第十六話 それくらい読んで会話できなきゃ異世界生活なんかできやしねえよ
ピート君が限界を超えちまったようなので、もう放っておくことにして、改めて俺は例のメガネ痴女に向き直る。
彼女は本気でおどおどと挙動不審に陥ってしまっていたが無理もあるまい。なにしろこんなロリコンの巣窟にいるんだ、怖いに決まっている。
俺は懐から例の魔法の本を取り出して、それをそっと彼女へと見せつつ頭を下げた。
「本当に助かった。あの時あんたに声を掛けて貰えなきゃ、俺みてえな雑魚はあっという間に死んでた。魔法を使えたのだってこの本のおかげ、本当に感謝している。ありがとうな、オルガナ」
眼鏡痴女……オルガナは、びくりと反応したまま俺を見ていたのだが、言われている内容がいまいち理解できていないのか、かちこちに固まっていた。
だが、目をきょろきょろしつつ少し思案がまとまったのだろうか、口をあわあわさせつつ俺へと言ったのだ。
「そ、そうです! そうですよ、あなたですよ! なんでですか! なんなんですか、あなたは!!」
「え?」
いきなりそう迫られ、俺も言葉がない。
というか、それこそ、いったいなんだってんだよ!
俺は何も言えないでいると、彼女は突然大声を出してしまったことが恥ずかしかったのか、真っ赤になりつつ周囲の連中を見回してから、今度は少しトーンを抑えて俺へと言った。
「ま、魔法です! 魔法ですよ!! あなたは今日、もう二回も魔法を使いました」
いや、実際は修道院出た後も使ってるし、水呑むのにも使ったからすでに10回は使用しているのだが……
それを言うと、ややこしくなりそうだと思い、グッと飲み込んで話さなかったのだが、彼女はお構いなしに続けた。
「なんで魔法を使えるのですか? そんなわけありません。貴方に魔法の素養は一切ないのですから」
と、なんだか以前ゴードンじいさんに言われたようなことを、ここでも言われた。というかこの物言いはけっこう凹むんだけどなぁ、なんだか俺が役立たず呼ばわりされてるみたいで。
「いや、だからあんたがあの時この魔導書をくれたじゃねえかよ? だからそれを俺は読んでだな、魔法の勉強をして使えるようになったんだよ」
「そんなわけありません!! 私は確かにあのアルドバルディンの街で言葉も喋れないまま悲嘆に暮れていたあなたに貴方に会いました。そしてたしかにそのノートを渡しました。でも、それは魔力を付与するマジックアイテムでもなんでもないのですよ? それはただの私のメモ帳ですし! 大陸各地の言語をそれにメモしていたので、それで言葉の勉強をして欲しかっただけですよ!!」
「は? メモ帳? そ、そういや、『七の月八つめ、グルスターヴの商店街、菓子屋アモーレのマドレーヌが絶品。つい20個も食べてしまった、最高に美味しかった』とか書いてもあったな。解読できなくて困ってたんだけど、あれは何かの符丁じゃなくてただのに日記か? それも食べ歩きの?」
「はぅあっ!? そ、そんなこと書いてました? う、うそ! 日記帳は別にしてたのに! はっ!! そ、そういえばあの時、ノートがすぐに出てこなくて、とりあえず後で書き写せばいいやって、別のノートに……まさかそれに? しかも消し忘れ……はぅううっ!!」
オルガナは猛烈に真っ赤になって俺の手にしたノートを凝視しているし。これはあれか? 返してやった方がいいのかな?
いや、面白いからもう少し持って居よう。
俺はぺらりぺらりと例の魔導書をめくる。すると、そのたびにオルガナがびくんびくん反応してしまっているのを、そっと見ないようにして必要なページを開いてみんなに見せた。
「ほら、魔法術式もこんなにびっしり書いてあるじゃねえか? これどう見ても魔導書だろうが?」
どれどれとバネットとニムとピート君も顔を寄せているのだが、ふむふむと頷いているのは二ム一人。
バネットとピート君はその魔法陣と周囲の文字を見ても首をかしげるばかりだった。
「えーと……ご主人様? ご主人様はそれ読めるの?」
そうバネットに問われ俺は即答。
「当たり前だろうが。読めるから読んでんだよ」
それを聞いたバネットとピート君が顔を見合わせていた。そして今度はピートが言った。
「それはいったい何文字なんだ? 俺だってかなり勉強したからこの大陸の言葉はだいたいわかるけどよ、そんなへんてこな文字は見たこともねえぜ」
「はあ?」
そんなことを言われたって、そもそも俺からすればこの世界の言葉なんてどれもこれも似たようなもんで、全部知らねえものなんだがな。
今度は俺が困って頭を掻いたわけだが、ニムが補足した。
「ご主人が言葉足らずですいやせんねえ、みんな誰でも簡単にわかると思ってるアホなんで、許してやってくださいよ」
「誰がアホだ誰が!!」
そんなことをほざくニムに怒鳴るも、それをまあまあと適当にあしらいつつニムが言った。
「これは所謂『古代文字』という奴ですよ。ワッチもあんまり見てはいませんけど、アルドバルディンの図書館にあった3冊の本と、死者の回廊って呼ばれているお墓の墓石にだけこの文字が使われてやしたね。要は大昔の言葉ってことっすかね? ね? オルガナさん!」
そう言われ、またもやビクンと反応したオルガナがきょろきょろと周囲を見ながら言った。
「そ、そういうことなんですけど……えっと……あ、あなた達ははいったいなんで読めるようになっているのですか? こんな短期間に!! 本当に可能なのですか? 教えてください!」
そう問われ、今度は俺とニムが顔を見合わせた。そして。
「何でって言われてもなぁ」
「そっすね……文字を解読して読めるようになった、ってだけなんすけどねぇ」
別に大したことじゃあない。声に出して話している奴らがいて、書いてある文字があって、物語などの書籍があって、図書館だってあるんだ。これだけ教材があれば解読するくらい簡単だろうに。
そもそも宇宙には、言語体系を持たない知的生命体はいくらでもいるんだ。そいつらとコミュニケーションをとりつつ共通認識を得ながら、共同宣言を出していくことの大変さよ。
宇宙開拓史を読めば誰でもわかることだが、新惑星発見者ばかりが功労者として持て囃され、偉大な探検家の名前だけが独り歩きするのだが、実はその陰に途方もない数の現地交渉団の存在とその功績が埋もれている。
新惑星を発見した時、しかもそこにある程度の判断能力を有した知的生命体が存在していた場合などはそれこそ、交渉団中の特に事務員の労災認定数がとんでもないことになる。それこそ数万人規模。
文化が違うので、損得の概念が地球のそれとは異なる上、下手なことをすれば相手の尊厳を踏みにじることになるし、ハラスメント発生が懸念される段階での条約の調印はできないのだが、だいたい一つの惑星との調印は1年で締結すべしとのお達しもあるため、それこそ交渉団は寝る間もないままに現地との対応に迫られる。まさに最悪の職場環境、現在も銀河系外への進出を鑑みている地球連合においてもっとも多く人員募集をかけているのは現地交渉団員なのである。まあ、宇宙船規模での超空間転移がまだ確立できていない現状では、地球で雇われてから銀河系外縁部の惑星交渉に向かうにしても、最低5年はかかるので、現実問題として地球で雇われていく人はほとんどいないわけなんだけども。
それだけ異文化とのコミュニケーションは難しいのだ。
ということで考えてみれば、先ほど言ったとおりに本もあり、文化的にも地球に近いこの環境、これで理解できない方が頭おかしいだろう。
これで難しいとか言っているやつらは、惑星交渉団の人たちに土下座するべきだ。
特殊な電磁波で会話している粘体人である、『スライミー人(地球人命名)』とのやりとりのアーカイブとか見ると、そもそも平均寿命が1年しかなく、分裂して別個人にとして増えていく彼らとの交渉は、毎回交渉するごとに新しい人が現れるものだから、話が進まない進まない。おまけに個人認証しようにも、同一個体から生まれる別人だから、遺伝子的にも同じな上に、ようやく確認とれたかと思ったら、もうお亡くなりになっているとか、交渉団の人たちは発狂しまくりだったようだしな。もうね、あの人たちにはきちんと年金を支払ってあげてほしい。これほんと。
「まったく、こんな文字読むことくらい造作ねえよ。そもそも標準語と、今話に出た古代文字? だかと、魔法術式用の魔法文字の三つだけだろう? それくらい読んで会話できなきゃ異世界生活なんかできやしねえよ」
「とか、ご主人がそんなこと言ってますけど、この人ただの変態なのでご心配なくですよ、普通じゃないんで」
「んだと、このポンコツが!! 人をなんだと思ってやがる!!」
「ちなみにワッチのニューロブレインには、言語解読中枢が組み込まれてますんで、基本この世界の言語くらいでしたらほぼラグフリーで解読可能ですね。ま、これを作ったのもご主人なんで、おかしいのはご主人ってことで!!」
「てめえ、いよいよぶっ壊されてえみてえだな!」
「や、やめてください! ワッチを裸に剥いて内側まで皆さんに見せちゃおうとかしないで!!」
「「「う、内側っ!?」」」
「なーにを、胸を抱いて訳わかんねえこと言ってやがる!! 内側もなにも、てめえの全身、両手両足も全部バラバラにするに決まってんだろうが!! くそがっ!!」
「「「ば、バラバラっ!?」」」
胸を押さえつつキャーと悲鳴を笑顔であげるニムに詰め寄ろうとすると、なぜかピート君とオルガナが、バラバラはだめ、バラバラはだめと言いつつ俺を引き剥がしにかかった。
というか、本当にバラバラにするわけねえだろうが、面倒くさい。俺ってなに? 本気でそんなことやるようなやつに見えるの? そこまで手間隙かけられる性格じゃないんだけどなあ。
「ええい、離せ! やる分けねえだろうが!! まったく!!」
なぜかその場の全員がホッと安堵の息を吐いた。ええい、こいつらマジで鬱陶しい。
「ええと、なんだっけ? なんで魔法を使えるかだったかだよな。そんなのは簡単だ。俺はお前のこの本を熟読したからな、隅から隅まで一言一句漏らさずに全部頭に叩き込んだ!!」
「はぁうっ!!」
オルガナが再び真っ赤になって、今度は両手で顔を覆って少しうなだれてしまった。
まだ話てるんだから、ちゃんと全部聞きやがれ!
「でだ! 俺は精霊に直接働きかけて、俺自身をある種の演算装置に見立てて術を構築して、精霊に魔法を行使させることにしたんだよ。精霊を操る術は、お前もこの本に書いたんじゃねえかよ、ほらここに!」
俺はそう言って件のページを広げて見せるも、オルガナはそこを見て驚いたように言った。
「いえ、ここに書いたのは、居座る精霊に少し移動してもらうように働きかけるだけのやりかたで、精霊に魔法を行使させられるわけでは……」
「同じだろうが! ここからあっちに移動してもらえるなら、魔法を使わせるのだって大差ない! っていうか、現に精霊(あとオナマス女神な)がきちんと魔法を使ってくれてるよ! 今だってその気になりゃあ使えるんだよ……まあ、そのなんだ、そのためにはバネットの胸を触んなきゃならないわけだが」
いや、これが一番のネックだ。
なんで魔法を使う際に胸をさらわなきゃいけねえんだよ、このままじゃあ俺はただのセクハラ男だろう。
だが、結局オルガナはもう一度魔法を使って見せろとは言わなかった。
というか、蒼白になって信じられない、信じられませんとぶつぶつ繰り返すばかり。うん、まあ、これで納得してくれたんなら俺も別に文句はないんだけどな。
だから俺は遠慮なく切り出した。
「さあて、俺は話したんだから次はお前らの番だ。まずはオルガナっ! てめえはいったい何者で何をしようとしてんだ? おっと、これはあくまで確認だからな。俺らはもうノルヴァニアに出会ってある程度話も聞いてるんだ。だからなにも隠さずキリキリ話しやがれ!!」
「え? の、ノルヴァニア!?」
驚いて顔を上げるオルガナを一瞥してから、今度は上座のバネットへと言った。
「それとお前だバネット。てめえいったい王城でなにしてやがった? それとなんでオルガナと密会してやがったんだよ? てめえも隠さずに話せよ、こら」
「いいよ? えーとね。私はアレクレスト……ええと、こくおうへいかに会いに行ったんだよ。あいつ私の昔の恋人でさ、死ぬ前にどうしても私に会いたいって手紙を寄越してきてたんだ。だから一晩くらいセ○クスしてやろうと思って行ったんだけど振られちゃってさ、それで伝言頼まれたからオルガナちゃんに連絡とってここで落ち合ったってわけ。あ、オルガナちゃんと私はこの盗賊組合立ち上げの頃からの知り合いだからね。連絡とる方法はいっぱいあるんだ! これで良い? 良かったら頭撫でてよご主人、えへ」
とか、可愛く首を傾げているんだが、その奥でピート君が愕然となって、滂沱の涙をながしちゃってるぞ。
ピート君、ちなみにそいつ元娼婦だからね。合掌。
バネット姉さん、本当に色々やってるなあ。