第二夜【梟・真っ赤な傘・狐神】
夜。それは、私の時間。
さあ、今日も出掛けよう。
家の扉を開けたら、門柱に巨大な鳥が止まっていた。
「わわっ」
鋭い目つきと嘴、その迫力に驚いた。
「ホォー」
けれど、その声で正体に気が付いた。
「なんだ、ホオさんでしたか」
「ホォーッ」
「ああ、はい。こんばんわ。
何か御用ですか?」
ホオさんは山奥の森を縄張りとするフクロウだ。
山の麓とはいえ、森を出てここまで来るのは珍しい。
「ホォ~ホォ~、ホォ~ゥ」
「え、クヤさまが呼んでるって?」
そういえばホウさんは、
クヤさまの使いをやってると聞いたことがある。
それで、こんなところまで来たのか。
「ホォ~」
「それから私に会いにって。
ふふ、なんだか恥ずかしいです」
「ホホォー」
「はい、行きます。
ホントは昨日行こうと思ってたんですが、
途中でちょっと時間掛かってしまって、
そのまま時間切れになっちゃいました」
「ホォ~」
「はい、ではまた今度」
ホウさんは短く別れを告げると、
大きく翼を広げてそのまま山の方へ飛び去った。
さて、今度こそ本当に、散歩へ出かけよう。
――――――――――――
山に用事と思うと、なぜか足は山へと向かない。
つまりそれが散歩の本質。
住宅街の方へ行ってみよう。
家から東に暫く歩くと、民家の密集した住宅街に辿り着く。
深夜に近い時間帯だというのに、
家々の窓にはまだ明かりが灯っている民家は多い。
けれど、さすがに人通りはほとんどなく、
たまにすれ違ったとしても家路を急ぐ人たちばかりだ。
家の中から聞こえてくる笑い声とテレビの音や、
夕飯の匂いが人の気配となって伝わってくる。
ここを歩くと、独りであることを自覚させられる。
まったくの一人であるよりも、
壁を隔てた向こう側に人の気配を感じるときの方が、
孤独というものは深く感じられるものだ。
物悲しい気分が、胸を指すような鈍い痛みとなって現れる。
人の明かりの強い住宅街では、空を見上げても星は見えない。
真っ黒な空に独りぼっちで輝くお月さまは、
今の私ととてもよく似ている。
「あ、ルイちゃんだ」
空を見上げていたら、名前を呼ばれた。
道の先に視線を移すと、
そこには雨でもないのに真っ赤な傘を差した少女が立っていた。
「チイちゃん、こんばんわ」
チイちゃんはこの辺りでよく会う少女だ。
いつも真っ赤な傘を差しているからすぐにわかる。
「ルイちゃんどこ行くの?
って、決まってないよね」
「うん、適当にぶらぶら。
チイちゃんは?」
「私もぶらぶらだよ。
最近あんまり美味しそうな人いないからね」
チイちゃんはいつも元気だ。
明るくて、楽しげで、キャッキャしてる。
夜の静けさとはそぐわない印象である。
でもこんなに明るいのに、なぜか太陽の下にいる姿は想像できない。
月の光が似合う少女だ。
なぜだろう。
「ルイちゃん暇なら、私と一緒に遊ぶ?」
真っ赤な傘の下から瞳を覗かせて、チイちゃんが聞いてきた。
足の先から頭の先まで、ゾワリとした気配が昇ってくる。
月と同じ金色の瞳。
猫のように瞳孔の黒が縦に伸びている。
ああ。
きっと月と同じこの瞳の色が、
月に似合う彼女のイメージを形作っているのかもしれない。
「やめとく」
彼女に従いたいという欲求を押し殺して、
私は何とか否定の言葉を口にした。
「残念。またね、ルイちゃん」
真っ赤な傘で顔を隠したチイちゃんは、
感情そのままの言葉を告げると、
私とすれ違い歩き去った。
「ばいばい、ルイちゃん」
振り返った私は、彼女の背中に向けてそう言った。
――――――――――――
住宅街の中心には小さな林があって、
そこには古い古い神社が建っている。
ここが住宅街と呼ばれる前からある神社だ。
林の入り口にして神社の入り口でもある赤い鳥居をくぐると、
そこは神の住む別世界にして神域だ。
今日はどちらだろう。
「夜も遅くに熱心じゃのう、ルイ」
闇の中からゆるりと現れたのは、
狐の面を被り、巫女服を着た小学生くらいの女の子。
私の名前を呼び捨てにするということは、
今この女の子は神さま側ということだ。
「こんばんわ、イナリさま」
「ふむ」
可愛らしい女の子が大仰な物言いをする姿は、
どこかちぐはぐで面白い。
「熱心って程、毎日じゃないでしょう。
夜はいつもの事ですし」
「つい最近、会ったばかりじゃろう?」
最近、会ったっけ?
最後にあったのは三か月くらい前だったと記憶してる。
まあ、神さまの時間間隔では、
三か月も昨日もあまり変わらないか。
「そういえば、九夜山の神が呼んでおったぞ。
会いには行ったか?」
「あ、はい。
今日、フクロウのホウさんに聞きました。
行かないとなとは思ったんですけど、
なんとなく呼ばれてると行く気が無くなっちゃって」
「別に悪い知らせがあるわけでもなかろうに……。
まあ、ワシらにとっちゃ今日も明日も明後日も、
そう大した違いはないがのう」
呆れるイナリさまの気持ちはわかる。
私も少しどうかと思うから、この性格。
でも、それが散歩の醍醐味。
「ワシらの時間間隔はともかくとして、
早めに行くことを進めるぞ」
「そうします」
「ふむ。そろそろ帰らんと、もうすぐ日が昇る」
「ありがとうございます。では、失礼しますね」
「また来い」
「はい」
イナリさまに別れを告げて、私は元来た道に向かう。
そろそろ太陽が昇る。
それを感じたとき、丁度家に辿り着いた。
昨日は途中で、時間切れになっちゃったけど、
今回はしっかり帰りつけた。
毎回、こうならいいんだけどね。
ついつい、時間を忘れてしまう。
さて、今日はこれでお終い。
では、また次の夜に。