第六夜【神主・番壁・夜会】
夜。それは、私の時間。
さあ、今日も出掛けよう。
そういえばこの間は、あの子に会えなかった。
今日辺り神社に行けば、会えるような気がする。
唐突にそう思った私は、住宅街へと足を向けた。
住宅街の中心にある林の中の神社。
祀られているのは、狐神のイナリさま。
そして、イナリさまを祀るこの神社の神主が……。
「あ、ルイさんです。こんばんわです」
私に声を掛けたのは狐の面を頭に載せて、
箒を手に神社内を掃除する巫女服少女。
彼女こそが、この神社を仕切る神主、サヨリちゃんだ。
まだ齢一桁だというのに、立派に神社を取り仕切る真面目っ子だ。
「こんばんわ、サヨリちゃん。
今日こそはサヨリちゃんと会えるかなーって、
思ってきてみたけど会えてよかった」
サヨリちゃんの体は、たまにイナリさまが操っているので、
サヨリちゃん本人と出会える確率は半々なのだ。
「先日訪ねてくださったですね。
イナリさまから伺っていますです」
サヨリちゃんは律儀に石畳を掃く手を止めて、
私に向かい合った。
「いいよー、掃除してて。
特に用があるわけでもないし。
ちょっとお話に来ただけだから」
「そんな訳には参りませんです。
ここにいらっしゃった方はみな、
イナリさまのお客様です。
私はイナリさまに仕える者として、
しっかりと、もてなさなければならないのです」
ささ、どうぞ。と、神社の隣に建つ家へ、案内してくれる。
「いいのいいの。ホントにちょっと寄っただけだから。
ほかにも行くところとかあるし」
私の言葉にサヨリちゃんは少し残念そうな顔をして、
「そうですか。それなら仕方ないです」
と、言った。
別に後に用事があるわけでは無いけれど、
このままサヨリちゃんに家の中へ招待されたら、
お茶からお菓子までフルコースでもてなされてしまう。
さすがにそれは、申し訳ない。
それにそんな快適な場所に居れば、時間がすぐ過ぎてしまう。
目的地は無いけれど、もう少しあちこち行きたい。
それが散歩というものなのだ。
「サヨリちゃん、最近調子はどう? 元気してる?」
「はいです。元気いっぱいですよ」
神主として大人顔負けなサヨリちゃんでも、さすがは小学生。
元気は有り余っているようだ。
そうだ。特に用事があったわけでもないけれど、
せっかくだからあの事を聞いてみよう。
「サヨリちゃん最近さ、この辺りで怪しい奴見なかった?」
「怪しい奴……ですか? チイさんならたまに見ますけどです」
サヨリちゃんの中で、チイちゃんは怪しい奴カテゴリのようだ。
「うーん、そういうのじゃなくて。
もっと、普通と違うッぽいので……」
あー、もう。自分で見たわけじゃないから伝えにくい。
「あ、そうだ。イナリさまに何か聞いてない?」
「特に何も聞いていませんですが。
イナリさまに御用だったんですか?」
「いや、別に用は無かったんだけど、
せっかく来たからついでにね。
あ、そうだ。
サヨリちゃん、イナリさまに伝言頼んでいいかな?」
「はいです。いいですよ」
「クヤさまからの頼み事の事なんだけど。
イナリさまからも少し話を聴いてみたいなと。
また来るから、その時にでもお願いしますって伝えて」
「了解ですです」
ビシッと敬礼して、サヨリちゃんは答えた。
軍人とか警察官みたい。
「なにそれ、流行ってるの?」
「はいです。最近学校で流行り中なのです」
よくわからないけど、サヨリちゃん楽しそうだ。
「じゃあね、ばいばい。
伝言よろしくね」
「はいです。ばいばいです」
互いに手を振り合って、私は神社を後にした。
――――――――――――
神社を出た丁度その時、見覚えのある小さな影が、
私の前を通り過ぎた。
これ、不幸の前兆って聞くけどどうなんだろう。
という考えが、私の反応を一瞬遅らせて、
声を掛けるタイミングを逃してしまった。
でもせっかく見かけたのだから、声を掛けたい。
彼女は家の近くを縄張りとしているけれど、
気まぐれで会わないときは本当に会えないから。
私はクロさんが消えた先に足を向けた。
見失うといけないから、気持ち小走りだ。
にしてもクロさん、住宅街方面にも来るんだ。
いつもの縄張りからは、少し外れていると思うけど。
まあ猫の縄張りは意外と広いらしいし、
なんといってもクロさんは猫又だ。
行動範囲は十六夜市全域だとしても、私は驚かない。
いや。猫又がどういうものなのか、よくは知らないのだけど。
猫の通り道というのは本当に面白い。
道に見えない道を、当然のように歩いていく。
幸いなことに急いでいるわけでは無いのか、
ゆったりとした歩きなので見失うことは無いだろうけど、
初めての道に悪戦苦闘する私ではとても追いつけない。
家々の間に通る塀の上や、生垣のトンネル、
他人の土地だなんて気にしない傍若無人ぶりだ。
まあ猫に人間の取決めなんて、何の意味もないんだろうけど。
ユラさん辺りにでも見つかったら、長い説教が待ってそうだ。
幸いなことに住宅街はユラさんの縄張りから離れてる。
なんてことを考えながら、堀の上を歩いていく。
いつもと違う道は、いつもと違う景色が見れてそれだけで楽しい。
おまけに高さも違えば、いつもの場所であっても、
まったく違う光景が広がる。
空を見上げると、なんだかいつもより月が近く感じた。
地上との距離なんて、ほんの数メートルしか違わないのに。
抜け道、細道、獣道。
コンクリートの壁に空いた穴は、猫がギリギリ通れるくらい。
壁の向こうは、たぶんゴール。
先ほどから、幾匹もの猫の鳴き声が聞こえてくる。
クロさんの行き先は、噂に聞く猫の夜会だろう。
悪戦苦闘の道のりの先に、まさかの最終関門だ。
上を通ればいいんでない? という考えはまず却下。
猫たちの声は、壁に空いた穴の中からしか聞こえない。
どういう法則かは知らないけれど、
この先は壁の穴を通らなければ行けない場所なんだろう。
さて、どうしよう。
「お困りかね、お若いの」
悩む私に、どこからか声がした。
「どちらさま?」
「ここじゃよ。お若いの」
よく見れば、壁に空いた穴が揺らいで声を発している。
この穴は……口?
ということは、語りかけてきているのは。
「もしかして……カベさん?」
「正解じゃよ。お若いの」
よく見れば、壁には目のような沁みが二つ付いていて、
それが瞬きをしていた。
「ワシは猫たちに頼まれてね、ここで番をしとるものじゃよ」
やっぱりこの先は、普通じゃなさそうだ。
「ふむ。それにしてもお若いの、
ワシの声が聞こえるとは珍しい耳を持っとる」
ああそういえば、
ケモミミずきんは無機物の声も聞こえるって、
クヤさま言ってたっけ。
「猫たち意外と話したのは久しぶりじゃ。
それに免じて通してやりたいところじゃが……」
番壁だもんね。勝手はできないよね。
「無茶を承知で聞くが、内側に知り合いなんぞおらんかね?
誰かの紹介であれば、問題なく通せるんじゃが――」
「居ます!」
通れると聞いて、食い気味で応えてしまった。
けれど、よく考えてみれば、
私はクロさんを尾行してたどり着いたんだったっけ。
さながらストーカー。
受け入れてくれるかな?
それでもきっと、あのクロさんなら!
「えっと、クロさんって言って。
いや、クロさんは私がつけた呼び名か。
えーと、そうそう。
黒い毛並のメスの猫又さんなんですが。
ちょっと急で、紹介とかは無いんですが。
……聞いてみることって、できます?
あ、ルイが来たと言って下されば、
たぶん分かるかと……その、思います」
「ほう。あのお方の知り合いじゃったか」
カベさんの言葉には、強い敬意が感じられる。
クロさんて、ホントにすごいんだ。
カベさんの目が閉じて、口も動かなくなった。
ドキドキ待つこと、一分弱。
カベさんの目が開き、口がゆらりと動き出す。
「確認させてもらったよ、お若いの。いやルイくん。
あのお方からの許可が下りた。通るがよい」
そう言ってカベさんは口、つまりは壁に空いた穴を、
大きく開いた。
と言っても、ギリギリ匍匐前進で抜けられるくらいだけど。
「ほれはへんはいひゃ。
はっはほ、ふぁいふふぁふぉい」
何を言っているのか聞き取れないが、
おそらく入れと言っているんだろう。
私は、地面に寝転ぶと、匍匐前進で穴を抜けた。
「ふぁはふぁは、ふぁのしかったぞ。ルイくん」
私の後ろで、そんな声がした。
――――――――――――
にゃーにゃーと遠くで猫の鳴き声が聞こえる。
なんでだろう。
ケモミミずきんを被っているハズなのに。
「なんで」
「集中の調節が出来ていないからよ」
「クロ姉さんっ!」
声の主に気が付いて、咄嗟に想いが呼び名に現れた。
「うふふっ。なーに、その呼び方」
「ダメですか?」
「私は別に構わないわよ?」
楽しそうにクロ姉さんは言った。
「あの……怒ってませんか?」
「何に対してかしら?」
クロ姉さんは目を細め、探るような目つきで、
私を見て逆に聞き返してきた。
直接的にはここに来たことだけれども、
それを話すには後をつけてきたことも、
話さなければならない。
気付いているのかいないのかは分からないけれど、
自分からは言いにくい。
私が黙っていると、
クロ姉さんは可笑しそうに笑って、
「何に対してかは知らないけれど、
少なくとも今は怒ってないわね。
丁度、ルイちゃんとお話もしたかったことだし」
と、言った。
うぅ。全てを見透かされているような気がする。
「ねえ、ルイちゃん。
あなたの事をみんなに紹介したいのだけれど、
いいかしら?」
「あ、はい」
所々に土がむき出しになったコンクリートの地面と、
幾本かの木々に申し訳程度の草原。
そこに数十匹を超える猫たちが、各々自由に寛いでいた。
空には月と星々が、誰にも邪魔されずに輝いている。
まだ住宅街から出る程に歩いた気はしないけれど、
ここは住宅街とは違う場所なのかもしれない。
「そういえばさっき、集中の調節が出来てないって。
あれはどういう意味なんですか?」
私はクロ姉さんにそれとなく聞いてみた。
「そのまんまの意味よ。
ルイちゃんのずきんはね、
本来何かに集中していないと効果が出ないの」
「普通に使えてますけど」
ケモミミずきんを使うのに、何かを考えたことは無い。
むしろ、被っている間は、鳴き声が聞こえないくらいなのだ。
「だから、調節が出来てないのよ。
聞きたい物、あるいは者を認識して聞こうとすれば、
例え姿が見えなくても聞こえるはずよ。
逆に意識の外にある単なる音は、
例えそれが鳴き声でも単なる音として聞こえるの。
その辺りの集中を意識的に操れるようになれば、
どんな時でも聞き分けができるようになるはずよ」
むむむ、分かるような分からないような話だ。
「うふふ。すぐに出来るようにはならないわよ。
これはもう、感覚的なものだから。
今言った事を意識して、聞き分けようと思い続ければ、
いつかはできるようになるわ。
うまくすれば、両方同時に聞くなんてこともできるはずよ」
奥が深い。ただ被ってればいいわけじゃないみたいだ。
「ルイちゃんなら、極めればそれを使わなくても、
聞こえるようになるかもね。
――さあ。そろそろみんなに紹介するわよ」
そうして私は、クロ姉さんに連れられて、
猫たちの輪の中心に入っていった。
クロ姉さんの縄張りに住む者として、紹介をされた。
たくさんの猫たちを紹介されたけれど、
あまり記憶力の良くない私には、
彼ら全ての名前を覚えることはできなかった。
けれど、猫たちは特に気にしていないようだ。
良い意味でも悪い意味でも、
自由気ままな性格が多いようだ。
さすがは猫。
夜会とは言っても、
ほとんどがゴロゴロと寝っ転がってる。
「そういえばクロ姉さん。
クヤさまの頼み事の件ですけど。
なにか情報はありました?」
「今のところ目ぼしい情報は無いわね」
手がかり無しか。
別に本気で探してるわけじゃないからいいけど。
「そうだわ。ここの子たちと今日話してたんだけど、
ルイちゃんなら、アレの事なんとかなるかも」
「アレって?」
「最近猫たちの間で話題に上っている伝説の食べ物よ」
何やらすごそうな。
「人間の同居人を持つ猫しかありつけないという、
その名も『ネコカン』!」
ん?
「食べた子たちの話だと、
この世のものとは思えない美味しさらしいわ」
それって、猫缶のことだろうか。
猫用の缶詰の。
「もしネコカンが食べられるというのなら、
きっと多くの猫がここに集まってくると思うわ。
そうすれば、ルイちゃんの望んだ情報も見つかるかも」
大きなお店は、あんまり入りたくないなぁ。
近所のコンビニにも売ってるかな?
ここに入れて貰った件のお礼もあるし。
「今度来るときに、お土産として持ってきます」
「ホント!?」
想像以上に喜ばれた。
猫又といえど、クロ姉さんも猫なんだなぁ。
「みんな、朗報よ!
ルイちゃんが今度、あのネコカンをもってきてくれるそうよ」
「うぉー、マジか!」「キャーホントに?」「やったやった」
「ひゃっほー」「お腹減らしてこなきゃ!」「楽しみー」
全猫スタンディングオベーションで、喜ばれた。
猫缶……高級なの探そう。
ついでに、マタタビもつけて。
「今日はルイちゃんのおかげで、
すごく盛り上がったわ。ありがとう」
最後は確かに少し盛り上がってたみたいだけど。
基本、みんな寝転がってただけなような……。
やっぱり猫なんだなぁ。
「ぜひ、また来てね」
「はい。お土産持ってまた来ます」
気のせいか、クロ姉さんの瞳がいつもの倍は輝いてる気がする。
さてこれは、ネコカン手に入れないと、おいそれと来れないな。
あ、そういえば。一つ聞くのを忘れてた。
「そういえばクロ姉さん。
昨日九夜山で変わった狼を見たんですけど」
あの時の記憶はあまり無い。
いや、死んだからとかではなく、
モフモフに興奮しすぎて、それ以外あまり覚えていないのだ。
「新参者みたいなんですが、何か聞いてませんか?」
「さあ? 九夜山は私の縄張りから少し外れているし、
あの辺りに近づく猫はあまりいないから」
確かに、九夜山に一番近い縄張りを持つのが、クロ姉さんだ。
他の猫は大抵、もっと街の近くを縄張りとしている。
そっか、知らないのか。
「どんな狼だったの?」
「すっごく艶やかな灰色の毛並をしてて、
怒ると毛が逆立って人間の形になったような」
「――怒らせたのね」
呆れ口調で、クロ姉さんは言った。
そういえば、クロ姉さんと初めて会った時も、
似たようなことになった。
あの時はなんで突然、意識が闇に呑まれたのか、
分からなかったけれど、今なら分かる。
猫又であるクロ姉さんなら、怒らせたらそりゃ一撃で絶命だ。
「……狼男、でしょうね」
聞いたことある。
割と有名な……そうかあれが。
気付いてみれば、なんで気づかなかったと思える。
ホント、なんで気づかない。
次に会った時、本人に聞いてみよう。
「気を付けて、なんてルイちゃんにはあまり意味のない言葉よね。
でもまあ、気を付けてね」
「はい。クロ姉さんも」
猫の夜会から外れ、クロ姉さんと別れて、
私は壁の穴からはい出した。
その瞬間。
半分顔を出した太陽が目に映った。
日が、半分も昇っている。
意識が白で塗りつぶされていく。
ああ、そうか。
猫の夜会の会場。
あそこは、時間が――。
なんにせよ、今日はこれでお終い。
では、また次の夜に。