第八夜【幽霊・狼男・未フラグ】
夜。それは、私の時間。
さあ、今日も出掛けよう。
色々あってちょっぴり疲れちゃったから、
今日はのんびりしていたい。
そうだ。今日はあの墓地にでも行ってみよう。
会いに行くって言っておいて、すっかりご無沙汰だし。
フウカさん、怒ってるかな?
幽霊の時間間隔的にはどうなんだろう。
まあいいや、行ってみよう。
九夜山を半分ほど登ったところにある寂れた墓地。
それがフウカさんの住処だ。
「お久しぶりです、フウカさ――」
「おっそーい!」
相変わらずの風化した墓石とヒガンバナ。
そしてその上に揺れる白い靄姿のフウカさんは、
挨拶が終わるのも待たず、叫んだ。
「う~ら~め~し~や~、
バンバン遊びに来てねって言ったのに……。
なんで今日までほっといた~」
相当なご立腹具合。
それとうらめしやは、
フウカさんが言うとシャレにならない。
「気が向いたらって言ったじゃないですか」
つまり思い出したときにってことなんだけど。
さすがにそのまま伝えたら、
寂しさと怒りのままに呪い殺されそう。
死ぬだの生きるだのが曖昧な世界はお腹いっぱい。
今日はまったりお話気分なのだ。
「プンプンッ」
私の言い分にフウカさんは怒りの擬音を、
音として発するという器用な方法で反論した。
どうやって出してるんだろう、その音。
「機嫌直してくださいよ。お話しましょ、フウカさん」
「……これからもまた、来てくれるって約束するなら。
お話してあげてもいいわよ?」
「何度だって来ますよ。話し相手になるっていったでしょ?」
「なら、いいけどー」
なんとか機嫌を直してくれたようだ。
「そういえば最近、この山で珍しい動物を見かけましたよ」
「ふーん。まあこの山って昔から動物が多いしね」
最近の事を話していたら、九夜山の話題が出たので、
振ってみたのだけれど、反応が薄い。
さすがは墓石が風化するほどに、年季の入った幽霊。
この山に関しては、かなり詳しいようだ。
「どこかから流れてきた狼なんですけどね」
「ふーん。最近では珍しいわね。
昔は、群れで暮らしていたものだけど」
「怒ると人型になるんです」
「ふー……ん?」
「知り合いの猫又の話では、狼男じゃないかって」
「……すごい知り合いがいるのね。その、狼男? も含めて」
「そうですか? 幽霊とどっこいどっこいでは?」
「そ、そうなのかしら? 自分ではよくわからないわ」
どう反応していいのか分からないようだ。
一応、褒めたつもりなんだけど。
「でもホントに、ルイの話を聴いていると面白そう。
神社で神さまに出会ったり、湖の大金魚と友達だったり。
真っ赤な傘を差した怪しい子と知り合いだったり」
怪しい子って、チイちゃんの事?
「フウカさんの中でも、
チイちゃんは怪しい子カテゴリなんだ?」
「いや、それはそうでしょう。
初対面でいきなり、
『ちぃちょうだい』なんて尋ねる子は、
誰がどう考えても怪しいと思うわよ?
むしろよく、その出逢いで知り合いになれたわね」
「最初の頃はいろいろあったけど、今はお友達だよ。
楽しい子だと思うけど、
なんでかあんまり好かれないんだよね」
「まあ。ルイがいいのなら、私は別に構わないけど。
――死んだらぜひ、ここにおいでね?」
「まだその予定は無いよー」
何やら物騒な内容だけど、
フウカさんに殺意は感じない。
幽霊流のブラックジョークというやつだろう。
たぶん、きっと。
フウカさんとの話は、思った以上に楽しくて、
その異変に私は直前まで気が付かなかった。
「ルイ。そろそろ、帰った方がいいかも」
フウカさんらしからぬ、そんな発言の数秒後。
訝しむ間もなく、闇が私を襲った。
一瞬セイアンさまの事が頭に浮かんだけれど、
ここは九夜山。繁華街ではない。
「フウカさん? いったい何が――」
言いかけた瞬間、頬に冷たい物が落ちた。
「ああ。遅かったわ」
フウカさんの声は間近で聞こえる。
場所は変わっていない。
ぽた、ぽた、と冷たい感覚が頬を流れ、
それは一瞬にして滝のような水流に変わった。
「雨よ。どこか、屋根のある場所に」
雨音に紛れて、フウカさんの声が聞こえた。
「お言葉に甘えます。また来ますから、それじゃ」
「きっと、またね」
フウカさんに別れを告げて、私は手探りで墓地を後にした。
――――――――――――
黒雲に覆われて、月が隠れている。
月の光が唯一の光源である山の中でそれは、
死活問題にすらなりうる。
さらに突然の大雨だ。
突然降りだした大雨は、
すぐに止むものだと聞いたことがあるけれど。
それは一日中降り続かないという意味で、
すぐというのが三十分後か、一時間後かは分からない。
後半は私の経験則だけど。
少なくとも一、二分で止みはしないだろう。
ともかくまず、見えないことにはどうにもならない。
クヤさまの樹まで辿り着ければ、雨宿りが出来るんだけど。
あ、そうだ。
「クヤさまー、助けてくださいー」
セイアンさまとジャコウさまの事を思い出した。
九夜山の全てはクヤさまの認識領域内だ。
クヤさまには、聞こえているハズ。
まあ、助けてくれるかどうかは、
運と日頃の行い次第なんだけど。
はたしてクヤさまは、聞き届けてくれたようだ。
周囲の木々が私を先導するように、
淡い緑の光を放っている。
その光は森の奥へと続く道を形作っていた。
多分、屋根のある場所に続いているハズだ。
木々の枝葉を雨除けにして、私は森を奥へと進んだ。
そして、淡い緑光で出来た道の先に見つけたのは、
蔦草の暖簾と苔の絨毯が敷かれた小さな洞窟だった。
小さな洞窟を前にして、私は一瞬立ち止まる。
これ以上体を雨で濡らさぬために、
一刻も早く洞窟に入るべきなのはわかっているけれど。
小さな洞窟には、先客がいるようなのだ。
それが誰かは分からない。
けれど、相手はただの森の獣ではなさそうだ。
小さな洞窟の入り口からは、
パチパチと火花の爆ぜる音と共に、
白い煙とオレンジの光が見えていた。
相手が誰なのかは分からないけれど、
ずっと雨に打たれてるわけにもいかない。
それにここにはクヤさまが案内してくれたのだ。
この山の中の事なら全てを知っているクヤさまが、
危険のある場所へ私を導くとは考えられない。
私は意を決すると、洞窟に踏み込んだ。
そして、意外な焚き火の主と対面した。
「驚いた。ホントに生きてたんだな、お前」
聞き覚えのある声と、見た目。
「あの時のワンちゃん?」
狼が焚き火の前で寝そべっていた。
「ワンちゃんはやめろ」
顔を上げて私に言うと、ワンちゃんはまた寝そべった。
一度殺したものが生きていたのに、
随分と警戒心の無い狼である。
「驚かないんですね。私を見ても」
「お前の事は、山の神に聞いていたからな。
半信半疑ではあったが、一応考えてはいた」
山の神の言葉に山の動物が半信半疑って、
どうなんだろうそれ。
「それよりも、お前のほうが不思議だ。
前回の時と比べて随分と落ち着いているな。
雨のせいか?」
ワンちゃんの言葉に、断片的な思い出が脳内で流れた。
暴走している時の事はあまり思い出したくないんだけど。
毛並みの手触り以外で。
「あんまり良い毛並みに出会うと、
初めてはちょっと、暴走しちゃうんです!
一度撫でられたので、もう大丈夫ですよ。
撫でさせてくれるっていうのなら、別ですが」
「他人に触られるのは嫌いなんでね。勘弁してくれ」
そうは言うけれど、先ほどからまったく動かない。
逃げる気配を見せないと、また触ってみたくなる。
嫌がるようなことをしようとは思わないけどさ。
よく見たら、ワンちゃんの体も酷く濡れていた。
だから動かずに、焚き火で乾かしていたのか。
でも、これ程の濡れ方だと、焚き火だけじゃ……。
そだ。
「おい、てめえ。突然なにしてやがる」
「何って。見ての通り、シャツを脱いでるんだよ」
なんでワンちゃん慌ててるんだろう?
「そ、そりゃ、分かってる。なんで脱ぐんだよってことだ!」
「乾かすには、脱いだ方がいいでしょ。
着ててもべとべとして厄介だし、
寒い季節ってわけでもないし。
それに……」
私は脱いだシャツをギュッと絞って、
なぜか私から目をそらすワンちゃんの体に広げて掛けた。
「絞れば濡れたシャツでも、
少しは水を吸収できるからね。
ワンちゃんの毛皮、拭いた方がいいよ。
そのままじゃ乾くまでだいぶかかっちゃう」
私は私で、焚き火の近くに座って、
雨に濡れて冷えた体を温める。
さすがに下までは脱げないから、
着たまま焚き火の炎で乾かす。
「ほらほら、さっさと拭きなよ。
それとも、私がやってあげようか?
なーんて、ダメだよね。
さっきだって――」
「いいぜ」
「え?」
思わず聞き返してしまった。
「やりたいんなら、やればいいって言ったんだ。
布の上からで、直に触るのは無しだけどよ」
そっぽを向いたワンちゃんは、
照れたような声で言った。
「えっと、いいの?」
「嫌なら、俺がやる」
「あ、やるやる。やります」
せっかくの機会だ。
布越しとはいえ、存分に撫でよう。
「俺、暫くここに住むことにしたから」
独りごとのようにワンちゃんは言った。
答えを期待していないように感じたので、
私は黙ってワンちゃんを拭くことに努めた。
「ワンちゃんは狼男なんですか?」
拭いている間に思い出して、私はそれとなく聞いてみた。
「ああ、そうだよ。
って、ワンちゃんはやめろって言ってるだろ」
よっぽどワンちゃん呼びが嫌らしい。
うーん可愛いと思うんだけどなー。
「じゃあ、何て呼べばいいの?」
「なんでもいいけどよ。
もうちっとカッコいい名前にしてくれや」
なんでもいいのに、注文付きなのね。
「じゃ、オオカミさん」
「ひねりがねえな。別にいいけどよ……」
歯切れが悪い。
「うーん。ならー、ウルフで」
あんまり変わっていないけど。
「おう。そいつはいいな!」
思いもかけず好評だった。
よくわからないけど、本人がいいのであればそれで。
「じゃあ、これからはウルフで。
よろしくウルフ」
「おう!」
どさくさに紛れて、呼び捨てにしてみたけど、
気付いてないのか、そこはどうでもいいのか。
「お、雨が上がったようだぜ」
ウルフに言われて洞窟の外に出てみると、
確かにもう雨は降っていなかった。
黒雲の間から月が微かに顔を出している。
これなら、なんとか歩いて帰れそうだ。
「焚き火ありがとう。ウルフ」
少しだけ乾いたシャツを着ながら、
私は同じく少しだけ乾いた毛並みのウルフに感謝を告げた。
「そりゃ、いいけどよ。おまえ――」
「ルイ」
「あ?」
「私の名前。ルイって呼んで」
「あ、ああ、ルイ。
あんま、人前で脱ぐんじゃねえぞ?」
「なにそれ。人を露出狂みたいに。
濡れちゃったんだからしょうがないでしょ。
脱いだのも上半身だけだし。
そもそも相手は狼だし」
私がそういうとウルフは突然立ち上がり、
洞窟の外に駈けていった。
私も続いて外に出る。
月はもう、黒雲から完全に出ていた。
なぜだろう。妙に月の光が強い。
「じょ、上半身だけだろうと、ダメなもんはダメなんだ。
ちっとは考えろ」
声につられて振り返ると、
そこには灰色の毛皮を纏った若い人間の男が立っていた。
「もしかして、ウルフ?」
首を傾げて聞いてみると、
「こんな辺鄙な場所、他に誰がいやがる」
顔を赤くしたウルフがそう答えた。
いったい何に恥ずかしがっているんだろう、この狼男は。
「ふーん。ウルフってそんな顔してるんだ。人型のほうは」
あの時は本当に一瞬だったから、改めてしっかり見る。
ちょっと怖い感じもするが、なかなかの男前である。
「なかなかカッコイイね」
「へっ」
そっぽを向かれてしまった。
褒めたつもりなんだけどなー。
「暫くここに住むんなら、また会えるよね。
じゃ、また今度ね」
「ああ」
ウルフは私の言葉に、短くそれだけ返した。
「ばいばーい」
――――――――――――
月の位置からして、もうそろそろ朝が来る。
長話に雨宿りで随分と時間を食ってしまった。
まあでも、それなりに充実した夜だった。
のんびり、まったりできた。
当初の目的は完遂。
ただ、このままだと家に着く前に太陽が顔を出す。
もうちょっと雨が止むのが早ければ。
傘や懐中電灯の用意があれば。
色々と考えながら、どうせダメなのでゆっくり歩く。
そのうち、空が青みがかってきた。
頭に手を置くと、ケモミミずきんの感触がある。
雨に濡れてもこれだけは、
他の服のように濡れて重くなったりはしなかった。
むしろ生き生きとしているような。
それはまるで、木々が雨を吸収するような。
そんな感じだ。
まあ、出自を思えば、不思議は無いけど。
「そろそろ、会ってもいい頃なんだけどなー」
クヤさまの言った噂。
異界の魔物。
それっぽいものには、まだ会っていない。
ここで一つフラグを立ててみようと思ったけど。
しっくりこない。
これは暫く先になりそうだ。
当分はまた、いつものように私の時間を楽しむとしよう。
さて、太陽が顔を出す。
私の視界が白で塗りつぶされていく。
今日はこれでお終い。
では、また次の夜に。