生きる事、食べる事
ユチの後を追って、狭い倉庫の片隅にある梯子を登っていく。ユチが落ちないか、彼女の一挙一動に細心の注意を払う。
だがユチは、俺の心配とは裏腹に軽快な様子で梯子を駆け上っていった。
「お兄ちゃんはやくー」
「わぁったから少し待て」
恐る恐る、ゆっくりと梯子を登りきる。穴から這い出ると、一陣の涼しい風が身体を吹き抜けた。
ここは教会の鐘楼だ。四方から、遠くの空を眺めることが出来る。
「なっ⋯⋯」
そこで、俺は初めてこの世界を見渡した。夜空に煌めく1番星、青い月のような丸い物体。そして何より、黒い大地が地平線を覆い尽くしていた。
影や夕暮れで黒いのではない。ただ、本当に黒い大地が広がっているのだ。
「お兄ちゃん、何もないほうを見てどうかしたの?」
「⋯⋯いや、なんでもないよ。街並み、綺麗だな」
白い建物の並ぶ街並みを眺める。夕陽が反射して、紅く輝く街が本当に綺麗だった。
「なあユチ。この街の外には何があるんだ?」
「わからない。ただ、お姉ちゃんがいうには、黒い場所と、誰もいない街と、怖い人がいる場所しか無いんだって」
「その先には?」
「わからない。大人もみんな知らないの」
「⋯⋯そっか」
そのまま俺は、何も言わずにただ遠くを眺めている。風が吹いてきた。この風は、一体どこから来たんだろう。
「お兄ちゃんはどこから来たの? 外から来たんじゃないの?」
「あまり覚えてないんだ。ずっと住んでいたはずなのに」
街並みも人も景色も、何も見なかった。ずっと、俺はあそこに何も持たずに生きてた。いや、もしかすると生きてすらいなかったのかもしれない。
記憶を失った時から、俺と言う人間は死に続けてるのかもしれないんだ。そして今も、こうして死に続けてる。
「⋯⋯俺は今なお、死に続けてるのか」
血流も、脈拍も、呼吸も。全てはただの現象だ。俺はまだ、生きてすらいないんだ。
「そうか⋯⋯俺はずっと、存在しなかったんだな」
自分の存在意義も無い。ただ細胞の塊が、無駄な生理現象を起こしてるだけだ。
ギリギリと、爪が食い込む程に手を握る。奥歯が砕ける程に歯を食いしばる。これから俺は、この世界で初めて生きなければならない。
「生きる⋯⋯生きる。生きる、ね」
何をしたら良いのか。俺は生きるために、何をしたら良いんだ?
「お兄ちゃん? ご飯出来たって」
「⋯⋯あぁ、ありがとう。ごめん、少しぼーっとしていた」
「ユチもぼーっとするの好き! 一緒に行こ!」
「うん、そうだな」
まずは食べる事だ。生きるためには、食わなくてはならない。何はともあれ、とにかく食おう。
ユチの後を追って、食堂のような部屋に集まる。鮮やかに燃える薪が、でかい鍋をぐつぐつと熱していた。
「⋯⋯手伝う」
「うん、ありがとう!」
サリィの横から、スープの入った器を取ってテーブルに運ぶ。シチューに似た、白い野菜入りのスープだ。ポタージュか? あまり料理には詳しくないんだ。
「⋯⋯⋯⋯」
ちびり、と器に口をつける。優しい味が、穏やかに口の中に広がる。なんだろう、懐かしさとも近い感情だ。
「あー、兄ちゃんつまみ食いしてる!」
「してねぇ」
「してた!」
「してねぇ。つまんでもねぇし飲んだだけだ」
「それは⋯⋯つまみ食いじゃないかな⋯⋯」
全員分のスープとバターロールの様なパンを運び終える。あとは食うだけだ。
「⋯⋯いただきます」
ふと、そんな事を言ってみる。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯?」
ふと、みんなが食べようとした手を止めて俺を見た。そうか、ここにはその文化がねぇのか。
「気にしないでくれ。俺の生まれにある、飯前の挨拶だ」
「ユチもやる! いたたきます!」
「いたまきます!」
「いたします!」
「なんかちげぇなぁ⋯⋯」
子供達がこぞって真似をするが、みんなどこか間違えてる。終いには変なポーズをとって叫ぶ子もいた。
「⋯⋯騒がしいな、これ」
「ふふっ。いただきます、ね?」
「んっ」
サリィの暖かい笑顔に、よく分からない感情が湧いてきた。気持ち悪い。
ぷいっとそっぽを向いて、パンとスープを貪り食らう。薄味だ、もっと添加物と塩を入れろ。
「おかわり」
「いっぱいあるから、たくさん食べてね」
味気がない。食った気がしない。とにかく、味が薄くて仕方ない。インスタントとジャンクフード漬けの生活を送ってきた身には、普通の食生活になれるのに時間がかかりそうだ。
「⋯⋯うめぇ」
だと言うのに、俺の口からは真逆のの言葉が自然と出てきた。
「良かった」
「なんでだ。大して味気もねぇのに⋯⋯」
もしゃもしゃと野菜を貪る。野菜なんて、固いだけでたいして味がしないハズだ。肉がいい。
「おかわり」
「はいはい!」
「すげー食べるねー」
「すげー」
子供達が目を丸くして見つめる中、あっという間にスープをかき込む。そろそろ腹が苦しくなってきた。
「⋯⋯うまかった」
「すごい食べるね。びっくりした」
「自分でもびっくりした」
不思議と、体がエネルギーを求めている。体の末端まで、ビリビリと食べたエネルギーが回るのを感じる。
今までこんな事は1度もなかった。一体俺に、何が起きたんだ?
「⋯⋯悪いな、遠慮なく食っちまって」
「全然大丈夫。それより、このあとどうする? 今日はもう暗いし、泊まってく?」
「あー⋯⋯」
そう言えば窓から飛び降りて抜け出してきたんだった。さすがに戻らないと、抜け出したのがバレる。
「今日は帰る。ちょっと不味い状況になっちまうからな」
「そっか。じゃあ、また来てくれるんだね」
「えー、かえっちゃうの? お兄ちゃんの事、色々聞きたかったのに」
「必ずまた来る。約束だ」
そう言い残して、俺は出口へと向かう。見送りはいらない、とついてくるサリィを制する。
「サリィ、その⋯⋯何もないのに突然来て、その上飯まで食わせてもらってすまない」
「気にしなくていいよ。子供達も、君のこと悪い人じゃないってわかったみたいだし」
「今度来る時は、もっとちゃんとした罠を用意しておけって言っておけよ?」
「ふふっ」
誤作動無く、確実に俺を仕留めに来い。もう一度気絶はゴメンだ。
「そう言えば、ひとつ聞きたいことがあったの」
「ん?」
「君の名前。あたしばっかり知られて、なんかずるい」
「そう言えば⋯⋯じゃあ、そいつは今度にだ。俺は今度、俺の名前をお前に教えるためにここへ来る」
「⋯⋯わかった。待ってる」
サリィに名乗れるくらいの人間になって、また来てやる。死んだ人間じゃない、生きてお前と対等になってここへ来る。そう言うと俺は、サリィ達のいる教会を後にした。
振り向かない。俺は、まだ何もしてない。何かをしてやる。とにかく今は、生きるんだ。




