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Unter der Haut, Auf der Haut  作者: えむ
第二章
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 夢を見た。またしても夢を。けれども今度の夢はここ最近のものとは違った。それは抜けるような青い空を背景に立ち現れた。夏の色だ。都会人には分からないだろうが。

 踏みしめる地面からは草の匂いが立ち上っていた。キャラクターものの小さな靴。俺は今、小さな子供の姿をしていた。それは過去の再体験。

 降り注ぐのは、耳鳴りのような蝉の鳴き声。見上げた空の青さも、掴めそうなほどにしっかりとした質感を有する雲も、過去の代物に過ぎない。もはや田舎にしか存在しない、「天然」ものの気象の表情だ。コントロールされた都会の空とは違う。

 どこから見つけて来たのだろう。もう生産されなくなって久しい虫取り網を、子供の俺は握りしめていた。塗装の禿げた部分が皮膚に痛い。

 物理的な衝撃すら感じさせるほどに五月蠅く鳴き喚く声の中、俺は一匹の蝉に狙いを付けた。息を詰めて一気に網を被せる。捕まえた。

 無様に暴れる蝉を逃がさないように注意しながら、俺は不器用な手つきで網から蝉を取り出した。途端に蝉がジジッと必死に鳴く。一緒に腹が動く。声と腹は連動しているのだろうか? そんな疑問が生まれた。

 俺はその秘密を知るために、小さな虫の体に指を乗せて、力をかけた。途端に誰かに止められた。駄目でしょう、そんなことをしては。壊すのは模型で良いじゃない。

 ――その声の主が誰だったのかが、思い出せない。声の質感を思い出そうとすればするほどに、全てが記憶の隙間へと落ちて行く。それは実に夢らしい不確かさであった。

 だが俺が反論する声は、はっきりと聞こえる。少し舌っ足らずな、子供の頃の俺の声。それは必死に言い張っていた。

「模型では駄目だよ。だってそれは間違っているかもしれないじゃないか。

 僕だって虫の生態を収めたシミュレーションシステムくらいは持っているけれど、それじゃあ足りないんだ。もしかしたらシミュレーションは不完全かもしれないだろ?」

 そうだ、と俺は思う。俺は今生きている、必死に蠢いている、この虫の腹の中が見たいのだ。この目で、この手で、調べたいのだ。

 また声がした。捕まえられない不思議な声が。その主は、シミュレーションの完全さを信じない俺を批難していた。それは俺が今まで散々、投げ掛かられたものと同質のものでもあった。

 どうして人間の手で実験することに拘るのか? シミュレーションでは駄目なのか。AIに演算させれば良いではないか。

 更なる反論に舌っ足らずの俺が口を開くよりも先に、手の中のちっぽけな虫が逃げ出した。信じられないほどの不器用さでそれでも空を飛ぶ蝉は、ジジッと再度鳴いた。その声は今度は、勝利宣言のように聞こえた。叫ぶ俺の声は、実に悔しそうだ。

 無事に自由を手に入れた蝉は、不格好に、高く高く飛んだ。雲の白へと溶けていく。

 いつまでも見上げていれば、その白は、いつしか薬品汚れの付いた白衣へと姿を変えた。降り注ぐ蝉の声は、煩い研究室の数多の機器の動作音へと切り替わってしまう。

 立ち上るのは草の匂いではなく、得体も知れぬ薬品たちの臭い。目の前には憎たらしい指導教官の半端な笑い顔。



 俺は途端に込み上げて来た強烈な感情に、夢から飛び起きた。指導教官のあの掴みきれない表情は、今でも殺意の対象なのだと知る。

 きっと今頃は彼も彫像と化し、穏やかな表情を浮かべていることだろう。だがそう想像すれば、さらに害意が募った。

 研究室での失敗の全ては、いつからか指導教官のあいまいな笑みに集約されてしまっていた。それが責任転嫁に過ぎないことも理解していたが、それでも湧き出すどす黒い感情は、どうしようもなかった。

 俺は夢の破片を振り払うと、手首の個人端末を覗き込んだ。昨日、寝る前に全ての知り合いに送信したメールは、一つも返ってきてはいなかった。俺の胸に、また一つ絶望と孤独が積もっていく。

 俺は端末を操作して、もう一度友人たちにメールを送信した。その文面はどう意識しても、悲痛なものになってしまう。

 今まで散々彼らからのメールを無視しておいて、今更こんなにも他者からのメールが恋しくなるとは思わなかった。もしもこうなることを知っていたら俺は、……一体どうしただろう。

 メールを送信しました、との簡素な画面の後に、グリーンの平和な色で朝食のメニューが提示された。並ぶメニューはどれも爽やかな品々だ。昨日まともな食事を摂ったことで、端末の表現も随分と柔らかくなっていた。

 俺はその画面を静かに眺めた。胸糞悪い夢と現実に悩む俺には、確かに爽やかな食事が必要だと思える。

 だがやはり他者が提案したものをそのまま受け入れることなど出来ない俺は、端末の指示とは正反対の胃に悪そうなコッテリとしたラーメンを食べるために外出することに決めた。いい歳をして未だ反抗期の子供のような行動を取る自分が、惨めだ。

 俺は寝起きのままの見苦しい姿で外に出た。見上げた空は夢とは違い、もう秋の色を見せていた。

 今日は昨日と違い、ちゃんと表玄関から外に出た。アパートの前に立ち尽くす彫像の男を見据える。

 髭すら剃っていない俺の今の姿は酷いものだろう。だがどうせ、彫像しか存在してはいないのだ、つまりは誰も見てはいないのだ、と思い、そしてもしも彫像たちに「見る」ことが出来るのならば、俺のこの見苦しい姿に対して顔の一つも顰めて欲しいと願う。

 俺は睨むように――そうでもしないと、疎外感に負けてしまいそうなのだ――彫像の一つ一つの顔を見つめながら歩いた。幸福そうな顔、顔、顔、顔。

 人口減少は苛烈だが、それ以上の勢いで都市への人口流入が続いていた。俺の住まうこの街では、少し歩けばいくらでも人と出会える。だがその全ては、ただただ幸せそうに笑った姿で固定されてしまっていた。

 ラーメンを食べる前から、すっかり胃が痛んだ。

 どうして俺だけが、この仲間に入れないのか。俺がずっと感じていた、他者への違和感のせいなのだろうか。だがその「差」は、俺の優越感をも刺激する。己がどこまでも自己的に過ぎて、反吐が出そうだった。

 相反する二つの感情に堪らずに背けた視線の先には、清潔な地面が見えた。清掃ロボットたちが綺麗に掃いて回っている現在、道路は土煙とは無縁だ。決して清潔好きとは言えない俺の靴も、そのお陰で草臥れてはいるが汚れてはいない。

 人工的に並べられた作り物の木々が揺れた。遅れて俺の元にも風が届く。長くなってしまった前髪が一瞬、俺の視界を遮り、その刹那に何らかの生物が動いた気がした。

 それは確かに、人間と同じフォルムをした何者かであった。俺は慌てて声を掛けた。同時に、それが存在したと思われる方向に腕を伸ばしながら、走り出す。

 だがもうそこには誰も、何も存在しはしなかった。

 残されたのは、何かを捕まえようとするかのように伸ばされた俺の腕と、「待ってくれ」と叫んだ俺自身の声の悲しそうな尾だけ。惨めだった。

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