第十四話 現れた悪との対峙(主人公抜きだけど)
紋次郎たちが地下に落ちるより遡ること数十分前のこと……
アルベルト、セシリア、フィアンナの一行は『死者の回廊』の礼拝堂の前に辿り着いていた。
彼らは街の東のシニカの森を北に抜けると、切り立った崖を降りるようにしてまっすぐにこの墓地へと目指し、紋次郎たちが入った口とは別の入り口から侵入した。
時刻は夕刻を越え、夜の帳が降りようとしているところ……見上げたそこには大きな真円の満月が天頂を目指し昇り続けてるところ。
手に手に武器を構えた3人は慎重に歩を進める。
当然のことながら、周囲からの突然のアンデッドの襲撃に対しての構えであったのだが、全くと言っていいほど何も現れなかった。
複雑奇怪に森に没した様の入り組んだこの墓地にあって、突き出た崖のようになったこの丘の上にその礼拝堂は屹立していた。
天に向かって聳えるその建造物は、石造りの塔のようでもあり、至るところに朽ちた窓があり、そこから深い闇を覗かせている。
尖塔のような形状を思わせるその最上層は崩落してしまったのか、上方の一部は存在していない。
その異様な景色に圧倒されつつも、3人はお互い頷きあって周囲を警戒しつつ建物の入り口へと歩いていく。
やはりここでもアンデッドが出現しなかった。
この時の彼らはやはり冷静ではなかったのかもしれない。
アンデッドを倒し続けるという『アストレイ家の宿命』と『魂の宝珠』の本当の意味を理解する前に……いや、明確ではないにしろ、今置かれている各々の問題の解決のための『解』を目の前に提示されてしまったがために、それを終わらせたいという欲求が判断を鈍らせていたのだろう。
彼らはここに待ち受ける恐怖を知らないままに、この地へと足を踏み入れてしまったのだ。
× × ×
「セシリア……」
「ひっ……」
朽ち落ちた礼拝堂の大きな入り口から中へと進んだ彼らに唐突にその声が届き、全員が息を飲んだ。
特にその名を呼び掛けられたセシリアは、その声に聞き覚えがあったこともあり、悲鳴にも近い声を漏らす。
「セシリア……」
礼拝堂のその奥、高い天井の広いホールは薄暗いが月明かりが破れた天窓から差し込み所々の床を照らしていた。そこには瓦礫が散乱し、床も剥がれ酷い有り様であった。
一目みて異様なその景色。周囲全てが破壊され朽ち果てているにも関わらず、その祭壇の一角だけはまるで誰かが設えたかのように綺麗な様子である。
しかし、3人はそれには特に驚かなかった。
この空間にあってあの祭壇だけがあの様子なのは今に始まったことではないから。何時いかなるときもあの場所だけは清廉であり、誰も立ち入ることができないことを知っていた。
そうあの祭壇こそが『魂の宝珠』が安置されていた場所であり、その周囲には特殊な結界が施されているのだ。
声は、その更に奥、一段高い位置の綺麗な赤い毛繊のの敷かれた金細工で飾られた祭壇のそばから聞こえてきていた。
3人が注意深くその闇を覗いてみれば、暗がりから長身痩躯の男性がまるで幽鬼の様にゆらりと現れた。
その男はゆっくりと体を揺するようにしながら彼らへと近づいてくる。
アルベルトは腰の剣の柄に手を当ててサッと身構える。相手の男の正体を察しているからこそのこの行為、彼は剣を引き抜くことが出来ないでいた。二人を庇うように前に立つアルベルト。
男が月明かりの差し込むその場所へ差し掛かった時はっきりとその顔を彼らは見た。
「お、お父……様」
予想通りと言えば良いのか、そこにいたのは間違いなくこの領の領主でもあり、フィアンナの父ライアンを殺害した犯人、セシリアの父『スルカン・エスペランサ』その人であった。
呻くように父と呼んだセシリア……アルベルトとフィアンナは緊張した面持ちでその身体を強ばらせていた。
スルカンは笑みを深くしながらセシリアへと声をかける。
「セシリア……本当に悪い娘だ。さあ、私から奪った物を返しておくれ」
スルカンはその長い腕をにゅうっとセシリアへと差し出してくる。そのゆっくりとした動作があまりにも邪悪に感じられ、セシリアは身を竦めた。
「し、知りませんわ。わ、わたくしはお父様から何もうばってなど……」
直後、スルカンの身体がピクリと揺れた。
つい今しがたまで微笑みを浮かべていたその顔から笑みは消え、なにかつまらない物でも見るかのような目で彼女のことを見下ろしている。
「嘘を……私に嘘をつくのだな、セシリア……」
「お、お父様……?」
あっという間の出来事だった。
目の前に立っていたスルカンがアルベルトたちの眼前から消え、次の瞬間には彼らの背後にあってその細い片腕でセシリアの首を握りしめて天高く掲げていたのだ。
「う……う……」
必死にスルカンの腕にしがみついて呻き続けるセシリア。
その姿にハッと我に返ったアルベルトがその剣を抜き放ち、スルカンへと吠えた。
「や、やめろっ!」
だが、スルカンは彼に一瞥もくれない。ギリギリとセシリアの首を締め上げ続けている。ばたばたと足を振りもがくセシリアを見て、アルベルトは剣を大きく振りかぶった。
「やめろぉ!」
「邪魔をするな!」
スルカンはもう片方の長い腕を振るうと剣ごとアルベルトを叩き吹き飛ばした。そのまま背面の壁に激しく衝突するアルベルト。倒れながら彼は唖然となってスルカンを見る。フィアンナもまた驚愕の表情のままに固まってしまっていた。
セシリアの父、スルカンは病的な程に色白の上線が細い。普段からして戦いとは縁遠い生活を送っているはずであった。
だが、実際にその力は想像を絶するものであり、今やレベル10を超えC級災害モンスターを狩れる程度の実力を保持しギルド公認冒険者となった3人を持ってして、到底太刀打ちできない力を見せつけられ身動きが取れなくなった。
「んん……んんん……」
ギリギリと首を締め上げられているセシリアの美しい顔は開かれたままの瞳が虚空を見つめ、口からは泡を吹き出し始めていた。その状態のままでスルカンが口を開く。
「悪い子だ……本当に悪い子だ、セシリア。この父を謀ろうとは……だが、ここにその宝珠を運んできてくれたことは褒めてあげよう。さあ、父にあの宝珠を返しておくれ?」
口角を上げたまま、そう漏らすスルカン。だが、すでに彼の腕の力により必死にこらえるセシリアは何の反応を返すこともできない。
だが、そのスルカンの言葉に立ち尽くしていたフィアンナが反応した。
「た……『魂の宝珠』なら、こ、ここにあるわ! これを渡すからすぐにセシリアを放して!」
「だ、ダメ……」「だめだ……」
首を絞められているセシリアと倒れ伏すアルベルトが吐き出すように制止の言葉を投げかける。しかし、スルカンは即座に振り向き、まるで獲物を狙う獅子のように目を細めフィアンナをジッと見据えた。
彼女は震えが止まらない手を差し出し、その手に握られていた『魂の宝珠』をスルカンへと見せる。
「ほう……」
スルカンはそれを認めると同時に腕の中のセシリアを開放する。重力に従い落下したセシリアは地に伏せたまま動かなくなった。
スルカンはゆっくりとフィアンナへと歩み寄る、そして宝珠を見定めた後、フィアンナの顔を覗きこむ。
「なぜお前のような娘がそれを持っている? お前は……」
観察するように顔を近づけてきたスルカン、その瞳がより一層細く狭められたその時、彼女は手にしていた宝珠を素早く投げた。
「あ……」
それにつられて宝珠へと身体を廻したスルカン。彼女はその隙を見逃さなかった。
「父の仇‼ お覚悟‼」
身を翻した彼女の手には深紅に染まる鋭い短剣が握られていた。
この剣こそが、力のない彼女が復讐を行うための切り札であった。
『亡者の剣』。
この世に未練を持つ亡者達の魂が人の血を求めてこの剣の姿になったとも言われ、振るえば確実に相手の急所を抉り死に至らしめるという呪いの武器であった。
聖職者であり、解呪の執行者でもある彼女は、自身の復讐の為に禁忌であるこの呪いの武器を修道院から持ち出していた。それは許されざる罪。しかし、それを犯してでも彼女は父の仇を取りたかった。
一瞬の中で背後を見せたスルカンの丁度脇腹、彼の豪奢に飾り立てられたシャツからも浮かび上がる肋骨と肋骨の間へとその切っ先を滑り込ませた。
丁度斜め下方から突き上げたその剣は肺を貫通し心の臓をも貫き通す正に必殺の一撃であった。
しかし……
「きさま……」
「私の名はフィアナ・アストレイ。貴様に殺された父の無念、想いしれ!」
憤怒の形相で振り返るスルカン。
その瞳を見てたった今仇討ちを行ったばかりのフィアンナは恐怖から剣から手を放し、そのまま後ろの方向へ尻餅をつく。迫りくるその男が深紅の瞳を輝かせながらその正体を現したからだ。
「よくも……よくも我が衣を……きさま……」
「ひっ……」
スルカンは穴の開いた自分の衣服の脇腹の部分を血走らせた目で見てから怒りの形相をフィアンナへと向けた。そのあまりの威圧に彼女は身を竦めるも、次の奴の行動で完全に動くことが出来なくなった。
スルカンはワナワナと怒りに震えた手で自分の服を掴むと、徐に力いっぱいそれを引き裂いた。
そこにあったモノ、それはまさに異形だったのだ。
フィアンナが突き刺した剣は確かに彼の身体の内だった。
だが、そこに肉はなかった。
もともとやせ細ったその身体は、完全に骨だけになっており、むき出しの肋骨の間を通る様にしてそのがらんどうの胴体にその剣は挟まっていた。
よく見れば肉が残っているのはへそから下あたりと、両肩の一部……腕などはところどころ欠損していてやはり骨がむき出しになっていた。
「ば、化け物……」
恐怖からガチガチとその歯をかち鳴らしながら呟いたフィアンナ。
そんな彼女へと目をらんらんと輝かせた怪物、スルカンが迫った。
「アストレイ……? ククク……なんと貴女はライアンの娘だったか……あの正義感面した木偶の坊の出来損ないの……ククク……」
父を貶す酷いその言葉に怒りが一瞬込み上げるも、目の前の存在はすでに普通の人間ではないことでその怒りは一気に収束していた。そして次の奴の言葉でフィアンナは絶望の淵に叩き落とされることになる。
「いいことを教えてあげましょう。貴女の父親は街を見捨てたのですよ、貴女を生かすために」
「え?」
唐突に邪悪な笑みとともに明かされた父の話に、フィアンナは恐怖の中でただ震えていた。
スルカンは体内に引っ掛かっていた剣を無造作に引き抜こうとし、ガッガッと剣が肋骨を削る。それを煩わしげに顔をしかめながら乱暴に引き抜くと、フィアンナの前にそれを投げ捨てた。
そして天窓から差し込む月の光を恍惚とした表情で見つめながら口を開いた。
「クックック……今少しの命とはいえ、知らぬままに死ぬのは不憫ですね。いいでしょう。教えて差し上げます」
フィアンナを見下ろしながら両手を広げ、スルカンは虚空の身体を見せつけるように彼女へと近づいていった。
「あの男は……ライアンはバカな男です。この地でお眠りになられていた『彼のお方』の封印を解き、そしてその生け贄にとすべての町の住民の命を捧げたのですから」
歩みを止めないスルカンを見上げながら、フィアンナは口の中がカラカラに乾いていくのを感じていた。
そして絞り出すように言った。
「う、嘘よ! ち、父が街の人を犠牲にしようなんておもうはずはないわ。きっと間違いよ! きっと……」
にじり寄る異形の存在を見つめつつ、彼女はただ必死に父の無実を訴える。
だが、笑みを絶やさないスルカンは言葉を続ける。
「本当ですとも。彼は封印の役目を続けながらも、それを貴女へと継がせることを嫌った。くくく……だから彼は頼ったのです。この私を! この私の言葉を! くくく、本当に愚かな男だ……」
「私の……為?」
「その通りですとも! 魂の宝珠さえなくなれば封印の役目も消える。だからそれを壊す為に私にそれを渡せとめいじたのです。彼は喜んで取ってきてくれましたよ。すべては私の思惑の通り……いえ、私は何も嘘はついていませんよ、魂の宝珠は消えてあの方が甦られて封印の役目は無くなるのですから……くくく……くははははははは」
血の気の失せた顔のフィアンナに向かって哄笑を上げるスルカン。フィアンナは明かされた事実に愕然となりその場に膝を着いた。
「あなた方はその『死者の宝珠』がどんな存在なのかをご存知ですか? 『死者に安寧をもたらせるもの』? 『この地を守る物』? いいえ、色々言われていますが、それは全て間違いです。『魂の宝珠』とは……」
スルカンはその口角を大きく引き上げた。
「『主様』の魂そのものですよ」
卑しい笑みと共に放たれたその言葉に、フィアンナだけでなく、アルベルトもセシリアも言葉がない。その場を支配しているのは等しく絶望の念。彼らは力なくその場に崩れた。
「さあ、時は満ちました。今宵この満月の世に『主様』は再びこの地に甦られる。はーっはっはっは、くはははっははははははははは」
「そうはさせんよ!」
刹那、烈迫の掛け声とともに天窓から真っ黒な塊が落下して来た。
と、その塊が中空でギラリと輝く巨大な金属を振り被ったかと思うと真っ直ぐにスルカン目掛けてそれを叩きつけた。
それが超巨大な『銀の斧』であることを床に伏す3人の若者が理解した時、スルカンは脳天から真っ二つに両断されていた。
少し間を置いてどちゃりとその場に崩れ落ちるスルカン。だが、その瞳はまだぐるぐると動き回り、自身を叩き切ったその存在に目を向ける。そして、損壊しているはずの喉を震わせずに声を発した。
『ば、ばかな……主様に頂戴したこの体の私を切り裂くとは……貴様はいったい……』
床に倒れたままぐずぐずと蠢き続けるスルカンの前に、その巨大な斧の得物を握りしめた筋肉の塊がすっくと立ち上がる。
その背丈は得物に似合わず驚くほどに小さい。
人間の子供ほどの身長で、自身の背丈よりもよほど大きな斧を肩に担いだ、燃えるような真っ赤な髪と髭の持ち主が吐き捨てるように言い放った。
「ふんっ! 化け物に名乗る名なぞないわい!」
その人物は、懐から掌に収まるほどの瓶を取り出すとそれを無造作に床に転がるスルカンへと向けて投げつけた。
割れ飛び散った内容物がスルカンの全身を侵食し、もうもうと煙が吹き上がり始める。
スルカンはまるでナメクジが塩で溶け行くかのようにその場でどろどろと溶解して行く。
「お、お父様!」
「無駄じゃ。こやつはすでに人ではないわ!」
近寄ろうとするセシリアに赤毛赤髭の小人が吐き捨てるように言いながら、手で彼女を制した。スルカンは朽ち行きながら震える身体を動かしながら言った。
『な、何故だ……私は永遠の命を手にしたのではなかったのか? 私は主様に力をお授け頂いたのではなかったのか?なぜだ……』
「どうやら勘違いさせてしまったようですね、領主様……これは申し訳ありませんでした」
唐突にその声が響いた。
怯えた3人の若者と再び巨大な両刃斧を構え直した小人の前に、そのターバンの男が一陣の風と共に現れる。
男は恭しく頭を下げた格好のままに、その右足を今まさに溶け消えようとしているスルカンの頭に乗せていた。
「主様があなたにお与えになったのは、『人ならざる者の生』……これにより貴方様は『人の死』を迎えることはなくなりました。お分かりですかな?」
『ま、待て……待って……』
スルカンの言葉がすべて終わる前に、ターバンの男が宣告した。
「では安らかにお休み為されませ……領主様……」
その言葉とともに足蹴にしていたそのスルカンの頭部を一気に踏みつぶす。まるで西瓜を潰したかのように四散したその肉片を目の当たりにして、若者達は戦慄し後ずさった。
ターバンの男は引き裂かれ潰れたスルカンの傍に近寄ると、倒れ様に懐から転がり出たのか、傍らの黒い水晶玉を拾い上げそれを手にすると歪に頬を歪めて微笑んだ。
萎縮する一同……だが、燃えるような赤毛の小人は前へと進み出る。それを見止めたターバンの男が驚いた顔を向けてきた。
「これはこれは……まさか貴方様ほどの御仁がお出でになられますとは……これは本当に予想外でした……『ゴルディオン』殿?」
唐突にそんな事をのたまうターバンの男に、ゴルディオンと呼ばれた小人は表情も変えずに男へと歩み続ける。
「ふんっ! そんな名前知らんな! 儂はそこのアルドバルディンの街に住まわせてもらっとるただの鍛冶師じゃ! 貴様のような人に仇為す人外を生かしてはおけんだけじゃ! 大人しく儂の得物の錆となれ!」
「くわばらくわばら、ここは退くしかありませんかな……私如きでは貴方には到底太刀打ちできませんからね。おっと失礼しました、私の名は『べリトル』と申します。以後お見知りおきを……」
その言葉が終わる前に、小人はその手にしていた両刃斧を目にも止まらぬ速さで投げつけた。高速で回転し襲い掛かる大質量の凶器! だが、その刃は紙一重でターバンの男をすり抜けて背後の壁に突き刺さった。
「ただで逃がすと思うたか! 貴様はここで葬ると言うたであろうが!」
小人は背嚢から先ほどの両刃斧よりも小ぶりの斧を更に二丁取り出し、それを振りかぶると一気に跳躍した。
小柄な体躯が凄まじい速度でべリトルへと迫る。刹那、べリトルはその顔に冷や汗を浮かべながら高速でやはり跳躍し、小人から逃げようとするも、速度に劣る彼に逃げられようはずもなかった。
空中で交差するその瞬間、凄まじい速さの銀閃の輝きの中でその着ていたローブをずたずたに引き裂かれていくべリトルの姿がそこにあった。
「これは……本当に厳しいですね……仕方なし……本来、私には荷が勝ちすぎますが、今宵は大事な主様の再誕の日……我が力の全てを使ってでも主様に報いなければ……」
べリトルは身体を切り刻まれながらもその両手を組んで天を仰いだ。
「何をぶつぶつ言っておる? 貴様にそんな余裕など……」
小人が怪訝な顔に変わったその時、べリトルが叫んだ。
「万能なるマナよ、今こそその力を解き放ち、ここに大地の大いなる奇跡、『大地の精霊王』の力を顕現せ‼ 『|大地の絶対防御《ド・アブソリュート・ディフェンス・オブ・ジ・アース》』‼」
「な! にっ‼ 古代魔法じゃと!」
目を見開いた小人の目の前に突如としてその巨大な紺碧の石の壁が床を破壊しながら天を突く勢いで突き上がる。建物を破壊しつつ現れたその分厚い壁が小人とべリトルとを分かち、迫ろうとしていた小人の攻撃を弾いた。
「く……小癪な真似を……」
この魔法はただの防御魔法ではない。
行使者の周囲を魔力量に応じた時間、破壊不能の超硬金属の壁を生成し外部からの全ての侵入を阻むのである。一時的にとはいえ、自然界に存在しない金属を物理的に創世するこの魔法の使い手が現在どれだけ存在しているというのか……
それを想い乍ら小人は更に背嚢から金色に輝く『鎚』を取り出して、それを振りかぶって現れたその壁を力いっぱいに叩きつけた。
その瞬間凄まじい衝撃音と激震が生じ、壁が僅かに削れるも鎚は弾かれてしまう。
「ちぃっ」
小人はその削れた箇所に何度となくハンマーを叩きこみ、漸く微かに亀裂が走ったその時、壁の向こう側から嘲るような声がかかった。
「おやおや、さすがの『聖鎚ゴルディオン』も歳には勝てなかったと見えますね」
「抜かせ!」
小人はその腕を止めない。金色のハンマーを幾度となく叩き込み、漸くその壁の一部に穴を穿つ。
だが、そこから見えた光景に、彼は眉をしかめることとなった。
その穴から見えたその先、そこには、フィアンナを抱きかかえ、その手に『魂の宝珠』を手にしたにやけた顔のターバンのべリトルの姿があったからだ。
べリトルは可笑しそうに笑いながら言った。
「この超硬度に錬成された古代魔法の壁を貫いたことは素直に称賛させていただきますよ。しかし、少し時間がかかりすぎでしたね。私はすでに主様の『扉』と『鍵』を手に入れてしまいましたよ」
「扉と……鍵じゃと?」
尚をハンマーを振るい続ける小人の前でべリトルは恍惚とした表情にその顔を変える。
「そうです! 鍵とはこの『魂の宝珠』。そう、主様ご自身! そして扉とは、主様の身体となるべく存在した器。主様の血を引きし末裔たるこの娘! さあ、時は満ちました! この娘の身体を依り代としてこの世界へとお戻りください! そして全ての民の魂を喰らい再びこの世界を暗黒にお染めくださいませ! 我が主! 『第四の使徒』、『ドレイク・アストレイ』様!」
感極まっているのだろうか、魂の宝珠を天に掲げるようにして微笑むべリトル。
アルベルトとセシリアはもはや身動き一つできず、必死に壁を崩そうとハンマーを振り続ける小人もまたその顔に焦りの色が滲みだしてきていた。
そんな時、唐突にその気の抜けた声が辺りに響いた。
「えーと、つまり『魂の宝珠』がなくて、『フィアンナ』さんもいなくて、『街のみんなの魂』も無事なら、その『主様』って人はなんも出来ないわけっすね」
「は?」
思わず素っ頓狂な声を漏らしてしまったべリトルは、その声がいったいどこから聞こえたのかと首を巡らすも、当然周囲は未だ健在である堅牢な超硬金属製の壁があるのみ。
数百年ぶりに彼の主が再誕しようとしているこの神聖な時に、そのような場違いな言葉が出たことが無性に腹立たしくなり、彼は思わず声を荒げる。
「誰だ? この儀式を妨げる者を我は決して許さん」
「そうは言われましてもね、その人依頼人なもんで返していただきやすね」
「何を……」
「えい」
そんな気の抜けた掛け声の一拍後、それは起こった。
『ガンッ』……と、世界が終わるかのような強烈な『音』が周囲全体に鳴り響いたかと思うと、眼前に聳え自身を取り囲み守っている紺碧色の壁の全面に蜘蛛の巣のような亀裂が生まれる。そして……
強固に魔法で編み上げられた筈のその壁が、あっという間に崩壊した。
「ふぅ……結構硬かったすね。宇宙船の外装鋼板くらいの強度ですかね。これはまたエネルギーの使いすぎだって、ご主人におこられちゃうかも」
「ば、ばかな……」
目の前の光景が信じられずワナワナと震え出すべリトル。そんな彼の前で桃色のブリオーをふわりと纏ったその少女が拳をグーに握りこんでにこりと微笑んだ。
「じゃ、やっちゃいましょうか」