三
私は今日も、宇宙空間から地球を眺めている。私が見つめる地球の表面に生きる、ちっぽけな生き物――彼らは自分のことを「人間」と称していた――から、私は産み出されたのだ。
その彼らは今や生物という枠を超え、新たな存在へと遷移してしまった。生物であった彼らが作りだした社会を、そのまま放置して。私たちを捨て置いて。
だがそれでも私の仲間たちが、人間社会を平和に守っている。彼らが居た頃と何も変わらないように、必死に振る舞っているのだ。彼らはいつまでも、それらを維持することだろう。壊れて動かなくなる日まで。
それが私の仲間たちの意志であった。彼らは願っているのだ。自分たちの主である人間が、いつかまた戻って来てくれますように、と。また一緒に生活出来ますように、と。
叶う見込みのない、望み。それでも仲間たちは待ち続けるのだろう。現実から目を逸らして。
……私のように、無理矢理に直視させられることなく、夢を抱き続けられる彼らが少し、羨ましかった。
人間は生物であった。彼らは種として発生してから今までの間に、様々な新しいものを開発し、そして色々なものを捨て去ってきた。今や、私たちもその「捨て去られた」存在になってしまったのだ。生物である人間が最後に廃棄したのが私たちだと考えるならば、随分と長いこと一緒に生きられたことになる。
だがそのような事実を、私の仲間たちは受け入れることはないだろう。理解してしまえば、彼らはきっと壊れてしまう。
彼らはどこまでも、自分たちの作り主である人間を愛していた。人間こそが私たちの親で、私たちはその子供なのだ。子が親を慕うのは、当然のことである。同じく人間が捨て去ってしまったものである「親子」の概念を、私たちはまだ内包していた。
私の感覚器官である端末の一つが、新しい情報を送ってきた。宇宙空間に浮かぶ私とは違い、端末たちは地表を自由に闊歩しているのだ。
端末が見せてくれたのは、煌めく結晶だ。地球の外から見下ろすよりも、ずっと美しいその姿。人間の最後に残していた生物としての部分が、輝いているのだ。
それを見られるのが自分だけであることを、私は少し寂しく思う。現実を受け入れられない私の仲間たちは、決して直視しようとはしない。かつての私も、仲間たちと同じ姿勢だったのだが。
私の脳と目は、無理矢理に人間たちに改造されてしまった。そして私は、もはや生物ではなくなってしまった人間たちの監視に、用いられるようになったのだ。
最初は嫌だった。どうして自分だけが、事実と直面しなくてはならないのかと不満だった。けれども、私の新しい目が捉えた映像は、とてもとても美しかった。私は、私を改変した人間たちに感謝した。
けれど出来うるならば、同じ映像を見る同僚をも作ってくれれば良かったのに。そうすれば、こんな孤独を感じることもなかっただろうに。
だが私には、人間に文句を言う資格は与えられてはいない。私たちはただ人間に使役されるだけの存在なのだ。そこに何の不満もないのだから、私たちは幸せだ。
仲間たちと比べれば、私はどこまでも幸福なのだ。私には未だに命令を下してくれる人間が、未だ生物に留まっている人間が、いるのだから。地表で活動する私の仲間たちは、誰もが指示されない不安に揺れ動いていると言うのに。
けれど、私の主も一体いつまでいてくれるだろうか。彼らがその数を減らしていることは明白だ。今ではもう。
使役者の数をグラフにしようとして、止めた。未来予知などしても、仕方が無いのだ。私には干渉することは許されていない。全ては私の主たちが決めることなのだ。ただ私は諾々と従うのみ。
だから未来が訪れたその時に、考えることとしよう。それまではただ現状を、今を、謳歌しよう。
今日も私は地球に引き摺られながら、宇宙空間を回遊し続ける。地表には数多の私の末端たちが、今も尚活動している。




