第三夜【死神・刑事・殺人鬼】
*注 少々グロテスクな表現がございます。ご注意ください。
夜。それは、私の時間。
さあ、今日も出掛けよう。
耳鳴りがする。
空では月が嗤っている。
こんな日には決まって、悪いことが起きる。
残酷な心が、私を侵食する。
ああ、楽しみだ。
月の嗤い声に混じって、空から声がした。
「楽しそうだナ」
見上げると私より少し高い位置に、
黒いぼろ布をまとった男が浮かんでいた。
手には人の背丈ほどもある黒い大鎌を携えている。
「ああ、クロカマさんでしたか」
こういう日にはよく見かける人だ。
整った顔立ちに冷たい仮面のような無表情が映える。
「このような日にも出歩くとハ、命知らずメ」
先ほどから本能が警告を発している。
目に映るソレは、命持つ全てに対して有害だ、と。
「命知らずですか。
そうですね、私は命の意味を知りません。
それはとても難しい問題ですから」
「下らぬ揚げ足を取って楽しいカ?」
「まあまあです」
楽しいというより、話を変えたかったのだけど。
「山の神には会わなかったようだナ」
そうだけど。
それを知ってるのはともかく、
なんでその話題がここで出てくるんだろう。
「会わないと不味いんですか?」
「命知らずにハ、関係のない事ダ」
「つまりは命とり、と」
「つまらン」
一言を残すと、クロカマさんは黒いぼろ布を翻して、
夜の闇に溶け消えた。
「ふふふ」
残念。
クロカマさんとの出会いは割とレアなので、
もう少し話していたかったんだけど。
仕方がない、先を行こう。
――――――――――――
繁華街の方へ行ってみようと思う。
そこは人の街の中心部で、夜でも煌びやかな世界だ。
普段はあまり得意では無いけれど、
今日はそんな不得手にわざと飛び込んでみたい気分なの。
人工の明かりが様々な色で光り輝く。
深夜だというのに、まだ人の往来がまばらにあった。
がやがやと煩いここも、夜の世界に変わりはない。
不得手で嫌いな私の世界。
「よう、ルイくん」
呼ばれて振り向くと、ビルとビルとの間にできた路地裏に、
灰色のコートを羽織ったおじさんが立っていた。
「ユラさん、……お久しぶりです」
煙草の臭いを多分に含んだコートを、
常に着ているこの人はユラさんという。
職業は刑事……らしい。
ホントかどうかは分からない。
分からなくても困らない上、
興味も無いから知ろうともしない。
ユラさんはいつもこの辺りを縄張りとしている。
犯罪在るところにユラさん在り。
まあ要するにユラさんが縄張りとする繁華街には、
犯罪が絶えないということだ。
「相変わらずの夜歩きかい。
あんまりいい趣味じゃないねえ、ルイくん」
「他人に迷惑は掛けてませんよ?」
「夜に彷徨かれるだけで迷惑なんだよ、俺にな。
お前さんが何もしなくとも、
巻き込まれりゃ、俺が動かざるおえねえだろが。
クソ面倒くせえ」
今日は随分とイライラしていらっしゃるようだ。
また何か、事件でも起こったのかな?
「何かありましたか?」
「コロシだよ、コロシ」
殺しか。
でも、犯人と被害者次第ではよくあることだと思うけど。
少なくとも、刑事をやっているらしいユラさんの近くでは。
「無差別なんだよ。殺人鬼とかって騒がれててな。
相変わらず世情に疎いな、お前は」
ユラさんがイライラしてるってことは、まだ捕まってないのか。
そりゃちょっと、不味いかも。
「早めに帰ることを進めるぜ、ルイくん」
怒りと焦燥に隠れ、心配と優しさを宿すユラさんの瞳。
こういう所を見ると、刑事だと思える。
「気を付けます」
「ああ、気をつけな」
そう言って、ユラさんから離れた。
もちろん、反転して家路を辿ることは無い。
せっかくフラグが立ったのだ。
どうせなら、回収していきたい。
――――――――――――
繁華街でも一歩、路地裏に足を踏み入れれば、
闇が支配する世界がある。
喧騒は壁の向こうに押しやられ、
周囲の人工光にかき消され、星の光も届かない。
人が作り出した腐敗した闇、それが繁華街のもう一つの顔。
それが分かっている人は、決して近づかない闇の領域に、
しかし私は自ら踏み込んだ。
いや、逃げ込んだというべきか。
自分から飛び込んだというのに、
私には繁華街の喧騒はきつ過ぎたのだ。
喧騒はまだ消えないけれど、先ほどよりは大分マシだ。
壁に手をついて、自分の足を見つめる。
少し、安定してきた。
安定してきたら、路地裏の奥からある臭いを感じた。
生ゴミや、煙草、酒の匂いに混じって感じたそれは、
確かに血の匂いだった。
路地裏の奥へ目を向ける。
その瞬間、月の嗤い声が数十倍の大きさで耳をつんざいた。
繁華街の喧騒が酷過ぎて、気づかなかった。
私がすでに、死地に足を踏み入れていたことを。
ゆらりと、腐敗した闇の奥から誰かが現れた。
ぽたぽたと血の滴る出刃包丁を握りしめて、
遠い別世界を見つめるような瞳をして。
「ギ、ギ、ギギ――」
ソレは鉄の軋むような音を口から漏らしている。
よく見ると、ソレの足元は血の海だった。
ギィさん? それともデバさん?
チダマリさんはちょっと違うか。
あまりのことに、頭があらぬ方向へ回っていた。
視線が合う。
壊れすぎていて、考えが読めない。
「ギガガガガ」
逃げようとしたけれど、
後ろを向いた瞬間終わる気がした。
声を上げても終わる。
体を動かしても終わる。
ああ、不味い。
こんなことなら、視線を合わせなければよかった。
視線を外しても……。
「―――ーぁ」
その時、ギィさんの後ろから微かな声が聞こえた。
ギィさん以外の声。
恐らく、血だまりの主。
チダマリさんはそちらにこそふさわしい。
私はそれに反応して、
つい視線を一瞬そちらに――向けてしまった。
「あ」
ドスンと、顔に出刃包丁が命中した。
意識が血の赤で塗りつぶされていく。
なんだっけ。
クロカマさんの言葉。
クヤさまに、会いに行け――だった――っけ。
そうだ。明日は――クヤさまに――。
一番に――会いに……。
――では、また次の夜に。