第四夜【山神・猫又】
夜。それは、私の時間。
さあ、今日も出掛けよう。
綺麗な月が、穏やかに輝いている。
こんな夜には、
のんびりと散歩を楽しみたいところだけれど……。
今日は一気に九夜山の山頂まで行くとしましょう。
また、あっけなく終わっても困るしね。
山を登り始めると、やがて深い森に踏み入る。
そこをさらに進むと、木々が拓け、芝で覆われた場所に出る。
そこまで来れば、九夜山の山頂はもう目と鼻の先だ。
ちなみに拓けた空間は、山の頂上を中心にして広がっている。
そしてその頂上には、巨大な樹が植わっているのだ。
その巨大な樹こそが、この九夜山を守る神であるクヤさまである。
「こんばんわ、クヤさま」
「ようこそ。麓の子よ」
私が挨拶をすると、クヤさまは枝葉を震わせて返事をした。
山全体から湧き上がるような深く厳かな声音だ。
「ホオさんに聞きました。用事があるそうですが」
私はクヤさまの根に座ると、クヤさまを見上げて尋ねた。
クヤさまはその辺りの木とは比べ物にならないほど、
古い時代から生きている。
そのため、大きさもとんでもなく大きい。
どのくらい大きいかというと、
小さな山小屋くらいならすっぽり入ってしまうほど。
クヤさまの幹を掘って家を作ったら、
それはもうファンシーな、
絵本に出てくるような家ができることだろう。
まあ、さすがにそんな罰当たりなことはやらないけれど。
「また、恐ろしいことを考えているね。
麓の子よ」
ばっちり伝わっていた。
「ついつい考えちゃうんです。
やりませんから、気にしないでください。
それより用事を」
「ふぉっふぉっふぉ。まあ良い良い。
さて、用事じゃったな。
今日はお主に、贈り物をしようと思ってな」
「贈り物?」
山の神さまからの贈り物なんて、なにやらすごそうだ。
袋いっぱいのどんぐりかな?
それとも、猫型のバスの乗車券かな?
そういえば、あれのお腹でちょっと寝てみたい。
「なにやら、面白そうなことを考えとるところ申し訳ないが、
そういったものとは違うのう。
そもそもワシは樹で、太ったムクムクではない」
読まれてる~。
恥ずかしい。
そして、あのムクムクの事を知ってらっしゃる~。
どこで知ったの?
「お主に贈るのは、これじゃよ」
声と共に、ボフンッと頭に何かがぶつかった。
丸くて柔らかい何か。
それは風呂敷?
「その中身じゃて」
風呂敷を開けると、そこには緑色の帽子が入っていた。
帽子……というより頭巾だろうか。
広げてみると、猫耳がついている。
なんだろう、これ。
頭巾の緑色が、クヤさまの葉っぱの色と同じなのは、
クヤさまらしいけど。
なんで頭巾? しかも猫耳付き?
「なんじゃお主、ききみみずきんを知らんのか」
ききみみずきん? どこかで聞いたような……。
「昔話じゃよ。
それを被るとな、
生き物の声が聞こえるという不思議なずきんの話じゃ」
で、これがそのききみみずきん?
「それは少し違うものよ。
それを被るとな、生き物のみならず無機物の声まで、
人間の言葉に翻訳して聞かせてくれるという一品じゃよ」
なにやら、すごいものらしい。
とりあえず、ききみみずきんの上位版であるらしいこれは、
ケモミミずきんと呼ぶことにしよう。
あれ。でもそう考えると、これタダってわけではないような。
「あの、これ……」
「わかっとるようじゃな。
お主にやってもらいたいことがある。
いつでも良いので聞き届けてくれぬか?」
そう言われると、断りづらい。
贈り物までもらってしまったし。
「ありがとう、麓の子よ。
お主にやってもらいたいのはな、
実はこの九夜山も含む十六夜市全体に関わるこのなのじゃ」
十六夜市。
それは一夜から十五夜、そして幻の零夜を合わせた、
十六の地域をまとめた呼び名だ。
つまり十六夜市には私の住む八夜丁に、ここ九夜山、
住宅街のある六夜丁と、繁華街のある四夜丁も含まれている。
それ以外にもまだ、十二の地域が残っている。
まあ全て、私の行動範囲ではあるのだけれど。
「最近、十六夜市に住む神々の間である噂が流れとる。
いわく。魔物を見た、と」
へ、まもの?
「うむ。
本来、異界に生きる魔物がこちらに出てくることは無い。
呼び出されたというのなら、ありえないことではないが。
異界から魔物を呼び出すなぞ、並の存在では不可能じゃ。
えらく手間もかかるしのう」
魔物。でも、私は割と見てるような……。
「お主の考えとるのはワシの言う魔物では無いよ。
ワシの言う異界産の魔物はとても危険な存在じゃ。
それがかなりの数、目撃されておる。
しかもその姿から、複数おるようじゃ」
なにやら、面倒くさい方向に話がいってる気がする。
「お主に頼みたいのはな、その魔物に関することなのじゃ」
「それは……私に倒せ、と?」
「倒せるのなら、それが一番良いが難しいじゃろうのう。
今のお主ではな。
まあ、お主なら死ぬことはないじゃろうが。
いや。消えることは、かな?」
……じゃあ、私に何を期待しているんだろうか。
「魔物が現れるようになった理由の調査じゃよ。
ついでにその元凶を止めてくれるとありがたいのう」
そうなってくるとむしろ、
魔物に対抗する武器みたいなものを貰った方が嬉しいような。
「頼んだぞ、麓の子よ」
うわ。考え読んでるはずなのに、無視しなさった。
この神さま。
「ではな」
一陣の風が吹いた後、樹は静かになった。
喋るのを止めたのか、それともどこかに意識を移動したか。
もう巨大な樹は、何も語らない。
ケモミミずきん貰ってしまったし、
噂が本当なら夜歩きしていれば、
いずれは魔物とも出会うだろう。
異界の魔物の事は、心に留めておくとしよう。
――――――――――――
さて、クヤさまの話で随分時間を使った。
もうそのまま帰ることにしようと、山の麓まで降りてきたら。
「にゃー」
家の近くでクロさんと出会った。
「はい。こんばんわ」
クロさんの挨拶に、挨拶で返しつつ私は思いついた。
せっかくだから、ケモミミずきん使ってみよう。
まあ、クロさんとは無くても普通に話せるけど。
ということで、ずっぽり被ってみました。
「今日はどちらに行ってたんですか?」
「猫の夜会に行ってきたのよ。ルイちゃん」
ホントに聞こえる。
「今日は随分と面白そうなものを持ってるわね、ルイちゃん」
私が被ったケモミミずきんを見て、クロさんが言った。
「クヤさまに貰いました。
これを被ってると色々なものの声が聞こえるんだとか」
「そうなの、よかったわ。
これで私の言葉が正しく伝わりそうね」
あれ、正しく伝わってなかった?
「私の解釈、間違ってましたか?」
恐る恐る聞くと、クロさんはちょっと困ったように、
「間違いではないけれど、概ね正しくも無かったわね」
と、答えた。
ちょっと悲しい。そして悔しい。
けれどまあ、これからはケモミミずきんがあるし、大丈夫だよね。
「それで山の神さまに何をお願いされたのかしら?」
「あれ、分かっちゃいます?」
「昔から、そういう方なのよ。
何か頼みごとをするときは、まず贈り物をくれるの」
うーむ。私はいろいろと考えが甘かったようだ。
贈り物というだけで、無条件に喜んでいた。
でも、贈り物は嬉しいものだし、
例え後に頼みごとが控えていようとも、
贈り物が悪いわけじゃない。
うん。喜ぶのは間違ってないよね。
「それで、頼み事はなんだったのかしら?
手伝えるようなことなら、手伝ってあげるわよ」
猫の手も借りたいということわざを思い出した。
「うーん。借りたいは山々ですが、
猫の手では少し足りないかも……。
あ、嬉しいのはすごく嬉しいですよ」
ああでも、情報だけなら猫は詳しいのかも。
「失礼ね。
私はこれでもあなたの何十倍も生きているのよ?」
クロさんは言い終わると、フリフリと尻尾を振った。
尻尾? あれ、よく見るとクロさんの尻尾、二つに分かれてる。
「人の世では猫又と言うらしいわね。
力比べなら貴方にも負けない自身があるわよ?
それに私は猫の夜会の顔役でもあるの。
情報に関してはかなり協力できると思うわ」
魔物? と一瞬思ったけれど、
クヤさまの言葉を思い出した。
異界の魔物はそんなものではないと言われた。
ということは、クロさんは探している魔物とは違うのかも。
まあともかくとして。
強くて情報にも強いなんて、すごく頼れそう。
そうそう、猫の夜会の顔役に関しては、
ケモミミずきん貰う前だったから不安だったけど、
どうやら間違っていなかったみたい。よかった。
「じゃあ、ちょっと聞いてもらってもいいですか――」
そうして私は、
クヤさまに聞いた異界の魔物の噂をクロさんに伝えた。
「うーん。私は見たことないけれど……。
最近猫たちの間でも似たような噂が流れてるわね。
今度の夜会に出たときにでも詳しく聞いてみるわ」
「ありがとうございます。
それではよろしくお願いしますね」
私はクロさんにお礼を言って別れた。
色々話して、予想以上に時間を使った。
もう日が昇るまであと少し、家の玄関までもあと少し。
玄関の戸を開けるのと、
背中で太陽が顔を出すのはほぼ同時だった。
なんとかなって、よかった~。
さて、今日はこれでお終い。
では、また次の夜に。