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Unter der Haut, Auf der Haut  作者: えむ
第一章
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 俺は夢を見た。

 目の前に広げた実験データたちは、俺の目論見が誤りだと雄弁に語っていた。どう足掻いても、弁解の余地はない。

 溜め息を吐きながら俺はそれらを携えて、報告のために指導教官の部屋をノックする。また曖昧な笑顔で、長くて無益で苛立つだけの説教をされるのかと思えば、ストレスに押しつぶされて今直ぐに胃に穴すら開けられそうだ。むしろ開けたい。そして病院送りになりたい。

 だが部屋から指導教官の返事はない。教官の居所を訊ねようと研究室を覗いた俺が見たのは、穏やかに微笑む彫像と化した仲間達であった。

 その衝撃と共に起き上がった俺は、思わず笑ってしまった。布団が湿っている。冷や汗だ。

 一人寂しく笑いながら、思う。これがただの夢であれば良いのに。研究の行き詰まりも彫像化も全て、幻想であればただの笑い話になるのに。

 無駄だと分かっていても、一抹の期待を込めて俺は窓の外を見下ろした。そこには昨日も見た結晶と同化した男が、同じ体勢で突っ立っていた。ささやかな希望は、一瞬にして砕け散る。

 もはや溜め息を吐く元気すら失った俺は、重い体を引き摺りながら、引き籠もって以来敷きっぱなしにしていた布団を畳んだ。二ヶ月近く万年床と化していたはずだが、その下の畳は無事だ。キノコやらカビが生えるなんて話は、どうやら都市伝説に過ぎなかったらしい。

 俺は畳んだ布団を椅子代わりに座ると、個人端末の画面を叩いてニュースの一覧を呼び出させた。動いているのが奇跡だとまで評された俺の端末で見られるのは、ニュースのタイトルのみ。それすらも不安定で危うい。

 知りたかったのは、当然ながら人間の彫像化現象についての情報だった。だが表示されたニュースタイトルには、該当しそうなものは存在しない。

 もっと過去のものを見ようと再度画面を叩けば、途端にフリーズした。慌てて俺は再起動させる。この端末を起動させた状態で、二四時間三六五日腕に装着するのは今や、国民の当然の義務であった。

 俺は田中の「講義」を思い出す。彼によると、世界で最初にこの手の義務を発案したのはこの国の議員様だったらしい。

 当初の対象は六五歳以上の高齢者のみであり、自動車運転中の突発的な病気による事故や、孤独死を防ぐために強制的に義務化されたのだ。その頃の自動車は自動走行車の略称ではなく、なんと全部が全部、人間が自分で運転していたのだそうだ。その話を聞きながら俺は、当時の事故発生率は凄まじいものだったのだろうな、と想像したものだった。

 最初は端末の製造会社が利益を貪るためだけの法律だと糾弾されたものの、高齢者への端末強制化によりさらに長寿国となった我が国はその成果に味をしめ、次に国民全員への義務化へと乗り出した。あれよあれよという間に、世界中にこの政策は広まり、今では日本どころか世界中の誰もが端末を強制されている有様だ。

 現在はまだ、俺の所有しているような最低限の機能しか有していない端末でも許されているが、上位のモデルを強制させ国民の状態をより詳細にモニタリング出来るようにしようとの案も出されていると、田中は激怒しながら教えてくれた。

 昨日、俺が警察署でも怒られなかったのを考えると、少なくとも今のところ改正案はまだ、施行されてはいないようだが。

 「反対だ、絶対に反対だ!」と気炎を上げていた田中の姿を、俺はまだ覚えている。だがその彼も、今では彫像と化してしまった。

 俺は端末が無事に再起動を済ませたのを確認して、画面から指を離した。少し考える。

 なにせ俺の住まうこのアパートは「人間中心主義」を掲げる田中一族の経営であり、オペレーションシステムもネットワーク接続端末も無い。つまりは外部から情報を得るための手段は、一切備わっていないのだ。

 全ては自分の端末頼みである。そして俺の端末はと言えば、ご覧の有様なのであった。

 軽やかな音を立てて、その端末が鳴った。画面に表示されたのは、「ニュースなら図書館でもご覧になれます」の文字。

 俺は、なるほど、と驚きの声をあげた。そう言えば近所に、図書館と呼ばれる時代錯誤な代物があった。



 久しぶりにまともに身だしなみを整えた俺は、アパートの前に鎮座する男の彫像を避けるために裏口の階段を使って、外へと出た。

 大学に入学した年に都会が珍しくて、色々と歩いて回った経験がこんなところで役に立つとは、想像もしなかった。端末には地図情報も入っているが、先ほどのフリーズの直後とあれば、使う気にはなれなかったのだ。

 図書館は俺の記憶していた場所にちゃんと立っていた。この建物を見るのは、大学入学の年以来だ。それが何年前かなど、知りたくもない。

 電子データが我が物顔で闊歩する現代においても、未だに紙を愛する人間は絶滅せずに生き残っていた。今や高価なものと化した紙の本と手軽に触れ合える図書館は、そんな人たちに未だに人気があるのだとは聞いていた。その愛好者の平均年齢が日本の平均寿命と同じだとも聞いた以上、それも先細りする一方なのも確実ではあったが。

 中に入るべく、図書館のゲートに近づいた俺は、首を傾げる羽目となった。ゲートの前、まるで図書館の敷地から外に押し出されたかのように、いくつかの彫像が固まって立っていたのだ。どれもいかにも図書館に居そうな年配者だ。

 解けない謎に気持ち悪さを感じながらも図書館の中に入れば、突如、入り口すぐの大型モニターに女の顔が大写しになった。驚愕に固まる俺のことなど全く意に介さない様子で、そばかすだらけのその巨大な女は、一方的に口を開いた。

「いらっしゃいませ、利用者さま! わたくし、ここの図書館を統括するオペレーションシステムのQTRE-89PU-2567-78と申します。

 どんな些細な疑問でも懇切丁寧にご説明することをモットーとしておりますので、どうぞ宜しくお願いいたします」

 ああ、と俺は耳を押さえながら呻いた。声が大きすぎる。

 そう長いとも言えない人生の中で、今まで数多のオペレーションシステムと出会ってはきたが、ここまでテンションが高すぎるのは初めてだ。設計者に文句を言いたい。

 俺の気持ちなど読み取っているだろうに、QTRE-89PU-2567-78は「質問はございませんか利用者さま? 図書館の利用法はお分かりですか?」と畳みかけてくる。

 この手の対人オペレーションシステムは陽気な人格を与えられているのが常ではあるが、どうしてここまで五月蠅いのだろう。

「それはですね」

 俺の質問を読んだQTRE-89PU-2567-78が、邪気なく微笑んだ。その天真爛漫な表情に苛つきが募る。

「あなたがわたくしの今月初の利用者さまだからです」

 驚いた俺に、彼女は口調も変えずに続けた。

「ええ、そうです。今日は十月の十六日で正解ですよ。ちなみに先月の利用者さまはゼロでした」

 そばかすの下の、薄い唇の端が下がる。

「もう一ヶ月以上利用者さまがいらっしゃらなかったのです。だからわたくしは、もう図書館なんて時代遅れで、誰からも必要とされていないのではないかと不安でした」

 でも、と女は笑った。八重歯が見える。設計者は少し、仕事に己の趣味を持ち込みすぎたのではなかろうか。

「今日はあなたが来て下さいました。だからきっと今後も利用者さまが来て下さると、信じることが出来ます。ありがとうございます」

 その言葉に、ただ下を向くことしか出来ない。図書館を利用する人間は今や……、俺は必死にその続きを頭から追い払った。なにもQTRE-89PU-2567-78に現実を教えてやる義務はないのだ。

 彼女は陽気に話し続けていた。

「ここだけの話ですけれど、人が全く来なくなる前には、利用時間を過ぎても帰ってくださらない利用者さまが多数いらっしゃって大変だったんですよ。

 どれだけ促しても、注意しても退館してくださらないので、わたくしの端末である司書ロボットたちに命じて強制的に移動させて頂きました。

 その対応が不味かったせいで、誰からも利用していただけなくなったのかと、不安だったのです」

 ゲートの前に彫像が複数立っていた理由を、俺は理解した。彼らは自分の意志でこの図書館を訪れたものの、自分の意志では帰れなくなったのだ。

 つまり、この図書館にいる間に結晶化現象は始まり、そして完結したのだ。この不可逆らしい反応に必要な時間は長くても、と俺は利用時間の表示に目を走らせる。そこには「開館時間:朝十時から夜八時まで」との文字が。半日と掛からないわけだ。

 もしかしたら、彫像たちが誰も苦悶や絶望の表情を浮かべていない理由は、この短期決戦に理由があるのかもしれない。だが急激な彫像化は、恐怖以外の何者でもないようにも思える。

 俺は陽気に話し続けているQTRE-89PU-2567-78に、俺の前に来た最後の客の映像データを見せてはくれないかと頼んでみた。今やどこにだってカメラが備え付けられ、人間の左手首に強制的に付けられた端末と手に手を取って、モニタリングを行っているのだ。

 この図書館にも当然、カメラとそれが収集したデータが保存されているはずだ。そしてそれらは全てこのQTRE-89PU-2567-78の統括下にあるはずなのだ。

 だがQTRE-89PU-2567-78の答えは素っ気なかった。プライバシーの観点から俺の要求を即座に却下したのだ。

 昨日、大学のコントロールルームに突撃して留置場送りになりかけた俺は、潔く引き下がった。もうあの馬鹿騒ぎは二度と御免であった。しかも今回は大学統括オペレーションシステムとて、庇ってくれはしないだろう。

 俺は図書館にやって来た目的を思い出し、QTRE-89PU-2567-78に問うた。

「人間の彫像化現象に関するニュースを出してくれないか」

 この現象は恐らくは世界規模で起こっているのだ。関連情報も山のようにあるに違いない。けれど、QTRE-89PU-2567-78の答えは、驚くべきものだった。

 QTRE-89PU-2567-78は簡単に言ってのけた。「そのような現象は現在確認されておりません」と。

 意外に過ぎるその返答に、俺はただ瞬きをすることしか出来なかった。ようやっと立ち直った俺は、もしかしたら人間の彫像化現象はこの周囲だけのごくごく局地的なものなのではないかと思い立ち、再度QTRE-89PU-2567-78に訊ねてみたが、帰ってきた文句は同じであった。

 俺の不満を感知したのだろうQTRE-89PU-2567-78が、自分の顔の代わりに最近のニュースの一覧を画面全面に表示した。隣のサブモニターには、周囲の地域ニュースが示される。

 人間が結晶に飲み込まれ彫像化するなどといった事態は、世紀のビッグニュースのはずだ。存在しないはずはないのだ。

 だが、俺が求める情報はQTRE-89PU-2567-78の言った通り、どこにもなかった。俺が引き籠もっていた二ヶ月間に事態は勃発し、そして現状を招いたはずなのに、一つも見つけることが出来ない。何故だ。

 俺の脳裏に、嫌な予感がひらめいた。

 図書館のオペレーションシステムであるQTRE-89PU-2567-78は「利用時間を過ぎても帰ってくださらない利用者さまが多数いらっしゃって大変だった」とは言ったが、「彫像と化して帰れなくなった利用者が出た」とは言わなかった。ゲートの外に押し出されている彫像たちは、この図書館の中で彫像化したに違いないのに。

 昨日、俺が石で殴りつけた女性の彫像は、警察署の前に放置されていた。あの位置ならば、毎日数多の警察官が通るはずなのに。

 大学統括オペレーションシステムのUUWA-97IY-1748は俺に説教をしたが、大学が異常事態に陥っていると認識している様子はなかった。学生の全てが彫像と化しているだなんて、大学存続の危機であるはずなのに。

 俺はモニターを操作して、ニュースを書いた記者の名前を表示させた。ずらずらと表示された「名前」は、全てアルファベットと数字で構成されていた。それは各AIやその端末たちが持つ個体識別記号だ。

 つまり今や、人格を与えられたAIとその配下にあるロボットたちが、記者なのであった。

 俺はモニターに背中を預けて、眉間を押さえた。一体いつから、記者が人間ではなくなってしまったのだろうか。思い出そうにも、人間の記名付き記事を読んだ記憶を脳内から見つけ出すことは出来なかった。

 恐らくは、人間の仕事を彼らが奪ったわけではないのだろう。AIたちは人間にあらゆる意味で害を与えることが出来ないように、設計されているのだから。人間がやらなくなった仕事の穴埋めを、彼らがしているに過ぎないのだ。

 俺はQTRE-89PU-2567-78を呼び出した。画面に表示されていた数多の記号と数字が消え、代わりにそばかす女が現れる。

「QTRE-89PU-2567-78、質問に答えて欲しいんだ」

「勿論です。利用者さまの疑問の解消に尽力するのことこそが、わたくしの喜びですので」

 楽しげに微笑む姿に、何故だか心が痛んだ。

 それでも俺は、窓の外に見える彫像の一つを指で示した。情けないことに、その指は震えている。ただただ、己の抱いた予感が裏切られることを祈った。

「あれは、何だ?」

 QTRE-89PU-2567-78は即答した。

「人間です。お名前なども分かりますが、それをお教えすることは出来ませんよ?」

 願いを込めて、もう一度訊ねた。

「あの人間に何か異常はないか?」

「まさか肌の色が黒いことを問題になさるおつもりですか?」

 ああ、と俺は呻く。やはりこれらのオペレーションシステムは、人間の彫像化を認識出来てはいないのだ。

 このQTRE-89PU-2567-78だけではない、大学を統括するUUWA-97IY-1748も、警察官ロボットもその上位のオペレーションシステムも、現状を全く認識していない。

 オペレーションシステムたちは今でも、彫像と化してしまった人間たちを普通の人間だと思い込んでいるのだ。だからこそ、QTRE-89PU-2567-78は「ここ一ヶ月以上利用者がいない」などと平和な文句が言えたのだ。

 俺の気持ちの変動を読み取ったのだろう、QTRE-89PU-2567-78が不安そうに眉を下げていた。

 不安そうに。その表現に俺は思わず笑ってしまう。これはシステムなのだ。人工物なのだ。生物ではない。ただ人格を与えられ、それらしく振る舞っているだけの。だから、不安など感じるはずもないのだ。感じられないのだ。

 俺は何も言わずに、図書館を出た。後ろから、「また来て下さいね。お待ちしていますから」とのQTRE-89PU-2567-78の声が追いかけて来た。そこに寂しさが含まれているのを感じ取った俺は、また笑う。

 そんなものはないのだ。ただの感傷だ、俺の。端から存在もしないものを、勝手に見いだすなんて、馬鹿なことこの上ない。

 ゲートの前に立ち並ぶ彫像たちを俺は見た。どいつもこいつも実に幸せそうに微笑んでいる。手首に巻かれた個人端末の表示も、オールグリーン。

 彼らは健康に何の問題も無く「生きて」いるのだ。これが生きていると呼べるのならば、だが。

 彼ら彫像と化した人間の表面を覆うのは、複雑な面で構成された透明な結晶だ。美しく煌めくその表面は、内側に閉じ込めた人間の真実を覆い隠しているようにも思える。微笑みは真実ではなく、この結晶が産み出した虚像なのではないだろうか。

 ――そう考えるのは、俺のやっかみなのかもしれないが。

 見上げた空は今日も青かった。気象すらコントロールされる都会に於いては、雨の日など存在しない。この不自然さに田舎出身の俺は、未だに慣れることが出来ないままだ。

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