7.煮るのも、焼くのも
セクハラ表現、暴力表現があります。
鍋から少しスープをすくい、小皿に取り分ける。
「ね、どう?」
不安げな顔でこちらを見上げて来る、初々しく美しい彼女は花嫁修業真っ最中の26才、普通は相手の男に爆発しろと言いたい所だが。
「・・・・・・」
無言で別の小皿に取り分けて、彼女に差し出す。
・・・野菜の原型を留めない程荷崩れたシチューの中で、食材が生き生きと殺しあい、苦味とエグ味が存分に引き出されている・・・
本人も吐き出しそうになって、慌ててうがいをしている。
ナイフの使い方は、最初から問題なかった。
最初から隣に付き添って火加減に気を配り、灰汁の取り方も丁寧に指導した。
途中経過に、特に問題になる点は無かった、筈だ。
(備品のレードルを3本程持ち手を燃やしたり、過剰な位に安全機構が配慮されてる筈の、日本のガスコンロで爆発を起こしかけたのは、この際問題に含まない。)
本人の気が急き過ぎて、多少かき回し過ぎではあったけれども。
何故こうなる?
幼い頃から慣れ親しんだ、彼女の母親の味なのだ、すぐに再現出来るようになる筈だ。
最初は譲られたレシピの写しを渡して、少し目の前で料理して見せてコツなど教えれば、それで終わるものだと思っていた。
指定されたホテルの最上階、ロイヤルスイートとか言う名称の、ワンフロア丸ごとの部屋に備え付けられたキッチンで、浩輔は頭を抱えた。
客室のキッチンとは言っても利用客本人が使う為の物じゃなく、随行して来たり外から呼びつけられた、プロの料理人が使う、プロ仕様なので広さも設備にも問題ない。
スープは昨日の内に浩輔が鶏ガラとイザッベラ(仮名・当時)さんオリジナルのブーケガルニで完璧にとった。
牛肉は和牛のA5ランクなんて用意しない、乳が搾れなくなった廃乳牛の赤身肉だ、あの国の庶民が手に入る標準的な物でないと、あの食堂で食べた味は再現出来ないのだ。
もちろん日本で手に入らない、現地特産の野菜も香辛料も準備万端運ばせた。
肉は焼くだけ、野菜は生か茹でるだけ、塩胡椒すら振っていないそれに、最近はあの国でも出回り始めた市販のソースやドレッシングを掛けるだけ。
それ以外の煮る炒める等の調理をすると、途端に味がおかしくなる。
父親と婚約者から、そう証言されていた、でも、まさかここまでとは・・・
◆ ◆ ◆
階上でドスンバタンとしていた物音が、しばらくしておさまった。
「ずっりいよな・・・」
「お前、しつこいな、まだ言ってんのかよ?」
不満タラタラな若い男を、年嵩の男が諫めている。
「だって兄貴、結構な人数女の子がいたんスよ、それ全員ボスが味見してからじゃなきゃ、俺達に回して貰えないなんて、ずるいっすよ。」
上が静かになったのは、獲物が抵抗を諦めて、ボスがじっくりと味わっているからだろう。
黙って立ち上がった男を、兄貴の声が追いかける。
「おい、どこに行く?勝手に娘達を引き出したら、只じゃ済まないぞ。」
図星だったのか若い方の男は、聞こえないようにチッと小さく舌打ちした。
「トイレっスよ。」
不貞腐れたその返事に引き止めた年嵩の男ではなく、部屋に屯っていた男達が囃し立てた。
「抜きに行くのかよ。」
「若いネェ」
「勿体ねえから無駄弾撃つなよ、じきにまわしてもらえるからよ!」
「回してもらえても、こいつなんかじゃ最後だよ!」
ギャハハハハハという下品な笑い声を背に、男は外に出た。
「おい、待てって・・・」
追いかけて外に出ると、若い男は棒立ちでつっ立っていた。
「どうした?」
「兄貴、アレ、」
指さす先には、階段をよろめく様に、必死に降りてくる少女がいる。
髪をふり乱し、体にはシーツだろう白い布を巻き付けて、時々しゃくり上げている声がする、覚束ない足取りで本人なりに精一杯逃げようとしているのだろう。
「ああ、味見が終わったんだな。」
「じゃあ、"アレ"は俺達で楽しんでイイんですね!」
現金に声が弾む男だが、そんなに現実は甘くない。
◇ ◇ ◇
質問したのは、別に他意は無かったんだよ。
ただ盾の形をした枠の中に、『城塞と全身鎧の騎士、を踏みつけにしたグリフォン』なんて、俺の故郷で現実に遭遇したら、都市どころか国が無くなるだろう、超弩級災害間違い無しの縁起の悪い図柄を、何故ここの連中は、恭しく旗の(おそらく)紋章として使って飾っているのか?と、質問したかっただけなんだけど・・・
そもそも結構なオッサンが、自分の娘位の年端もいかない少女を手籠めにしようとしていたんだから、煮ようが焼こうが何をされても文句は言えなかろうと、俺なんかは思うが、マリアちゃんが凄い。
気絶しているオッサンを、ゲシゲシと硬いブーツで蹴り起こし、起きたら今現在も心臓の上あたりを体重を掛けて踏みつけている。
後ろ手に縛られて床の上に仰向けに転がされてるから、自分の体重だけで十分に呼吸が苦しそうなんだけど。
ちなみに気絶させた直後は素っ裸だったのを、一枚着せてやったのは、俺。
目の汚れだって言って妙に過保護な無口君が、マリアちゃん(と、ついでにスサーナ)を作業をする候補から外せば、残りは二人。
それで無口君は銃を構えて素っ裸のオッサンを油断無く警戒しているので、消去法で俺。
ねぇ、それ必要あった?本当にあった? 無口君酷いよ。
同時にマリアちゃんの突然の行動も警戒していたのかもね、マリアちゃんてば顔を赤らめるとか全くせずにオッサンの足の間のモノを踏み潰そうとしたんだ、最初のうちはニョキッとしてたから。
背後の無口君に汚いし、絶叫するばかりで情報を引き出せなくなるから(意訳)、止めろって言われなければ実行していたね、例え悪人でも俺も男だから、見ているだけで痛そうと言うか、こう・・・
ちなみに無口君は、俺に自己紹介をしてくれない、まあ、しても偽名だろうけどね。
「この旗が何故ここに掲げられているの?」
それ、今、大事?って聞きたかったけど、横から口を挟める雰囲気じゃない。
みっともなく踏まれてる、半裸のオッサンはオッサンで、何を格好付けてんだか、その状態で胸を張るという器用な事をして見せた。
「自分が誰に手を出したか分かったか?泣いて許しを乞うなら今のうちだぞ、小娘! 先ずはこの足をどけネェか!ゲハッ」
あ、骨折りな音。
「質問に答えなさい。」
マリアちゃんが低い声で淡々と質問を繰り返す、なんでか知らないけど怒ってるな。
「そ、それは俺達の旗だ、この国に革命をもたらすシルヴァ家の、この俺ミゲル・マルコスの紋し・・・ギャア」
うわ、折れた所を更に踏んだね、肺に刺さらないとイイね・・・
「お前がミゲル・マルコスだと?ふざけるな、私の父は人間だ、お前のような下半身のだらしない猿ではない。」
ああ、確かにこのオッサンはゴリラっぽいかも? ん?
「ち、父だと?」
俺の疑問を即座にオッサンが質問してくれた。
「スペインから移住して12代、政府の弾圧により数を減らして、現在わずか三家族25名がシルヴァ家を名乗っているが、私は全員を把握している。
既に組織の象徴になってしまった旗はともかく、初代当主であるミゲル・マルコスの名を受け継ぐことができるのは、祖父亡き後は父と弟の二人だけだ。」
よそ者の俺には分からないけど、要するにこのオッサンたら、マリアちゃんの逆鱗を鑢でゴリゴリとこすってるのね、うわ、大変だぁ。
こう言うの日本の諺で何て言ったっけ?虎に断りも無しに、狸が虎を騙っているのは?俺、中学校で習ってる?
「山賊レベルのゲリラモドキが、革命軍を勝手に名乗って、やってる事は弱い者虐めと人身売買目的の誘拐か?」
マリアちゃんから怒気じゃなくて、殺気が放たれている。さっきまでと人格変わってない?
「ま、待て、俺達だって『グリフォンの旗』の理念に賛同して、現政権の打倒を目指して戦っているんだ、あの子供達はこの国の未来に必要な尊い犠セ・・・ぐえっ!」
うわーうわーうわー!喉仏を踏み潰した。
「どの口でそれを言うか、もういい、お前は一生口を利くな。」
オッサン痛みで?呼吸が出来なくて悶絶してるよ! 話すなどころか息の根が止まるよ。
◆ ◆ ◆ ◆
「やだ、触らないで、こっちに来ないでよ。」
近寄った分だけ少女が逆方向に逃げるので、二人掛かりで回り込んで誘導すると、怯える彼女をあっさりと大部屋に追い込む事が出来た。
「おおー!」
「来た来た、キター!」
途端に歓声と口笛が沸き起こって、少女は尚更巻き付けた布で身を隠して縮こまる。
「アナタ達まで何をするつもり。」
少女は半泣きだ。
「何ってお嬢ちゃん、スラム街育ちなのに知らない訳ないだろ~」
「ボスが初体験だったわけ?そいつはもったいない事をしたな。」
昼間だが、外からの攻撃を想定して窓が小さいため、大部屋の中は照明をつける夜より薄暗い。
「俺は初物より、こなれた方が好きだぜ。」
「お前は街に行ってプロに相手してもらえ。」
「嫌だよ、今日から毎日日替わりで女の子が来るんだぜ、しかも無料」
大半の男達は、口々に言葉で少女を甚振るのに夢中だが、数人は距離を置いて様子を伺っている。
「アナタ達だって娘や妹がいるでしょう?こんな事して何とも思わないの?」
「お嬢ちゃんは俺の娘でも妹でもねぇもん、赤の他人のスラムの子供だ、遅かれ早かれ親に売られて、客を取らされるようになるだけさ。」
男達は全く悪びれない。
「そうそう、いずれどっかで客として買ったかもな、それにお嬢ちゃんが嫌だって言うんなら、倉庫に閉じ込めている、残りのもっと小さい子達に相手をして貰う事になるぜ、それでも良いのかい?」
「たった今、相手が日替わりって言ったじゃない。私がどう返事をしても、他の子達にも酷い事をするんでしょう?」
開き直ったのか、少女の声にドスが効いている。
「おい、待て、こんな娘、攫ってきた中にいたか?布を剝ぎ取れ」
「もう良いわ、アナタ達はこの国に要らない。」
背後で様子を見ていた男と、少女の声が重なった。
少女が自ら脱ぎ捨てた布の下は、引き裂かれた服の残骸でも素肌でもなかった。
取り囲んでいた男達の間を、剣吞な煌きが素早く翻り、背後のドアから容赦無く、擲弾筒が撃ち込まれた。
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冒頭でナイフ(刃物)と表現して包丁でないのは、ワザとです。
浩輔ことジントの諺表現があやふやなのは、彼が日本語知識の習得に重きを置いていないからです。