第九夜【魔術師・剣士・無人屋台】
夜。それは、私の時間。
さあ、今日も出掛けよう。
餓えている。
何を食べても満たされない。
どれだけ食べても満たされない。
何に餓えているのかも分からず。
何を欲しているのかも分からず。
ただひたすらに、何かを探して。
夜を歩く。
ああ、今日は月の嗤い声が煩い。
人の気配が煩い。自然の音が煩い。
生き物のいない場所に行きたい。
独りになれる場所が良い。
気が付けば足は、工場地帯へ向かっていた。
この辺りは夜になれば、まったくの無人街と化す。
自然は追い出され、人はここでは無いどこかへ帰り、
機械は動くのをやめ、一時の眠りにつく。
何もないここは、墓場よりもずっと死に近い。
砂漠を連想する虚無の世界。
静かさを求めるなら、ここが一番良い。
そんな工場地帯の道路の真ん中に、誰かの影があった。
大型トラックが行き交う為の広い道路の真ん中で、
佇む小さな人影。
それは一人の男の子。
年齢にして、そう。ちょうどサヨリちゃんと同い年くらい。
小学生の男の子は、黒いマントのようなものを羽織っていた。
悪魔のようだ。何とはなしにそう感じた。
「こんにちわ。良い月夜ですね」
寒気のするような丁寧さで、男の子は話しかけてきた。
手をいっぱいに広げて、まるで空からやってくる月を、
受け止めるかのような仕草。
私は餓えた瞳で、じっと男の子を観察する。
足りない。足りない。何かが、足りない。
頭の中で響いてる。煩いくらいにガンガンと。
「こんな夜更けにこんな場所で会うなんて、
貴方はいったいどちら様ですか?」
「ルイ」
ただ一言で端的に名乗る。
我ながら恐ろしい声だった。
まるで地獄の底から響くようなドスの利いた声音。
まさに餓えた私の心境そのもの。
「ボクは魔術師。
由緒正しくない、新進気鋭の魔術師です」
ニコニコと笑う新進気鋭の魔術師。
とても、気持ちが悪い。
「マジュツシくんが、私に何か用?」
早く立ち去りたい。むしろ立ち去ってほしい。
ここを、私だけの場所にしたい。
「用はありません。むしろ、貴方にあるのでは?」
意味が分からない。用なんて無い。
いや、一つだけある。
「ここから消えて。それが私の用」
「くっくっく。ボクに死ねと?」
何が面白いのか、マジュツシくんは笑って言った。
曲解だ。私は比喩も暗喩も使っていない。
「そのままの意味でよ。この場所から別の場所へ移って。
目障りで煩いから。耳触りで煩いから。
私の静寂に邪魔だから」
ああとても、イライラする。
口から出た言葉は私の知らない私の希望。
静寂。それが私の欲しい物なの?
「困りましたね。ボクはこれからここで、待ち合わせなんです。
それに最初にここへ来たのはボクですよ?
これから起こる事も考えて、結界まで張ったのに。
なんでルイさんは、ここに来れるんですか?」
結界。少し面白そうな言葉だ。
「精神的ななんやかんやは、私には効き辛いらしいよ。
特に今日は耳障りな嗤い声が降ってきてるし、
いつもの数倍、そういうものに疎くなってる」
「らしい、ですか。
まあ、なんとなくは解りました。
これからは、物理的な手段も併用します」
反省するのは良い事だけど、ここから動く気配は無い。
待ち合わせがどうとか言ってたし、
これは私が動いた方が簡単かな。
「ここ以外には来ないのね」
「ええ。極力」
広い工場地帯だ。
私が一ブロック隣へ行けば、問題は即解決する。
「じゃあ、私が消えるわ。さようなら」
「ええ。お手数をおかけします」
毛ほどにも感情の籠らない謝罪を聞き流して、
私はマジュツシくんの隣を通り過ぎる。
「面白い帽子をお持ちですね」
私と彼が交差する瞬間、彼が私の頭を見て言った。
「ずきんよ」
「そうでしたか。ずきん……」
とても興味深そうだ。
「またお会いできるといいですね」
背後からそんな声が聞こえたので、
私は返事代わりに軽く手を振った。
――――――――――――
「あんたが件のニセ魔術師か」
「違います」
静かなはずの工場地帯で、今日はなぜか人と良く合う。
いきなり敵意丸出しで声を掛けてきたのは、
高校生くらいの年齢の少年、いや青年だった。
ラフな服装に、なぜか腰へ刀を差している。
真剣か模造刀か見分ける程の眼は無いが、
青年の持つ雰囲気は刀を真剣だと語っていた。
「ちっ。じゃあ、あんたは何もんだ?
こんな日にこんなところをうろつくなんて、
一般人じゃありえねえ」
「ルイと言う名の散歩好きな一般人です」
「ホンキか?」
本気ですよ。完全に本気。
私のどこが一般人じゃ無いというのか。
「なんで一般人があいつとの決闘の場に現れやがる」
イライラと、彼は不満をぶちまけた。
そりゃこっちのセリフだ。
なんで一々変なのが、私の静寂をぶち壊す。
「貴方はいったい誰なんですか?」
青年は私をジロリと睨み付け、
その眼で私を上から下まで観察し、
「キザキのもんだよ」
それだけ、答えた。
さっぱり分からない。
分かる答えなど期待してないから、別にいいけど。
ああ、月の嗤い声がまた聞こえる。
煩い、なあ。
キザキくん、か。
言葉からしてキザキくんの言うあいつって言うのは、
あのマジュツシくんか。
「マジュツシくんなら、一ブロック先で見かけたけど?」
親切心と言うよりも、邪魔者を追い払う為、
私は情報を提供した。
「なんだと? あいつ、間違えやがったな」
間違えたのがどちらなのか、興味は尽きない。
嘘だ。どうでもいい。
ああ、全てが嫌になる。
「おい、あんた大丈夫か?」
名乗ったのに、あんたですか。
「まあいいや、助かったぜ。
礼と言っちゃなんだけどよ……」
風を斬る音が耳元でした。
ゾワリと冷たい感覚が背筋を這う。
――死。
一閃。月の光を受けて輝く刃があった。
何かを斬られた感触がある。
「これで少しはマシなはずだぜ」
刀を鞘へしまうキンッと言う音が心地良い。
月の嗤い声が途絶えた。
餓えも少しだけ、収まっている。
不思議だ。私は何を斬られたんだろう。
呆けているとキザキくんは、
足取りを私のやってきた方向に向けて歩き出した。
「あ、ありがとね。キザキくん」
「こっちこそ、ありがとな。ルイさん」
振り返ったキザキくんは、
ニッと爽やかな笑顔をこちらに向けた。
それは少年を思わせる無邪気な笑顔だった。
あ、そうだ。
「ついでと言っちゃなんだけど、
この時間帯においしいもの食べられるとこ知らないかな?」
「おいしいもの? そういや最近五夜丁に、
うまいラーメン食わせる屋台があったな。
だけど、あそこは……まあ、あんたなら気にしないだろ」
言動に少し疑問は感じたけれど。
屋台のラーメンか。面白そうで、おいしそう。
「ありがと」
「おう、またな」
キザキくんは今度こそ、私の来た道に歩き去り。
私は私で五夜丁を目指し歩き始めた。
静寂はもういらない。
今の私を満たすのは、おいしいラーメンだけ!
――――――――――――
五夜丁と言えば、
小中高を含んだ大きな学園と、小さな商店街がある場所だ。
学園側は夜間、通常立ち入り禁止のはずだから、
屋台のラーメン屋が出ているとすれば商店街の近くだろう。
にしても、こんなところに屋台が出ているなんて初めて知った。
胸はドキドキ、心はワクワク。
ついでに腹をグウグウ鳴らしながら、
私はついにそれと思しき明かりを見つけた。
思っていたよりもしっかりとした手押し屋台だ。
その外観はちょっとした小屋に、
車輪と引手を付けたような感じ。
一人ではとても引けそうにない。
二人か、三人くらいで営業してるのかもしれない。
そしてそして、屋台に掛かる暖簾には『ら~めん』の文字。
弥が上にも、期待に膨らむ。
暖簾の下に見える椅子に、人の気配はない。
他にお客がいないのはラッキーだ。
初めてのお店で、しかも屋台。
おひとり様である方が、私としては入りやすい。
ドキドキしながら暖簾をくぐると、
カウンターの先、簡易厨房となっている場所には、
……誰もいない。
えっと、しゃがんでる?
それとも、ちょっと外してる?
「ごめんくださ~い」
なんとなく小声で、辺りに対して呼びかけてみた。
されど、返事無し。
えっと、座っちゃってもいいんだよね?
自分に自分で確認しつつ、おずおずと着席。
気が付けば自分の前には新しいコップに注がれた水と、
ほかほかおしぼり。
辺りを見回してみたけれど、当然メニューなんて無さそう。
まあこちらとしても選ぼうなんて思ってない。
私は屋台のラーメンを食べに来たのだ。
とりあえず、ラーメンを一杯注文したいのだけど。
相変わらず店主の姿は見えない。
と、瞬きの内に、私の前にラーメンが一杯置いてあった。
もちろん、ついさっきまでラーメンなぞ影も形もなかった。
さらに出来立て。湯気なんて出して、すごくおいしそう。
隣には会計用紙にラーメン一杯分の値段が書き込まれていた。
店主の姿、未だ現れず。
まあ今は、細かいことは気にせずに、
熱々のラーメンを頂きましょう。
心が満たされていくような味だった。
思わず涙が零れそうになる。
私は夢中で食べ続け、スープの一滴まで飲み干して、
ようやく落ち着いた。
落ち着いて、気が付いた。
スープ残して、替え玉頼めばよかった。
でもまあ、すごくおいしかった。
そして、よくわからない餓えも気が付けば消えていた。
ラーメンを食べたから、というよりも、
ここのラーメンを食べたから、だろうか。
そして、キザキくんの一閃。
たぶんあれも、何か関係している。
お金を払って店を出た。
それにしてもホントにおいしかった。
また今度、来てみよう。
月の嗤い声はもうしない。
そして餓えは様々なもので満たされた。
そろそろ帰ることにしよう。
今日はこれで、お終い。
では、また次の夜に。