を躱しながらその拳を相手へと叩き込んだ。一撃で粉砕され吹き飛ばされていくアンデッドナイト達。彼女が破壊するのはその骸骨の身体ばかりではなかった。剣や盾、兜や鎧もお構いなしに粉微塵に粉砕して回る。一体のアンデッドナイトを屠るのにモノの数秒もかかっていない。
「こ、こんな、ばかな……」
深淵の闇の中で、通常の人間では見ることのかなわないその光景を見、べリトルは再び動けなくなる。
確かにこの目の前の少女は古代魔法の強力な防壁を破壊した。
しかし、このアンデッドナイトは硬度こそアダマンタイトに劣るものの、竜の牙という通常の武器では傷一つつけることの適わない頑丈な身体を持ち、さらに『闇の精霊神』の加護の元で強力な魔力によってその身を守られているのだ。
しかも今は明確にこの二人を敵と認定させ襲い掛からせている。この無敵の死の兵団に立ち向かえる存在など2000年前でも殆ど存在しはしなかった。
だというのに……
「ほら、簡単でしょ? 頭を潰しても動きますんでね、腰と肩を潰すのがポイントです!」
「はぁ、まったく、本当に呆れた娘っ子じゃわい」
溜息をついて微笑みを浮かべたドワーフの姿を認めたべリトルは、ハッと我に返り慌てて『魂の宝珠』を掲げた。
目の前の存在はもはや自分の想像の範疇を超えてしまっている。
ならば、全てをあきらめるほかはなかった。そう、今すべきことは『自身の主』を蘇らせること、ただそれだけ。
べリトルはアンデッドナイトと戦う二人に構わず、左手で抱えていた少女を抱き上げその胸に『魂の宝珠』を押し付けた。
「な、なにを……?」
今まで暗闇の中で恐怖のあまり身じろぎ一つできなかったフィアンナはこの時初めて声を漏らす。その次の瞬間、胸に押し付けられた宝珠が激しく青く輝いた。
「ひ、ひぃっ」
その微かな彼女の悲鳴は、胸にめり込んでくる痛みに寄るところか、眼前に急に現れた青く照らされた卑しい微笑みを直視してしまったためか……それともその両方か。
彼女はその悲鳴を最後に言葉を失う。その口から大量の血の泡を吹きだしつつ、彼女は体全体を駆け巡る何者かが自分の内を食い破ろうとでもしているかのような悍ましい感覚に蹂躙されながらその意識を刈り取られていった。