2.導き手?
「つまり何か?お前の生まれた世界は貧しいから、世界をお創りなさった女神様の、そのまたお使いの神様にこっちの世界で世の中の為になる事を、勉強して来いって命じられて、自分の身体の中から魂だけ抜き取られて、今は孫の身体の中に居るって事かい?幽霊になってまで大変な事だなぁ」
夜もとっぷりと暮れるころ、大まかにでは有るけれど、孫の浩輔(中身は異世界人ジント)の説明は受け入れられたようだ。
どちらかというと、いつまで話しても終わらないので無理やりまとめた感は拭えないのだが。
たるんだ体はそのままだが、口調は敬語で、笑顔は爽やか天真爛漫。誰だこれは?
説明を聞く前からさすがに家族である杉本は、中身が別人だということだけは見破っていたが、説明が全くの荒唐無稽で、異世界云々の下りはジントが魔法を披露してやっと受け入れられた。
孫(仮)の手の中から水が浮き上がり、そのまま無重力状態にある水球のようにしばらく空間を漂ったのは興奮した。
種も仕掛けも無い事を確認する為に、孫(仮)を下着一枚にさせて、もう一度やって見せろと強要したのは亡き妻にも内緒だ。
杉本でも、さすがに世界で一番有名な魔法少年の学園生活を綴ったシリーズは、図書館で借りているのだ。
ちなみに杉本老人のイメージの中で、女神の使徒はお稲荷様のキツネの姿であるから、あらゆる意味で正しい理解には程遠いと思われるが、幸いに双方それには気がついてはいない。
「幽霊ではありません、ちゃんと生きています。」
「ああそうか生霊か、じゃあ儂の孫の方は今はお前さんの身体の中って事だな、大丈夫なのかね?」
生霊と言う言葉に彼は一言何か言いたいような顔を見せたが、すぐに神妙な表情になる、彼の身代わりとして目の前の老人の孫は、日本より厳しい異世界へと渡ったのだ。
「大丈夫な筈です、私がこちらへ来てすぐに貴方のような導き手に巡り会えたように、あちらでも使徒様が加護をお与え下さっている筈です。」
(何つったけな?中学二年?こう言う話は、スマホを買った時に世話になった、田中の息子さんが詳しかったな)
魂だけになって、異世界とかいうどこかに行ってしまった孫(浩輔)を戻す手段は、今のところは孫(仮)が命じられた『学び』を終える以外に無いようである。
「加護ねえ、お守りとかか?あいつの性根じゃお前さんの家族に、今頃『こんなのはうちの子じゃねえ』とか言われて追い出されてんじゃねえか?」
杉本老人の心配は、自分の孫が他人の体に入って好き勝手にしたあげく、犯罪者になって身体的には生きていても社会的に抹殺されていたり、無謀な行動で大怪我をして日常生活に支障が出るような、後遺症を抱えていることになってはしないか?ということである。
(そして二人は知りようの無い事だが、この予想は大当たりするのである。)
◇ ◇ ◇
その日はアパートで泊まり、翌日孫を連れて杉本の自宅へ移った。
家電やガス器具の説明などは一通りしたが、今の孫は幼児も同然で、一人暮らしはまだまだ危険だと判断したからだ。
もちろん彼は本物の幼児とは違って、火の出る物の取り扱いを間違えたら火事になる事は充分に理解しているが、鍵を掛けるという概念がまず無い。
臭いや害虫で近隣の迷惑にならぬように、室内を掃除してゴミ出しをした。
大量にあったので二人掛かりでも、複数回に分けて往復しなければならなかったのだが。
まず鍵そのものの機構に驚き、出入りするその都度施錠することに驚きを見せていた。
都会の暮らしや常識がわかっていないのだ。
「浩輔と違って善人だが、道のりは長げぇな」
だが、知らぬ顔は出来ない、中身は違うが体は孫だ、放っておくと奇行で通報され、別の意味で措置入院になりかねない。
◆ ◆ ◆
仕事も夜間中学も一月程休ませた。
『自業自得のバカな振る舞いのせいで大ケガをした、一人暮らしでは苦労するので、しばらくは面倒を見る』
浩輔の人となりを知っている人達には、その説明だけで納得されてしまった。
登校、出勤するようになって、性格が別人のように激変していることに驚かれたが。
『頭を打って記憶が飛んでいる、中身は幼稚園児だと思ってくれ』と説明した。
通貨の事、公共の交通機関、社会の仕組み、教えることは山程ある、何しろ消防車やパトカーすら知らない。
モノ知らず、世間知らずでは、この男は本当に幼稚園児並だ。
今後様々なボロが出るだろうが、コレで押し通すしか無い。
以前の孫(浩輔)は、働かせてもらっていた工務店では、素人でも出来る下働きをお情けで与えてもらい、更にそれすら怠ける、だだそこに居るだけの役立たずだった。
逃げなかったのは、金も持たずに逃げてもただ飢える。
工務店の社長と他の従業員が怖い(数人程小指が無かった)、
元の家に合鍵を握りしめて入り込もうとしたら、近隣一帯更地になって葬儀場が建つ建たないで役所と抗議団体が日夜揉めている。
本当にただそれだけだった。
それが復帰した途端に、目を輝かせて建築技術を周囲の先輩方に学び、基礎工事から泥に塗れて熱心に取り組む。
激変と言う言葉ですら生易しいのは分かっている。
当然のように、復帰翌日に工務店の兼本社長に問い質された。
「杉本さん、あんたの孫、ありゃあ本当に本物か?性格が別人だぞ、実はアメリカに留学してる弟とかじゃねえのか?」
(これは、あれか?儂が、とうとう思い余ってどっかに埋めた、とか思われているのかね?
いや実際文字通りに『人が代わった』訳だけれども。)
「孫達は三人とも、そんなに見間違える程には似とらんよ。」
杉本も困り果てたが、それ以外に返事のしようがない。
その翌々日の夜、夢の中に『神様』が出て来た。
杉本はなぜか根拠なくその白い少女が神様だと納得した。
白狐ではなかったようだ。
孫を連れ去ったことについて詫びを言われ、ジントの事を頼まれた。
『孫はどうしていますか?』と聞いたなら、向こうでの暮らしぶりも垣間見せてもらった、発展途上国の難民キャンプみたいな、バラックのような家の中で、顔だちも髪の色もまるで違うのに、僻んでいるようなあの眼は、その中身が間違いなく浩輔であると杉本に確信させた。
返してくれと言う言葉は、どうしても出て来なかった。
正直に言えば、事実を理解して、心底安著してしまったのだ。
『神様』はあちらにいる浩輔が、万が一にも命が失われることはないこと、ジントが納得できる迄学んだならば、二人の魂を再び元に戻すと約束した、更に
【こちらが原因で、苦労をかけているようですので、あちらの方にも説明しておきましょう。】
あちらって、誰にですか?と質問しようとする前に目が覚めた
次に顔を合わせた時、兼本社長がどう切りだして良いものか、というような顔をしていたので、
「あなたが夢で説明されたんですか?」
と、誰とは言わずにこちらから水を向けると、文字通り夢物語の話をする覚悟を決めたらしい。
支援団体の斡旋でお世話になる事になった、保護司(服役者の出所後復帰支援)の仕事もしている兼本社長は、杉本と同様に以前の浩輔の言動に懸念を抱いていた。
「杉本さん、私は仕事柄いろんな人間を見てきて、失礼だがあんたの孫は犯罪者予備軍だと思っていた、彼には私の手助けではまにあわない、届かないのではないかとも思っていた。」
杉本は夢の中で、お使い様に『あの時、地下鉄で魂を引っこ抜かれていなかったなら、どうなっていたか?』と質問したが、答えは得られなかった。
娘夫婦達全員を海外へ送り出し、世間様のご迷惑にならぬよう最悪の場合は杉本が、孫のけりをつけるつもりだった。
あの人混みの中へ入って行くのを黙って見ているべきではなかった。直前までそう焦っていた。
兼本は肝の太い人物で、実の息子二人を除いて、他の社員は全員更生を手助けした面々。
様子を見ながら、杉本の孫を暴発させぬよう、それでもそろそろ手綱を少し締めようか、という矢先に長雨で屋外での仕事が休みになり、そのまま無断欠勤になり、さぼり癖がついたか?とアパートへ様子を見に行かせれば不在。
実は秘かに関係各所に連絡も回していた、と兼本は打ち明けた。
「それから、杉本さんから『しばらく休ませる』と連絡が来て、出て来たらアレだ。」
ため息をひとつ吐いて
「三日位前にな、作業の休憩中にそこら辺の公園で、こう、ひょいって感じでうまいこと羽根を包むように鳩を押さえ込んで、『丸々太って美味しそうですよ』って、そのまま手際良くキュッと首をひねろうとするから、居合わせた全員で止めたんだよ」
「鳩?」
三日前なら、杉本が夢を見た日だ。
「そう、鳩!アイツは引きこもりって言うか?完全なインドアだったろ?なのに鬱憤晴らしに虐めたりするためじゃなく本気で食う為にやっている、誰だこの野生児っ?てみんな驚いてたよ、食うに困った都会のホームレスでも中々その域までいかねえぞって、こりゃあ別の意味ですぐにおかしいって思ったよ。」
電子レンジに卵やアルミパウチ、レトルト食品を沸騰した湯の中で温めようとして『袋を開けて中身』を鍋に投入、などの定番の失敗は既に杉本の所で体験させたが、野鳥は盲点だった。
垣間見たあの暮らしぶりでは、寄生虫という発想も無い、確かに誰に飼育されている訳でもなくその辺りにいる鳩(や、雀や烏)は、孫には自由に捕って良い食材に思えるだろう。
「説明で中身が別人なのは納得したが、あの神さんは隠す気が無えって言うか、アレを俺達に何とかさせる為に夢に出て来たって言うか・・・俺も戦後生まれで54だから、アレには引いたぞ異世界人ってのはスゲエな!」
杉本も66だが、これにどう返せというのだろう?
「下の息子が異世界話が好き、じゃなくて詳しいらしいから、浩輔と組ませてよそ様の犬猫は食わねえように目配りさせているよ。」
◆ ◆ ◆ ◆
本人が望む教育については、杉本が平仮名や算数を教えるところから始めたが、夜間中学の教師が大変熱心な人物で、人が変わったように前向きな浩輔に通信教育だとか大学検定だとか様々な相談に乗ってくれるらしい。
「儂は無学な爺ですので難しい事は分かりません、学費は何とか工面しますので、手配りをよろしくお願いします。」
「大丈夫です。今の高村君ならいずれ奨学金も獲得出来ます。誰でも何時からでも学ぶ姿勢が大切なんです!」
杉本も面談で顔を合わせたが、学年主任だと言う教師は立派な人物だった。
同じ環境で学んでいた筈の実の孫は、この相手から何も得るものが無かったのかと思うと、教師の言葉が身に沁みた。
一年程同居して後は本人の好きにさせた、時折日々学んだ事や体験した事の報告を聞いたり、杉本の伝手で様々な職人の指導を仰いだり、一般の工場見学よりもっと踏み込んだ物を学びに行ったりなどしていたが、過保護な母親でもあるまいし、いつまでも爺が孫にべったり付き添いではみっともない。
自らの望む方向、学びたいものを手探りで探しながら、孫はあちこち飛び回っている。
驚いたことに、浩輔は様々な国の言葉が話せた。
下町の町工場街でも、ブラジル中国ネパール等の国から働きに来ているが、彼らと母国語のように会話ができたのだ。
「お前、通訳で食っていけるんじゃねえか?大したもんだ」
「これを収入を得るための手段にする訳にはいきません、たぶんこれは、使徒様に頂いた加護だと思います、学びの為に言葉に不自由しないようにして下さる、とおっしゃいましたから。」
相変らずこの孫は生真面目だ。
「ふうん、そうかい、だけど島田社長や森田さんは、言葉が通じて助かったって言ってるぜ、これからも助けてやんな。」
これが通訳のボランティアにつながり、どこがどうしたのか後々彼が海外に飛び出して行くことになった。
◇ ◇ ◇ ◇
「熊鍋、を食いに行く?」
東京都と言っても、離島も有れば山もある。
浩輔は釜本社長の伝手で建材業者から木材加工所、更に遡って林業関係者の元で植林や間伐など、山の手入れを学んでいた筈だ。
「狩猟免許はどうした?野生動物を無断で狩って罪に問われんのか?」
「驚かねえな杉本さん、襲われたのを反撃したから問題ねえとよ、ライフル使ってねえし。」
既に誰が熊を捕ったかはお互い聞きもしない。
「驚かねえよ、俺の友達の竹村の所で畑仕事を習っていた時は、アイツは一人で猪捕ったぞ。」
異世界人の日本の生活は、概ねそんな感じだ。