三
いつの間にか、太陽が頭の上に昇っていた。痛む体を引き摺るようにして立ち上がる。
俺は再度直面することとなった道路に並ぶ数多の彫像たちから思わず目を背けたが、それが無駄な努力であると認めずには居られなかった。なにせどこに視線を向けようとも、彫像が視界の中に入ってしまうのだった。それほどまでにそれは、彼らは、多数であった。
気が付けば俺は、ふらふらと歩き出していた。何が目的なのか、自分でも分からない。
辿り着いたのは、普段から使っている大型書店。心持ち普段よりも嬉しそうに出迎えに来たAIを搭載したロボット店員たちを押しのけるようにして、全てのフロアを見て歩いた。その後に、あれほど忌み嫌った大学の研究室へと足を向ける。
大学へと続く道を辿りながら、俺はようやっと理解していた。
俺は生きている人間を探しているのだ。俺の左腕の端末はずっと俺の健康に警告音を鳴り響かせている。つまりは俺は未だ生きているのだった。彫像と化してしまった人間たちとは、違う。
だが俺の希望を裏切って、嫌と言うほど見慣れた大学のキャンパスもまた、彫像たちの展示場へと変貌していた。
満足そうに微笑む人間のなれの果てたちの間を通り抜け、俺がそれでも目指したのは、所属する実験研究科の入っているE3号棟であった。
その三階で、俺は初めて見知った相手を発見した。アパートの大家でもある田中だ。だが彼もまた、輝く美しい結晶と化していた。
反射的にその姿から視線を逸らし、俺は研究室へと駆け込んだ。今見たばかりのものを否定したかった。あの顎のデカイ田中を見間違えることなんてないと理解してはいても、理解したくなかったのだ。
だが飛び込んだ研究室の中、そこには慣れ親しんだ顔、顔、顔。装置に場所を奪われ、僅かな隙間に押し込められた人間たちは、誰もが幸福そうに微笑んでいる。けれども、その誰も俺の方を見てもくれない。それも当然だ。彼らは全員結晶の中に閉じ込められてしまっているのだから。
俺の心に激しい感情が吹き荒れた。先ほど認識するのを拒絶したそれと、俺は今度こそ対面しないわけにはいかなかった。それは孤独と呼ばれるものであった。寂しさと形容されるものであった。
思い出すのは、引き籠もる俺を心配して彼らがくれた数多のメールや電話。俺はそれを煩わしく思い、全て拒絶したのだった。その全ては失われてしまった。俺がかつて拒否したそれらは、もう二度と手に入らない。彼らは俺にメールをしてはくれない。くだらない話に付き合ってはくれない。何故ならば、彼らは。
耐えきれずに俺は研究室から飛び出した。田中の彫像を避けて反対側の出口へと走る。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。どうしてこんな状況になってしまったのだろう。
溢れ出る疑問と孤独と、それに対する怒りとが、ひたすらに俺を突き動かしていた。
俺は構内の中央に位置する建物を目指して疾走した。
彫像たちから目を逸らし、必死に足下だけを見つめて見ても、いくつもの光の欠片たちがアスファルトに落ちる。それは彼らを包む透明な結晶がはじき飛ばした、あるいは透過した光なのだ。
彫像たちから目を背け視覚情報を拒絶してはみたが、今度は静寂が俺を揺さぶった。
平日には学生達が、そして休日には周辺の住人達が我が物顔で闊歩する構内から、人の声が消失していることを痛く実感しないわけにはいかない。いつもいつだって、彼らの声は俺を苛立たせたのに。失って感じるのが、喜びとはほど遠い感情だなんて。
なんて無様なのだろう、俺は。今聞くことが出来るのは、己の腕に付けられた端末が発する警告音だけだ。
俺の中で一つの確信が生まれていた。この人間の彫像化は、決して局地的なものではない。それが俺の知り得ぬ規模、日本全国で、或いは世界規模で起こっている証拠などどこにもないが、けれどそれ以外には考えられなかった。
思考力を欠いていると、自分自身でも思う。しかし彫像と化した人間の浮かべる幸福そうな微笑が、全てを俺に納得させてしまっていた。
だからこそ、俺は知りたいと思った。どうして人間が彫像と化してしまったのかを。どうして自分だけが遺されてしまったのかを。
知るのは怖い。けれども知らずにいるのも、怖い。それならば俺は、知ることを選びたい。それが俺の、俺に大きな夢を抱かせ、そして絶望させた、愚かしい性質なのだった。
どこをどう歩いたのか、もう思い返せすらしない。今や狭窄し始めたくすむ視界で見上げたのは、学生課の建物であった。俺はその左側に位置するコントロールルームへと足を向けた。
この大学で稼働している機器の全てはこの部屋でモニターされており、それらが収集した情報の全てがここに一旦は集約されるのだと聞いたことがあった。構内全てを監視しているカメラの映像データを求めて、俺はこのコントロールルームにやって来たのだった。
俺はゆっくりと振り返った。大きな窓から見えるのは、立ち並ぶ彫像たち。その光景はとても悲しかった。けれど俺が哀しみを覚えているのは、満足げに立ち尽くす彼らに対してではないことも、理解していた。
俺が悲しいのは、もう二度と彼らとコミュニケート出来ないことなのだ。こんな状態になる前は、他人の存在が厭わしかったくせに。どこまでも自分本位な感情だ。
光の差し込む廊下を通り、俺はコントロールルームの扉をノックする。扉に備え付けられたモニターに映し出されたのは、この部屋を統括するオペレーションシステムUUWA-97IY-1748-07の顔だ。
今や人間社会に必須となったこの手のオペレーションシステムたちは、人と対話するために人間じみた「顔」を個々に有していた。
用件を述べる前に勝手に俺の思考を読み取ったUUWA-97IY-1748-07が、若い男の顔をやや顰めさせて答えた。それは出来ない相談だ、と。俺にはここへの入室権限がないのだから、と「彼」は言う。
数多の情報を扱うこの部屋に入れるのは、ほんの一部の大学職員に過ぎないのだ。君に与えられることはない。諦めなさい、とご丁寧にも彼は言い沿えた。
UUWA-97IY-1748-07の浮かべる愛想笑いが、俺に彫像を連想させた。もう二度と話すことすら出来ない彼らを。
俺は、彼らがそうなってしまった理由を、知りたかった。どうして俺が遺されてしまったのかを知りたかった。そのためなら、どんなことだって出来た。
俺は近くにあった椅子を、微笑を浮かべるUUWA-97IY-1748-07のモニターに向けて叩きつけた。無様に割れるその顔。最後まで微笑み続けるUUWA-97IY-1748-07は、俺にこの上ない憤りを感じさせた。
その苛立ちのまま、コントロールルームのドアをも破壊しようとした俺の行為は、けれども金属製の腕に簡単に阻止されてしまった。
振り返った俺が見たのは、何体ものロボット。いつの間にか周囲には何体もの大学警備ロボットが立ち並んでいたのだった。
俺の手首を押さえ込んだ金属の腕はその一体から伸ばされたものであった。俺は顔をひくつかせる。椅子を握りしめた俺、割れたモニター。現状証拠は完璧であった。コントロールルームに保存されているカメラの映像を確認するまでもない。
UUWA-97IY-1748-07の落ち着いた声がした。「あなたが実力行使に出る前に、警備が来てくれれば良かったのですがね」。俺を心配するかのような声音が不快だ。通報したのはUUWA-97IY-1748-07だろうに。
抵抗することすら出来ないまま、俺は同じくロボットの警察官たちに渡され、署へと連行されてしまった。
彼らに乗せられた自動走行車の窓から見た道路には、やはり数え切れないほどの彫像と化した人間達が。もしかしたら、この現象から逃れられたのは、俺一人なのかもしれない。全くもって嬉しくない想像であった。
俺はそっと両脇を固める警察官たちを見た。人間達がいなくなってしまったのに、警察組織は今でもちゃんと機能しているようだ。大学も普段通りに運営されているようだった。
それはどこまでも不思議であった。人間不在の、人間社会なんて。




