第五夜【梟紳士・大金魚・狼?】
夜。それは、私の時間。
さあ、今日も出掛けよう。
せっかく昨日ケモミミずきんを手に入れたのだから、
今日は九夜山のホオさんを訪ねてみよう。
珍しいものが手に入れたら、使ってみたくなるのが人の性。
楽しいと体もどんどん軽くなる。
気が付けば私はスキップで鼻歌を歌いながら、
山道を登っていた。
さて、ホオさんの住処は一応知っているけれど、
この時間は大抵出かけている。
ホオさんにとって今は狩りの時間。
なんたってフクロウは夜のハンターだから。
まあでも山の中にいることは間違いない。
遠くから時折聞こえるホオさんの鳴き声を頼りに、
私は藪の中に分け入った。
「ホウさーん、どこですかー」
鳴き声の聞こえた方向に向けて、大声で叫ぶ。
狩り中のホウさんは、森の闇と同化する。
おまけに飛び立つときでさえ、
物音ひとつ立てないホウさんを、
こちらから見つけるのは至難の業だ。
狩りの邪魔ではあるけれど、
向こうにこちらを見つけてもらうのが一番。
まあ温厚な方だから、許してくれるでしょう。
きっと。たぶん。
いつも感じていたつもりのホウさんの意思の解釈を、
私が間違えていなければ……。
うーん。
すごい宝物を手に入れて、ちょっと調子に乗りすぎてたかも。
クロさんの件もあり、だんだん自信がなくなってくる。
狩りの邪魔って、結構まずいかな。
野生では生死に関わることだし……。
あーうー。
「えーと。ホウさーん?」
それでも呼んでしまったものは、もう仕方がない。
もう一度、今度は少し声のトーン落ち気味で呼んでみた。
「何か御用かな、ルイどの」
「うひゃぁっ」
真後ろから声がして、
私は思わず飛び上がってしまった。
恐る恐る振り返ると、目の前にホウさんの顔があった。
「―――ーっ」
今度は声も出ない。
ホウさんの全体像は結構ファンシーで好きですが、
顔だけアップはかなり怖いです。
闇の中に白い顔が突然現れるとか、心臓飛び出しますよ。
どうやらホウさん、
私の後ろに突き出した木の枝へ器用に止まっているらしい。
「お、お、お」
首を傾げるホウさんへ、私はなんとか先を続ける。
「驚かさないでくださいよっ。
死ぬかと思いました」
「ほっほっほー。
今夜の散歩が早速終わるところだったでござるか。
それはすまないことをしたでござる」
笑い声には、あまり反省の色は見えない。
けれど、こっちから邪魔した手前これ以上は言えない。
「狩りの邪魔してしまってすいません」
「よいよ。ルイどのの珍しい顔が見れたのだから、十分でござるよ。
それに、浮かれていたのは、そのずきんのせいであろう?」
お見通しのようだ。
「はい。ホウさんの言葉を正しく解釈できていたかが、
少し不安でっていうのもあって」
「ああ、なるほど。
だが、その不安は杞憂であろうよ。
私の意思は正しくルイどのに伝わっておる。
その証拠に、私に違和感は感じなかろう?」
確かに今のホウさんも、いつも通りの忍者みたいなホウさんだ。
「はい。その通りです」
私はほっと胸をなで下ろした。
目的も達成したし、そろそろ退散しよう。
「では、そろそろ行きます」
「もう、帰るのでござるか?」
「はい。目的も達成できましたし、
不安も解消できました。
それに、狩りのお邪魔でしょうし」
「残念だが、仕方がないでござるな。
また、いつでもおいくだされ」
ホウさんはそういうと、音も立てずに飛び去った。
さて、せっかくこんなところまで来たのだし、
今日は九夜山の先まで行ってみようかな。
――――――――――――
九夜山を越えてさらに進むと、大きな湖に出る。
その名も、十夜湖というその湖には、昔から主がいる。
せっかくなので、挨拶でもしていこう。
湖畔に植わる一本松の下が、主との謁見の場所だ。
ここで、幾度か柏手を打つ。
パンパンパンパン。
すると、十夜湖の水面に波紋が生まれ、
それはどんどん大きくなって、辺りの水が持ち上がると、
巨大な主のお目見えだ。
「こんばんわ、コイさん」
「やあ、ルイ。こんばんわ……コイ」
あからさまに怪しい語尾を付けて話すこの魚こそ、
この湖の主であるコイさんだ。
齢百数十年という年齢を表すその全長は十メートルを超す。
小型のクジラほどもあるその姿は、
まさに主に相応しいというもの。
さて、このコイさん。
呼び名はコイさんだけれども、
実際のところ種族的には鯉ではなく金魚なのだ。
うん、金魚。
初めて会ったとき、私はその姿から鯉と思い、
コイさんと呼び始めたんだ。
途中でコイさんが金魚だと気が付いたのだけれど、
私はもうその呼び名で覚えてしまったし、
当のコイさんが気に入っているようなので、
そのままコイさんと呼ぶ事になったのだ。
えらく紛らわしいけれど、本人の希望なのだから仕方がない。
コイさん曰く、金魚より鯉のほうが好きなのだそうだ。
そんなコイさんの夢は、鯉として滝を上り龍となることらしい。
色々と思う所はあるけれど、頑張ってほしい。
「あの夢は叶いそうですか?」
応援するものとして、私は会えばまずそれを聞くことにしている。
まあ、結果は思うようにいかないらしく、
毎回結局未来に期待するというような答えしか、
返ってこないのだけれど。
「コイッコイッコイッ」
けれど、聞かれて笑っている? ところを見ると、
今回は何か進展があったらしい。
「それがな、面白い噂を聞いたのだよ。
……あ、聞いたコイ」
「うわさ?」
「十三夜川で、最近龍が目撃されたという噂だ……コイ」
もう、その語尾やめたほうがいいと思う。
鯉を主張したいのは分かるけど、
まったく定着する気配がない。
まあ、言わないけど。
「て、龍? それどこ出自の噂なの?」
「最近この辺りを通った旅魚たちが話しておったコイ」
旅魚って初めて聞く単語だ。
いや、意味は分かるけど。
……サケとか?
時期が違う気がするけど。
「でも、十三夜川っていうと縄張りから離れすぎてない?」
十夜湖の主であるコイさんは、
この湖からあんまり遠くまで出歩けないはずだ。
「そこでルイに相談なんだが」
あ、なんか、その先は分かる。
「見に行ってこい、って?」
「むしろ連れてきてほしいのだ」
龍を? 私に?
「どうだろう。話し合いでなんとかなる相手なら……」
「うむ、頼んだぞ。……できるだけ早めにな」
早めにか。
百数十年生きて、人間の言葉すら発するコイさんだけれども、
決して神さまではない。時間の感覚に関しては、人並みなのだ。
金魚並みであるよりは、まだ良いか。
「分かりました。近いうちに行ってみます」
「うむ。頼んだぞ」
さて、そろそろ。
「じゃあ、失礼しますね」
「さらばだ」
立ち去ろうとして、言い忘れたことを思い出し振り返る。
「そうそう、さっきから語尾忘れてますよ。コイさん」
「あ、……コイ」
コイコイコイと叫びつつ、
水を跳ね上げ暴れるコイさんを背後に残し、
私は十夜湖を後にした。
――――――――――――
ベロを出して、息荒く。
へっへっへっへっへっ――――。
灰色の毛並と、金色をした獣の瞳。
帰りがけの森の中で出会ったのは、
この辺りでは見たことのない大型の犬だった。
「こんばんわ、ワンちゃん」
笑顔での挨拶は、初対面においての定石だ。
可愛らしいこのワンちゃんとはぜひ友達になりたい。
できるなら、あの毛皮に思い切り抱き着きたい。
もふもふしたい!
「犬じゃねえ。狼だ」
私の言葉に反論するワンちゃんの声は、
外見の印象からは想像できない男前なものだった。
確かに、犬と狼じゃかなり違う。
カッコよさが違う。
じゃあ、ワンちゃんじゃまずいか。
犬はワン鳴くからワンちゃんで、
狼は……なんて鳴くんだろう。
「ねえちょっと、君。狼ってなんて鳴くの?」
「さっきから話してるだろ。俺の声が聞こえねえのか?」
ん? え??
ああ、ケモミミずきん被ってるから人の声になってるのか。
私は試しに、ケモミミずきんを脱いでみた。
「ウゥー。ワンッ、ワンワンッ。ワワンッ」
……ワンじゃん。
もう一度、ケモミミずきんを被りなおす。
「それで、ワンちゃんはどこから来たの?」
「てめえ。俺の話聞いてなかったのかよ」
「ワーンちゃん。えへへ」
可愛い。可愛い。可愛い。
「う。まあ、いいけどよ」
私の目を見たワンちゃんはなぜか少し身を引いて、
何かを諦めたような声でそう言った。
そんな、貴方もすごく可愛い。
この可愛さは、クロさんと出会ったとき以来かも。
「俺の声を解するには、その被り物の力か」
「そうだよ」
私がケモミミずきんを外した所から考えに至ったのかな。
可愛いだけじゃなく、頭も賢い。
「くぅー。もう可愛いなあ」
ついに想いが口から洩れてしまった。
飛びつくのも、時間の問題だ。
「だが、それだけじゃねえ。
お前、何者だ?」
ざわざわと、ワンちゃんの毛が逆立つ。
瞳に宿る金色の光が、輝きを強めていく。
空から落ちてくる月の光が、やけに強く感じる。
でも、そんな姿も可愛いよ。
ああダメ。もう我慢できない。
「人間の形をしてるが、
俺の鼻は誤魔化せねえぞ。
お前は。
お前は、なんなんだぁ――――っ!!」
叫び声と同時にワンちゃんの体が倍に膨れ上がる。
それと共に、私の待ても限界を超えた。
「モフモフさせてぇ――――っ!」
叫び声とともに、
私はワンちゃんの体に向けて、思い切り飛びかかった。
私の体がワンちゃんに向けて飛ぶその刹那、
私の瞳は、確かに捉えていた。
ワンちゃんの膨れ上がった体が、
内側へ向けて収縮していくのを。
それは人間の形へと、その姿を収束させていき。
ワンちゃんがいた場所には、
半裸に灰色の毛皮を纏った、一人の若い男が立っていた。
「あれ、れ?」
空中を滑る私の体は、けれどもう止まらない。
「終わっとけ」
若い男は、殺気を混ぜてそう呟くと、
その腕を私に向けて一振りした。
男の腕の先には、鋭い爪を帯びた獣の手が。
痛みが私の体を走る。
と、同時に私の手が、彼の纏う灰色の毛皮に触れた。
ああ、柔らかくて、艶やかで、蕩ける様な肌触り。
「相打ち――かぁ――――」
意識が黒に塗りつぶされていく。
この感覚は、終わりの感覚だ。
何度も体験した、一夜の終わりの感覚だ。
「どこが相打ちだよ」
最後に、若い男のそんな声が遠くで聞こえた。
今日はこれでお終いかぁ。
――では、また次の夜に。