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Unter der Haut, Auf der Haut  作者: えむ
第一章
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 俺は大きく伸びをした。ようやく警察官と大学総括オペレーションシステムUUWA-97IY-1748のお説教から解放されたのだった。背骨の軋む音がして、今まで縮込められていた身長が少し伸びた気すらした。

 大学のコントロールルーム統括オペレーションシステムUUWA-97IY-1748-07に暴力を振るったかどで警察に連行された俺ではあったが、問題を起こしたのが自校の学生であったこと、またその俺が最近研究の不調から引き籠もるほどの心的なダメージを負っていたことなどから、大学の最高オペレーションシステムであるUUWA-97IY-1748が全面的に庇ってくれたのだった。

 それは情けないことではあったが、お陰様でこうして釈放された。代わりに警察官たちと、UUWA-97IY-1748の二つの人工知能から長い長いお説教を頂戴する羽目となったが。

 もう時刻は夕方だ。見上げた警察署の背後からは沈みつつある太陽が、赤色に変色した光を投げかけていた。俺の上に覆い被さるように、警察署の大きな影が落ちている。

 この建物の中に、かつては数多の人間の警察官達が勤務していたのだと言う。今ではそれはフィクションの世界にすら思えないが、歴史の教科書によれば事実であるらしい。

 しかも毎年毎年、殉職者と呼ばれる職務による死者を出していたのだそうだ。それは実に野蛮な仕組みだ。そんな職に就きたいと願う人間がいたことも、俺には信じることが出来ない。

 今や警察署に犇めくのは、警察組織を統轄するオペレーションシステムにコントロールされるロボットたちだけだ。彼らは実体を持たないオペレーションシステムに代わり、数多の仕事をこなすのだ。今日の俺の逮捕劇もその一つに過ぎない。

 危険な仕事がロボットたちに委ねられるようになったことで、殉職という言葉も死語となった。

 更に、社会が成熟し豊かになっていくにつれて、犯罪そのものすら劇的に減少し、今や彼ら警察官の仕事と言えば、人間の注意ミスによる突発的な事故と、俺がコントロールルームで見せたような理性を失った者の暴走に対応する程度でしかない。

 だがもう人間もいないのだ。みんな彫像になってしまったのだから。

 俺はゆっくりと視線を、警察署から路上へと移した。暮れなずむ空を背景に、淡く輝く彫像たちがいくつも立ち並んでいる。彼らはもう、動かない。

 俺は静かに彫像の一体に近づいた。俺とほぼ同じ身長の女だ。年齢は三十前後だろうか。俺よりも上なのは確かだ。

 美人とは言い難い彼女ではあるが、その表面を覆う複雑にカットされたかの如き結晶は実に美しい。それを通して見える、彼女の満足げな表情も魅力に満ちている。

 今日、俺が見かけた彫像たちは、全員が全員、満足そうに微笑んでいた。こんなにも不可解な現象に襲われ、全身を結晶化されていく過程で、どうして彼らは柔らかな表情を浮かべることが出来たのだろう。症状の進行過程で、幸福感を覚える物質でも脳内から放出されるのだろうか。それともまさか、中の人間は無事なのだろうか。

 彫像に触れようと伸ばした俺の指は、けれども途中で止まってしまった。

 どこまでも透明な表面は、内部に閉じ込められた人間を包み隠さず見せているようで、だが同時に、複雑なカットは全てを巧妙に隠しているようにも思える。

 俺は再度、目の前の女性の彫像を覗き込んだ。震える手で、今度こそ表面に触れた。伝わるのは、冷たくも熱くもない、不思議な温度。結晶の体温だ。

 勇気を奮い起こして、彫像をノックした。返ってきたのは硬い、水晶を叩いたかのような手応え。叩いた音は吸い込まれてしまったかの如く、消え失せた。中に見える女性には何の変化もない。

 俺は女性の彫像を見据えた。知りたいと思った。知らなくては生きて行けないと思った。誰かに説明されるのではなく、己の手で説明を作り上げて行かなくては、生きられない。

 それが俺の生き方だった。不器用で、本人をも他人をも傷つけるばかりの、下手くそな生き方だ。

 周囲を見回した。目に付いたのは、道路脇の人工植物の根元を囲むように置かれている装飾用の石。その一つを俺は、震える手で取り上げた。選んだのは、握り拳ほどの少し尖ったもの。

 俺は跳ねる心臓を押さえながら、ことさらゆっくりと女性の彫像に近づいた。悩んだ末に、最も結晶部分が薄そうな首元に決めた。

 息を詰めて、一気に石を目的の場所に叩きつける。けれども彫像の表面は、ビクともしない。石はただ滑るだけだ。音すらもしなかった。

 代わりに音を立てたのは、俺の個人端末だった。小さな画面に表示されるのは、「暴力はいけません」との、気が抜けるような言葉。

 俺の呆れを読み取ったのだろう、続いて「生きているものには痛覚があるのです。叩かれれば痛いに決まっているでしょう」との文章が。

 つまり俺の端末は、この彫像と化した彼女を「生きている」と認識しているのだ。彫像を死体と捉えていれば、「死体損壊は犯罪です」云々の表示が出ただろうから。

 ようやっと思い立った俺は、彫像の彼女の左手首を見た。国民の義務なのだから当然だが、そこにはちゃんと個人端末が付けられていた。それも俺のものとは比較にならない、最新型だ。その表示はオールグリーン、全て正常、だった。

 俺は再度彼女の全体を見た。この女性は生きているのだ、通常に。個人端末はそう証言している。それに、もしも彼女が死んでいるのならば、こんな警察署の真ん前で放置されている筈もないのだ、と今更ながら気が付いた。

 俺は暮れゆく太陽の下に立ち尽くす、数多の彫像たちを眺めた。彼らもみな、生きているのだろうか。この状態が果たして「生きている」と呼べるのだろうか。

 脳裏に浮かんだのは、大学で見た田中の姿。彫像と化した彼の穏やかな顔だった。

 彼はいつだって憤っていた。あらゆるものが人間ではなく、人間が作ったシステムに運用されている現状に怒っていた。彼だけではない、彼の家系の多くが「人間中心主義」を掲げていた。

 だからこそ、俺の住むボロアパートのような時代錯誤の代物を、今までわざわざ守り続けてきたのだ。過去の遺物として、そして一種の理想として。

 だがそんな田中も、ただ微笑むだけの彫像となってしまった。今、こうして結晶化から免れているのは俺だけなのだ。

 俺の個人端末が再度悲鳴を上げ始めた。栄養状態の悪い俺を心配したらしい警察官たちが嫌というほど食事をさせてくれたが、それももう何時間も前のことだ。摂取したエネルギーも随分と消費されてしまったのだろう。

 俺は己の端末の画面を撫でた。その警告音は今までとは違い、まだ些か平和そうだ。この音は、俺が生きていることを証言していた。毎日毎日何かを食べ、消費し、そしてまた食べる無意味な循環を続けて生きる人間の一人であることを、確かに証明していた。ただ立ち尽くすだけの、彫像たちとは違うのだ。

 俺の胸に込み上げるのは、取り残されてしまった、との強い思い。自分だけが忘れ去られたように、未だここにいるのだとの実感。

 だが同時に巨大な孤独感の底から、僅かな優越感が顔を出してもいた。それは酷く久しぶりの感情でもあった。シミュレーションに全面的に依存する人間たちに抱いた、蔑みに良く似たそれ。

 俺は一人、ひっそりと笑った。じっと手を見る。

 全てが人間の手による試行錯誤ではなく、シミュレーションに移行した現代に於いて、俺はずっと己の手で実験をすることに拘っていた。AIに演算させる代わりに、時間と費用を掛けて実験を行うことは、今となってはただの無駄でしかない。

 それでも周囲の人間は、俺に理解を示すフリをしてくれた。だがその実、そこには「理解出来ない」との感情が見えていた。

 彼らの気持ちも良く分かった。長い歴史の中で洗練され、今や万能となったAIによるシミュレーションに頼らず、自分で思考することになど、何の意味も無い。

 それでも俺は、自分の頭で考えることを放棄することが出来なかった。他者に頼るのではなく、自分の頭で考えたい。自分で実験をしたい。そうでなければ、俺は生きられなかった。

 だがそんな我が侭も、ついに壁にぶつかった。実験結果が俺の仮説を否定したのだ。

 対抗するように俺は、新たな仮説をいくつも立てたが、その全てが順に否定されていった。残ったのは、「分からない」の五文字だけ。

 ……結局のところ俺には荷が重かったのだ。自分の頭で考えるなんてことは。AIに任せておけば良かったのだ。

 闇に呑まれつつある街を、俺は見渡す。外灯がポツポツと点灯し始めた。その白い光の下で、彫像たちは美しく輝く。その透明な結晶体の中には、実に穏やかな笑みを浮かべた人間達がいるのだ。

 俺は、彼らを幸福だと思う。嫌みではなく。もはや彼らには、考えることなど出来ないのだろうから。彼らはただ幸せそうに微笑み続ける。悩むことなどないのだ、きっと。俺とは違う。

 俺は、俺自身を幸福だと思う。皮肉ではなく。俺にはまだ、考えることが出来るのだから。俺はこれからも悩み続ける。昨日も今日も、そして明日も、きっと。そしてそのことを、幸福だと思う。彼らとは違う。

 左腕の端末が、未だに鳴り続けていた。画面を見れば、俺が食べたいであろうメニューを次々と表示させていた。何が食べたいかを考える前に、それを勝手に提示してくれる。素晴らしい世の中だと思う。

 けれど、と俺はその表示を消した。やはり俺はどうしても、何事をも他者に委ねる気にはなれないのだ。

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