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Unter der Haut, Auf der Haut  作者: えむ
第五章
23/26

 暫く待ってはみたが、先ほど私がBBSに書き込んだ内容に対する反応は僅かに三件だけだった。

 あんな巫山戯た提案は強く否定されてしかるべきなのに、結局は誰も強い文句を言いはしなかった。もしかしたら本当に、今生きている研究員は私一人なのかもしれない。

 思わず確かめたくなった。モニターを叩いて結晶化現象観測システムIDSR-25PE-6598にアクセスし、全世界で未だに結晶化現象から免れている人間の数と位置を計測させようとしたが、寸前で思いとどまった。私にとってはもう、現実は大切ではなかった。今となっては、ただ自分の想像だけが真実と化していた。

 その姿勢は、とてもではないが研究者とは呼べない。研究者ならば、どんな悲惨なものであろうとも、現実を見つめ続け、記録し続けるべきだ。いるかもしれない後続の人たちのために、観測を続けるべきだ。

 そうは思っても、もはや私には研究者としての矜持も失われてしまっていた。現実を直視することに、今となっては何の価値をも感じることが出来ないのだ。

 私はもう既に己の義務を投げ出していた。ただ死に絶えていく人間という存在を、ただ感じていたいのだ。

 幸運なことに、私には結晶化現象観測システムIDSR-25PE-6598を含む数多の機器を利用する権利がある。これらを自由気ままに使いながら、己の生が終わるその時まで、静かに暮らしていたい。

 酷い話だ、と思う。けれどももう文句を言う人すらいないのだ。一体どこに問題があると言うのか。

 きっと弟ならば、最後の最後まで、結晶化現象について調べようと足掻くだろう。人体実験すら厭わないだろう。優しいけれども、それ以上に残酷で、そして強い人なのだから。

 彼は自分の手で、自分の目で、自分の頭で調査しなければ、決して納得することが出来なかった。どこまでも再現性に拘っていた。けれども私は、弟とは違うのだ。

 かつて「研究者」と呼ばれていた人たちは、みな弟のようなタイプの人間だったのだという話を聞いたことがある。私のようにただ観測し、その結果をAIに解かせるような人間は研究者とは呼ばれなかったのだそうだ。その説が事実かどうか、私は知らないが。

 けれど、本当ならば良いなと思う。誰からも理解されない弟こそが研究者であり、私たちは偽物なのだ。馬鹿馬鹿しい想像に、一人で笑う。

 そんな研究者たる彼は、果たしてどこまで結晶化現象の謎を知ることが出来たのだろうか。

 長いこと連絡を控えていた弟が、大学院に進学したと風の噂で耳にしたのは、比較的最近のことだった。確か僅かに二年ほど前だ。

 けれど、結晶化現象よりも昔のことが、どこまでも遠い別世界の出来事のように私には思える。この現象が吹き荒れたおかげで、私は所属していた大学を追われ、結晶化現象解明プロジェクトに参加する羽目となり、更にはこんな南半球の寂れた地まで逃げ出すことになったのだから。

 色んなものを失ってしまった。だがそれを特別惜しいとも思えない。

 むしろ、この現象のおかげで、結晶化現象観測システムIDSR-25PE-6598を介してとは言えども、弟と再会出来たことを嬉しく感じている。例え彼が、私のことを綺麗さっぱり忘れているとしても。

 けれども弟にとっては、この結晶化現象はただ辛いだけだっただろう。

 彼の進学した実験研究科は、世界にも数カ所の大学にしか存在しない、今となっては実に稀なものだ。人間の教員を必ず必要とする性格上、結晶化現象が蔓延することにより教員不足に陥り、どこも閉鎖を余儀なくされてしまった。

 弟が通っていた研究科も同じ目に遭った。彼はそのことに関して、どう思ったのだろう。

 だが彼はやはり強い人であった。私は思い出して、笑う。彼の行動に変わらぬ「らしさ」を感じたのだった。

 彼は他の人間とは違い、自分が何らかのシステムに観測されていることに気が付いたようだった。あれだけの台数を代わる代わる送り込んでいれば、それも当然のことかもしれないが。

 モニタリングされる対象であるはずの彼は、何と逆に観測システムをモニタリングし始めたのである。それは電気屋で簡単に購入できるような、低価格で低機能のカメラによるお粗末なものであったが、それでも私を驚かせるには充分であった。

 弟の前に現れる結晶化現象観測システムIDSR-25PE-6598の端末たちは、毎度異なる個体であることからしても、彼が得られるデータはささやかに過ぎるものだろう。けれども確かに彼は、ただ観測される対象から、観測する主体へと鮮やかに転身して見せたのだ。

 そんな彼の姿勢を撮ってくれたIDSR-25PE-6598-0037-Cに、心からの感謝を捧げたい。機械に過ぎないIDSR-25PE-6598-0037-Cには、私のそんな感情を理解することは出来ないのだけれど。

 弟のどこまでも考える主体であろうとする姿勢に、私は恋をしたのだ。愛情を抱いたのだ。

 否定されても、誰からの理解をも得られずとも、彼は足掻き続けてきた。無理だと、無駄だと、きっと知っているのだ、彼は。それでもなお、自分らしく居続けようとする、その無謀さ。それは私には決してない、純粋さなのだった。

 思い出すのは、最後に彼に渡した透明な結晶。光輝くそれ。今や人間が結晶と化してしまった中で、彼はまだ柔らかな肉体に囚われている。

 私は深い息を吐いた。出来ることならば、声が聞きたい。彼の声が。

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