1.地球側の事情と、最初の出会い
前話あらすじ
ある日本人が犯罪者になった挙句に、異世界へ渡った。貧しいスラムの生活に不満を持ち、自分に『死に戻り』のスキルが有るのを利用して、なぜか連続強盗殺人事件を起こし、結果として捕縛されるが、『死に戻り』のスキルのせいで延々と処刑が繰り返される。
と言うお話の反対側の世界のお話が始まります。
初めて『彼』が『高村浩輔』になった時、巨大な石作りの建造物の中にいた。
周囲には祭りですら見たことの無い程の、沢山の人々が行きかっているところを見ると、おそらくは神殿なのだろう。
炎の揺らめきの見えない白く細長い明かりが、等間隔で天井に並べられている。
時折地響きと魔獣の唸りのような声が聞こえて、強い風が吹き上がるが、驚くのは彼だけで、周囲は何とも思っていないようだ。
階段の上から見渡す限りを人で埋め尽くされ、殆どが黒髪で仕立てのしっかりした服を着ている。
立ち尽くし、きょろきょろと周囲を見回す浩輔が通行の邪魔らしく、何度も身体がぶつかるが、その都度きちんと謝罪の言葉が届く。
「おい、ソレで何をするつもりだ?」
突然肩を捕まれ、振り向くと灰色の髪の老人が居た。
「は?あ、あのう、あなたはどなたですか?」
「何だと?」
老人は数秒間絶句していたが、すぐに立て直して彼を殴りつけた。
「いいから来い!その荷物も寄こせ。」
持っていた袋の片方をひったくるように奪い取り、老人は浩輔になった彼の腕を強い力で引いて、人混みをズンズンとかき分けて行く。
袋の中で、チャポンと音がする。
杉本老人の悩みの種は、娘夫婦の次男だ。
誰に似たのかいわゆる世間で言うところの、ニートとやらになる前から卑屈な性根の男で、幼い頃から癇癪を起こすと、何をしでかすか分からないところがあった。
学歴が無いのは別にいい、杉本だとて中卒の職人だ。
中学の頃のいじめが原因で僻みをこじらせ、身内の欲目が有っても危うい言動がしばしば見受けられるようになり、専門家のカウンセリングも、教育機関や支援団体の申し出も拒み、家に閉じこもって遊びほうけていた。
娘夫婦はこのまま、一生この次男を家に閉じ込めて置くのもやむなしと思い悩んでいたが、父親と兄弟が職場や学校に行っている間に、次男が母親に暴力を振るっている事が発覚、荒療治に出る事となった。
長男と三男は、自分達で殴ってでも次男を何とかしようとしていたが、まだまだ先の長い二人に、犯罪歴を付けさせて、人生を犠牲にさせるのでは、余りにもばかばかしい。
逃げ道を塞ぐ為に娘夫婦と長男はそれぞれ仕事で海外赴任、三男もせっかく受かったばかりの大学を休学して、奨学金を獲得して海外留学した、家族が住んでいたのは借家だったので引き払わせ、特に過剰に次男をかばおうとする娘は、次男と顔を合わせる事のないようきつく言い含めて送り出した。
娘の方も心療内科とやらで医師に何やら病名を付けられたようだが、どの道普通ならば子供より親が長生きするなど難しい、普通のサラリーマン家庭が、大の男を一人いつまでも養える訳も無い。
次男を家から引き剥がしてアパートに移らせる時には、最初は支援団体の女性職員が説明していた時には喚き散らして威嚇しようとしたが、消防団や町工場の経営者組合の仲間、更に近隣の相撲部屋の親方までが助力してくれて、物理的に担ぎ出すまでもなく孫も従った。
孫がたった一日だけ通った(通わせた)柔道場の師範までも、孫の事を気にかけていてくれたと聞いた時には涙が出た。
厳しい言葉ばかりを突き付ける杉本には、孫の浩輔は近寄ってこない、来ても金の無心しかしない。
杉本も身内では甘えが出ると、支援団体に任せて表向きは関わらない。
もちろん人間関係を普通に築けない、築き方を知らない孫にスーパー等の客商売のアルバイトは誰が見ても無理だ。
女性や子供、年寄りには理由も無く暴力的な言動をする孫を、まず支援団体の労働作業所で簡単な仕事をさせ、次にヤクザと見紛うような強面の大工ばかりが揃った工務店に預けた。
働かなければ飢える、困窮するという所まで追いこんで、やっとノロノロと、孫は動き出した。
孫は知らないことだが、住まわせたアパートの大家は杉本の友人で、ほぼ毎日様子を知らせてくれる。
家に電話が有るというのにスマホを買い、知り合いの息子さんに孫のついったーだかフェイス何とかだか、日記のようなものを読めるようにして貰った。
警察OBの友人には、ここに危険な内容が書き込まれるような事があれば、措置入院も覚悟しろと告げられた。
もちろん警察側も、これを見ているとも。
石造りの巨大な建造物を、更に人が10人も並べるような階段を登って外に出た、何と!あの場所は地下だったのだ。
出てすぐの広い道には、馬が引かない長方形や平らなゴーレム車が沢山行きかい、道の両側には天を衝くような石造りの高い建物群が延々と立ち並んでいる。
ゴーレム車も建物も広く窓をとり、ガラスが惜し気も無くふんだんに使われている。
「あ、あのっ、あれは何です・・・」
初めて見る物ばかりで、興奮してきょろきょろと見回し、質問したい彼に老人は取り合ってくれない。
「うるせえ、黙って歩け!」
質問しようとする度に叱責され、口を塞ぐように時には拳骨まで飛んでくる。
老人が『ばす』と呼ぶ、とびきり大きな乗り合いらしい鉄のゴーレム車に乗せられ、二階建ての集合住宅とおぼしき建物の一室に到着するまで、老人は痛いほどにつかんだ腕を離さなかった。
『年金額が少ない』と言う身勝手な理由で、いい年をした大の大人が世間様に迷惑をかける死に方で事件を起こした。年金事務所でも何でもねえ所でだ、俺の孫もいずれあんなことになるのだろうか?
ニュースを見て杉本には他人事とは思えなかった。
そして家の中でぐうたらするのだけが好きな孫が、何やらキャンプ用品を買い集めている。
『家賃の払いが滞っているので、厳しく当たりすぎたかね?』と大家の友人はホームレスになる準備じゃないか?と孫の後ろ向きさを心配するが、孫の屑さ加減がその程度で済むわけが無い。
むしろ職場や住居など、周囲にこれだけお膳立てして貰って、ホームレスになると言うならそれでも良い、自分で選んだ事だ。
嫌な予感に駆られて、杉本はしばらく孫を監視することにした。
幸か不幸か、不況のお陰で個人事業主の杉本は仕事を休める余裕があった。
ホームセンターで発電機と携帯缶を買い、そのままガソリンスタンドでガソリンを買う。
そこまでは別におかしな事ではない。
逃げだとわかっていても、必死に心の中で否定する。
だが、孫がどういう人間か知っている杉本老人には、危うい行動の前触れのような気がしたのだ、その時には。
「あのう、ここはどこでしょうか?」
「どこも何も、お前ぇのアパートの部屋だろうが。」
今まで見たこともない程に神妙な顔つきで、大真面目に孫の姿をした『誰か』が、基本的過ぎる質問をして来たが、杉本はそれをもう驚かなかった。
「私の部屋ですか。」
珍しげに見回して、靴を履いたまま室内へと踏み込もうとする。
それを押しとどめて、靴は脱ぐ物だど説明してやる。
ゴミ出し日が守れなくて、ご町内の奥様方や年寄り連中と、頻繁に揉めて注意されていたと聞いてはいたが、部屋の中は敷きっぱなしの布団の周囲に、白いスーパー袋に入った、ペットボトルと空の弁当箱が分別されずに詰め込まれたゴミだらけだ。
男はゴミの中から出てきた畳の感触が珍しいらしく、四つん這いでしきりに触っている。
探したが茶葉もペットの茶も見当たらなかったので、水道から一つずつしか無い湯呑とコップに水を汲んで、同じくゴミの中から掘り出したテーブルに置いてやる。
「まあ、座れ。」
「あ、ありがとうございます。」
日が暮れたので、杉本のつけた蛍光灯に驚き、置かれたコップの素材に驚く。
「儂は杉本文吾というお前の祖父だ、お前は孫の高村浩輔の筈なんだがな、お前は誰だ?孫にとり憑いた幽霊か?。」
自分でも正気を疑うような自己紹介であり問いかけだが、もうすでに杉本は確信している。
杉本が駆け寄る直前まで、帰宅ラッシュの人混みを見下ろしていたあの暗い表情は、背筋が凍る程怖ろしかった。
孫が蓋を開けようと手を掛けていた容器からは、ガソリンの臭いがした。
どこもかしこも禁煙禁煙で、杉本自身も肩身の狭い思いをしてきたが、今度ばかりは助かった。
荷物の中にはライターも有ったが、考え無しのバカ孫は甘く考えていたのだろう、孫がライターなど使うまでもなく、あのある程度閉鎖された空間で、こんな強燃性で揮発し易い物の近くに、火種をくわえて歩く人間がいたなら引火してどうなっていたことか、本当に良かった。
だが、振り返ったその表情はキョトンとしていて、全くの別人だった。
ここに着くまでの間も、見る物全てが初めて見る物で、感心しきりという態度を全く隠さず、すれ違う人間にそれを笑われても気にしない。
最初は記憶喪失の芝居か何かかとも思ったが、そんな才能のある訳もなし、何より本来の浩輔であれば、自分が嘲笑われていると感じたならば、激昂して相手の事を口汚く罵った筈だが、全く気にした様子もない。
「名乗るのが遅れて申し訳ありません、私はジントと申します、平民ですので家名(姓)はありません。女神様の使徒様の思し召しで、アナタのお孫さんと魂が入れ替わった異世界の者です。」
本人は真面目な答えを返しているつもりのようだが、杉本老人には神様系という以外は全く理解できない内容だった。
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現在、日本の公共交通機関(鉄道・地下鉄・バス等)では、文中にあるような、大量の可燃物(ガソリン・灯油・液体ガス・アルコール等)の持ち込みは制限されています。
当該の自殺事件については、心当たりの思いつかれる方は、沢山いらっしゃる事と思いますが、作者はあの放火犯を、肯定も擁護も同情も一切致しません。
模倣犯など言語道断だと思っております。