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Unter der Haut, Auf der Haut  作者: えむ
第二章
9/26

 俺は電車に揺られていた。今や自動車も無料でどんな遠距離まででも運んではくれるが、やはり遠くまで出かけるのならば、電車に分がある。

 車内にいるのは俺一人であった。恐らく今日一日の乗客は俺だけなのだろう。もしかしたら今月の客も、俺一人なのかもしれなかった。

 代わりに駅の出入り口には、何体もの彫像が押し出されるようにして突っ立っていた。

 図書館で俺が見たのと同じく、彼らも電車に乗っている間、もしくは電車を待っている間に結晶に包まれて彫像と化し、終電と共に電車と駅の構内から強制的に排除されたのだろう。そこから考えれば、結晶化のスピードは今まで俺が想像していた以上に早いようだ。

 俺は足を組み直した。座るのにもいい加減飽きが来ていた。俺は今、自分の生まれ育った故郷に向かう長い旅の途上にあった。

 大学に入学して以来、一度も実家に戻ろうと思ったことすらなかったのに、今になって帰ろうと思い立った理由が、俺自身にも分からない。

 俺は左手首の個人端末に目を走らせた。新着メールも電話もない。これほどまでに執拗にメールや電話を掛けても、誰一人反応を返してくれない以上、全員が彫像と化してしまったと納得するしか道はない。

 だからこそ、実家に帰ろうと決めたのかもしれなかった。血が繋がらないとは言え、最も長い間付き合った人間である両親がどうなったのか、この目で確かめるために。

 俺は自分自身を嗤う。彼らとて他の人々と同じく彫像化しているに決まっていると言うのに、どうしてわざわざこんな長旅をしているのだろうか。もしや俺は未だにどこかで、僅かな期待を抱いているのだろうか。自分のことなのに、理解に苦しむ。

 こうして己自身のことすら分からない俺に、一体何が理解出来ると言うのだろう。同時に自嘲染みた笑みが唇に広がり、そして消えていくのをどこか他人事のように見た。

 俯いた視線の先の足下では、細い光が電車と同じリズムで揺れ続けている。車内に入り込める光は、その一条だけだった。ブラインドが下りてしまっているせいだ。

 車内を管理するシステムが、俺が外を見たくないと思っていることを自動的に認知し、ブラインドを下げさせたのだった。本来楽しめるはずの風景の代わりに、先ほどからブラインドの上で平和な温泉番組が提供されている。

 俺が好きなのはこの内容だと、システム様が判断してくださったのだろう。大きな黄色のバスタオルを巻いたまだ若いレポーターが、満面の笑みで何やら喋り続けている。確かに嫌いではなかった。

 この手の人間の思考を読み取って反応する機構は、今や巷に充ち満ちている。俺の最低の機能しか有さず、動いていること自体が奇跡だとまで称された個人端末ですら、俺の現在の嗜好と健康を鑑みて、今日のメニューを表示してくれるのだ。その他のもっと新しい機械に備わっている機能は、より高度なものだ。

 だが、と俺は思う。俺は果たして本当に、窓の外が見たくないのだろうか。本当にこんな番組が見たいのだろうか。押し付けられているように、感じてしまう。

 ならば、と俺は考える。一体何を見たいのだろうか、俺は。一番に思い浮かんだのは、昨日見た夢の前半部分であった。

 青い空。降り注ぐ蝉の、息苦しいほどに密度のある鳴き声。白い雲。もう失われてしまった、かつてはごく平凡だった夏の一日だ。それはきっと、子供だった俺にとっての、幸せな一日。もう二度と取り戻せないもの。

 人口減少を上回るスピードでの都市圏への人口移動が問題となり始めたのは、俺がまだ生まれる前だったはずだ。それなのに両親は、田舎に住まい続けた。

 生活の心配など不要な現代に於いて、田舎に居続けるのはただただ不便なだけであっただろうに、彼らから不満を聞いた記憶はない。変わった人たちだったのだ、と思う。なにせわざわざ子供の俺を引き取って、育てるくらいなのだから。

 現在では子育ては、費用対効果の最も悪いものだと認識されていた。きちんと環境を与えていれば、子供は勝手に大きくなるのだ。それならばそんな仕事は、人間ではなくロボットたちにやらせれば良い、と言うのが定説であった。

 そもそもが子供を産むこと自体が面倒この上ないことでもあった。それに加えて、どうして育てることまでしなければならないのか。

 俺はふっと笑う。子供を産まない、育てない。そんな社会が消え去るのは、当然のことなのだ。少子化と人口減少についての問題を、誰もが認識していながら、誰一人として敢えて口にはしなかった。解決策が存在しないことを、理解していたのだろう。人間は滅びるべきして滅びたのだ。

 なのに、と俺はブラインドをモニター代わりに投影される温泉番組を漫然と見つめながら、独りごちた。

 こうして人間が彫像と化し動かなくなった今でも、人間社会は充分に回っている。人間の代わりにAIを搭載したオペレーションシステムやロボットたちが、黙々と仕事をしてくれているのだ。

 それは人間のいない、人間社会であった。言葉の矛盾だ。だがそれが今現在の真実の姿であった。事実、俺は今も何不自由なく暮らしている。

 土の匂い、虫の声、雨の音、風の強さ。そんな煩わしいものたちを愛した両親ならば、この状況を見て何と言っただろうか。どう感じたのだろうか。少し、聞いてみたかったように思う。

 俺は既に両親が死んでいる、いや、彫像と化していることを前提に考えている自分に気が付いた。やはり俺は、両親が健在かもしれないなどと、望みの薄すぎる希望を抱いてなどはいないのだ。

 だが、それならば何故、俺はこうして実家へと向かっているのだろう。

 まだ見てもいないことを勝手に確信するのは愚かだと、過去の俺ならば言っただろう。だが今の俺は何の確証もないのに、全世界の人間たちが煌めく彫像と化していることを「知って」いるのだ。

 今まであれほどに、己の手で確かめることを執着していた俺には、全く相応しくはない態度だと自分でも思う。だがこの確信を覆すことが出来ない。

 何もかもが「俺」という殻の中で、不確かに揺らいでいた。

 両親が結晶化していると納得しているのならば、どうして俺はわざわざ電車に何時間も揺られてまで、実家に帰ろうとしているのだろう。俺は一体何を知ろうとしているのだろう。

 視線の先では未だに温泉番組が平和に湯の効能を垂れ流し、ブラインドは頑なに下りたままだ。果たして俺は、本当に外を見ることを嫌っているのだろうか。今更窓の向こうに彫像が立ち並んでいることを確認することが、そんなに忌まわしいことなのだろうか。

 分からない。何一つとして、断言することが出来ない。

 俺はブラインドと同じように、己の目蓋を閉じた。この目を瞑る動作だけは、確かに俺の意志の代物だ。

 目蓋の裏に蘇るのは、昨日夢で見た夏のある日。物理的な衝撃すら感じさせるほどに鳴き騒ぐ蝉の、一瞬の強烈な生と、そして死。

 あの声は今はもう、聞くことは出来ない。彼らは害虫と認定され、田舎からすらも駆除されてしまったのだから。

 振り回す網の持ち手が皮膚を擦る、微かな痛み。自分の汗の匂い。肌に纏わり付く熱気。捕まえた蝉の腹は、蠢いていた。確かにあれは生きていたのだ。俺はその命が知りたくて、ちっぽけな体に指を立てようとしたのだ。

 ……あの瞬間に俺を咎めたのは、一体誰だったのだろう。

 確かにあの声は、俺よりも高くて幼い音をしていた。だが全ては、朧気に消えていく。記憶を辿ろうと必死に努めても、目的とするものは不確かさの中に速やかに溶け去ってしまうのだ。そんな声とその持ち主が、本当に存在していたのかすら、分からない。

 もしかしたらあれは――と想像する――俺自身の声だったのかもしれない。己の残虐な行為を咎める、俺の良心の言葉。

 余りの連想に、唇が吊り上がるのを止められない。いつ見たかも確かではない、子供向けの番組を思い出したのだ。

 そこには主人公の良心の化身である天使と、悪い心の化身である悪魔が登場し、それぞれが主人公を己の側に引き込もうと戦っていた。

 あの番組の主人公のように、俺の中にも天使と悪魔が棲んでいるのかもしれなかった。蝉の腹を破ろうとした俺は悪魔で、それを止めようとしたのは天使だったのだ。

 俺の口から微かに声が漏れた。それは笑い声に似ていた。

 果たして俺の好奇心は、生命の中身を知りたいと欲する心は、悪なのだろうか。模型もシミュレーションをも信じずに、己の手で確かめたいと願うことは、悪なのだろうか。

 目蓋を引き上げた俺は、脳天気に話し続ける温泉番組のレポーターから目を逸らして、じっと己の手を見つめた。

 薬品の染みこんだそれは、数多の実験器具を洗い続けたせいで今でも荒れに荒れている。現代の自動洗浄機たちは、時代遅れとなったガラス器具を洗うのには適していないのだ。

 ゆっくりと手を握り込み、そして広げる。

 この指たちの持ち主である俺は、確かに悪い人間なのかもしれなかった。いや、きっとそうだ。これほどまでに世の中を便利にしたAIやシミュレーションを、信じていないのだから。

 そのせいで、罰が当たったのに違いない。だから安らかな眠りの如き彫像化から、俺だけが除外されたのだ。AIたちが、俺に思い知らせようとしているのだ。自分たちの有能さと、人間の無能さとを。

 事実、人間が彫像と化した今でも以前と変わらぬ生活を、俺は謳歌している。動かなくなったのがもしも人間ではなくAIだったのならば、今頃社会は大混乱を極め、破綻していたかもしれない。

 今や人間などよりも、AIの方がずっと重要で大切なのだ。

 俺は思わず手で口元を覆った。その隙間からは、忍び笑いが漏れ続ける。

 誰もいないのだから、大声で笑っても構わないはずだ。だが、俺はしなかった。いや、出来なかったのだ。

 大きく口を開けてしまえば、耐えきれずに泣き出してしまいそうだったから。

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