第七夜【狂信者・闇・光】
*注 少々グロテスクな表現がございます。ご注意ください。
夜。それは、私の時間。
さあ、今日も出掛けよう。
せっかくケモミミずきんの事を、
クロ姉さんから聞いたことだし、
そろそろ繁華街に置いてきた問題を片づけよう。
月が嗤う夜、クロカマさんが言っていた。
山の神に会わず、出かけるのは命知らずだ、と。
逆に言えば、山の神に会った今、
繁華街であの殺人鬼に会っても死なないということだ。
会ってみた感じ、たぶんギイさんは、
普通のやり方じゃ捕まらない。
例えユラさんのような腕利きの刑事? でもだ。
光り輝く繁華街を人に紛れて歩く。
あの時は偶然入った路地裏で出会えたけれど、
今回はこちらから会いに行かないと出会えないだろう。
その証拠に、月も穏やかな輝きをしていた。
こういう時は、直感を大切に。
きっとギイさんは、一番暗い場所にいる。
一番暗い場所で、今日も人を殺している。
背筋にゾワリと冷たい何かが走った。
前の時とは別の細い横道。
あちこちにある路地よりは広いけれど、
人通りは無く道の奥に、明かりを灯す店は無い。
俗にシャッター街と言うやつだろう。
人々から見捨てられた、忘れられた道。
私はそこに一人、入っていった。
心がざわざわする。
窓が割れた廃ビル。そこが、終点。
ドアはかろうじてついている。
廃ビルの中に入れば、あとは簡単だった。
血の臭いと、肉を打ち骨を砕く音。
それが道しるべ。
「こんばんわ、ギイさん。
二度目ですけど、初めまして」
暗闇で良かった。
部屋の中を目にしたら、さすがに吐いていたかもしれない。
それほどに、夥しい程の死臭を感じた。
「ギ、ギギ、ギギ――」
さて、とりあえずケモミミずきんで聞いてみよう。
クロ姉さんの言葉を思い出して、
霧散させていた意識を、ギイさんに集中させた。
「――覆い隠す者。我が主よ、ここに血と肉を捧げる。
清め。穢れ。一切を、この身と共に覆い隠せ
我が主よ。我が主よ。我が主よ。我が主よ――」
それは、男とも女ともつかない声だった。
トンネルの中で聞いているように深く響く。
それは誰かに捧げる、呪いの祈り。
ユラさんが言っていた噂は間違っていた。
これは、殺人鬼じゃない。
こいつは、狂信者だ。
ギイさんの今日の凶器は、大ぶりの斧のようだ。
前回の出刃包丁が可愛らしく見える。
クロカマさん、この後どうすればいいの。
ギイさんがなんであるかはわかってけれど、
相変わらず意思疎通は不可能っぽい。
こんなものどうすりゃいいのさ。
確かに私は命知らずですけども、
痛いものは痛いし、痛いのは嫌なんですけど。
まあでも、クロカマさんの言葉は運命と同等。
運命とは定められた道筋。
助言の通りに動けば、結果は正しく形となる。
山の神と会うことがクロカマさんの助言なら、
正しく行った今、絶対に生き延びる方法はある。
「贄となれ。贄となれ。贄となれ。贄となれ――」
ギイさんが厳かに言葉を繰り返し、私に迫る。
ケモミミずきんで、
ギイさんの呪いの祈りを聞いた今、聞く前と違う事。
ギイさんは、何に祈ってる?
夥しい数の死人の山。
ギイさんは、何に捧げている?
これだけ殺しておいて、未だ捕まらない不思議。
ギイさんは、何の力を得ている?
「――覆い隠す者」
ギイさんの呪いの祈りに出てきた言葉を、私が呟いた瞬間。
ギイさんの振り上げた斧が、私を引き裂く寸前。
私の視界を、闇が塗りつぶした。
――――――――――――
「わたくしを呼びまして?」
斧に裂かれた痛みは無い。
死んだような視界だけれど、手足の感覚ははっきりとある。
「あなたがルイ、ね」
その声は穏やかで温かく、
柔らかに包み込まれるような気がした。
とても心地よい。
「わたくしは覆い隠す者。
またの名を、セイアンと申します。
この街の闇を司っております」
「どうして、私の名前を?」
「他の地を守る神たちから聞きました」
その言い方からすると、もしかして。
「セイアン……さまは、もしかして」
「はい。この繁華街にて、神を仕事としております」
それなら、この力にも納得だ。
「ギイさんはどこへ行ったのですか?」
「消えたのは、ルイのほうですよ。
ルイに名前を呼ばれたので、
わたくしの闇でルイを一時的に覆い隠したのです」
つまりちょっとした異空間ってことか。
あの猫の夜会の集会場のような?
そんな異空間で、ギイさんから私を覆い隠したわけだ。
これで、ギイさんの捕まらない謎が解けた。
「ギイさんを今まで隠してきたのは、セイアンさまですね。
そしてその見返りに、
ギイさんは人を殺して、生贄として血と肉を捧げていた」
「おおよそ、当たっております。
順序だけ、反対ではありますが」
後半の声音だけ、少し冷たい。静かな苛立ちを感じる。
どうやらそれは、セイアンさまにとって重要なことのようだ。
「ということは、セイアンさまはギイさんの味方なんですよね。
なぜ、私を助けたのですか?」
「わたくしは誰の味方でもありませんわ。
しいて言うならば、全ての味方ですから」
矛盾している。けれど、意味はなんとなく分かる。
それは、誰にも敵対しないということだろう。
「それは私を助けた理由にはなりませんね」
「なりますわ。
ルイはわたくしの名を呼びましたでしょう?」
たった、それだけの理由で?
「それで十分ですわ」
あれだけの生贄と、名前を一度呼ばれたことが同等だなんて。
理解できないのは、相手が神さまだからだろうか。
「私がギイさんを止めるのを、セイアンさまは邪魔しますか?」
「あなたに止める手立てがあるのですか?」
私の問いに、セイアンさまはそんな問いで返した。
悔しい程に、何も言えない。
「わたくしと対となる神がこの街にはいます。
アレの力を借りれば、覆い隠す力は失せるでしょう」
助言、なのだろうか。
アレの部分に、何やら強い不快な想いを感じるけど。
「奴の名はジャコウ。
ルイがその名を呼べば……いえ。
アレは誰が呼んでも現れるでしょう」
「セイアンさまを呼んだように?
そのジャコ――」
「わたくしの前でっ!
呼ばないでくださいませ」
大声で遮られた。
対となるという割に、相当嫌っているようだ。
「どうか、わたくしが消えた後で、お呼びくださいませ」
静かで穏やかな声なのに、
なぜか逆らえない迫力がこもっていた。
「それは、いいですけど。
なんでそんなことまで、教えてくれるんですか?」
一歩間違えれば、それはもう敵対しているようなもの。
それでは全ての味方とは言い難い。
「全ての味方と言っても、
わたくしにも好悪の対象くらいありますから。
ああいった方はあまり好きではありませんの。
もちろん、あの生贄の選び方、捌き方も含めまして」
余計に分からない。
「それならどうして、生贄の対価に力を貸したのですか?」
生贄が嫌いなら、受けなければいい。
そして、力を貸さなければいい。
そうすればギイさんがこれほどまで、
殺し続けることなど出来なかったろうに。
あの日から、何人の被害者が出たのかは知らないけれど、
あの部屋に溜まった死人の数を見れば、増えたのは明らかだ。
「それがわたくしの仕事ですから。
人が何人死のうとも。
わたくしの為に生贄を捧げ続けたものを、
地獄へ送ることになろうとも。
わたくしはやってくる全てを受け入れますわ。
それが、闇というもので、わたくしというものです」
嫌いなものを受け入れて、
好きなものを受け入れて、
受け入れたものへの危害すら受け入れて。
全てを受け入れるというそれは、愛に似ている。
恐ろしい程に、深い愛情だ。
神さまでなければ、破滅するほどに深い愛。
私は震えた。
ぞくぞくする。ああ、なんてキレイ。
「ルイ?」
私の名を呼ぶ優しい声音。
壊れてしまいそうなほど、愛おしい。
「ルイ、戻しますよ」
ここは、本当に心地よい。
私は、ここでずっと……。
「ルイッ!」
夥しい死臭を感じた鼻が、私を強制的に覚醒させた。
闇が薄れるその瞬間、漆黒を纏った妙齢の女性を見た気がした。
――――――――――――
「ジャコウさま、ジャコウさま。
絶体絶命のルイがお待ちになっております。
お聞きになりましたら、
至急廃ビル三階までお越しください」
闇が晴れて、元の場所に戻ったので、
迷子センター風に、呼んでみた。
ギイさんとの距離は、
出会った時の互いの立ち位置まで戻っていたけれど、
残念ながら戻った瞬間見つかってしまい、絶体絶命。
闇が支配するこの廃ビルの中で、
闇の神を信奉する狂信者相手に、
いったい何ができるというのか。
早く来て、ジャコウさま。
なんでもいいから。
「ハッハーッ! 俺様の名を呼んだかい、ベイビーッ!」
スポットライトと、ネオンの虹色が、
ギラギラと光り輝くその中で、
光よりさらに輝く白銀のシルエットが一人。
目がチカチカする。
もう何が何だか分からない。
若干、後悔してます。
「すいません。間違えました」
「悲しいぜベイビーッ! そんなに邪険にしないでおくれっ。
俺様は君を助けに来たんだからよう~」
すごく確認したくないけど。
けど、しなければならないだろう。
「失礼ですが………………ジャコウ……さま?」
「イエース」
セイアンさまの態度の理由がよくわかりました。
体中がぞわぞわする。
何もかも無かったことにしてしまいたい。
けれど、ジャコウさまが現れたことで、
ギイさんを覆い隠す闇がより分かりやすくなった。
この過剰なライトアップの中で、
ギイさんの体だけが、暗い闇に包まれている。
あ。つい、部屋の中を見回してしまった。
真昼の光よりも強烈な人工光の輝きが、
部屋の中全てを言葉通り白日の下にさらけ出した。
鮮明に映し出されたのは、赤黒白。
血と腐敗した肉と、生々しい白骨。
臭いが見えなかった時よりも強烈に鼻を刺激する。
そこはまさに生贄用の精肉場。
あまりの光景に、血の気が引いた。
「ハッハッハーッ! 楽しんでるかい、ベイビーッ!
もっともっとはっちゃけようぜ!
俺様がいれば世界全てが舞台の上!
主役の王子が姫の嘆きを聞き、救いに来たんだぜぃーっ!」
いちいち耳に突き刺すような声量で、
ジャコウさまは芝居がかった言葉を発する。
その音は私の中で、繁華街の喧騒とダブる。
網膜を貫く光と血みどろの光景に、
私の苦手とする繁華街の喧騒にも似た声の嵐。
頭が割れるように痛い。
倒れてしまいたいけれど、腐肉に倒れこむのは勘弁。
数分はもたない。
あと数十秒で、私は死ぬ。
苦し死ぬ。
その前にせめて。
「あれをどうにかしてください」
人型の闇となったギイさんを指さして、
私はジャコウさまに願った。
「オッケーィヤッホゥーッ!」
ジャコウさまの叫びと共に、
更なる光が全てをより鮮明にする。
これだけの光量を浴びれば、
目が焼かれて何も見えなくなるはずなのに。
ジャコウさまの発する光は、
強まれば強まるほど、周り全てを鮮明に映し出す。
「おーるらいと」
ジャコウさまのその一言で、
全ての光は一点に収縮し、ギイさんを包む闇が晴れた。
それと同時に、外がざわめき出す。
ジャコウさまが晴らしたのは、
ギイさんを覆い隠していた闇だけではない。
この周囲一帯を包んでいた停滞まで、
一緒に晴らしてしまったようだ。
それはまるで繁華街の喧騒が溢れ出してきたように、
死したシャッター街を、活気ある生の息吹が吹き抜ける。
Rではなく、Lでしたか。
「ガ、ガガ。ギィ――ッ」
ギイさんは苦しみもがくように、苦痛らしき悲鳴を上げている。
廃ビル内に、ドタドタと幾人分もの人の足音が響き渡る。
「こっちだ! 続けーっ」
下の階から聞こえる声には、聞き覚えがあった。
ユラさん声だ。
ああ、隠していたものが暴かれたんだ。
助かった。これで、ギイさんは捕まる。
安堵してみたけれど、周りの光景に考え直す。
足音からして警官の人数は複数。
ユラさんだけだったらなんとなるけど、
今私がここにいる光景をほかの人に見られたら、
色々とまずいんじゃないか。
少なくとも、即帰宅はできなくなりそう。
ジャコウさまはもういない。
一か八か。
「セイアンさま」
その呼びかけが、私の視界を闇で染めた。
「――サービスですのよ」
一瞬、セイアンさまの声が聞こえて……。
気が付けば、私は家の前に立っていた。
時間もちょうどいい頃合い。
そろそろ太陽が顔を見せる。
今日は本当に疲れた。
けど、なんとか終わってよかった。
今日はこれで、お終い。
では、また次の夜に。