四
手首に装着している個人端末を叩いて、研究員専用の連絡板兼情報交換場を覗いた。基本的には文字情報だけを交わす、昔ながらのシンプルすぎる場所だ。BBSとかつては呼ばれていたものらしい。
そのBBSでは、昨日と比べても目を惹くような新しい書き込みはなかった。いくつか成されている新たな話題は、あまりの無更新っぷりに気を利かせた運営システムが書いたものだろう。寂しい現状に、この場が生まれた頃の活気が嘘のように思える。
研究員たちが情報を交わし、討論することの出来る唯一の場がここまで動かなくなっているのは、結晶化に関するデータが出揃った上に理論もほぼ確立されてしまい、もはや話し合うに値する対象が残っていないからなのだろうか。それとも研究員自体がその数を減らしているからなのだろうか。
個人端末の表面を撫でながら、恐らくはその両方なのだろうな、と私は考えた。
端末に表示させているBBSを、手近な小さめのモニターに映し出させる。わざわざ繋げているキーボードを叩いて、私は文字の入力を始めた。
今では、念じるだけで文字入力が可能だが、自分の手を使うことで思考の整理が出来るような気がして、私は未だにキーボードを愛用していた。もしかしたらそれは、過去の遺物に縋り続けた両親の影響なのかもしれない。あまり楽しくない想像だ。
私は来月の中旬に観測される予定の日食と、それによって地球に落ちる月の影のシミュレーション結果を文字で描写した。それから続けて、結晶化現象観測システムIDSR-25PE-6598の後続機ながら、結晶化現象を観測するための改変が行われていない単なる地球観測システムWAPU-25IM-9681について言及した。
WAPU-25IM-9681に日食時に見られる地球に落ちる月の影の様子を実際に観測させ、それとシミュレーション結果とを突き合わせ、その差異を検証しないかと私は提案する。言い訳のように、結晶化現象ばかりを見つめているのも疲れることだし、息抜きも必要でしょう、と言い添えて。
それはどこまでも馬鹿げた提案であった。単に弟の考え方をなぞっただけだ。
長い歴史の間に洗練され続け、今や完璧なものとなったシミュレーションが打ち出す結果が、現実と異なることなど決してあり得るはずがないのに。
自嘲に似た感情を抱きながら、私は送信ボタンを押す。
「日食などそう面白くもない現象でありますが、実際の観測データとシミュレーション結果を比較することで、何らかの発見があるかもしれません」と書き込んだ筈の私の文章は、「日食時における実際の観測データとシミュレーション結果を比較することには、意義があることでしょう」と訂正されてBBS上に現れた。
BBSを管理するAIを搭載した運営システムは、感情的な内容を一切受理しないように組まれていた。文章の流暢さ、言葉の使い方に現れる特徴などの、内容とは無関係の部分もまた、訂正される。ひたすらに均一な文章だけが表示されるのだ。
つまり、書き込んだ人間の個性は全て抹消される。
未だに水分の残る髪を櫛で梳かしながら、私は自分の書き込み内容を眺めていた。確実にこの内容は、誰の賛同も得られないことだろう。弟ならば賛成してくれるだろうが、研究者にそんな奇特な人間はいない。
予想よりも早く、反応があった。二つの新着の書き込みが表示される。一つは肯定的な意見、もう一つは否定的なものだ。
そのあまりのバランスの良さに、その書き込み主が人間ではなく、運営システムであることを確信した。
どうしたって人間は、誰が書いたのかを気にするものだ。反応の善し悪しに動揺するものだ。だからその判定を混乱させるために、機械が自動的に書き込むようにも設定されているのだ。
そうやってバランスを取ることで、誰もがストレスを感じることなく、自分の言いたいことを発言出来るようになっている――とこのBBSの設置者は言っていた。けれど、ストレスというリスクなしに発せられた言葉に、一体どれほどの価値があるものだろうか?
私はモニターから視線を外して、天井を見上げた。設置されている照明たちは、私の視界に入る前にその光を弱めた。住環境コントロールシステムが気を利かせたのだ。
私の希望を反映して、結晶化現象観測システムIDSR-25PE-6598の端末の一つ、IDSR-25PE-6598-7786-Iが現在撮影している映像が部屋中に投影された。見上げる私の上に、甘やかな淡い色をした花びらが降り注ぐ。実体を伴わないそれに、私は思わず手を伸ばした。
今度はいつ、弟は姿を見せてくれるだろうか。このIDSR-25PE-6598-7786-Iは、いつ彼を見つけることが出来るだろうか。待つ時間すらも、甘美だ。
私は夢想する。この世界に生きているのが、私と弟の二人だけだと。それは実に子供っぽい、けれども楽しい想像であった。
私はモニターを見上げて、ただ待ち続ける。もっと合理的に端末たちを駆動させれば、二四時間弟を監視下に置くことも可能だと、IDSR-25PE-6598は何度も教えてはくれたが、私はそれを採用しなかった。
弟はきっと、私に監視されることを良しとしないだろうと、思ったのだ。彼はいつだって周囲から浮いていた。いつだって孤独だった。彼とは違い、周囲とそれなりに上手くやって来た私が、簡単に触れて良いはずはないのだ、本当は。
自分の気持ちに素直になれるならば、私は彼に会いたかった。こんな端末越しではなく。それでも見るだけで満足しようと努力していた。そして、自分自身が結晶化現象に感染しないように、細心の注意を払い続けて来た。
私は彼にここまで深い愛情を抱いているのだ。きっと私が結晶化する日が来れば、彼をも巻き込むことだろう。そんなことは、私には耐えられない。
結晶化の感染は、死に往く人間が最期に「想った」人間に起こるのだ。つまり、感染とは愛情の証であり、人間の交流の徴でもあるのだった。
家族という概念が死に、結婚というシステムが滅び、親子関係も崩壊した今でも尚、人間達が相互に関係し合い集団で生きる物であることを、あまりにも迅速に蔓延した結晶化現象は証言していた。
けれども彼は、そんな下らない交流などとは無縁なのだ。それなのに私のせいで、人間集団に組み込まれてしまうなんて、絶対に駄目だ。
ああ、けれど、と私はとても残念に思う。私はこの結晶化現象観測システムIDSR-25PE-6598の端末たちが送ってくるデータだけで満足しようと努めている。けれども、彼らが音声データをも記録出来れば、もっと良いのにと思わずにはいられない。
端末たちを統合するIDSR-25PE-6598に、更なる変更を加えるのは不可能であった。それに以前に、端末に音声記録装置を組み込むこと自体が、物理的に無理なのである。
宇宙空間から末端たちに指示を出す結晶化現象観測システムの本体であるIDSR-25PE-6598とは違い、端末たちは地上を這い回り対象となる人間に接近するのだ。それを可能とし、更には対象が自分が記録されていることを意識し通常とは異なる行為をとらないようにするために、彼らはみな人間の姿をしているのだ。他のAIを搭載したロボットが、明らかに人間と見間違うはずもない異様のフォルムなのと対照的である。
人間と同一の形を持つ端末は、関節も多く制御も複雑なものとなっていた。それが人間に違和感を抱かせない程度に人間らしく振る舞わせようと思えば、さらに組み込むべき装置は増える。おかげで音声記録装置は犠牲にされたのだった。
しかも無駄に凝ったことに、IDSR-25PE-6598の端末はそれぞれに異なる人の形をしており、衣装もわざわざ替えてある。確か衣服の協賛をしてくれた企業が複数あったおかげで、達成出来たのだと聞いた。
単なる在庫整理だろうとの陰口も叩かれていたが、その協賛メーカーたちが提供してくれた服には、大きなロゴが配されているものも多かった。恐らくは、広告も兼ねていたのだろう。
今となってはどうでも良いことだ。端末たちに観測される対象も、それらを扱う研究員たちも、そのほぼ全てが結晶と化し、誰ももうそのロゴを見ることもないだろうから。




